食に関する一日一話(4)
〜30歳を過ぎて子どもの欲しい女性へ〜
〜不妊で悩む女性の食事〜

不妊治療を受けている女性や30歳を過ぎて子どもが欲しいとおもう女性は牛乳・乳製品をできるだけ遠ざけなければなりません。日本人の食事は古来、「穀物+大豆+野菜(+魚介類)」でバター・クリームの香りのするものは一切ありませんでした。「バタ臭いもの」を避ける食生活を続ければ、35歳を過ぎても子宝に恵まれるでしょう。もっとも相手の男にそれなりの生殖能力があっての話ですが。女性ホルモンは、牛乳・パン・バターだけでなくアイスクリーム・チョコレート・ケーキなども含まれますからご注意を!
 デンマークで行われた調査によると、母親が不妊治療を受けて生まれた男性の精子の量と質は自然妊娠で生まれた男性に比べて劣っています。不妊治療による不妊スパイラルが始まっています。

2005年06月07日
急告:国内20頭目の狂牛病(BSE)も乳牛ホルスタイン

 厚生労働省の狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)の専門家会議は6月6日、北海道の乳牛1頭を国内20頭の狂牛病と確定診断しました。北海道鹿追町で飼育されていた4歳の雌のホルスタインです。これで日本で発生した狂牛病の牛はすべて乳用種のホルスタイン牛ということになります。
 このホルスタイン牛の出生時期は、感染源の恐れがあるとして肉骨粉の飼料使用が禁止された2001年より前の2000年8月ということです。
 例によって、厚労省は「肉や内臓などは焼却処分されるため市場には出回らない」と発表しています。しかし、この乳牛から搾っていた牛乳はどうなったのかということについて、厚生労働省も内閣府食品安全委員会も一切言及していません。
 お願い:皆さんが牛乳をお求めの際、「この牛乳は妊娠していない牛から搾った牛乳か」とお尋ねになってください。豆腐や納豆に「この製品は遺伝子組み換えでない大豆から作られています」という表示がなされていますね。牛乳・乳製品にも「この製品は妊娠している牛から搾った牛乳を使用していません」と表示することは製造・販売メーカーの義務です。


2005年06月08日
女に敵(かな)う男はいない(1)

 20代の男女の死因順位の1位と2位は長いこと「自殺」と「不慮の事故」(交通事故が多い)となっています。1999(平成11)年に、2355人の20代の男が自殺し、2071人が不慮の事故で死にました。それに対して、同じ年に自殺した20代の女は915人、不慮の事故での死亡は520人でした。20代の男女の人数はそれぞれほぼ同じ約907万人ですから、この年齢の男は女の2・6倍も自殺し、不慮の事故死にいたっては4倍も多いのです。ただし、最近の20代の「自殺」と「不慮の事故」による死亡は男女ともに多少減っています。
 1999年に50代の男は6187人も自殺しましたが、同年齢の女の自殺は1695人でした。女の3・65倍もの男がみずから命を絶ちました。最近では男の自殺は増えていますが、女では減少気味です。
 参考図1は自殺者数・自殺率の推移を示しています。自殺者は1998年から6年連続で年間3万人を超えています。2003年の自殺者の72・5%は男でした。なぜ、かくも多数の男が自殺するのか。男という性の必然ですね。


 参考図2は2003(平成15)年度の男女別・年齢別の自殺死亡率です。どの年齢でも自殺は男に多いのですが、特に40代から60代にかけて巨大な山があります。この年齢になると居場所のない男が増えるのですね。それに比べると女性の自殺曲線は平原のようになだらかです。


 男は女のように簡単に気分転換ができません。女は男にはとても真似ができない方法で簡単に気晴らしができるのです。髪型を変え、紅を変え、装いを変える。これで身ばかりかこころも別人になれるのです。女の化粧は変装ですね。それでも気分が晴れないときは、話す(単なるお喋り)、食う(男は食うが女は食べる。必ずしも酒を飲む必要はないそうです)、買う(単なるショッピング)で気が晴れると言います。女には気分転換の小道具が山ほどあるが、男の選択肢は極めて限定されています。男の変装は髭(くちひげ)鬚(あごひげ)髯(ほおひげ)でしょうが、ひげは簡単に生えません。せいぜい頭をまるめるぐらいでしょうか。結局、前後不覚になるまで飲むか、ばくちで素寒貧(すかんぴん)になる位のものでしょう。そして自ら命を断ってしまうのです。
 昨今は少なくなりましたが、好きな女を失って命を断つ男もいます。女が逃げると、男はただひたすらその女を追いかけます。泣きくどき、ときに待ち伏せ、押しかけます。未練ですね。「あの女をおいて自分を相手にしてくれる女はいない」は男の予感です。男は、奪った男を憎みはするが、自分より優れた男、好い男と知った場合は諦めます。攻撃の矛先(ほこさき)はもっぱら逃げた女に向かいます。
 女も去った男を詰(なじ)るでしょう。しかし男と違って、女の攻撃は去った男よりも奪った女に向かいます。「どろぼう猫!」と叫んで女を追い詰めます、女の敵は女なんですね。しかしそれも一時(いっとき)のことです。間もなく「あんなバカ男は呉れてやる」で終わりとなります。髪をばっさり切り、いつもとは異なる紅をさし、スカートを短くして決然と眉をあげて街を歩きます。「人類の半分は男」は女の予感です。


2005年06月09日
女に敵(かな)う男はいない(2)

 動物の世界を観てください。尾羽(おばね)の美しい鳥は決まってオスですね。あの華麗な尾羽はメスを引き寄せるためのものです。メスを惹きつけるのに十分な声音(こわね)の持ち主か、体格が衆に優れ力が抜きんでていなければ、生涯一度もメスに触れることもなくおわるのがほとんどの動物のオスの一生です。ましてやメスやその子に暴力を振るうようなオスはたちまち追い払われ、他のオスにとって替わられてしまいます。ドメステイック・バイオレンス(DV)などというのははきわめて「人間的」な行為です。
 人も動物(ヒト)ですから、女が子の親となる男を選ぶというのが本来の姿です。ところが他の動物と異なって、女が着飾り、化粧します。女は、他の動物のメスようにオスを惹きよせるフェロモンを分泌しません。女の化粧や装飾品はフェロモンの代替品のように見えます。ただし、女の化粧や服飾は男を惹きつけるためだけのものではありません。
 たしかに、女は身を飾るのに熱心です。しかも年令に関係ありません。でも、あれは男に見せるためのものではありません。女が男を惹き寄せるには、女という生物学的属性だけで十分です。女が金・銀・宝石からなる首輪をつけ、耳にぶら下げ、手首に巻き付け、きらびやかに着飾るのは男を惹き付けるためではないのです。自分を魅せ、他の女に見せつけるためです。同じ理由で男を選ぶこともあります、装飾品として。女の競争相手は男ではありません、女ですからね。
 男が女を選ぶという社会を男が作り上げたように見えますが、いずれの時代いずれのところにあっても、最終的な選択権を握っていたのは女でした。いかなる場合でも、女が首をタテに振らない限り婚姻は成立しませんでした。
 一人の女が生涯に産める子供の数は、15歳から45歳まで毎年産み続けたとして30人が限度でしょう。男はどうか。毎日、排卵期の女に接すれば10年で3000人の子供をつくることができます。1年365日10年が無理であっても一生かかれば3000人は不可能な数字ではありません。精液を冷凍しておけば10万人も夢ではありません。ましてや、体細胞クローンとなれば100億の子供も可能です。
 ここでは一人の男の作れる最大の子供数は3000人ということにしておきましょう。ヒトの生物としての価値は子孫の数であり、最近流行りの言葉で言えば、自分の遺伝子を相続する子孫を何人残せるかということです。だとすれば男というのはそんなにいらないのですね。生物学的に見れば、男は女性の1/100の価値しかないのです。
 街を歩く男の群れを見て、「ああ、この一人ひとりに相手をしてくれる女が少なくとも一人はいるのだなあ」と不思議な感慨に把らわれます(もちろん自分自身を含めてです)。
 たいていの男は自己の無価値を無意識のうちに覚っています。だから、死に急ぐのです。「職を失った」「事業に行き詰まった」などの理由で自殺するのはほとんど男です。失業のごとき些細なことで自殺するようなバカな女はいません。「いくらでも次のチャンスがあるではないか」と考えるのが女というものです。


2005年06月11日
女に敵(かな)う男はいない(3)
夜這い

 婚姻にあたって女が最終的な選択権を握っていた証拠に夜這い(よばい)という風習があります。夜這いは「呼ばふ=呼ぼう」の連用形ですが、昔の通い婚(婿入り婚)の名残りです。嫁入り婚が普及するようになった中世以降、夜そっと忍び込むという意味で夜這いという文字が当てられるようになりました。名主・庄屋などの大百姓を除くと、農村では江戸時代まで半ば公然と行われていた風俗です。
 娘が年ごろになると父親が夜、娘の寝所の雨戸・障子の心張り棒(しんばりぼう=戸締まりのためのつっかい棒)をはずしておきます。寝所に忍びよった権太が「おはな」と呼ばいます。先客があればその男が咳払いでもしたことでしょう。応答がないのは承知OKの証しです。権太は雨戸と障子をそっと開け、はなの臥所にもぐり込んで一夜をともにします。
 次の夜には弥兵衛が、そして次には嘉助が夜這い、また次の夜には勘平が・・・。やがて、はなに月のものがなくなりおなかの膨らみも目立つようになります。そこで親が尋ねるのです「父親は誰れだ」と。はなは一番好いたらしい「弥兵衛」と答えます。父親が弥兵衛に迫ります「はなにお前の子ができた、婿入りせよ」。弥兵衛は身に憶えのあることですから否応(いやおう)はありません。めでたく祝言の運びとなります。
 やがて月満ちて弥太郎が生まれます。どうみても弥兵衛の子ではありません、目鼻立ちは権太にそっくりです。村びともみな「ありゃ権太の子だわいな」と陰では言っても素知らぬ風で弥兵衛・はな夫婦、はなの両親とつき合います。婿入りして2年もすると今度は弥兵衛によく似た弥次郎が生まれます。弥兵衛は黙々と6人家族を養うために野良仕事に汗を流します。やがて弥兵衛の家は弥太郎が継ぎ、次男坊の弥次郎は婿入りを求めて夜這いに精をだす。こうして日本の農村は連綿と続いてきたのです。おおらかなものでしたね。


2005年06月12日
女に敵(かな)う男はいない(4)
女は男のあばら骨?

 胎内に異物を10ヵ月も平然と宿し、月満ちて3-4キロもの巨大な血まみれの赤子を産道からひねり出すメス(女)の姿に、哺乳類の出産を間近に見たことのなかった最初の人類のオス(男)はびっくり仰天したことでしょう。他の動物に比べると未熟児同然で生れてくる赤子をわが乳で育てる女。子は女の胸にしがみつきいっときも離れない、歩くようになっても女にまとわりついて離れない。女を見上げる子の安心しきった眼差し。男はおろおろして女に食べ物を運んでくる以外にすることがなかったのです。しかも1年おきに次ぎ次ぎと子を産み落とす女。女というのは魔ものか化けものかと最初は恐れおののきやがては畏敬の目で女を眺めるようになったことでしょう。
 男は女の力に怖れおののき、このままでは男は単なる働き蜂・働き蟻でしかない、なんとかして女の力を封じ込めなければならない、幸い男は女より体格と腕力に優る、この男の恐怖感が衆を恃(たの)んで人間社会を作ったのです。でもそれだけでは不十分でした。女を屈服させるするために、道徳や宗教や法律まで動員しました。砂漠の男たちは自分の姿に似せて神を創(つく)りました。そしてその神に語らせたのです。
 主なる神は言われた。「人(=男)が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。(旧約聖書)

2005年06月13日
女に敵(かな)う男はいない(5)
男は女のあばら骨

 砂漠の男たちは神に「男のあばら骨から女を造った」という神話を語らせました。ところが現代科学はこれとは全く異なる事実を提示しています。オスにある精巣が精子を、メスの卵巣が卵子をつくり、精子と卵子が合体して子孫ができるわけです。初めて聞くひとは驚くでしょうが、メスの胎内に宿る最初の生命はすべてメスなのです。
 ヒトには46本の染色体(それぞれに多数の遺伝子がのっている、細胞の核にある構造体)があります。このうちの2本が生物としての雌雄を決する性染色体です。性染色体がXXという組み合わせならメス、XYという組み合わせならオスということになります。Y染色体はみじめなほどに小さくまるでX染色体の付属物(あばら骨)のようです。
 46本の染色体があるのは体細胞です。生殖細胞は、減数分裂によって、半分の23本の染色体をもつ精子と卵子になります。XYの精細胞から同数のX精子とY精子ができます。卵細胞はXXですから、減数分裂してもX卵子です。精子と卵子が合体するから46本の染色体をもつ受精卵になるわけです。
 精子と卵子が合体してできる最初の生命体に原生殖器が発生します。X精子と卵子が合体すればメス(46、XX)になり、原生殖器はそのまま自動的に卵巣・卵管・子宮の内性器となり外部生殖器もメス型になります。
 Y精子と卵子が合体するとオス(46、XY)になるのですが、これはY染色体上の遺伝子が発する「精巣になれ」という指令によって原生殖器が精巣をつくるからです。精巣は男性ホルモンであるテストステロンを分泌します。このホルモンがペニスという外部生殖器をもつオスの身体をつくるのです。本来メスとなるべき原生殖器をねじ曲げてオスの生殖器をつくりますから、オスはもろくはかなく傷つきやすいのです。ただ、Yをもつと身体が大きくなり、テストステロンのはたらきで筋力がたくましくなります。
 砂漠の神がおっしゃるのとは逆に、オスはメスのあばら骨から造られるようなものですね。男の恐怖感が「女は男のあばら骨に過ぎない」という神話を創りあげたのです。


2005年06月14日
女に敵(かな)う男はいない(6)
女の応援歌(1)

 一夫一婦制はなかなかよくできた制度だと思います。オットセイのようにメスを巡ってオス同士が激しく乱闘したあげくのハレム(1雄多雌の群れ)というのも、ピグミーチンパンジーのように相手構わずの乱交というのもちょっとね。一夫多妻は衆に優れた能力が男に要求されるし、一妻多夫は女をひとり占めにしたいという男の本性に反するしで、結局一夫一婦制に落ち着いたのでしょう。万遍なく男に女を配分することで男の結束が図られますからね。まあ、一夫一婦制に従いながらときどきつまみ食いをするなんてのが穏当なところだったでしょうね。
 女の力を恐れた男は女を圧するために周到な準備を凝らして男中心の社会をつくりました。まずは「夫は外で働き、妻は家庭を守る」という仕組みの確立でした。採集狩猟社会で行われていた、女が主として住居の近辺で採集を担い、男が遠方の原野で狩り(遊びのようなものです)をするという約割り分担の名残りです。でも日本の農村は「おじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川に洗濯に」でした。これは完璧な「男女共同参画社会」です。
 社会の指導的地位は男が独占するが、女には戦場に出ることを免除しました。男の方が戦いに向いているからでしょうが、男が戦いで命を落としても、女が生き残れば他の男と子を生(な)して集団は維持されますからね。
 つづいて「男系相続」です。男の子だけに家督(代表権)を譲るという制度です。でも必ずしも男子が生まれるとは限りません。権力者は多数の側女(そばめ;妾のこと)を抱えました。できるだけ多数の男の子を用意しておくためです。
 徳川将軍家は15代続きましたが、初代家康の直系は7代家継で絶え、8代将軍吉宗は紀伊徳川家(御三家の一)から迎えられています。その後も一橋家(ひとつばしけ:御三卿の一)から11代将軍家斉(いえなり)を迎えました。家斉は、特定されているだけでも40人の側女を抱え、55人(28男27女、うち次男が12代将軍家慶)もの子をもうけたことで有名です。15代将軍慶喜(よしのぶ)は、将軍後嗣を出す特権のなかった水戸家(御三家の一)の出身でしたが、一橋家を継いだのち最後の将軍となりました。このようにたとえ多数の側女を置いても血統を維持するのは難しいんですね。
 一般には、跡取りがいない場合に親類縁者が集まって相談して相応しい男を養子に迎えました。日本の家元制度では、宗家(家元)は男子よりも女子の誕生を慶んだようです。生れた男子が武道・芸道に優れているとは限りませんから、優れた弟子を婿養子に迎えた方が流派の継続に都合がよかったのでしょう。農民家庭もそうでした。田地田畑(でんちでんぱた)を継ぐのは働きものの男の方がよかったのです。
 江戸時代では人口の8割は農民だったでしょう。農村にあっては、儒教という通俗なモラルはかろうじて皮膚に達した程度で、血や肉になることは決してありませんでした。6月11日の「夜這い婚」で書きましたように、日本の農村はそれはそれはおおらかなものでした。もちろん一家の実権を握っていたのは女性でした。
 戦争は武士がするもので、農民は高みの見物でよかったのですが、明治になってから農民も戦争にかり出されるようになりました(国民国家)。日本の女が苦労するようになったのは明治時代になってからです。1890(明治30)年に明治天皇の名で発布された教育勅語にその実態を見ることができます。女に求められたのは「非常事態発生の場合に、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕する」子を育てることでした。日本中の女が「良妻賢母」たることを求められたのです。


2005年06月15日
女に敵(かな)う男はいない(7)
女の応援歌(2)

 電化製品が普及するまでの家事は大変でした。朝から晩まで、女性は幼児を背中にくくりつけ、炊事・洗濯・掃除・裁縫の手仕事に追われました。さらに農家の嫁はその合間に野良仕事に精を出したのですから安眠の時間もなかったでしょう。
 先人が努力に努力を重ねて得られなかった女性の政治的権利獲得は1945(昭和20)年の敗戦の数ヶ月後に占領軍最高司令官マッカーサーによって簡単に与えられました。
 ほとんどの国の女性が参政権を獲得したのは20世紀になってからですが、女性の参政権を拒む理由として男が考え出した理屈は、
1)女は男より体力や知力が劣る
2)妻が参政権を得て夫と政治的意見が異なれば家庭が混乱する
3)女の利益は男(父親や夫)の利益に含まれるから女に参政権は不要である
4)女性は家庭を守るべきもので政治に口を出すべきではない
5)神は男に服従すべきものとして女をつくった
でした(世界大百科事典24:585)。
 体力はともかく男より知力が劣るなどといわれて怒り狂うあなた(女性)の姿が目に浮かびます。体力だって、瞬発的な筋力を要するものはともかく持久力だったら女は男に勝るでしょう。マラソンが42・195キロでなく100キロだったら女の記録が男を上回るのではないでしょうか。私が尊敬する山本夏彦さん(2002年10月死去)は、男が女の口を封じてきた理由を一言で述べています。「(前略)女はようやく知ったのである。男の性は弱いと知ったのである。だから男はこれまで女を圧してきたのである。」
 敗戦後の日本憲法で「法の下(もと)での男女平等」が謳われましたが、女を同じスタートラインにさえ立たせなかったのですから男女格差はなくなりませんでした。やがて、経済的に豊かになった女性は反乱を起こすのです。


2005年06月16日
女に敵(かな)う男はいない(8)
女の応援歌(3)

 女性の反乱とは「子どもを産む」という最大の武器を放棄することです。日本が経済的に豊かになったのは1960年代でした。合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの数)は1960(昭和35)年に2・00となり1975(昭和50)年以降2を割って2003(平成15)年には1・29となりました(参考図)。


 実は紀元前1世紀末の帝政ローマでも少子化問題が起こったのです(塩野七生「ローマ人の物語」VI、新潮社141-151頁)。この頃のローマは現在のフランス、ドイツ、スペイン、北アフリカなどを植民地として繁栄を極めていました。男も女も、子を産み育てる以外に快適な人生の過ごし方を知ったのでしょう。
 これに対して、初代皇帝アウグストウスは「姦通罪・婚外交渉罪法」「正式婚姻法」なる法律で、結婚しない者、結婚しても子を生(な)さない者は大きな不利益をこうむることにしたのです。20歳を過ぎても結婚しない女は独身税を課せられ、結婚しても子をもたない女は50歳を超えるといかなる相続権をも失うことになりました。未亡人の女でも1年以内に再婚しなければ、独身なみに扱われました。これだけに止まらず、女性は、結婚しても第3子の誕生まで課税義務から免れ得ませんでした。この2法がどれほどの効果を上げたのか塩野七生さんは書いてくれていませんが、独身女性には苛烈といえるほどに厳しい法律でした。ローマは子ができない責任をすべて女のせいにしていたんですね。
 今日の日本ほどではなくても、子を強く望んでも子どものできないカップルはローマにもいたことでしょう。ローマ人の食べ物は小麦食品が中心だったと思いますが(カエサルの「ガリア戦記」には兵糧として小麦・パンが出ていますが乳・バター・チーズなどは出てきません)、ガリア(現在のフランス・ベルギー・ドイツ)を征服した帝政ローマでは市民の食卓にチーズなどの乳製品がのぼったことでしょう。ミルクはメス動物の血液みたいなものですから、当然女性ホルモンを含んでいます。乳・乳製品を多量に摂ると子どもが産まれなくなるのです。実はこれが言いたくてローマを持ち出しました。「食に関する一日一話(1)」をお読みの方は、私が何を言いたいのかきっとご理解いただけると思います。


2005年06月17日
女に敵(かな)う男はいない(9)
女の応援歌(4)

 今、世界中の先進国といわれる国々が「女性の反乱」に困りはてています。唯一の例外はアメリカです。ローマが属州の住民に市民権を与えることによってのりきったように、アメリカはいろいろの民族の新しい血を入れているからです。アメリカは建国当初から理想の国家形態としてローマを目指していました。
 日本は深刻ですね。1985年の「男女雇用機会均等法」で男女平等を謳いましたが、もとより「女性の反乱」を鎮めることはできませんでした。「社会構造=男の意識」が変わらないからです。女には世の中に楽しいことがいっぱいあります。男は女に比べて生きる歓びを知りません。男の最大の欲望は「支配欲」「権力欲」です。男は、この欲望を満足させること以外に己の存在価値を見い出せない哀れな存在です。支配欲は1人の女から、家族、さらには集団、国家までおよびます。組織の中の地位が上がると、支配の範囲が広がりますから、男は地位の上昇に命がけです。男が男中心社会を簡単に手放すはずがありません。が、方法はあります。公職選挙法を改正して国会議員の半数以上を女性が占めるようにすれば、男社会は容易に崩壊します。
 1960(昭和35)年以降で子どもがもっとも多く生れたのは1973(昭和48)年でした。この年には209万人もの子どもが生れました(第2次ベビーブーム)。しかも人工妊娠中絶が70万件ありましたから、約280万人の女性が妊娠していたわけです。ところが2004年の妊娠数は約140万件(生れた子どもは111万人)と半分になってしまいました。画期的な避妊技術が登場したからではありません。厚生省は1999年、経口避妊薬(低用量ピル)を医薬品として承認しましたが、賢い日本女性はこのような危険でかつ面倒くさいものに手を出しません。日本人の繁殖力(主として男の生殖能力)が衰えてしまったのです。政府がいくら「産めよ増やせよ」と叫んだところで生まれる子どもが増えるはずがありません。
 1964年は日本で東京オリンピックが開かれた年として記憶されていますが、「学校給食に牛乳が導入された年」としても記憶に残すべき年です。1964年に小学校に入学した男性(7歳)が子どもをもつようになった1985年(29歳)ごろから急速に子どもが産まれなくなったのです。
 欧米人に比べて日本人の牛乳飲用ははるかに短い歴史しかありません。もし現代の女性ホルモン入り牛乳に悪影響があるとすればその影響は日本人により強く現われるでしょう。実際、アジア人は欧米人に比べて精巣が小さく、精巣当たりのセルトリ細胞(この数が精子数を決定する)が少なく、その機能も低く、外来のホルモンによって障害を受けやすいのです。豊かになったアジア諸国では合計特殊出生率が押し並べて低くなっています。韓国1・19、シンガポール1・25、日本1・29です。現在の女性ホルモン入り牛乳を14歳以下の性腺発育期のアジア人児童に与えることを控えるべきでしょう。日本人には元気のよい精子が少ないという調査結果については下記の参考文献をご覧ください。
 また、女性ホルモン入り牛乳については「食に関する一日一話(1)」をお読みください。
参考文献
Iwamoto T, et al. Semen quality of 324 fertile Jsapanese men. Human Reproduction 21, 760-5, 2006.


2005年06月18日
女に敵(かな)う男はいない(10)
女の応援歌(5)

 「妊娠してから(子どもができてから)結婚(共同生活を営む)する」というのが本来の姿ですが、形式を整えてから(=婚姻手続きを済ませてから)子どもをつくるという風習はいつごろから日本に定着したのでしょうか。おそらく大正時代の「恋愛至上主義」がその始まりでしょうね。あの頃は「結婚するまではプラトニックラブ」がもてはやされていたのです。都会で始まったことですが、やがて地方にも及びました。江戸時代の農村では、妊娠してからの婚姻がむしろ一般的だったでしょう。
 今でも若い女性(20代前半)の妊孕力(にんようりょく:妊娠する力)は旺盛です。精子の少ない男の子どもを宿すことができます。「同棲−妊娠−結婚」でも「妊娠−同棲−結婚」でもいいでしょう。もちろん、「結婚してから妊娠」ということでも構いませんが、「妊娠してから結婚」(いわゆる「できちゃった婚」)が本来の姿だと思います。現在、子供がいる既婚女性のうち、20代後半で38%、30代前半で26%が結婚前に妊娠しているのです(参考図)。


ところが「できちゃった婚」の夫婦には二人目の子どもがなかなか生まれません。共同生活に入る前に数ヶ月-数年にわたって性交渉をもっているから、同居したときにはすでに性交渉に飽きてしまっているのです。子どもに手がかかり、お互いに「パパ」「ママ」と呼び合っているうちに性行為なんか面倒くさくなってしまうのでしょう。
 最近は年収200-300万円という男女がたくさんいます。これらの男女の結婚は「生活=食うこと」です。食う(=生活する)ために同居するのです。「ひとり口は食えなくてもふたり口は食える」という共同生活です。一緒に生活する相手を「見てくれ」だけで選ぶと失敗します、育児も家事も半分以上こなすという男でなくてはなりません。
 年収1000万円を超えるキャリアウーマンの相手は「専業主夫」になるかもしれません。夢物語かもしれませんが、仕事から疲れて帰ったら温かい食事を用意して待っている男がいるなんて楽しいでしょうね、それに独寝(ひとりね)は寂しいから。一方で「専業主婦」に強い憧れを抱く女性も少なくないでしょう。これも多様な女の選択肢の一つです。そんな女性を望む高収入の男もいっぱいいますからね。


2005年06月20日
女に敵(かな)う男はいない(11)
女の応援歌(6)

 働く機会が限られていた時代には、古今東西、結婚は女性にとって生存のための重要な戦略でした。収入のある男をつかまえて、経済的に安定した生活に入るというのはなかなかの戦略です。稼ぎのよい男と一緒になって、その金を自分が自由に使えるという関係が築けたら大成功です。しかし普通は、稼ぎのよい男と一緒になっても、亭主の稼いだ金を全部自分が自由に使えるわけではないでしょう。自分が稼ぐということは「自由に使える金をもつ=自立」ということです。
 かつて「寿(ことぶき)退社」などという言葉がありました。結婚を機に務めを辞めて専業主婦になるということです。日本の賃金は年功制でしたから、賃金が高くなる前に辞めてもらう寿退社は企業にとって都合がよかったのです。また、寿退社は会社組織の秩序維持のためにも必要と考えられていました。企業内の序列は「平社員−係長−課長−部長」です。「長」は部下を抱えます。大部分の男は「女係長の下で働くなんて真っ平ご免」と考えていましたから、係長になる前に結婚して会社を去るという寿退社は男から歓迎されました。さらに、社員同士が結婚したら、一方(女)が会社を辞めるというのが会社組織の掟でした。親も「長」になんかなったら貰い手がなくなると娘にプレッシャーをかけました。
 1985年に「男女雇用機会均等法」ができました。企業が男だけを募集・採用するとか、昇進にあたって男を優遇するとか、結婚、妊娠、出産を理由にして女性に退職を勧めるなどということはできないことになりました。
 男女雇用機会均等法が目指したのは「能力本位の社会」でした。均等法から20年たった今でも「男女格差」は歴然としていますが、均等法は新たに「実力で地位と金を勝ち取る女」と「低い給料や待遇に悩む女」の「女女格差」を生みだしました。女性の新しい苦悩の始まりです。
 男社会では「黒塗りの車が迎えに来る人」と「すし詰め満員電車で通勤する人」がいて当たり前でしたが、同じ賃金労働者でありながら年収1000万円を超える女性と年収100万円未満の女性が出現したのです。


2005年06月21日
女に敵(かな)う男はいない(12)
女の応援歌(7)

 年収1000万を超える女性(スーパーウーマン)は、成果主義の賃金システムで働いています。成果をあげるためには深夜まで働き休日出勤もこなします。転勤も厭いませんでした。ただ残念ながら、スーパーウーマンには稼いだ金を使う時間の余裕がありません。男と逢う時間も限られてしまいます。深夜の仕事帰りに一杯ひっかけ、たまさかの休日にショッピングで贅を凝らすというのが精々でしょう。
 成果主義の人事・賃金システムは男女平等の極致ですが、出産して子育てする女性は、妻という秘書を抱える男性社員には太刀打ちできません。妊娠・出産をあきらめて仕事人間に徹するという道しか残されていなかったのです。結婚して夫婦で家事も子育ても折半するという方法もありますが、スーパーウーマンと対等に向き合える男はスーパーマンですからこの道は狭くて険しいでしょう。専業主夫希望の男と結婚して全面的に家事・子育てを託すという道もあります。女性の上司に慣れた最近の男にはこういうのも少なくないでしょう。スーパーウーマンがそれで満足できればの話ですが。
 「仕事がすべて」というのは仕事以外に楽しみを見い出せない根無し草の男たちがつくり上げた文化です。均等法に背中を押されて無防備のまま先兵として重装備の集団に斬り込んだのですから、多数の有能な女性が討ち死しました。たくましく生き残ったのが今のスーパーウーマンです。この女性たちは、見方を変えると、男の作り上げた企業文化に完全に同化(=屈服)した方々ですね。
 均等法成立時(1985年)に22歳で先兵となった女性は現在(2005年)42歳です。無我夢中で闘い、気がついたら30代後半から40代前半になっていたというのが実情でしょう。これら女性の上司(団塊世代の男)は間もなく定年を迎える企業文化の体現者です。「結婚も出産も棒に振った負け犬」などと嘆かずに今の姿勢を貫き通すのがベストです。燃え尽きたらスーパーなどかなぐり捨てて普通のウーマンに戻ればよいのです。男と違って女性には多様な選択肢が開けていますから。
 司馬遼太郎さんは「女というのは愛に全身をゆだねて子を生み子を育てるという、ただそれを思うだけでも生命の粘液が匂い立つのを感ずるほどに人生に密着した存在である」「(男は)昆虫のオスが昆虫の生態の中で儚(はかな)い役割でしかないように、人間においても多分に女よりも希薄な人生をしか生きられず、その意味において流れに浮遊してゆく根無し草という存在にちかい」と述べておられます。
 これからスーパーウーマンを目指す女性は、在学中あるいは学校を出たらできるだけ早く結婚して子を生(な)し、その子を育てながらキャリアを積んでスーパーなる衣をまとうことでしょうね、男社会が根深い日本では至難と思われるでしょうが、10年もすれば均等法世代の天下です。有能な若い女性の選択肢の一つです。
 お断り:「女をウーマンと言い換えるな、ウーマンは侮蔑語」という人がいます。英語でひとを「MAN」と言います。男も「MAN」です。けれど女を「WOMAN」と言いますね。これは子宮「WOMB」をもつ「MAN」の意です。ウーマンは侮蔑語ですか? 私は「産む」という特別な能力を備えたひという畏敬を込めた言葉だと思っています。因みに広辞苑で、「女」は「人間の性別の一つで、子を産み得る器官をそなえている方」とあり、「男」は「おと(若)こ(子)の意で、おと(若)め(女)に対する人間の性別の一つで女でない方」となっています。


2005年06月22日
女に敵(かな)う男はいない(13)
女の応援歌(8)

 山本夏彦さんは次のように書いています。「ためしに(女に)聞いてみるがよい。来世は男に生れてきたくはないかと。(中略)めざめた女は来世も女にと答えるにきまっている。男は哀れだという」(文藝春秋・平成11年4月号)。
 山本さんの謂(いい)にならって「生れ変わるれるとしたら、来世は男がいいか女がいいか」と周辺の女性20数人に聞いてみました。1人を除いて全員が「女がいい」と断言しました。なぜかと訊ねると「男は大変そうだから」。そう答えた女性は主婦、会社員、公務員、パート、飲み屋の女将、雑多です。ほとんどの女性は山本さんの言う「めざめた女」でした。めざめた女には男の人生が解るんですね。数人の女性から「あなたはどうなんだ、男がいいか女がいいか」と切り返されました。「女をやったことがないから解らない、次に女になってみて、その次にまた男」が私の応えです。
 まだ年収1000万円を超えるスーパーウーマンには訊ねたことがありません。どなたかお応えくださいませんか。「次も女だ」と答えるに決まっています。


2005年06月23日
女に敵(かな)う男はいない(14)
女の応援歌(9)

 最近のいちじるしい出生率の低下を「日本の衰退」と懸念する声が経済界を中心に叫ばれています。生まれる子どもの数が減れば、1)労働力人口が減る、2)消費人口が減る、3)税収が落ちこむ、4)高齢者の扶養・医療・介護が深刻になるからだそうです。
 しかし、子どもを生み育てる環境を奪っておいて「産めよ増やせよ」は通用しません。生活の満足度をともなわない見せかけの経済的な繁栄などに国民が同調するはずもありません。食うため=働くために産むことを制限せざるをえない女性がいっぱいいます。年収1000万円超のスーパーウーマンはほんの一握りに過ぎません。
 パート・アルバイト、派遣・契約社員などの非正規社員として働く女性がすでに半分を超えています(2005年7-9月の労働力調査によると、非正規社員の比率は31・5%、女性に限って見れば51・6%)。ことに20代など若い世代の非正規化が顕著です。学校を出てからすぐパート・派遣で働きはじめる若者(男女とも)が増えているのです。
 お断りしておきますが、賃金労働者はすべて契約社員です。ただ、契約期間が長い人(正社員:任期が定年まで)と短い人(非正規社員)がいるだけです。これから10-20年もすれば短任期の契約社員が全労働者の70%ぐらいになるかもしれません。 
 若年世代のパート・派遣が増加すると、出産の前段階である結婚にブレーキがかかります。これらの人たちの所得が少ないからです。長期的な展望がないから、結婚して独立した家計を営もうという意欲が減退します。パート・派遣同士の夫婦が子どもを生み育てるには新しい制度が必要です。
 最近、子育て支援として妊娠中の女性や子どものいる家庭に、国の児童手当より手厚い「次世代育成手当」を支出しようとする自治体が現れるようになりました。おおよそのところ、第2子までは1人あたり月額5000円、第3子以降は月額1万円などというところが多いようです。わずかこれっぽちの支援金で子どもを産み育てようという女性がいるでしょうか。本当に子どもを増やそうとするならば、月額5万円ぐらい支出する覚悟が必要です。
 現在、15歳以下の子どもが1800万人います。この子どもたちの養育費として月5万円(年60万円)を提供するとほぼ11兆円が必要となります。この養育費をすべて消費税で賄うとすれば税率3%です。15歳以下の子どもが3人いれば月15万円が家庭に入り、子どもを産み育てることが一定の収入源になります。女性は競って子どもをつくろうと努力するかもしれません、自分の産んだ子どもが0歳から稼いでくれるのですから。夫婦合わせて月30万の収入があれば3人の子どもを育てて月45万。このくらいのことをしなければ少子化に歯止めをかけることはできないでしょう。ただし、日本人にそれだけの繁殖力があればの話ですが。


2005年06月24日
女に敵(かな)う男はいない(15)
女の応援歌(10)

 15歳以下の子どもを育てている人が結婚しているとは限りません。離婚や未婚女性の出産の増加で、母子家庭の数が2003年時点で過去最多の約122万5000世帯に達しました。離婚・死別による父子家庭も2003年に約17万世帯あります。
 シングルマザーの多くはパートや臨時雇いですから、どうしても家計が苦しくなります。現在の不合理かつ不十分な児童扶養手当(母子手当)は廃止して子どもが15歳になるまで1人につき月額5万円を受けとることにすれば子どもが多いほど家計は潤います。子どもがともに2人いるシングルマザーとシングルファーザーが一緒に生活すれば子どもが4人となり、二人の親の賃金収入に加えて月々20万円が家計に入ることになります。
 消費税ほど公平な税はないと言われています。社会保険(健康保険、介護保険、年金保険などの強制保険)を全廃して、医療・介護を含めて子どもの養育費や老齢年金などを含めてすべて消費税で賄うとすれば、消費税率をどの位にしたらといのでしょうか。税制オンチの私には分かりません。どなたか教えていただけませんか。


2005年06月25日
子ども年金と高齢者年金(1)
子ども・高齢者年金は消費税で その1

 6月23、24日に15歳以下の子どもに1人当たり月額5万円の養育費を支出すると年間11兆円が必要となる、これをすべて消費税で賄うと税率3%で済むと書きました。これに対して消費税1%は2・5兆円で、11兆円は税率4・4%に相当するというご指摘をいただきました。訂正します。
 昨年(2004年)は年金、年金で大揺れに揺れました。日本の年金制度は複雑怪奇でよく分かりません(http://www.nenkin.go.jp/)。国民年金(老齢基礎年金)の保険料未納は40%に達してすでに破綻しています。このような年金制度はもともと「ねずみ講」ですから、どんな制度をつくったところで破綻は必至です。沈没しつつある船からネズミが今、一斉に逃げ出しているのです。
 国民年金は保険料(現在、月額1万3580円、年額16万2960円)を25年以上払っていれば65歳になると加入年数に応じて年金を受けとれるという制度です。たとえば40年間加入すると、年金年額は79万4500円(月額6万6283円)となります。しかも、受けとる年金の半分は税金で賄われます。
 現在、65歳以上の方が2500万人います。この人たちが毎月10万円(年120万円)受けとるとすると、30兆円が必要です。これをすべて消費税(税率1%=2・5兆円)で賄うとすれば消費税率を12%にしなければなりません。1人で月10万円の暮らしは大変でしょうが、2人の共同生活ならば20万円となり、なんとか最低生活は維持できるでしょう。
 子育て支援費(子ども年金=子ども1人月額5万円)と老齢年金(65歳以上の高齢者1人月額10万円)を合わせると消費税率は16・4%になります。この計算は間違っているでしょうか。


2005年06月26日
子ども年金と高齢者年金(2)
子ども・高齢者年金は消費税で その2

 社会保険なら自分で払ったものを受けとるのだから恥ずかしいことはないが、税金で子育て費用や高齢者年金を貰うのは、お慈悲にすがって恵んでもらうようだから嫌だと思われる方がいるかもしれません。しかし、目的消費税であれば自分が払ったものを受けとるのだから何の遠慮もいりません。社会保険は強制加入ですから税金と何ら変わりはありません。使い道を定めた税金が目的税です。
 消費税のよいところは役人に金を持たせないということです。役人は金を使いたがります。自分の金ではなく他人の金(税金)を使いたがるというのが役人の本質です。役人に金を持たせると壮大に無駄遣いをしますから、彼らに金を持たせてはなりません。集まった消費税は翌年あるいは翌々年には子育て支援費と高齢者年金に使ってしまいますから、役人に無駄遣いする時間的余裕を与えません。
 消費税は逆進性が強いという批判があります。所得の低い人ほど税負担が大きいから、消費税は弱者いじめの税金であるという批判です。また、生命維持に不可欠な生活必需品にまで消費税がかかるのは納得できないという意見もあります。そんなことを言うから、洗濯石鹸は生活に欠かせないから消費税なし、化粧石鹸は必需品ではないから消費税をかける、イワシ・サンマは無税でタイ・ブリは有税などという瑣末な議論が起こってくるのです。税制は簡素でなければなりません。すべての消費に消費税をかけるのです。その代わり、最低限の生活維持に必須な消費にかかった消費税は年度末に一括返還します。
 仮に消費税率を25%にしたとしましょう。日本人が生活維持(米・味噌・醤油・野菜と下着)に必要な費用を月5万円とします(因みに私の日常茶飯の食費は月1万5000円ほどです)。年額60万円となり、これにも25%の消費税がかかりますから、生活必需品の購入で支払った消費税は15万円です。この15万円を年度末にひとり1人に返還するのです(戻し税)。4人家族(夫婦子ども2人)ですと年度末に60万円が戻ってきます。夫婦の稼ぎが年400万円の家庭に60万円の戻し税があれば逆進性は解消するでしょう。子ども2人が15歳以下であれば、稼ぎの400万円に加えて、養育費2人分120万円と戻し税60万円の計580万円の家計となります。
 現在の日本人口は1億3000万人です。全員に1人当たり15万円を戻すとすると、19・5兆円が必要です。そんなことができるかって、できるのです。日本人1人ひとりに11ケタの番号(住民基本番号=国民共通番号)が付いているではありませんか。
 消費税を25%にすると、62・5兆円になります。これから戻し税の19・5兆円を差し引いた43兆円が子育て支援費(11兆円)と高齢者年金(30兆円)の原資となります。消費税を集める仕事は国税庁に任せますが、消費税の分配は民間会社に任せます。したがって社会保険庁は不要です。
 経済の専門家は、「消費税25%なんてのは正気の沙汰ではない。そんなことをしたら、消費が落ち込んで日本経済は大打撃を受ける」とおっしゃるでしょう。そりゃ、日本経済はいっとき冷え込むでしょう。でも日本人はすぐ慣れます。だって、1万500円で買っていたものが、1万2500円になるだけのことじゃないですか。その「だけ」がけしからんとお叱りを受けそうですが、国民年金保険料16万円と厚生年金として支払っている年収の18%を払わなくてもよくなるのですよ。


2005年06月27日
こども年金と高齢者年金(3)
厚生年金は要らない

 特定の年齢層にだけ給付を行うという社会保険(国民年金と厚生年金)は「ねずみ講」です。ねずみ講に関する広辞苑の説明は「会員をねずみ算式に拡大させることを条件として、加入者に対して加入金額以上の金銭その他の経済上の利益を与える1種の金融組織。投機性が強いので法律で禁止。連鎖配当組織。無限連鎖講」です。ねずみ講は加入者が増え続けなければ破綻します。
 給料が毎年上がった頃(1980年代まで)はねずみ講の年金制度は機能しました。しかし加入者が減り始め、受取人ばかりが増えていく現在ではねずみ講は無限地獄に嵌まりこんでしまったのです。厚生労働省はパート労働者を厚生年金に加入させてねずみ講の子ねずみを増やそうと躍起になっています。こんな時期に誰がねずみ講に加入するものですか。国民年金だけでなく、厚生年金からも隙あらば逃げ出そうとしている企業がたくさん現れています。
 2004年度に成立した年金改革では、厚生年金の保険料を将来的にボーナスを含め総収入の18・30%に引き上げることになっています。労使折半とはいえ、この18・30%は本来労働者が受けとるべきものです。企業に申し入れてください「厚生年金から脱退して、社会保険庁に納めている保険料相当分を割り増し賃金として支給して欲しい」と。労働者は給与所得のすべてを消費に当てているわけではありませんから、この割り増し賃金は消費税(25%)として支払った総額を上回るかもしれません。


2005年06月28日
児童年金・厚生年金(4)
今まで納めた厚生年金保険料は返してもらおう

 厚生年金の積立金が150兆円あるといいます。厚生労働省は100年かけてこの積立金を取崩して年金を補填すると言っていますね。皆さんはこの150兆円が本当にあるとお思いですか。ありませんね。帳面づらに資産として残っているだけです。この資産を売却したって皆さんが貰う年金のたしにもなりません。
 我々が積立てた金です、あると言うのだから払った分に利子をつけて返してもらいましょう。「法律で返せないことになっている」と役人はいうでしょうね。法律は改正するためにあるのです。なぜ「ねずみ講」を「年金制度」などと言いくるめて金を集めたのでしょうか。役人は自分たちが自由に使える金が欲しかったのです。そして実際に使ってしまいました。
 返却されたお金と払う必要がなくなった年金保険料(国民年金;年額16万2960円、厚生年金:総収入の18・30%)を自ら運用して将来に備えるのです。


2005年07月01日
相続税
 けもの(ヒト以外の哺乳動物)は財産を築かないし財を子どもに遺しません。けものはシンプルです。親が子にしてやることは自分で食えるようになるまでの哺乳・餌運びと生き延びるための教育だけです。
 でも人間はこういうわけにはいきません。子どもに資産を遺すことを生き甲斐にしている人もいるし、先祖から受け継いだ土地を一坪でも削らない、先祖代々の墓を護ることが生きている証しだ、と考える人もいます。これは人間の人間たる所以の欲望で、文化・伝統はこの欲望がなければ廃れます。
 消費税を25%にしたら所得税を限りなくゼロにしたい。汗水流して稼いでいる個人から税金をかすめとるなんてひどい話です。所得税は法人のみに課す。働いて得た金はすべてそのひとが生きている間に使い切るが原則。たくさん稼いだひとがたくさん使ってくれれば消費税が増えます。使い切れずに残った金はすべて没収。これが相続税となります。たくさん稼いだ人には生きている間はできるだけいい思い(?)をして頂いて、死んだら一旦チャラにしてみんなに配分するというのがいいですね。亭主の稼いだものが奥さんに行くのは当然だが、子どもには行かなくてもいいのではないか。受け継いだ奥さんが死んだら、すべてチャラ。親が若くして死んだら、残された子どもはどうするのだと心配する向きもあるでしょうが、そんな細かなことは技術的にどうにでもなります。稼いだ金は生きている間に使いきり、世代を越えないという原則を貫くことが肝要です。
 今の相続税は土地や建物などの不動産にもかかります。不動産は評価が難しく課税対象として不適当です。課税するのはすぐ現金化できる金融資産だけでよいでしょう。現金、預貯金、株式・債券、投資信託などだけで1400兆円という。金融資産にかかる相続税率を100%とすると相続税はどの位になるのでしょうか。1400兆円を日本人1億人の頭割りにすると1人当たり1400万円になります。日本で毎年ほぼ100万人が亡くなりますから、この方々の金融資産の合計は14兆円になります。これが相続税です。
 土地や建物を持っている人は生きている間に売り払って使い切る。売れない場合は安くても公的機関に売る。子孫に遺したいと考える人は金融資産を土地や建物に換えるかも知れません。それはそれでいいのです。土地を持っていると土地保有税(今の固定資産税)がかかります。不動産を新たに購入した人からは25%の消費税(今の不動産取得税)をいただきます。
 不動産は簡単に売れるものではありません。半値にでもしないと売れないかも知れません。これからは人口が減りますから特別なところ以外の土地は売れません。価値を産まない不動産は持っていたって意味がありません。早く売っぱらって使わなくては。どんな不動産も4代で霧散します。
 2003年の税制改革で相続税の最高税率70%が50%に引き下げられました。かつて70%だった所得税の最高税率は今では37%になっています。所得税の最高税率はもっと下げて25%ぐらいにした方がいいと思いますが、相続税は下げ過ぎました。これからは世代を越えた金融資産の相続税率は一律100%にするのです。こうなったら、死んだら全額取られてしまうのですよ、早いとこ使わなくっちゃね。


2005年07月02日
「少子に挑む」(日本経済新聞社・編)を読んで

 日本経済新聞社が2005年7月1日に「少子に挑む−脱・人口減少への最後の選択」という書物を出版しました。執筆されておられる方々のご意見はいずれも尤もなものですが、お1人のご意見(堺屋太一氏)を除いていずれも靴の上から痒いところを掻いているような感じを受けました。
 堺屋太一氏のご意見を紹介します。
 私は少子化対策の切り札は若年出産の奨励だと考える。近代工業社会では教育、就業、出産という順番が当然だと考えられているが、これでは出産期が遅れるばかり。四十代のいちばん社会で活躍するべきときに子育てが大変で、親の介護まで重なったりする。
 教育期と出産期を重ねるようにできないものだろうか。十代後半で出産すれば、親が四十歳ちょっとのときに子どもは二十歳で独立している。子どもが子どもを産んで育てられるのかといった批判もあるだろうが、大学には学生のための託児所の設置を義務づけ、ママさん学生には奨学金を出し、育児を社会で支える環境をつくるべきだ。学生の間は勤めているときよりも自由時間は多く、育児にも時間が割けるはずだ。かつての日本では十代の出産は珍しくなかった。今の状況は近代工業化社会が企業に都合よくつくったもの。大学生や高校生が子どもを産むことをふさわしくないとか、みだらであるというふうに考える今の倫理観や美意識を変える必要がある。
 政府の少子化対策は明確な証拠に基づいていない。保育所を増やしたり、育児休暇を伸ばしたり、育児への助成金を出したりしても、出生率は0・1−0・2程度上がるだけで長続きしない。先進国の中ではそういう対策をあまり実施していない米国の出生率が高いことなどをきちんと研究していない。世界的に見ても出生率が高いところは初産年齢が低い。先進国はどこでも若年出産を奨励すべきなのだ。
 人口減少社会のあり方を考えるには世界の歴史を振り返ってみることが必要になる。世界史上、人口が大きく減った時期は二回ある。最初は二−五世紀。西洋ではゲルマン民族の大移動が起こり、東洋では北方民族らが侵入し中国が分裂している。このときは古代文明が破壊され、以降数百年以上にわたって社会が原始化、経済も自給自足の停滞期に陥った。

 次は十三−十五世紀。このときは地球の寒冷化やペストの大流行などが原因だったが、西洋では人々が生産性の低い土地や職業を捨てて生産性の高い分野に移動する動きもあった。この結果、一人当たりの所得は増加し、これが文化や工芸品への支出を増やし、ルネッサンスの文化が花開いた。
 人口が減ること自体は悲観する必要はない。二回目の人口減少期のように生産性を高めるほうに変化できるかどうかが課題だ。日本にはまだ生産性の低い業種の保護や余計な規制がたくさん残っている。
 移民の受け入れも必要だろう。技能を持つ外国人に来てもらうと同時に、日本人が生産性の高い仕事に就けるよう生産性の低い仕事を代替してくれるような外国人も入れるべきだろう。
 もう一つ重要なのは、人生八十年時代の新しい年齢感を築くこと。今後、団塊の世代が六十代を迎えるが、この世代は六十歳で引退しようとは思っていない。少なくとも七十歳まではいきいきと働くことができる環境をつくることで、消費市場も労働市場も活性化し経済は発展する。雇用形態、街づくりなどを含めた大プロジェクトを組んで早急に環境を整備すべきだ。
 今の日本では官僚機構が人口減少時代にふさわしい変革を邪魔している。権限や予算との引き換えで効果が不透明な政策を次々と打ち出し、生産性の低い産業を保護し、縦割り行政の弊害ばかりが目につく。新しい時代にはこの官僚機構をまず見直す必要がある。

 「少子化対策の切り札は若年出産の奨励である」という堺屋太一氏のご意見は卓見ですね。「30歳で結婚し35歳で子どもをつくろう」などという人生計画は土台無理な計画です。女性の妊孕力が最も高いのは10代後半から20代前半です。30代後半になっても子どもを産める女性はもちろんいます。しかし40歳に近い女性の不妊治療に助成金を出そうなどというのは無駄遣いというものです。
 高校生の性教育に「子どもの作り方・育て方」を取り入れるべきでしょう。「学校で教わらなくったって子どもの作り方なんかちゃんと知ってらあ」という女子高生の声が聞こえてきそうですが。そうでもないんですよ。作り方を知っていたって育て方を知らないんだから。ひとは子どもを産んだら自然に母性愛に目覚めるなんてことは決してありません。教わらないかぎり子どもは育てられないのです。


2005年07月03日
日本の少子化問題−日本人の生殖能力が落ちている

 日本の合計特殊出生率がとうとう1・29(2003年)になってしまいました。日本の少子化は深刻ですね。1950年には223・8万の子どもが生まれた。出生率(人口1000対)は28・1、合計特殊出生率は3・65でした。ところが、51年後の2001年に生まれた子どもは117・1万で、出生率は9・3、合計特殊出生率は1・33になってしまったのです。日本の将来に暗い影を投げかけているこの少子化の主たる原因は、青年の非婚・晩婚という社会現象によるものでしょう。しかし、一方で、動物としての日本人の生殖能力が落ちているのではないでしょうか。
 日本人の女性ホルモン入り乳・乳製品の消費量(1人1日当たり)を年齢階級別に見ると、前思春期の7−14歳(307・8g)と幼児期の1−6歳(221・8g)の消費量が突出しています。原因は保育園・幼稚園・学校で与えられる牛乳です。
 前思春期はヒトの精巣発育にとって重要な時期で、内分泌撹乱作用を最も受けやすい時期です。日本で市販されている牛乳には女性ホルモン作用があります(参考文献)。性発達途上の幼少期に与えるホルモン入り牛乳が、日本人の生殖能力に悪影響を与えている可能性を否定できません。
 6月17日に最近の日本では子どもが生まれないだけでなく、2004年に妊娠した女性は1973年の半分になってしまったと書きました。なぜ、30年ほどで妊娠数が半分になるなどということが起こったのでしょうか。1973年に20−30歳の女性は1943−53年生まれで、学校給食が始まる前に生まれた人たちです(学校給食に牛乳が導入されたのは1964年)。2004年の20−30歳は1974−84年生まれで、「牛乳は完全栄養食品である」「牛乳を飲めば身長が伸びる」などの謳い文句に踊らされて育った人たちです。
 イギリスのコンドーム・メーカーのデュレックス(Durex)社は9年前から世界の性生活に関する調査を行っています。2005年の調査は世界41カ国31万7000人のデータで今までのうちで最大規模のものでした(http://www.durex.com/uk/files/2005_GGS%20Report_final.pdf)。その中で年間性交頻度に関する結果をみると、世界の平均が103回、最多がギリシャの138回、最少が日本の45回でした。日本人の性行為回数は世界最低だというのです。この結果に対して、コンドーム・メーカーがそのウェブサイトを用いて行った調査なんて信用できないという方もいらっしゃるでしょう。
 日本でも同様な調査が行われています。朝日新聞は2001年6月下旬、学識経験者の監修を受け、インターネットを使って20−50代の男女各500人の既婚者を対象にアンケート調査を実施しました(朝日新聞2001年7月4日)。その結果、30代の4人に1人は仕事や育児に追われて「セックスレス」でした。日本性科学会は、病気など特別な事情がないのに1ヶ月以上性交渉がないカップルを「セックスレス」と定義しています。朝日の調査では、夫婦間の性交渉が「年数回程度」「この1年全くない」が全体で28%に上りました。30代で26%、40代で36%、50代で46%でした。20代でも月1回程度が18%、年数回程度が9%、この1年全くないが2%で、月1回以下が29%にもなります。セックスより他に愉しいことがあるからかも知れません。でも、私は、日本人の繁殖力(主として男の生殖能力)が衰えてしまったのだと考えています。政府がいくら「産めよ増やせよ」と叫んだところで生まれる子どもが増えるはずがありません、そもそも子づくり作業を行わないのですから。その元凶は文部科学省の「学校ミルク」政策です。
 子どもが欲しいと願う女性はたくさんの牛乳を飲んだり、乳製品(バター・クリーム・チーズなど)を食べたりしないことです。経口避妊ピルを服んだときのように、身体が疑妊娠状態になって排卵が起こらなくなってしまうおそれがあるからです。パンにバター(黄体ホルモンの宝庫)を塗って牛乳を飲むなどという朝食は最悪ですね。そもそも食パンには原料としてすでにバターと牛乳が使われているのですから。
 通常の夫婦生活を2年間以上続けて子どもができない場合を不妊といっています。日本での不妊カップルは10組に1組ぐらいの割合で存在するといわれています(7組に1組が不妊とする見解もあります)。いろいろな不妊治療が行われていますが、どんな治療であっても女性の心身の負担は大変なものです。
 繰り返しますが、不妊治療を受けている女性や30歳を過ぎて子どもが欲しいとおもう女性は牛乳・乳製品と卵(雌鶏の産むものですから当然女性ホルモンを含んでいます)をできるだけ遠ざけなければなりません。日本人の食事は古来、「穀物+大豆+野菜(海草を含む)(+魚介類)」でバター・クリームの香りのするものは一切ありませんでした。「バタ臭いもの」を避ける食生活を続ければ、35歳を過ぎても子宝に恵まれるでしょう。もっとも相手の男にそれなりの生殖能力があっての話ですが。バタ臭い食品には、牛乳・パン・バターだけでなくアイスクリーム・チョコレート・ケーキなども含まれますからご注意を!
参考文献
Ganmaa D, et al. Commercial cows’ milk has uterotropjic activity on the uteri of young ovariectomized rats and immature rats. International Journal of Cancer 118: 2363-5, 2006.


2005年07月04日
投票率を上げる(1)
投票に行かなければ損をする

 7月3日に首都・東京都の都議会選挙が行われました。投票率は43・99%だったと報じられています。投票率が60%に達しない選挙なんて無意味でしょう。そうかといって3日の選挙を無効とするわけにはいきません。今のままでは何回繰り返したって60%に達することはあり得ないからです。
 国会議員(衆議院・参議院)と地方公共団体の長(知事・市長・村長など)や議員を選ぶ制度を公職選挙制度といいますね。この選挙制度は民主主義の根幹です。今のところ、公職選挙の投票に行くのは権利であって義務になっていません。だから投票に行かなかったからといって罰せられることもありません。これでは投票率を上げようとしても無理です。投票率を上げるにはどうしたらよいか。「投票に行けば得をする」あるいは「投票に行かなければ損をする」というかたちに改める以外にありません。どうしたらいいでしょうか。


2005年07月05日
投票率を上げる(2)
選挙資格の拡大:投票は満16歳から

 現在、日本では男女とも満20歳で成人(一人前のおとなと成る)ということになっています。20歳未満は一人前扱いされない「人でない=人でなし」です。選挙権(選挙資格)も満20歳以上ですね。「人でなし」には選挙資格を与えないということになっているわけです。
 民法で婚姻(結婚)が認められているのは満年齢で女16歳以上、男18歳以上です。結婚した男女は子どもではなく「おとな」です。この人たちでさえ「人でなし」扱いされているのです。結婚して子どもも育てているのに国や自治体の行くへを左右する選挙に参加する資格がないなんてひどすぎます。
 日本人は満16歳になれば働くことができます。実際、働いている人もいます。働いているのに20歳になるまで選挙資格がないなんてのは不合理です。選挙資格を満16歳以上の男女に与え、投票を権利であるとともに国民の義務とすることを提案します。当然、民法も少年法もこれに合わせて改正することになります。
 罰則を伴わない義務化は効力がありません。投票に行かないと損をするという制度にしなければなりません。1回投票に行かないと罰金1万円という方法もありますが、罰金はうまく機能しません。徴集が大変ですから。投票所に足を運べば1回につき1万円もらえるという方法もありますが、この財源を確保することは難しいでしょう。思わぬときに解散・総選挙なんてことがありますからね。「投票は権利であると同時に義務である」という理念にも反します。さてどうしましょうか。


2005年07月06日
投票率を上げる(3)
投票に行かなければ税金が高くなる

 6月25、26日の「子ども・高齢者年金は消費税で」において、消費税を25%とするが、生活必需品の消費60万円(年間)の25%に相当する15万円を戻し税として年度末に返却すると書きました。これを投票率アップに利用します。正当な理由(病気、怪我、移転など)がなくて投票に参加しなかった人の戻し税を減額するのです。1回投票に行かないと5万円減、2回行かないと10万円減、3回行かないと戻し税0となります。
 選挙が年4回以上行われることがあります。4回目の投票に行かなかったツケ(5万円)は翌年の戻し税から差し引くことにします。投票義務を果たさない報いは生涯ついて回ります。こうなれば90%以上の有資格者が投票所に足を運ぶと思いますがいかかが。
 因みに投票しない人に罰金が課されるオーストラリアでの投票率はほぼ100%だということです。投票に行かなかった人には、後日、選挙管理委員会から審問の手紙が送られてくるのですが、それに容認される理由を書いて返送すれば、罰金(100豪ドル以下)を免れるそうです。オーストラリア以外で義務投票を実施している国は、ルクセンブルク、アルゼンチン、ボリビア、エクアドル、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、ベルギー、キプロス、エジプト、ギリシャ、そしてフィリピンだそうです。


2005年07月07日
投票率を上げる(4)
満16歳で投票ができるか

 子どもは義務教育を受けている満15歳以下の人たちであって、16歳以上は肉体的にも精神的にも十分おとなです。「こどもだ、こどもだ」と子ども扱いしていると、彼らはいつまでたっても「おとな」になれません。20歳になった途端に「おとな」扱いをするから、この人たちはとまどってしまうのです。助走期間が必要なのです。成人の祝いをするなら満16歳でしょうね。
 16歳を過ぎたら、親も教師も一人前のおとなとして言葉遣いと態度を改めて子どもに接する必要があります。高校野球の監督が「子どもたちが一所懸命やってくれた」などと言いますね。あれを聞くと腹が立ちます。高校生を子どもあつかいするなんてとんでもないことですよ。
 人はある地位あるいは資格を獲得するとそれなりに行動します。子どもは親や教師の言動を厳しい眼で観察しています。16歳にもなれば親・教師の長所・短所を十二分(ぶん)に承知しているのです。時代精神はもとより批判精神も身につけています。政治家のよいところ・わるいところなど十二分に承知しています。義務を果たさなければ罰を受けることも承知之助(すけ)です。満16歳以上を有選挙資格者としましょう。16歳でおとなになれない人は30、40歳になってもおとなになれないのだから。


2006年01月24日
急告:BSE感染、国内22頭目、北海道の農場(山梨日日新聞2005年1月24日)

 農水省は23日北海道別海町の農場で死んだ乳牛1頭を牛海綿状脳症(BSE*)と確定診断したと発表した。国内の感染牛は22頭目。肉や内蔵などは消却処分されるため市場には出回らない。
  *牛海綿状脳症(BSE):いわゆる狂牛病のこと
 農水省などによると、5歳4ヶ月の雌のホルスタインで、20日に死んだという。感染源の恐れがあるとされる肉骨粉が餌として禁止される前の2000年9月に生まれた。北海道は飼料などを分析して感染ルートを調べる。21日に道内の検査機関で一次検査で擬陽性となり、二次検査でも陽性だった。
 食に関する一日一話(2)の2005年6月7日に「急告:国内20頭目の狂牛病(BSE)も乳牛ホルスタイン」と題して次のように書きました。
 厚生労働省の狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)の専門家会議は6月6日、北海道の乳牛1頭を国内20頭の狂牛病と確定診断しました。北海道鹿追町で飼育されていた4歳の雌のホルスタインです。これで日本で発生した狂牛病の牛はすべて乳用種のホルスタイン牛ということになります。
 このホルスタイン牛の出生時期は、感染源の恐れがあるとして肉骨粉の飼料使用が禁止された2001年より前の2000年8月ということです。
 例によって、厚労省は「肉や内臓などは焼却処分されるため市場には出回らない」と発表しています。しかし、この乳牛から搾った牛乳はどうなったのかということについて、厚生労働省も内閣府食品安全委員会も一切言及していません。

 国内21頭目の狂牛病の発生は2005年12月10日で、北海道千歳市で飼育されていた5歳9ヶ月のホルスタイン乳牛でした。したがって2006年1月24日現在、日本国内で発症した狂牛病(22件)はすべて乳用牛ホルスタイン種に起こったことになります。イギリスでは18万頭を超える狂牛病牛が発生していますが、その80%以上は乳用牛でした。妊娠している牛から牛乳を搾るという無茶な現代酪農(多量の高タンパク質飼料を必要とする)が狂牛病発生の正体です。このことを知っていると昨今のアメリカ産牛肉の輸入再開・再禁止などのニュースはほんのお笑い草ですね。

2006年03月30日
牛乳離れ
 昨今、全国的に牛乳離れが続いています。そのため生産過剰となり、北海道では2006年3月、100万リットルの生乳が廃棄されたという報道がありました。酪農家にはお気の毒ですが、漫然と妊娠している牛からも牛乳を搾り続けているからです。せっかく苦労して搾ったものを捨てるなんてもったいない、飢餓で苦しむ人々に贈ったらどうかという心ない声もありました。しかし、アフリカで飢えている人たちは牛乳という異種動物の乳汁を飲めないのですよ。余剰乳は捨てるしかないのです。保管備蓄すると、いずれバター・チーズなどの乳製品に加工されめぐりめぐってまたまた日本人を苦しめることになるのです。
 日本人の牛乳離れに音(ね)をあげた酪農業界・農協・乳業メーカーは「牛乳消費拡大キャンペーン」を繰りひろげています。「3-A-Day運動」(健康に毎日をおくるため1日3品、牛乳・ヨーグルト・チーズを取りましょうという運動)がそれで、アメリカ酪農評議会のマネです。
 厚生労働省は2006年2月に「妊産婦のための食生活指針」を公表しました。ここにはなんと、「牛乳・乳製品などの多様な食品を組み合わせて、カルシウムを十分に」とあります。売れなくなった牛乳の消費量を増やそうと弱い立場の妊産婦を脅迫しているのです。お腹に胎児が宿り、乳児に母乳を上げるようになれば、腸管から吸収が増えて妊産婦は「穀物+大豆+野菜(+魚)」から過不足なくカルシウムを摂ることができます。
 牛乳・乳製品は嗜好品です。嗜好品は、タバコや酒・コーヒーと同じで「栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物(広辞苑)」です。好きな人だけが飲み食いすればよいのです。「丈夫な子を産むために」とか「子どもの成長のために」「骨粗鬆症の予防のために」などと役所が強制すべきものではありません。


2007年01月20日
不妊スパイラル
 日本で不妊治療を受けている女性がどの位いるか判りませんが、日経新聞(2006年6月26日)は「2003年に不妊治療を受けた人は約46万人と、4年前の1・6倍。新生児の65人に1人は体外受精」と伝えています。体外受精ならずとも、第三者が関与(排卵誘発剤の使用、人工授精など)によってやっと生まれた子どもの数はずっと多いと思われます。
 お医者さんは眼前に横たわる病人を何とかしようとします。不妊クリニックは、子どもができないことに悩む女性を前にすると、後のことも考えず「妊娠・出産」を唯一の目的とする不妊治療に走りだしてしまいます。医業は「できることはとりあえず何でもする」という因果な職業です。
 以下の3節の文章は放生勲『妊娠力をつける』(文春新書536、文藝春秋、2006年10月)に基づいて書いています。
 不妊の初期治療である人工授精でも多種類の薬剤を使う医師がいます。経口の排卵誘発剤はほとんどの医師が使うでしょう。受精しやすくするためにヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)もよく使われます。
 体外受精という高度生殖医療になると、まず排卵誘発のためにhCG(排卵を促進する薬剤)やhMG(ヒト閉経期尿性ゴナドトロピン:卵胞の発育を促す薬剤)などのホルモンを用いて強力に卵巣を刺激します。採取した卵子はシャーレ内で受精します。培養によって得られる分割卵(胚)を子宮内に移植します。移植後に妊娠を継続させうために黄体ホルモンを補充します。そして移植から2週間後に妊娠の判定が行われます。この体外受精は不妊カップルに多大の福音をもたらしましたが、シャーレ内受精には一定数以上の活発に運動する精子が必要でした。ところが、シャーレ内受精に顕微授精が用いられるようになってから、男性側に原因がある不妊においても体外受精が成功する確率が高くなったのです。
 体外受精に用いられる卵子は、排卵誘発・シャーレ内受精・培養・胚移植などをいくつかの人工過程にさらされます。妊娠継続のために母親に黄体ホルモンも補充されます。1978年7月25日に世界発の体外受精児ルイーズ・ブラウンが誕生してからほぼ30年になります。この30年間に体外受精で生まれた子どもの中にはそろそろ生殖年齢に達する人たちがたくさんいます。この子たちの生殖能力はどうなのでしょうか。女の子(性染色体XX)は生命が芽生えた瞬間から女性ですからそのまま成熟するでしょう。ルイーズは幸いにも2006年7月(28歳)で自然妊娠したようです。問題が起こるとすれば男の子(XY)です。性染色体Yのために無理矢理男の子に換えられるからです。
 デンマークには徴兵制度があります。18才から32才までの男子は最短4ヵ月の兵役訓練を受けるのです。デンマークの青年は18歳に達すると、兵役の適性をみるために身体検査を受けます。
 生殖医療を受けて生まれた男の子の精子を自然妊娠で生まれた男の子と比較した研究がAmerican Journal of Epidemiologyの電子版に報告されました(参考文献1)。対象者は1996年7月から2001年9月にかけてコペンハーゲンとアールボルグで徴兵検査を受けた若者です。徴兵検査を受けた若者は6035人、そのうち1925人(32%)が調査に参加しました。参加者の91%の母親が不妊治療を受けたかどうかという質問に回答し、47名(2・4%)が「受けた」と答えました。
 母親が不妊治療を受けて生まれた男性の精子濃度(3300万/ml)は自然妊娠で生まれた男性(4800万/ml)に比べて46%低く、総精子数(1億2900万対1億5200)は45%少なく、精巣サイズ(19・3ml対20・2ml)が小さく、可動精子の割合(61・8%対65・5%)、正常形態精子の割合(8・6%対10・5%)も少ないという結果でした。精子濃度が2000万未満(WHOの基準)の割合も自然妊娠で生まれた男性は20%であったのに対して不妊治療を受けて生まれた男性は30%でした。
 この調査では、徴兵検査を受けた青年のうち不妊治療で生まれた子どもは2・4%でした。徴兵検査が行われた1996年に18歳であった青年は1978年生まれ、2001年に検査を受けたものは1983年生まれです。世界最初の体外受精児が生まれたのが1978年でした。1978年生まれで徴兵検査を受けたデンマーク青年の母親がどんな不妊治療を受けたのか判りません。排卵誘発剤(クロミフェン、hMG、hCG)と人工授精程度であったのかも知れません。しかしその後の不妊治療は次第に高度化して体外受精が増えたことでしょう。
 2005年にデンマークで生まれた子どもの7%は体外受精児です(参考文献2)。そのうちに、日本もこの水準に追いつくでしょう。不妊治療を受けて生まれた子ども(とくに男の子)は体外受精でないと自分の子どもを作れなくなっていくのかも知れません。しかも、この子どもはホルモン入りの牛乳・乳製品を飲みかつ食べさせられるのです。不妊スパイラルが始まっています。
 不妊治療を行っている医師は、自分がいま良かれと思って行っていることが20-30年後にどんな結果をもたらすかということを真剣に考える時期が来ています。がん治療は一世代のことですが、不妊治療は世代を越えて影響をもたらすのです。
参考文献1
Jensen TK, Jorgensen N, Asklund C, Carlsen E, Holm M, Skakkebaek NE.
Fertility treatment and reproductive health of male offspring: A study of 1,925 young men from the general population.
Am J Epidemiol 2006 Dec 20; [Epub ahead of print]
参考文献2
Nyboe AA, Erb K. Register data on assisted reproductive technology (ART) in Europe including a detailed description of ART in Denmarl. Int J Androl 2006; 29: 12-16.


2007年02月01日
キレる子どもたち

 最近、「親が子をいじめ殺す」「子が親を殴り殺す・刺し殺す」「兄が妹を絞め殺す・切り刻む」などという陰惨な事件の報道が目立ちます。このような事例が本当に増えたのでしょうか、それとも単にメデイアが大げさに報道しているだけなのでしょうか。
 子を殺す親、親を殺す子、妹を殺す兄など、事件の犯人のほとんどは1964年(東京オリンピックが開かれた年)以降に生まれた人たちです。この人たちはパンと牛乳からなる学校給食で育ち、生まれたときから牛乳を飲むという史上初めて日本に出現した人たちで、私は「牛乳世代」と呼んでいます。
 私はこれらの事件を起こした人たちが毎朝何を食べていたかということにとても興味があります。もう誰か調べている人がいるかも知れません。是非教えてください。私の想像では、この人たちはおそらくパンを食べていたのだろうと思います。パンはだれかがパン屋、スーパー、コンビニから買ってきて戸棚に入れられています。朝起きてきた人は銘々パンを戸棚から取り出して、あるものはパンにジャムかバターを塗りたくってそのまま手づかみで食べ、あるものはトーストしてジャムかバターを塗ってやはり手づかみで食べるというのがパン食です。
 ご飯を食べるのはもっと複雑です。メシを食うには、コメを研ぐ ー 釜に入れて水加減する ー 炊く ー しゃもじでメシ茶碗に盛る ー 箸で口に運ぶという何段階もの過程が必要です。親がメシを炊いて、みそ汁をつくる家庭からは人殺しは出ないでしょうね。人殺しは手づかみで食うパン食から生まれます。
 一時期マグロの目の周りの脂肪にドコサヘキサエン酸(DHA)が多いから食べると頭がよくなるという話がまことしやかに語られ、マグロの目が受験生にもてはやされたことがありました。人間の細胞の膜は脂質の二重膜で、物質の出入り、刺激伝達に重要な役割を演じています。
 どんなものを食べたってアミノ酸の配列が変わることはありませんが(変わったら突然変異です)、脳細胞の細胞膜の構成脂質は食べたものによって変わります。魚を食べれば、魚に多い脂肪酸で細胞膜が構成されるようになり、獣脂肪・乳脂肪を食べれば脂肪酸構成が獣脂肪・乳脂肪に近くなります。すなわち、食べ物は身体だけでなく精神・思考・感情にも影響をもたらすのです。もっとも、マグロの目を食べたからといって物覚えがよくなるとは思いませんが。


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