信玄公制札 信虎の後甲斐の国主になった信玄は家督を相続したことを内外に誇示する為に寺社に対してしきりに制札を出した。日付は天文11年(1542)12月12日である。当山の制札は近年北杜市の内藤格翁家において発見され寄贈された。 |
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加藤光泰公禁制 天正19年(1591)卯月(4月)5日の日付で出された禁制である。光泰は豊臣秀吉に仕え、この年甲斐国の領主となった。文禄の役で渡鮮、陣中で病死した。墓は甲府善光寺にある。 |
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四奉行判物御寺領覚 この証文は慶長8年(1603)3月朔日付で甲州全域の寺社に対して出されたもの。世に四奉行の黒印状といい、家康公の朱印に次ぐ権威あるもの。当山に対し旧跡の南八代の内に25石9斗2升を安堵するという内容 |