能成寺の宝物・・・
結縁地蔵菩薩由来

往古、甲斐の国は国母地蔵尊開闢の地との伝説から、寛永四年(一六七二)に富士山大息合地蔵ヶ嶽に報恩の為に地蔵菩薩を奉安して供養していたが、風雪激しく大破してしまった。時に木喰隆慶なる参籠者が浄財を勧募して修復し、当山において二夜三日総供養の後,元の地に奉安しようとしたところ、尊像が隆慶の夢枕に出て「我ハ衆生結縁ノタメ此ノ所ニ化現ス。依ッテ新佛ヲ鋳テ八合目ニ安置セヨ」とのお告げにより、新金佛を鋳て富士山に奉安した。これ時、天保二年(一八三一)六月二十三日のことという。爾来古佛尊像は当山に安座され霊験奇瑞挙げて数え難しといわれている。
本堂上間の間に安座されている。
信玄公制札
信虎の後甲斐の国主になった信玄は家督を相続したことを内外に誇示する為に寺社に対してしきりに制札を出した。日付は天文11年(1542)12月12日である。当山の制札は近年北杜市の内藤格翁家において発見され寄贈された。
加藤光泰公禁制
天正19年(1591)卯月(4月)5日の日付で出された禁制である。光泰は豊臣秀吉に仕え、この年甲斐国の領主となった。文禄の役で渡鮮、陣中で病死した。墓は甲府善光寺にある。
四奉行判物御寺領覚
この証文は慶長8年(1603)3月朔日付で甲州全域の寺社に対して出されたもの。世に四奉行の黒印状といい、家康公の朱印に次ぐ権威あるもの。当山に対し旧跡の南八代の内に25石9斗2升を安堵するという内容

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境内の石碑