こわい「経口血糖降下剤」
二宮陸雄/高崎千穂『糖尿病とたたかう』(ベスト新書81 2005)
<前略> 30年ほど前(1970年ごろ)には、「(糖尿病は)こわい」という意味の一つは、糖尿病による低血糖事故であった。1950年代から、糖尿病薬として経口血糖降下薬(内服して血糖が下がる薬)が使われ始め、あっという間に世界中に広がって、1960、70年代には、糖尿病といわれる人の10人に8人もこの薬をのんでいた。ひどい例では、10人のうち10人にこの薬を処方した医者もいる。第一、この薬が町の薬局で自由に売られていた。「尿に糖が出ますか。それならこれを」といった具合にである。 そうこうしているうちに、日本の津々浦々で悲劇が起こっていた。重症の経口血糖降下剤による低血糖事故だ。 このことは、宮沢康朗、高山美治記者らが編集していた毎日新聞社の「毎日ライフ」という雑誌に私(二宮)が警告し、朝日新聞の武田満雄記者が、私の話をもとにして記事にされ、糖尿病に悩む多くの人々に警鐘を鳴らした。わかっているだけでも、50人の人が死に、50人の人が植物人間になっているというのがその内容である。(二宮陸雄 低血糖事故を防ぐ道 降下剤の使用抑制が最も有効 朝日新聞 昭和49年12月25日) 私の話をもとにして、といっても、私が事故のすべてを知っていたわけではない。早い時期に事故の重大さを予見して警告されたのは、東京の立川病院におられた山田隆一郎博士である。しかし山田博士の警告は学術雑誌に載ったもので、一般の医師の注目するところとならず、知らないところで事故は次々と起きていたのである*。 やがて、一部の糖尿病専門医がその重大さに気づくようになった。中国地方でも、当時鳥取大学教授であった平田幸正博士(現・東京女子医大糖尿病センター名誉教授)も早くからしきりに警鐘を鳴らしていた。 糖尿病薬として画期的だといわれたこの血糖降下剤は、化学名をスルフォニル尿素剤(SU剤)という。フランスで腸チフスの治療に使ったところ、血糖が下がって人が死んだために、糖尿病に使われるようになったという。まさに悲劇とともに生まれた薬物だ。 平田博士は、山陰のある町で、家族の中の3人がこの薬で死亡したり、危篤状態になったりした例をあげている。初めに母親が糖尿病だというので、ある医者にかかり、原因不明の昏睡状態で意識を失ったまま死んだ。次に息子が死に、次に娘がやはり糖尿病だというので、この薬をのむようにいわれ、低血糖を起こして危篤状態になった。この家族は同じ医者にかかっていた。その医者は、尿に糖が出ること、すなわち糖尿病と考えて、糖尿病ののみ薬をのませようとしたのだろう。ところがこの人たちは腎性糖尿病だったに違いない。尿に糖は出るけれども、体の中は全く正常で、糖尿病のような高血糖はないものだから、経口血糖降下剤でひどく血糖が下がってしまった。 〈中略〉 尿に糖が、いわば漏れているだけの腎性糖尿に血糖降下剤をのませ、もともと正常の濃さしかない血糖が極端に下がって、40とか20とかのひどく低い濃度に落ちてしまったのだ。しかも血糖降下剤は、20時間も30時間も効いているから、脳は燃料の糖が極端に足りなくなる。脳は、人間の体の中で進化の先頭を切っている臓器で、他の臓器のように脂肪や蛋白をすぐに燃料にする力がないから、糖がなければ生きられず、低血糖でダウンしてしまった。 〈中略〉 このころの日本では経口血糖降下剤のために植物状態になってしまう人が何人もいた。その一人、大石君は、22歳の広島大教育学部の学生だった。就職試験のための予備的な検診で尿に糖が出るというので、心配になって近所の医者を訪れた。その医者はおそらく、腎性糖尿というものをよく知らなかったのだろう。昭和30年以前の医学校では、腎性糖尿について特に注意を喚起することはなかった。それに、大石君がこの医者を訪ねたころの日本では経口血糖降下剤の全盛期だった。糖尿病学の指導的な医者でさえ、この薬には「認むべき」副作用はない、と手放しのほれこみようだった。無理もないのだ。重い糖尿病治療にはインスリン注射しかなかったし、ガラスの注射器や針を毎日煮沸消毒して、太い針で痛い思いをして注射していた時代だ。だから、のみ薬で血糖が下がるというのは、糖尿病人にとっても、医者にとっても、永年の夢だった。 ドイツのヘキスト社からトルブタマイド(商品名ラスチノン)という薬が売り出され、さらに強力なクロールプロパマイド(ダイアビニーズ)などもアメリカで売り出され、大学病院の専門医までも10人中8人にこれをのませた時代だ。製薬会社も強気で、安全だ安全だというものだから、末端の医者もついつい安易に使っていた。 大石君の医者も製薬会社のパンフレットを見て、画期的な糖尿病治療薬で、「有効かつ安全で事故なし」というので安心して使ったのだろう。その結果が重症低血糖だ。 〈中略〉 厚生省(当時)も、この薬は血糖を下げる薬だから、その作用で人が害を受けても、副作用とはいえない、と詭弁をろうして、事故の報告を怠った製薬会社を弁護した。副作用ではないから報告する義務はないというのだ。 厚生省が「主作用によるものでも有害であった場合は副作用とする」という意味に行政的定義を変えたのは、この重症低血糖事故が引き金になっている。政治もいい加減なものだ。数錠で人を殺すだけの強力な薬を、薬局で自由に売らせていた。この薬が劇薬扱いされるようになるまでには、糖尿病の専門医が191人も「署名嘆願」しなければならなかった。このような行政の根本姿勢は「こわい」と思うのだ。 糖尿病でいちばん「こわい」といわれてきたのは、糖尿病による失明である。〈中略〉アメリカでも日本でも、糖尿病で失明する人が多い。アメリカでは、糖尿病の人の20人に1人が失明している。日本でも毎年7000人を超す失明者があるが、その中で糖尿病は最も大きな原因だ。失明の防止は、糖尿病治療の大きな課題の一つだ。なにしろ、朝起きてみたら世の中が赤一色で、何も見えない。いわゆる硝子体出血である。がく然として、たちまち絶望的になる。 失明はこのようにドンと起きるが、決して急に起きるものではない。糖尿病が始まるとともに目の網膜の血管に変化が始まる。糖尿病を自覚するころには、目に見えない変化が着々と起きつつある。<中略>糖尿病になると、網膜の血管に変化が起きて、血液が流れにくくなって一部が球状にふくれてくる。血管がつまると、血液が外ににじみ出て、しみ状、綿花状、あるいははっきりした黄色っぽいまだらに見える。やがて血管の壁がやられて、血液が外に出て、しみのように出血する。網膜の深いところに出血すると、点状出血になる。浅いところで出血すると、しみ状、線状、火炎状に見える。この時期には、病変は網膜の内部にとどまっている。視細胞の密集している黄斑部という特に視力に大切な部分にひどく起きない限り、視力がドンとおちることはない。 網膜は血液が乏しくて苦しんでいるわけだが、それでもなんとかしのいでいる。しかし、それがある限度を超えると、網膜は苦しまぎれに血管を新たにつくって、血液を確保しようとする。苦しまぎれに血管新生を刺激するような物質が、網膜から放出されるという人がいる。やがて新生血管は、網膜にとどまらないで、眼の内部を満たしている透明な硝子体に入っていくようになる。その硝子体の中で出血すると、瞳孔から入った光が網膜までいかないから何も見えない。つまり失明してしまう。あとになると、この出血がかたまって、縮まり、硝子体が網膜からはがれたりする。血管新生があるような重症の網膜症をいったん起こしてしまうと、3人に1人は5年以内に失明してしまう。新生血管が出血しやすいのは、血管も弱いし、これをとりまいている組織も弱いためだ。 <以下略> |