ひとりよがり
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糖尿病と食事(2008年5月12日) 糖尿病患者が最も苦労するのが食事である。大昔から、食事療法の最大の争点は炭水化物の摂取量であった。炭水化物75〜80%の食事が血糖管理に有効と主張する研究者もいれば、炭水化物をできるだけ制限する食事を患者に勧める医師もいる。なんでこんなに違うのだ?いったいどちらが正しいのだ!なんとかしてくれ!と患者が悲痛な叫びをあげている。 私のウェブページをお読みになった糖尿病の患者さんが、「文藝春秋」2008年3月号の「名医に問う:糖尿病50問50答、千六百万人患者へ」(208〜221ページ)のコピーを送ってくださった。登場する「名医」は「悪いのは炭水化物である。糖尿病患者はできるだけ炭水化物の少ない食事にすべきだ」とおっしゃる。「文藝春秋」は読者の多い、影響力のある月刊誌だというから看過できない。 この「名医」は「糖尿病になりやすい人の特徴は?」と問われて「私の経験では、甘みが好き。ごはんなどの炭水化物が好きな人、おもしろいことに、酒飲みはそんなにいません」と答えている。また、「膵臓を酷使する原因(糖尿病の原因)は?」という問いに「まずは炭水化物と糖質のとりすぎ。とくに菓子やケーキは日本の糖尿病激増の原因でしょう<後略>」と答える。さらに「食事で気をつけるべきことは?」という問いに、「名医」は「<前略>食後に血糖値を測ると、ステーキや豚肉、スクランブルエッグを食べても血糖値は上がらない。むしろざるそば一枚で軽く血糖値200を超えるんです。要するに、タンパク質や脂肪は血糖値を上げない。上げるのはパンやご飯といった炭水化物です。<後略>」と答える。そのうえ、「お酒は飲んでもいいんですか。飲むとしたらどのアルコール?」に対する「名医」の答えは「アルコールは血糖を上げないので、飲みすぎなければいいんですよ。ただ、ビールはちょっと炭水化物が多い。350ccでカーボ(炭水化物)量13グラムです。白ワイン(120ccで1グラム)より赤ワイン(120ccで3グラム)のほうが若干多い。焼酎やウィスキーは蒸留酒だからゼロですね」。これでは、登場人物は「名医」ならぬ「迷医」である。 「名医」は、糖尿病の原因から結果まですべてを炭水化物のせいにする。このひとによると、炭水化物はまるで悪の権化だ。古来、人間が「日々の糧(かて)」としてきたものはパンでありメシであった。つまり、人間の糧は、本来、炭水化物を主成分とする食品である。「できるだけ炭水化物を減らせ」などという糖尿病治療食を強要するのは「糖尿病になったら人間であることを止めよ」と言っているようなものだ。「名医」は、「炭水化物の多い食事は血糖を上げる、炭水化物が少なければ血糖が上がらない」という単純思考で、低炭水化物食を推奨する。ところが実際は、炭水化物の多い食事を摂ると、身体のインスリン感受性がよくなって、そのつぎに炭水化物を摂っても血糖が高くならないのだ。この「名医」の治療を受けている真面目な糖尿病患者の多くは、早晩、糖尿病性腎症によって人工透析を必要とするようになるだろう。 糖尿病研究の鉄人・ヒムスワース(Himsworth)は、今から70年以上も前に、どんな食事をしているひと糖尿病になるのか、あるいはどんな食品を好むひとが糖尿病になりやすいのかということを詳細に研究して、「糖尿病は炭水化物の摂取不足によって起こる」という結論に達している。糖尿病患者や身内に糖尿病患者を抱えている方には、是非、「糖質が足りないと糖尿病になる ー ヒムスワースの研究」をお読みいただきたいと思う。 人間の食事で、タンパク質の摂取割合を10〜20%とすると、必然的に80〜90%を「脂肪+炭水化物」で賄うことになる。糖尿病患者には、高脂肪食(=低炭水化物食)がよいか高炭水化物食(=低脂肪食)がよいかをめぐって、大昔から(70年以上も前から)論争が行われてきた。欧米でも、1950年頃から、炭水化物の割合を多くする方がよいと言われるようになった。米国糖尿病学会(ADA)も糖質も60%を限度とする炭水化物を許容するようになっている。本当は、もっと炭水化物を多くした方がよいのだが、西洋人には、炭水化物60%が限度であるらしい。筆者も、1986年にスウェーデンで、炭水化物が75%を占める食事をボランティアに食べてもらう実験を計画したところ、「このような高炭水化物食は人間の食事ではない」と倫理委員会から却下されてしまった。 アメリカ人が「低炭水化物食」と呼ぶ食事は、炭水化物が40%以下(したがって脂肪は40%以上)のものをいい、炭水化物が60%に近い食事を「高炭水化物食」(脂肪が20〜25%)と呼んでいる。欧米人は、脂肪が20〜25%というような食事は「低脂肪食」という。したがって、彼らの「高炭水化物食」はそのまま「低脂肪食」でもある。欧米の糖尿病研究者は、炭水化物が40%の「低炭水化物食」と60%の「高炭水化物食」を比較して、「高炭水化物食」は血糖管理にそれほど有効ではないが、血清脂質に関しては利点が多いとして「高炭水化物食」を認めるようになったのである。炭水化物が60%などという食事は低炭水化物食である! 炭水化物40%と75〜80%を比較しなければならないのだ。炭水化物食を75%以上にすると、血糖がうまく管理できるという研究報告はたくさんある。このような事実は、70年以上も前からよく知られていたことだ。皆さんの中には、そんなに炭水化物をたくさん食べたら、ますます血糖が上がってしまうのではないかと心配なさる方もおいでだろう。しかし、インスリンが分泌されている方では、高炭水化物食によってインスリンの効き目がよくなって、長期的にみて血糖がうまく管理されるのである(ヘモグロビンA1cが下がる)。血糖のコントロールだけではない。血清脂質などあらゆる生体データが改善する。ただし、インスリンの感受性がよくなるには、単にエネルギー比を75%にするだけでは不十分で、十分量の炭水化物を摂らなければ効果は現れない(ヒムスワースの研究)。 日本人は、長いこと、炭水化物中心の食事で生きてきたから、インスリン分泌が少ない。その日本人が、大量のインスリンを必要とする炭水化物の少ない食生活を送るようになってしまったのである。下の図をみてほしい。わずか50年ほど前(1960年頃)から、日本人は肉・卵・乳製品などの動物性食品を食べるようになった。反面、日本人の主食である穀物の摂取量が減った。 この図では、その減少傾向がはっきりしないから、穀物を代表する米の消費量の変化を下図に示す。日本人が米を最もたくさん食べたのは1963(昭和38)年で、年間一人当たり118.3キログラムの米を食べていた。一日に324グラム(約2.3合)である。この数字は赤ん坊も入った平均値だから、この頃の成人は一日に3合(430グラム)の米を食べていたことだろう。3合の米を炊くと、ほぼ900グラムのメシになる。メシ茶碗で軽く一杯のメシを150グラムとすると、一日に6杯のメシを食べていた。まさに、「居候、三杯目をそっと出し」の時代であった。それが、2005(平成17)年には年間61.4キログラム(一日168グラム=1.2合、メシにすると356グラム、茶碗に2.4杯)になってしまった。40歳以上で、一日に3杯のメシを食べるひとは少ないだろう。一日の炭水化物の摂取量が250グラム(1000キロカロリー)に満たない日本人が結構いるのではないだろうか。このような食生活を十数年も続けていると、インスリン感受性が悪くなって、糖尿病になってしまうのだ。
これを、図を用いて説明しよう(下図)。日本人の糖尿病は欧米人の糖尿病と大きく違う。日本では最初から多少ともインスリンの分泌が衰えて糖尿病になるが、欧米では高インスリン血症を経て糖尿病になるケースが多い。欧米の肥満者はその多くが高インスリン血症を示す。インスリンは脂肪をため込むホルモンだから、その分泌が増えると肥る。内蔵に脂肪がたまると遊離脂肪酸によってインスリンの働きが悪くなるから、さらに多量のインスリンが必要となる。膵臓のインスリン分泌細胞は懸命に働いてその要請に応える。こうして、肥満→インスリンの働きが悪くなる(インスリン抵抗性)→インスリンの分泌増加→肥満という悪循環が始まる。そしてついには膵臓のインスリン分泌細胞が疲弊して分泌増加の要請に応えられなくなるときがやってくる。これが欧米人の糖尿病である。しかし、高インスリン血症を経て糖尿病になる日本人はほとんどいない。炭水化物が少なくなると、インスリンの効き目が悪くなって、身体がインスリンを分泌せよ、分泌せよという要求を膵臓に出す。しかし、インスリン分泌能力のもともと低い日本人の膵臓はこの要求に応えられない。すぐ、ギブアップしてしまう。これが日本人の糖尿病である。だから、日本には欧米とは反対に、痩せている糖尿病患者が多い。つまり、日本には、腹回り85センチ未満の糖尿病患者が結構いるのである。 インスリンを注射している糖尿病患者には高炭水化物食(炭水化物75%)が最適ある。インスリンに対する身体の感受性が高まるから、より少ないインスリンで日常生活を送ることができる。1型糖尿病(かつては若年性糖尿病とかインスリン依存型糖尿病などと呼ばれていた)の人はインスリンを毎日2-4回注射する。この1型糖尿病には高炭水化物食がとくに有効である。炭水化物を多くすれば、注射するインスリンの量が少なくて済む。1型患者が最も恐れるのは低血糖発作である。朝・昼・おやつ・夜と1日4回インスリンする場合に恐いのは夜間の低血糖発作である。炭水化物の摂取量を多くすると、少量のインスリンが大きな効果を発揮するようになる。お医者さん(主治医)に相談して、高炭水化物食に切り換えてほしい。 インスリンを注射していない2型糖尿病(かつてのインスリン非依存型糖尿病)とて同じことである。この人々にはインスリン分泌能力が残っている。身体をよく動かして(運動)、高炭水化物食にすれば2型糖尿病のほとんどはよくなる。 繰り返すが、高炭水化物食が糖尿病治療食として有効なのは、身体のインスリン感受性が高まるからである。ただし、少しばかり炭水化物を増やしても効果はない。たとえば、炭水化物を40%から60%にしても無効である。思いきって75-80%に増やすのだ(私は75%)。 私(164センチ、58キロでBMI=21・56)は、全エネルギーの75〜80%を玄米(正確には3分搗米)から摂るよう心掛けている。体重1キロ当りのエネルギー量を30キロカロリーとして1740キロカロリー(=58x30)を摂っている。そのために一日に玄米メシ850グラム(朝300、昼300グラム、夕250グラムで1400キロカロリー)を具沢山の味噌汁、納豆・イワシの丸干しなどのおかず、漬け物で食べるという簡単な食事(1汁1菜)である。朝食の玄米メシ300グラムは茶碗に軽く2杯である。昼は小さな海苔巻き玄米おにぎり2個(具はおかか・つくだ煮・みそ漬など)、夕食は朝・昼よりわずか少なめにしている。このようなことはいい加減でよい。あまり厳密に行うと長続きしない。私が気をつけているのは体重だけである。体重の大きな増減がなければ、日によってたくさん食べても少なくしても一向に気にしない。このような食事は生きるための日常茶飯である。だから、週に一回は愉しむための「ハレの食事」にする。ハレの食事は大盤振舞(おおばんぶるまい)である。もちろん肉も食う。だから長続き(16年)しているのだろう。 年金天引き・老人医療(2008年4月11日) こんな作業はもう無意味である。舛添さんのいうように、まさにエンドレスの作業だ。税金の無駄遣いになるだけだ。期限を区切って早く止めた方がよい。このような制度を作り運営してきた連中の責任は別個に追求することにして、保険料の払い損になった人たちにはお気の毒であるがチャラにしてもらうよりない。 「僅かなお金を納めてくれれば、年を取ったらたくさんのお金を上げますよ」なんてのは限りなくネズミ講(無限連鎖講)に近い。民間人がやったら手が後ろに回る。それを政府がやったのだ。 日本人の多くは昔から、役人を「お上(かみ)」などと尊称して、「お上のなさることに間違いはない」と思っていた。今度の年金問題で得た最大の教訓は「役人は本質的に悪いことをする存在」ということを日本人が心底から思い知ったことだろう。 この役人が「後期高齢者医療制度」を作って、何もわからぬ国会議員の多数が国会で賛成したものだから、無体な医療制度が今年の4月1日から実施ということになってしまった。 日本の医療保険制度は、年金保険と同様に、複雑である。民間の賃金労働者とその扶養家族には二つの医療保険がある。大きな企業の従業員とその家族に対する組合管掌健康保険(組合健保)、小さな企業の従業員とその家族に対する政府管掌健康保険(政管健保:保険者は社会保険庁)である。ところが、役人(公務員)は、同じ賃金労働者でありながら、国家公務員共済組合か地方公務員共済組合に加入している。そのほかに、私立学校教職員共済組合、船員を対象とする船員保険(保険者は社会保険庁)などもある。そのほかに、商店・農家などの自営業者や退職者(75歳未満)などの一般地域居住者を対象とする国民健康保険がある。また、75歳以上のものに対して、市町村が実施する老人保健法による老人医療が行われている。75歳以上の人たちの医療は税金と各種健康保険からの老人保健拠出金で賄われていた(2008年3月31日まで)。 つまり、日本の医療制度は、 民間人と公務員を問わず、企業の大小に関係なく、職業・年齢不問で、病気やけがという緊急事態に陥った日本人は同一の医療保険でカバーされるべきである。介護保険にも言えることだが、対象を特定集団に限定する援助は、保険ではなく税金で実施すべきだ。 政治家の役割はすべての健康保険を統一して新・国民健康保険とすることなのに、さらにもう一つ「後期高齢者医療制度」などというものを加えてしまった。この医療制度では、後期高齢者(75歳以上)は現在加入している国民健康保険などの保険を抜けて新たな制度に移動する。月1万5000円以上の年金を受け取っているものから、天引きで保険料(月額6000円程度)を徴収するという。これに介護保険料(4000円)を加えると、月に1万円を徴収されることになる。 このような無体な制度を導入しようとする政府は間違いなく瓦解するだろう。総選挙はいつになるのかな。「後期高齢者医療制度」を廃止して、すべての医療保険を「新・国民健康保険」に統一することを公約に掲げる政党が勝利するだろう。 食料安全保障 (2008年3月1日) 私のところに来ていた中国人留学生は男も女もみんな餃子作りが得意であった。小麦粉から始めて、二人もいれば、20人分を1時間ほどで作りあげた。実に手際がよかった。北方出身が多かったから、もっぱら水餃子(ゆで餃子)だった。二つ折りにした皮の一方を波型に折りたたむなどという面倒なことをしないで、両手の親指と人差し指で押さえるだけだった。見よう見まねで私も餃子の作り方を覚えた。今でも家でときどき作る。 中国河北省の食品工場での餃子作り(ステンレス調理台はピカピカしていた!)や冷凍餃子の包装袋をテレビ映像で観た。日本の輸入業者が材料や味付けだけでなく形状まで細かく指示して、日本人好みの餃子を作らせていたのだろう。工場だけではない、輸入業者にも責任がある。しかし、メディアの報道姿勢は一方的に「中国製食品は危ない!」と不安を煽るものだった。北京オリンピックの前だから、彼らは今のところ比較的低姿勢である。そうでなければ「小日本(シャオリーベン)に売るな!」の声が澎湃と上がるだろう。周りを見渡せば、日本人の衣食がいかに中国に依存しているかが分かる。食品だけでなく、靴や衣服も日用品も中国産があふれている。中国製品はもはや「安かろう悪かろう」ではない。それなりの製品が安価で日本に流入する。輸入業者が中国の安い材料と安い労賃で作らせているからだ。中国製品なしには、日本人の暮らしは成り立たない。日本人は中国人を食っている。かつて、アメリカ人が日本人を食って豊かな暮らしをエンジョイしていたように。しかし、アメリカと日本は違う。 アメリカの食料自給率は120%なのに日本はたったの40%である。食料輸出国は国際社会で大きな顔ができる。怖いものがないからだ。日本は「もうあんたには売ってあげないよ」と言われればお手上げだ。アメリカのブッシュ大統領はトウモロコシからエタノールを作って自動車を走らせるという政策を進めている。本気で自動車にトウモロコシを食わせようとしているわけではない。農家がエタノール用のトウモロコシ栽培に走って、飼料用トウモロコシや小麦などの輸出農産物の価格が値上がりすることを狙っているのだ。生産量を増やすより単価を上げる方が商売として賢い。環境問題で突き上げられることもない。一石三鳥の政策である。食料輸出国は政策の選択肢が多い。 食料輸入国は国際社会で大きな顔はできない。アメリカや中国と対等に付き合うには、まず自国で食料を賄えるように足場を固めることだ。「あんたには売ってあげないよ」の脅しに屈しない体勢を整えることだ。この体勢が食料の安全保障である。私が中国の政策担当者なら、「日本に輸出する全農産物の残留農薬を検査する」という理由で、オリンピックが終わるまで農産物の輸出を完全にストップする。そんなことをしたら中国が困るだろうって? あちらは困らない。日本の業者が音(ね)を上げて、「検査はすべてわが方で行います」と言うことになるだろう。食料輸出国は強く、輸入国は弱いのだ。 日本は工業製品を売って食っている。「おれんところは自動車も機械も買うから、おたくはうちの農産物を買ってくれ」と言われて、「いやダメだ。そんなことをしてはうちの農業がつぶれてしまう」などということは通用しない。守るべきものを残して譲れるものは譲る。それが国際交渉だ。農産物の国境関税をゼロにしてもよいものは残る。たとえば、100グラム2000円の国産高級牛肉は米豪の100グラム200円の輸入肉とのすみ分けが可能である。新鮮さが勝負の果物(ブドウ・モモ)は日本産が圧倒しているし、山梨県産甲州種ワインは本場フランスで販売されている。温州ミカンがなんとスウェーデンで、「サツマ(薩摩)」の名で売られていた。自由化されても、残るべきほどの農産物は残る。 日本人の食料は昔から「米+大豆+野菜・果物(+魚)」であった。これ以外のものはなくても生きていける。中でも「米+大豆」が重要だが、最後の一つを選ぶとすれば、それは「米」だろう。いざとなったら、日本人は米を食って生き延びるのだ。100グラムの米を炊くと茶碗一杯のご飯(200グラム=320キロカロリー)になる。日本の米は高いと言われるが、1キログラムが400〜600円で店頭販売されている。茶碗一杯のご飯の材料費(米代)は40〜60円に過ぎない。ご飯は安価な主食である。 日本政府は、米の生産調整と称して、減反に税金を投入しているが、こんなバカな政策はない。米の作り手が少なくなっているから圃場の大規模化はよい。しかし、買い手がいなければ米作りに励む農家はない。日本の原風景である棚田(たなだ)が単なる観光資源となってしまっては困る。農家に米作りを奨励するのだ。年間、一人当たり平均100キロ(現在の消費量は60キロ)に相当する1000万トンの米を作ってもらう。生産された米をすべて、政府が米の品質に応じて一表(60キロ)当たり平均1万円で買い上げる(棚田の米はもっと高く買う)。1000万トンの買い上げ価格は1・7兆円である(一表1万2000円だと2兆円)。この米を消費者に売る。だから2兆円の過半は売り上げで回収される。消費できない米は備蓄する(100〜300万トン)。保管が1年を超えた米は必要とする国に有償・無償で供与すればよい。このためには、米の消費量を拡大しなければならない。まずは、小・中学校と病院の給食を完全米飯給食にすることだ。 日本は軍事的安全保障(防衛費)に毎年5兆円の税金を投入している。食料安全保障に2兆円程度の税金を支出するのは当然だ。農林水産省はあらゆる農業分野に助成金をばら撒いているが、こんなことをしていては、食料の安全保障は危うい。「米+大豆+野菜・果物(+魚)」以外の食料生産に対する補助金は10年ほどかけてゼロにすべきだ。海外はもちろん国内でも評価されない農産物を作っている農家は自然に消滅していくだろう。 [追記] 読売の記事に基づいて計算すると、日本で牛乳を搾っている乳牛は60万頭ほどいるようだ。牛乳を搾る搾らないにかかわらず、5年を限度に年間1頭当たり10万円を援助する(年間600億円)。50頭の泌乳牛を飼育している酪農家には年間500万円の資金を提供する。搾った牛乳は、売ってもよいし廃棄してもよい。ただし、今以上に泌乳牛を増やさないことが条件だ。5年が経過すると、1頭当たりの補助金が5万円となり、その翌年には2・5万円となり、その次の年はゼロとなる。 つまり、これは酪農家に対する助成金ではない。転業援助金である。海外に売れない、付加価値のない、低品位乳製品の原料にしかならない牛乳を生産している酪農家に転業を勧奨するための資金提供である。海外企業が買いにくるほどの高品位牛乳をつくる酪農家は残る。妊娠していない乳牛から搾った「有機JASマーク」つきの牛乳なら国産高級和牛肉の1/10の値段(現在の10倍、1リットル2千円)で売れるだろう。 病院給食と牛乳・ヨーグルト(2008年2月21日) 病院の食事メニューに牛乳・乳製品が登場するにはわけがある。農林水産省と厚生労働省は2005(平成17)年に、食事バランスガイドなるものを作成・公表した。この食事ガイドに、日本人が1日に摂るべき目安として「牛乳だったら1本(200ml)程度」が組み込まれているのである。牛乳・乳製品などの摂取は週に1回あるいは月に1回(ハレの日)でよいのに、毎日飲むように勧めているのだ。病院は厚生労働省の意向に敏感だから、入院患者にも牛乳やヨーグルトを出してしまうのである。 この農水省と厚労省の食事ガイドには、主食としてごはん・パン・麺(料理例:ご飯・おにぎり・食パン・ロールパン・うどん・もりそば・スパゲッティー)、主菜として肉・魚・卵料理・大豆食品(冷奴・納豆・目玉焼き・焼き魚・魚の天ぷら・まぐろとイカの刺身・ハンバーグステーキ・豚肉のしょうが焼き・鶏肉から揚げ)、副菜として野菜・いも・豆・海藻(野菜サラダ・きゅうりとわかめの酢の物・具たくさんの味噌汁・ほうれん草のお浸し・ひじきの煮物、煮豆、きのこソテー・野菜の煮物・野菜の煮物・芋の煮っころがし)、毎日適量を摂るべきものとして牛乳・乳製品(牛乳・チーズ・スライスチーズ・ヨーグルト)と果物(みかん・りんご・かき・梨・桃)が収載されている。役所の最大業務は関連業界の調整である。ある食品業界の主力製品を食品ガイドに加えなければその業界から厳しい苦情が来る。この食事バランスガイドは食品関連業界からクレームが来ないように慎重に配慮した「業界バランス食事ガイド」である。 病院給食で牛乳を出すことを知った私は栄養相談室で、「乳がんの手術を受けた患者にも牛乳を飲ませるのか」と聞いたところ、答えは「イエス」であった。やんぬるかな。この病院に入院する乳がん患者は不幸だ。管理栄養士に乳・乳製品と乳がんの関係を説明し、「プラント教授の乳がんとの闘い」と「プラント教授の乳がんとの闘いー実践編」を手渡してきた。果たして乳がん患者の食事メニューは変るだろうか。変わらないでしょうね。 牛乳とメディア-その2 相次ぐ新聞の倫理綱領違反(2008年2月9日) 昔から、酪農乳業団体が最も力を入れてきた宣伝は「骨粗鬆症の予防に牛乳・乳製品を!」であった。アメリカの酪農業界は2003年に、乳・乳製品の消費増大のため、スリー・ア・デイ(3-A-Day)キャンペーンを開始した。「強い骨をつくるために1日3回、乳製品を摂ろう!」という宣伝活動である(日本も真似している)。これは、アメリカ国立がん研究所などが1991年から始めた「健康(がん予防)のために1日5皿以上の野菜・果物を食べよう」というファイブ・ア・デイ(5-A-Day)運動をもじったキャンペーンである。スリー・ア・デイはまさしく「キャンペーンならみんな眉つば」(山本夏彦)そのものである。 そういえば、Milk Mustache(白い口ヒゲ)をつけたモデルやスポーツ選手を使った「Got Milk?」(ミルク飲んだ?;ミルクある?)などというキャンペーンもある。酪農乳業団体ほど、眉つばキャンペーンに力を注いできた団体はない。本当に人間に必須なものなら宣伝などしなくても売れるはずである。酪農乳業界は、牛乳という異種動物の「白い血液」を人間に飲ませることに、ある種のやましさを感じているのかも知れない(この点に関してはマリア・ロリンゲルの「牛乳の歴史」を参照して欲しい)。タバコ業界がタバコに対してそうであったように、酪農乳業団体もすでに「乳・乳製品は人間の身体によいものではない」ということに気付いているのだろう。 アメリカでもイギリスでもそして日本でも、牛乳の拡販に最も効果が大きいのは学校で生徒に牛乳を飲ませることだ。「子どもの健やかな成長のために」というスローガンは受け入れられやすいし、子どもの牛乳飲用習慣は大人になっても継続するからだ。今、日本の学校給食で年間消費される牛乳は20億本(1本200ml)である。つまり、40万kl(キロリットル)の牛乳が学校給食で消費されている。日本の飲用牛乳の生産量は400万klほどだから、学校給食で生産量のほぼ1割を消費していることになる。日本の酪農は学校給食で維持されていると言っても過言ではない。文部科学省は来年度、「栄養」から「食育」に重点を移して学校給食法を改訂するということだが、酪農家保護のために、学校給食での牛乳強制を続けるだろう。保護者がわが子の牛乳飲用を希望し、自分でも飲みたいという子どもには学校で牛乳を販売しても構わないが、「国家による牛乳強制」は止めるべきだ。なぜ、前思春期の子どもに牛乳を飲ませてはいけないかの詳細は「乳・乳製品の女性ホルモンは人間に確たる影響を与える」をご覧いただきたい。 なぜ、天下の公器である新聞が牛乳という一商品の宣伝に片棒を担ぐのか。「プラント教授の乳がんとの闘い」の新版(2007年8月)に次のような文章がある。
広告ではなく、大新聞の記事だと信用してしまう人がいる。日本でも、酪農乳業団体が手段を尽くして、牛乳飲用を勧める記事を掲載するよう新聞社に圧力をかけているのだ。だから、新聞は「新聞倫理綱領違反」を繰り返すのである(新聞倫理綱領については1月31日に書いた)。 本来、乳・乳製品は日本人に必要のないものだ。生乳の消費量が減っても、牛乳そのものの生産量が減らなければ、チーズ、バター、粉乳などの保存可能な乳製品が増える。牛乳の脂肪やコレステロールが動脈硬化の原因になるという説が広がって、乳業メーカーは無脂肪牛乳や低脂肪牛乳を製造するようになった。健康に関心のある人は、たくさんの牛乳・乳製品の中から無脂肪あるいは低脂肪牛乳や低脂肪乳製品を選ぶかも知れない。しかし、その製造工程で除かれたミルク脂肪やミルククリームはどうなるのか。廃棄されるのか。とんでもない。ミルクバターやクリームはありとあらゆる食品にそっと加えられ、結局あなた方の身体に入ってしまうのだ。 日本人の生命線は「穀物(米)と大豆」である。米は、増産すれば、なんとか自給できる。しかし、大豆はそのほとんどを輸入に頼っている。輸入が止まれば、日本人の生活は危うい。「大豆を作ろう」(http://daizuweb.job.affrc.go.jp/)によると、日本は500万トンほどの大豆を消費しているが、そのうち国産は15万トン(3%)に過ぎない。しかし、日本で消費される大豆のほとんどは製油と家畜飼料に用いられている(380万トン)。味噌、醤油、豆腐・油揚、納豆の使われる大豆は94万トンである。日本で100万トンの大豆を生産できないものだろうか。1億人の日本人が食う「米+大豆」が確保できれば(米1000万トン+大豆100万トン)、あとのものはどうでもよい。自動車が売れて余裕があれば、世界中から食料を買いあさってもいいだろう。金があっても買えなくなったら、あるいは金がなくて買えなくなったら「ご飯と味噌汁」で生きてゆくのだ。この覚悟があってはじめて食料安全保障が実現する。アメリカ、中国と対等に付き合うことができるのだ。そして何より、LOHASである。 そうは言っても、乳・乳製品の消費量が減って、生産量が落ち込み、悲鳴をあげる酪農家の窮状は理解できる。敗戦後、日本政府(農林水産省)は農家に酪農を奨めて酪農家を育てた。農水省の誤った指導によって、「高泌乳牛型酪農」(穀物を与えて大量の牛乳を搾る酪農)を採用している酪農家はいずれ方向転換を迫られることになる。酪農家は被害者で、加害者は日本政府だ。酪農家が大豆生産に転向してくれれば言うことはない。政府は責任をもってこの転換を支援(税金をつぎ込む)すべきだ。酪農は米も大豆も野菜も穫れないところで行って欲しい。その替わりに、牛乳の値段を10倍に引き上げることだ。そんなことをしたら、アメリカ産の安い牛乳が日本を席巻すると心配する酪農家もいるだろうが、アメリカ酪農の実態を知れば、アメリカ産牛乳を飲む日本人はいないだろう。 昨今、日本の酪農に対してどれほどの税金が投入されているか?
農林水産省のウェブサイト(http://www.maff.go.jp/lin/09-jigyou/2-2.html)をご覧になればその一端がお分かりいただけるだろう。 牛乳とメディア-その1 新聞の偽装特集(2008年1月31日) 新聞は社会の公器である。Y新聞は私も購読していて、良心的な新聞と思っていた。しかし、新聞社独自の記事であるかのように見せかけて、一業界の宣伝に紙面を提供することは「新聞倫理綱領」に違反する。この倫理綱領に「おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」とある。この偽装特集記事は、論説委員による社説盗用よりたち(質)が悪い。編集者の責任は重い。 「牛乳を飲むと体脂肪が減る」に対する反論は2005年に「食に関する一日一話(1)〜牛乳について〜」で述べた。このテーマの3月13日と4月1日の文章を参照していただきたい。付言すれば、日本経済新聞は2006年(平成18年)9月16日に、乳製品に関して業界一辺倒のちょうちん記事を掲載した。これについては「乳・乳製品の女性ホルモンは人間に確たる影響を与える」を読んで欲しい。言うまでもないことだが、新聞が必ずしも事実を語るとは限らないことを銘記すべきだ。 牛乳・乳製品によって増え続ける日本女性の乳がん
(2008年1月11日改訂) 縦軸は新規発生率で、毎年新たに乳がんになった女性の数を人口10万人当たりで表わしている。2001(平成13)年の新規乳がん患者は4万575人であった。1975(昭和50)年の新規乳がん患者数は1万1123人であったから、乳がん発生数は1975-2001年の26年間に約3・7倍に増えたことになる。最近は、年間2000人ほどの割合で増えているから、2005(平成17)年には約4万8000人の女性が新たに乳がんになったものと推定される。 この増加を年齢別に比較すると次のようになる(下図)。 最近の日本女性の乳がん発生率は、30-34歳、35-39歳、40-44歳、45-49歳と、年齢の増加とともにほぼ直線的に増え、乳がん発生のピークは45-49歳という更年期に近い年齢層にある。更年期は、女性の生物学的な役割の終焉期で、女性ホルモンの分泌が急激に減る。2000年に45-49歳の女性は1951-55年の生まれで、幼少のころから乳・乳製品(クリーム・バター・ケーキ・チョコレート)に慣れ親しんできた。おそらく、トーストした食パンで朝食を済ませるようになった最初の世代だろう。 乳がん死亡の動向は、厚生労働省の人口動態統計によって最近のデータも入手できる。1965(昭和40)年の乳がんによる死者は1966人であったが、2005年には1万721人が乳がんで死んだ。過去40年間で死亡者数は約5・5倍になった(下図)。 年齢構成を昭和60年の人口(=モデル人口)に合わせた年齢調整死亡率でみても、日本女性の乳がん死亡は年々増え続けていることがわかる(下図)。 人口10万人当たりの乳がん死亡率は、1965年の5・2人から2005年の11・4人へと40年間で2・2倍に増えた。年齢調整死亡率が増えているということは、人口の高齢化による見かけ上の増加ではなく、乳がんで死亡する女性が日本で確実に増えていることを示している。 乳がん死亡を年齢別にみると、死亡のピークは55-59歳にあり、発生率のピークとの間に10年の開きがある(下図)。 最近の治療(手術、放射線、抗がん剤、ホルモン剤)が延命をもたらしたからだろう。乳がんで死亡するのは患者4人のうち1人(25%)と言われるのは、乳がんが再発なしに5年経過した場合を治癒としているからである。乳がん患者を40年間追跡すると、結局80%は乳がんで死亡するという暗い報告もある。左図を見ると、乳がん死亡率が75歳過ぎにもう一度急激に上昇する。若いころに鳴りをひそめていた乳がんが、免疫力の衰える高齢期になって命を奪うほどに猛々しくなるのだろうか。乳がんになった女性は単に死が近づいたことに悩むだけではない。乳房という女性のシンボルが瑕つく悩みは我々男には想像できないほど深いものだろう。たとえ延命が可能であっても、数十年も再発の恐怖に怯えて過ごすことになる。がんという病(やまい)は本人だけでなく、家族など周りの人々の生活にも大きな影響を与える。 日本の対がん戦略の基本は早期発見である。しかし、いかに精密な検診を行って早期に発見しても、次世代の女性の乳がん発生を減らすことはできない。毎年毎年、5万人に近い新たな乳がん患者が登場しているのだ。根本的な対策が必要である。 「なぜ、日本の若い女性に乳がんが増えているのか」と問われると、ほとんどすべての専門家は「食生活の欧米化」という曖昧な言葉で逃げる。「食の欧米化」とは何か? 和食と洋食を一言で表わすなら、和食は味噌・醤油・鰹節・昆布の風味で、洋食はバター・クリームの香りのする食事である。「食の欧米化」とは、日本人がバター・クリームなどの乳製品を口にするようになったということである。食の欧米化が乳がん増加の原因なら、食生活を変える(乳・乳製品を食べない)以外に、日本女性を乳がんから救う方法はない。しかし、正統派と目されるがんの専門家は、早期発見・早期治療という虚しいお題目を唱えるだけである。 文部科学省も厚生労働省も、農林水産省の意向に沿って日本人に牛乳を飲ませ、乳製品を食べさせようと躍起になっている。結果的に、彼らは乳がんを増やす方向で努力しているのである。その一方で、厚労省はマンモグラフィーなどによる乳がんの早期発見を謳っている。こういうのを、マッチ・ポンプ(自分で火をつけておいて消火作業をする)というのだ。早期発見・早期治療の日本のがん対策は「もぐらたたき」に過ぎない。 世の中は、「駕籠(かご)に乗るひと、担(かつ)ぐひと、そのまた草鞋(わらじ)を作るひと」で回っている。「市場経済」では乳がんでさえもメシのタネになる。経済の活性化には金(かね)が動かなければならない。牛乳をたくさん飲み、ケーキ・アイスクリームをたくさん食べてくれれば、酪農・乳業業界が喜ぶ。その結果、乳がんが増える。乳がん検診は、医療機器メーカーや健診業界の収入につながる。患者の治療で医療・製薬業界が潤う。死ねば葬儀屋が儲かる。だから、日本人の乳・乳製品の消費量増大は単に酪農業界と乳業メーカーだけでなく、日本経済全体に少なからぬ波及効果をもたらす。日本人が乳・乳製品を止めて乳がんが減ったら、日本経済は縮小してしまうのだ!? 乳がん患者は「草鞋」でよいのか。こんなに悲しい不条理な話はない。大部分の日本人は1945(昭和20)年前までの長い歴史を乳・乳製品と無縁で過ごしてきた。いくら政府や業界の御用学者がミルク・ヨーグルト・チーズを勧めても、あなたは自分自身であなたの乳房と命を守るしかない(「プラント教授の乳がんとの闘い」)と肝に銘じて、このような無用な製品をきっぱり拒否することだ。 「プラント教授の乳がんとの闘い」の最新版(2007年)によると、プラント教授の「乳がんの乳製品主犯説」を撃破するために多くの学者が動員されたらしい。この際、反対論者が強力に援用したのはハーバード大学の乳製品と乳がんに関する研究であった(文献1)。その理由は、この研究が、ハーバード大学という超一流の研究機関が、米国衛生研究所(NHI)の資金援助を受けて、8万8691人もの看護師の乳がん発生を16年にわたって追跡した大規模疫学研究(Harvard Nurses’ Health Study; HNHS)であり、しかもアメリカがん研究所雑誌という一流のがん学術誌にその成果が掲載されたからである。その研究結果は、プラント教授の主張とは正反対の「低脂肪の乳・乳製品をたくさん摂る更年期前の女性は乳がんになりにくい」というものであった。 この論文を批判的に読んでみよう。論文の著者らは、1980年の自記式食品摂取頻度調査から得られた乳製品摂取量に基づいて、調査対象を少量群(2万2180人)、中量群(2万7330人)、多量群(1万8446人)の3群に分けた。各群の特徴を表1に示す。 この研究が開始された1980年から1996年まで2年ごとに乳がんの発生を調べた。その結果、16年間に更年期前の女性に827件、更年期後の女性に2345件、計3172件の乳がんが発生した。乳製品を摂っていないグループと摂っているグループの間で乳がんの発生率を比較するのが本来のコホート研究(前向き研究)である。ところが、この研究では、乳がんの発生した女性が発生前に乳製品をどのくらい摂取していたかということだけを問題にして、乳がんが発生しなかった8万5209人の食生活は全く問題にしていないのである。もちろん、これでも疫学研究は成り立つのであるが・・・。 乳製品の摂取量によって、更年期後の女性の乳がん発生率は変わらなかったが、更年期前の女性の乳がんは低脂肪の乳製品をたくさん摂っていた人に少なく、少量しか摂っていなかった人に多いという結果になった。換言すれば、更年期前の女性が低脂肪ミルクと低脂肪の乳製品を多く摂ると、乳がんが予防されるということになる。 結果をもう少し具体的に紹介すると、乳がんが発生する前の乳・乳製品の摂取量を3〜5段階に分け、摂取量別に乳がんリスクを計算した。その結果の一部を表2に示す。 摂取量の最も少ない人の乳がんリスクを1・00として、摂取量が増えるとリスクがどうなるか計算したのである(相対リスク)。95%信頼区間の上限が1未満の場合は乳製品の摂取量の増加に伴う相対リスクの低下は統計学的に有意とみなされる。 この研究で、乳製品の摂取量が多い人あるいは少ない人というのはどんな人なのか、表1をよく眺めて欲しい。乳がんの発生が多かった総牛乳(無・低脂肪牛乳+普通牛乳)の少量摂取群の一日当たりの平均摂取カロリーはたったの1398kcalであった。この人たちの平均体重は記録されていない。身長だけである。身長164センチメートルの看護師が一日1400kcalの摂取カロリーでまともな看護労働ができるだろうか。しかも、この人たちの脂肪のエネルギー比(脂肪カロリーが総摂取カロリーに占める割合)は47・1%である。総摂取エネルギーのほぼ半分を脂肪から摂取していることになる。こんなにたくさんの脂肪を摂っている人が乳がんになりやすいことは肯ける。脂肪摂取量がかくも多い人には肥満体が多いからである。しかし、体重の記録がない。1日にわずか1400kcalの人が肥満体であるわけはない。この論文は矛盾に満ちている! この研究が採用した、質問表の郵送による食品摂取頻度調査という栄養調査には致命的な欠陥がある。回答者が食品の摂取頻度を正確に記入しているという保証が全くないからである。普通の食品接種頻度調査は、食品モデルを示しながら面接して、平均してどのくらいの頻度で食べるかを尋ねる。あまりにも摂取頻度と量が少なくて、これでは一日の平均摂取カロリーが500kcalにも達しないと面接者が感じれば、その場で訂正を求める。面接者が体型を観察しながら質問するから、被検者も普段の食生活からあまり隔たった摂取頻度を回答できない。しかし、対象者が8万8691人もいる疫学研究では面接して食品接種頻度調査を行うことはできない。どうしても郵送による自記式調査にならざるを得ない。 ところが、郵送による自記式の食品摂取摂取調査では回答者に緊張感がない。郵送調査で問題になるのは女性の摂取食品の過少申告である。とくに、肥満傾向にある女性が摂取頻度と量を過少に申告することはよく知られた事実である(たとえば文献2)。ハーバード大学の研究で、乳がんになるリスクが高いと判定された「乳製品の少量摂取群」には食品摂取頻度を過少申告せざるを得なかった肥満者が多かったのかもしれない。私(筆者)は、郵送法による自記式食品摂取頻度調査法による栄養調査を信用していない。食品摂取頻度調査法(FFQ)の詳細は「牛乳と乳がん」を参照してほしい。 プラント教授の「乳がんの乳製品主犯説」に関して、疫学的に検証されていないことを不満に思われた読者が少なからずおられるだろう。今までに行われた疫学研究では、乳製品によって乳がんが増えるという研究、減るという研究、関係がないという研究があって、結果が一致していない。なぜ、こんなことになるのか。第一の理由は、乳製品の個人の摂取量を正確に把握できないことにある。タバコを1日に何本吸ったかという質問とは違う。乳製品は、牛乳として飲まれるだけではなく、バター・クリーム・チーズ・粉ミルク・練乳・発酵乳として多種多様の食品に使われているために、個人の乳製品の摂取量を推定することは至難である。さらに、上述のように、人間は食品の摂取量を聞かれても正直に答えてくれない。訊ねられたときの身体状況(肥満か痩せか標準か)によって答える内容が実際と異なる。本人が身体によいと思っている食品の消費量を実際より少なく答え、よくないと考えている食品は逆に実際より多く答えることもある。病気になったときの言い訳に使えるからである。 第二は、疫学研究に内在するより本質的な理由である。アメリカのように乳製品の摂取量の多い国では、ごく一部の人(たとえば動物性食品を一切口にしないビーガン)を除いて、ほとんどすべての人が、量の多少はあっても、かなりの量の乳製品を食べている。ほとんどの加工食品が乳製品を含んでいるから乳製品と無縁な生活を送ることはできないのだ。このようなところで行う乳製品に関する疫学調査が惨憺たる結果に終わることは目に見えている。乳製品摂取量の500g/日と1000g/日の間で乳がん発生率を峻別しようとしても無理である。また、多様な食品に乳製品が使われている日本はアメリカの小型版で、ここで行われる疫学研究にも大きな期待はもてない。200g/日と500g/日の間で差をみつけようとするようなものだからだ。50g/日と1000g/日の間でなら乳がん発生率の明らかな違いを見出すことができるだろう。 このようなときには国際比較研究が一番だ。「プラント教授の乳がんとの闘い」に詳述されているように、乳・乳製品と乳がんの関係は科学的に矛盾なく説明できる。アメリカ人は日本人より多量の乳・乳製品を消費する。したがってアメリカ女性は日本女性よりも乳がんになりやすい。世界40カ国で、国ごとの乳・乳製品の消費量と乳がんの発生率の関係を調べた研究がある(文献3)。この国際比較研究は、個人の消費量を正確に把握できない通常の疫学研究では見出せない乳製品と乳がんの関係を明らかにしてくれる(下図)。 横軸に一人一日当たりの乳・乳製品の消費量が、縦軸に乳がん発生率が国ごとに目盛られている。明らかに、乳・乳製品の消費量の多い国では乳がんの発生が多い(相関係数=0・817)。 こんな面倒なことをしなくても、プラント教授は「中国人に乳がんが少ない」「中国人は乳製品を食べない」という素朴な事実から、直感的に「乳がんは乳製品によって起こる」という結論に達した。これは、プラント教授の優れた帰納的推理力の賜物である。リンゴの落ちるのを見て、万有引力の存在を確信したニュートンに匹敵する。真理の発見には思考のジャンプが必要なのだ。 乳製品と乳がんの関係を疫学的に検証する最良の方法は、厳格なビーガン(乳製品を含め動物性の食品を一切口にしない)とラクト・ベジタリアン(肉は食べないが、肉の替わりに乳製品を食べる。乳製品以外はビーガンの食事に近い)の間で乳がん発生率を比較することである。残念ながら、まだ行われていない。 文献 故ベンジャミン・スポック博士のBaby and Child Care(日本語訳:スポック博士の育児書)は、アメリカで、過去50年間にわたって聖書に次ぐベストセラーと言われたほど圧倒的な影響力を持つ育児書であった。スポック博士は子どもに牛乳を飲ませないことを強調するとともに、牛乳消費がもたらす病気一覧を掲げている。この一覧には、がん、肥満、鉄欠乏性貧血、喘息、中耳炎、皮膚疾患、胃痛、腹部膨満と下痢、その他*)が挙げられている。(*インスリン欠乏型で小児期に発生することが多い1型糖尿病が乳幼児の牛乳消費と関係があるという研究者もいる。)そして、スポック博士は次のように結論している。「自然界には、離乳期を過ぎてミルクを飲む動物はいない。人間も同じで、離乳期を過ぎたらミルクを飲まないことが正常である・・・。必要なタンパク質を植物から摂った方が、子どものカルシウム・バランスは良くなる。」 この文章に驚いたのは、私(筆者:佐藤)が知っているスポック博士は牛乳礼賛者であったからである。スポック博士はいつから牛乳反対論者になったのだ? 「スポック博士の育児書」(原題:The Common Sense of Baby and Child Care [育児の常識]、後に改題されてDr. Spock’s Baby and Child Care [スポック博士の育児書])は1946年にアメリカで初出版された。その後、改訂を重ねて、アメリカでは第8版(2004年)が最新版として販売されている。39カ国語に翻訳され、全世界で5000万部も読まれた「スポック博士の育児書」は、2世代にもわたって、世界中の子育てに極めて大きな影響を与えた。日本でも、赤ちゃんが生まれると、誕生祝いにこの本を贈ることが流行ったから、昭和40-60年代に母親になった女性(現在50-70歳)の中には「スポック博士の育児書」を読んで子育てをし、そして一層強固な牛乳信者になった人もいることだろう。 日本では高津忠夫・監修の和訳初版が、1966(昭和41)年に「暮しの手帖社」から出版されている。日本語の初版は原著第3版(1957年)に拠った。私(佐藤)は、「暮しの手帖」の花森安治が発行したということで評判になったこの初版本を購入して目を通した。その後、1992年にアメリカで出版された英文第6版が、故高津忠夫と奥山和男の監修で「最新版・スポック博士の育児書」として翻訳出版され、2006(平成18)年現在、13刷を重ねている。しかし、1998年にアメリカで発行された第7版でスポック博士は牛乳に対する考えを180度転換していたのである(日本語版は出ていない)。英語版はさらに改訂されて2004年に第8版が発行されているから、アメリカで最新版と言えば第8版のことである。第6版を翻訳した日本語の最新版は原著の最新版とは似て非なるものである。 日本語の初版はもちろん最新版でも、牛乳についての文章はほとんど変わっていない。最新版(原著第6版の翻訳)には次のにように書かれている。 牛乳には、人間の体に要る、ほとんど全部の成分が、含まれています。つまり、蛋白質、脂肪、糖分、ミネラル、それに、たいていのビタミンが入っています。 ところが、スポック博士の牛乳に関する考えは1998年の第7版から180度変わった。何と、子どもに牛乳を与えてはならないと主張するようになったのである。1歳未満の子どもは母乳で育てるのが自然で、離乳期を過ぎたら植物性の食品を食べさせよと強調するようになったのだ。 2004年の英文第8版に拠って、新スポック説をいくつか紹介しよう。 アメリカ人の心臓発作に到る道程は子どものころから始まっている。すでに3歳で、多くのアメリカの子どもの動脈壁に脂肪が付き始める。12歳の子どもの70%に動脈硬化の初期変化がみられ、21歳になるとほぼ全員に動脈硬化が始まっている。肥満がアメリカ社会全体を覆うようになった。アメリカは社会全体で食生活を変えなければならない。最悪の食品は乳・乳製品である。 長い間、お医者さんは少年少女にたっぷりカルシウムを摂らないと、歳をとってから骨がもろくなってしまうと言い続けてきた。事実、米国科学アカデミーは1-3歳の子どもは一日500mg、4-8歳は800mg、9-18歳は1300mgのカルシウムが必要だと述べている。こんなにたくさんのカルシウムを摂る一番手っ取り早い方法は牛乳をたっぷり飲むことである。アメリカは国をあげて「もっと牛乳・乳製品を!」という宣伝キャンペーンを繰りひろげてきた。しかし、最近、こんなに大量のカルシウムが子どもに本当に必要なのかと疑問を投げかける専門家が現れるようになった。例えば、12-20歳の女性を対象にした研究によると、一日500mg(勧告量の40%)以上のカルシウムを摂っても、骨密度が増えることはないという。骨を丈夫にするのは、カルシウムではなくて運動(身体活動)なのだ! よく運動する少女ほど骨が丈夫(骨密度が高い)であった。 個人的なことになるが、私(スポック博士)は、88歳になった1991年から乳・乳製品を完全に絶ち、肉は脂身のない部分を少ししか食べないという食生活に切り替えた。この食事にしてから2週間で、長年の抗生物質の治療で効果のなかった慢性気管支炎が消えた。私の中高年の友人で、食事から乳製品や肉を除くことによって持病の心臓病がよくなった人が何人もいる。この種の食事が効果を発揮するためには、精製しない穀物、たくさんの野菜・果物を食べて、よく身体を動かすことが必要である。 私はもはや、2歳を過ぎた人間に乳・乳製品を勧めることはしない。たしかに、乳・乳製品が望ましい食物だと考えていた時期もあった。しかし、最近の多くの研究や臨床経験に基づいて、医師も「乳・乳製品はよいものだ」とする考えを見直さざるを得なくなったのである。 原著の内容が1998年の第7版で著しく変わったのに、日本では2007年現在でも古い内容の第6版の日本語訳が「暮しの手帖社」から「最新版」として出版されている。偽装である。一世を風靡した天下の「暮しの手帖社」が、このままでは出版界の「吉兆」「赤福」になってしまう。早急に「最新版」を全国の書店から回収し、英文第8版(2004年版)を翻訳して「最新版」とすべきだ。「暮しの手帖」の花森安治が泣いている。 デンマークと日本の共通課題:牛乳 この論文によると、ある男性の精子の質と量は、その男性がいつ頃生まれたかによって異なるという。つまり、1960年代に生まれた男性に比べると、1980年代に生まれた男性は精子の数も少ないし質も悪い(=形態異常の精子が多い)。この現象を女性の受胎能力を通して観察し、外因性内分泌撹乱化学物質(いわゆる環境ホルモン)によって男性の生殖能力が落ちたことが最近の受胎数減少の原因であると結論している。この論文の内容を紹介する。 デンマークでは、出産(出生+死産)、人工妊娠中絶、体外受精が独特の認証番号で登録されている。これらの登録を用いて女性の受胎能力を観察した。昔ながらの男女の営みによって女性が受胎した場合を正常(自然)受胎と名づけると、[自然受胎数]=([出産数]+[人工妊娠中絶数])−[体外受精での出産]となる。ただし、子宮内精子注入(IUI)による人工授精は登録されていないので、この論文で述べる自然受胎数にはIUIによる受胎が含まれている(=過大推定)。 1960-1980年に生まれた全デンマーク女性について、2003年12月までの出産、人口妊娠中絶、体外受精の動向を調べて、自然受胎数を計算した。結局、70万6270名の女性を調べたが、このうち65%にあたる45万9838名が2003年暮れまでに母親になった。体外受精の登録は1994年から始まったので、1960年以降に生まれた女性の体外受精をすべてカバーできていないかも知れない。たとえば、1960年に生まれた女性は1994年に34歳で、それ以前に受けていた体外受精はこの研究のデータには入っていない。また、1980年に生まれた女性は2003年には23歳で妊娠・出産の生涯サイクルが完成していない。そのため、1998年から2003年の出産・人工妊娠中絶・体外受精が今後も続くものと仮定して計算した推定値を用いた。 後に生まれたものほど、若い年齢での出産が少なくなるが、年齢が増すと次第に女性一人当たりの生涯受胎数が古い年代に生れた女性の数値に近づいてゆく。年齢が増えるに従って自然受胎が減るから、この増えた部分は体外受精によって受胎にいたったものである。 1970年に生まれた女性の生涯出産数は1960年に生まれた女性に比べて少ない。1970年生れが体外受精を受けるようになっても生涯に産む子ども数は1960年生まれに及ばない。1980年生れも同じような傾向をたどるが、体外受精の影響は1970年生れに比べてさらに大きくなる。 デンマークの出生率が比較的安定しているのは人工妊娠中絶が著しく減ったからである。遅く生まれた世代ほど人工妊娠中絶が少なくなっている。とくに1980年生れの19-27歳の人工妊娠中絶数(推計値)の減少が著しい。妊娠中絶が減ったということは、望ましくない妊娠が減ったということで、避妊方法が改善されたからではないかとも考えられる。1980年生れが妊娠可能年齢に達した1995年(15歳)から調査時点の2003年末(23歳)の間に避妊技術の画期的な進歩があったとは思えない。ある調査によれば、20−24歳の男の半分、女性の1/3が始めてのパートナーと性交渉をもつときに避妊していないという。したがって1980年生れの女性が1970年生れの女性に比べて体外受精が増えているにもかかわらず妊娠中絶が減るのは、この年齢層での受胎そのものが減ったことを意味する。 国際的な出生率の比較には、よく合計特殊出生率(女性の生涯出生数)が用いられる。しかし、この指標は人工妊娠中絶や体外受精の影響を受けるので、女性の真の受胎能力を示すものではない。それに対して、自然受胎率は女性の受胎能力のより望ましい指標となる。 1970年以降に生まれた若い世代(2003年末の調査時点で35歳未満)でも相当数のカップルが体外受精によって子どもを得ている。この体外受精への依存度は1980年以降生まれになるとさらに増す。その原因は、自然の性交渉では受胎させられないほどに、男性パートナーの精子の質・量が劣化したからであると考えられる。 この研究の著者たちは、青年の精子が劣化した原因として、外因性内分泌撹乱化学物質(いわゆる環境ホルモン)を挙げているが、デンマークのコメともいうべき女性ホルモン含有の酪農生産物には一顧だに与えていない。日本人だって、コメを食っているから男の生殖能力が落ちたなどとは言えば袋叩きに遭うだろう。同情はするが、日本に酪農技術を伝授した酪農王国デンマークに多発している精巣異形成症候群(TDS:停留精巣、尿道下裂、精巣腫瘍、精子減少の4つの疾患・異常が同一人に現れることが多い)の原因はチーズなどの牛乳製品にある。 また、この研究は自然受胎数の減少をすべて男性の責任に帰しているが、もちろん女性側にも原因があるだろう。妊娠牛から搾るミルクから作られるチーズやバターの1gは500-700ngものプロゲステロン(黄体ホルモン)を含む。1980年ごろの平均的デンマーク人は40gのチーズと20gのバターを食べていた。チーズ・バターの黄体ホルモン濃度を500ng/gと仮定すると、平均で30000ng(30マイクログラム)を毎日摂っていたことになる。たくさん食べる人の摂取量は100マイクログラムにも達していたことだろう。こんなにたくさん黄体ホルモンを毎日摂っていたら、身体が妊娠していると錯覚してしまって、質のよい精子でも受けつけなる。毎日、低用量避妊ピルを服用しているようなものだからだ。デンマークだって、昔から妊娠した牛からミルクを搾っていたわけではない。食生活が女性の受胎能力を低めている可能性も否定できない。 日本の少子化の主因が、女性の社会進出にともなう非婚・晩婚などの社会的要因にあることには異論がない。しかし、日本人男性の精子の質と量は世界最悪といわれていたデンマーク人より悪い(「牛乳と日本の少子化」参照)。しかも、最近の女性はバターの香りのする食品が大好きだ。乳製品を食べながら不妊治療を受けている女性がいるかもしれない。少子化には生物学的要因が潜んでいることを忘れてはならない。30歳を過ぎた女性が受胎を望むなら、お医者さんに相談する前に一切の乳製品を止めてみることだ。 最近の医師不足 2004(平成16)年から始まった医師国家試験合格者の臨床研修の義務化によって、研修医が、地方病院への医師の供給源であった大学病院から、研修環境(人材・設備)のよい大学以外の総合病院に流れたことが医師不足の最大の原因である。 それ以前は、大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格した若手医師は、出身大学の医局に所属した。医学部には、産婦人科、小児科、外科、内科、眼科、耳鼻咽喉科など30-40の講座がある。医学部臨床講座の教授は病院診療科の教授(科長ともいう)も兼ねる。医局は講座と診療科が渾然一体となった大学病院独特の人材派遣組織であった。教授はその組織の頂点にいる。私などは、やっかみ半分で、臨床の教授を「芸者の置屋の女将」などとからかっていた。芸者になった医局員は、女将の言いなりで、反抗して飛びだすときついお仕置きが待っていた。やむを得ず医局に残って、ただひたすら旦那(他の病院の医長のポスト)からお呼びのかかるのを待っていたものだ。 それが突然、平成16年の臨床研修の義務化によって芸者がいなくなってしまった。置屋は開店閉業の状態となってしまったのである。臨床研修は普通6-7年(義務研修は2年)かかるから、2012(平成24)年ぐらいにならないと、研修医の帰趨ははっきりしないが、かつて我が世を謳歌した医学部置屋の復活はないだろう。 産科と小児科が嫌われるのは、来訪者が時間を選ばないからである。赤子はいつ産まれるかわからない、五体満足が当たり前と思っているから、少しでも異常をもって産まれたら産科医を訴える。とてもじゃないが、やってられないよと、産科医は逃げる。開業するのだ。開業しても訴えられる危険があり、労多くして金銭的に報われない出産は扱わない。目端の利く産科医はもっぱら不妊治療に精を出す。収入が圧倒的にいいからだ。治療に失敗しても「あんたが悪い」で済む。顕微授精などの技術に長けた優秀な胚培養士(生殖補助医療胚培養士)を抱えていれば治療成績も上がる。 子どもはいつ熱発するかわからない。小児の患者は泣き叫ぶだけ、症状を訴えるのは母親と父親。「こんなことで夜中に押しかけなくても明日まで待ってもどうってことはないのにな。」と心の中で思っても口に出したら大変だ。「こんなに泣いてるじゃないか、なんとかしろ」と凄い剣幕で噛みつく。その挙句、結果が悪いとミスがなくても医師は訴えられる。とてもじゃないが、やってられないよ。 共同通信(2007年7月24日)によると、日本には医師が少ないようだ。経済協力開発機構(OECD)加盟国における人口1000人当たりの医師数を見ると、日本は30カ国中27位の20人(04年)で、OECD平均の30人を大きく下回っている。それなのに、日本国民が1年間に医師の診察を受ける回数は13・8回(04年)で、データがある28カ国中で最多である。診療報酬が少ないから、病院は薄利多売でお客(患者)を奪い合う。客寄せのために、競って高額な医療機器を導入する。人口100万人当たりのコンピューター断層撮影装置(CT)の設置数をみると、日本は92・6台(02年)で2位以下に大差をつけて、断突の1位。OECD平均の約4倍である。磁気共鳴画像装置(MRI)も同様に日本が首位だ。 繰り返すが、日本の医療は薄利多売で薄味である。日本人は、別に命に関わることでもないのに、病院・診療所を訪れ過ぎる。どこか体調が悪いとなると、大病の前兆ではないかと病院に駆け込む。体調の悪そうな家族にも「早く医者に診てもらえ」とうるさい。医療に過大な期待を抱いているのだ。 血管にチューブを入れて冠動脈を押し広げたり、顕微鏡下で微小な血管を縫合したり、内視鏡下に消化管の腫瘍を切除したりすることができるようになった。いずれも治療技術の偉大な進歩だ。ただし、医療そのもの進歩ではなく、エレクトロニクス・ITなどの周辺技術の進歩である。基本的原理は悪いところ切り取ったり修理したりすることで100年前と何ら変わるところはない。このような技術は、原因が外にある病気(たとえば感染症)、急激に起こる病気(たとえば狭心症・脳血栓)、慢性的であっても身体の一部だけの病気(たとえば白内障)の治療に対して威力を発揮する。しかし、現代の医学は、原因が身体の中にありしかも長い年月を経て発生してくる病気(=加齢に伴う病気)にはほとんど効能がない。 人間の一般的な病気は、1)医療を受けても受けなくても時間が経てば自然に治ってしまう病気(風邪などの軽微な感染症・軽い怪我)、2)医療を受けても良くはならないが悪くもならない病気(加齢に伴う慢性の病気)、3)医療によって治りが早くなる病気(創傷・骨折などの外傷、少し重い感染症)、4)医療によって改善する病気(移植医療の対象となる病気)、5)医療によって治ることもある病気(がんなど)、6)どんなに高価かつ最先端の医療を受けても結局死んでしまう病気(がんをはじめとするあらゆる病気の末期)に分けられる。 75歳を過ぎると、具合の悪いところが増える。確実に死に近づいているからだ。2004(平成16)年の国民医療費は32兆1000億円であった。そのうち、75歳以上の人たち(後期高齢者という)が28%の約9兆円を使っている。一人当たりにすると80万9千400円になる(資料:厚生労働省「国民医療費」)。後期高齢者の人口(2006年1212万人)は総人口の9・6%である。10%の人たちが国民医療費の30%を食っているから、たしかに大食らい(おおぐらい)である。後期高齢者が使う医療費は、病気分類2)の「医療を受けても良くはならないが悪くもならない病気」に当てられることが結構多いのではないか。このような病気に対しては現代医学の出る幕はない。ほとんど効能がないからだ。 日本政府は後期高齢者だけを対象にした独立の医療保険を2008年4月から導入しようとしている。ほとんどの後期高齢者が「年金天引き」で保険料を徴収される。保険料は、都道府県の条例で決まるが、政府の試算によると、年7万2000円(月6000円)になるという。介護保険料とあわせると、毎月1万円を「天引き」されることになる。本当はこんな高齢者だけを対象にした医療保険など要らないのだ。性・年齢などの生物学的属性によって、人間を差別しないというのは民主主義の根幹ではないか。 75歳まで生きたものには、若者にはない生きる智恵がある。いつもの痛みだったら、背中を丸めて痛みが去っていくのを待つことにしよう。「いつもの痛みとは違う、ただならぬことが起こりつつある」と確信したときだけ、病院・診療所に援けを求めよう。私は、自分が75歳を過ぎたらそうしようと決めているが、そのときがきたら果たしてどうなるか。 学校給食の牛乳 1954年に学校給食法が制定された。この学校給食法は、給食を「完全給食」「補食給食」「ミルク給食」の3つに区分している。完全給食は「パン+おかず+牛乳」「米飯+おかず+牛乳」「うどん+おかず+牛乳」、補食給食は「おかず+牛乳」、ミルク給食は「牛乳」である。つまり、学校給食には必ず牛乳がつくことになっていて、文部省は牛乳がない食事を学校給食とは認めなかった。2007年現在になってもこの事実に変わりはない。文部省は50年以上にわたって学童・生徒に牛乳飲用を強制してきたのである。日本政府は日本の子どもに「パンとミルク」を強制して、日本の伝統的な食文化を破壊した。 学校給食の背後には、学校にパンを納める「パン業者」とミルクを納める「牛乳業者」がいる。最近になって、農林水産省は余剰米の始末に困って「もっとご飯を!」と叫んでいる。米飯給食がパン給食に優ることは明白であるが、学校給食を完全米飯給食(ご飯とみそ汁とおかず)にすることはできない。パン業者と牛乳業者が控えているからである。役人は「あなたの意見はよく分かるが、パンとミルクを学校に納めて生活している人がいます。パンと牛乳を止めるたらこの人たちが生活できません。」と言う。こう言われると返す言葉がない。 農畜産振興機構(旧特殊法人・農畜産振興事業団=現在農林水産省管轄の独立行政法人)のデータによると、2006(平成18)年に、200ml換算で19億3300万本の牛乳が学校給食に供された。学校給食の200ml牛乳は平均39・13円である(総額75億2444万円)。国が5円補助しているから、保護者は1本当たり35・1円を支払っている。給食のある日数は年間190日だから、保護者は年間約6700円(地域・学校によって少しずつ違う)を学校給食の牛乳代金として支払っていることになる。子どもに牛乳を飲ませたくない親は「うちの子は人間の子だから、ウシのミルクを飲ませないでください」と言って6700円の支払いを拒否することができる。 11月20日付けの地元の新聞に次のような記事が掲載されていた。「県内の酪農家らが19日、JR甲府駅周辺で、牛乳の消費拡大を呼び掛けた。牛乳の消費低迷が続いていることに加え、バイオ・ディーゼル燃料の需要拡大に伴う飼料の価格高騰で、多くの酪農家が経営難に追い込まれている。農業協同組合連合会などによると、年内いっぱいで廃業を決めている酪農家は全国で約1000軒。牛乳瓶(200ミリリットル)に換算すると、年間約4億5000万本分が消えることになるという。農業協同組合長は「飼料の高騰が進む一方で、値段は据え置かれたまま。おいしい牛乳を安定して供給するためには、まず消費者に厳しい現状を知ってもらいたい」と話していた。」 こういう話を牛乳を搾って生活している人から聞くと、「学校給食の牛乳を止めよ」と主張する私は悩む。酪農家には誠に気の毒だが、日本の牛乳生産量が減るのは歓迎すべきことなのだ。農林省は、多角経営などという甘言を弄して酪農を奨励したのだから、転業する酪農家に厚い援助の手を差し伸べるべきだ。 文部科学省は、「栄養」から「食育」に重点を移して学校給食法を改訂するということだ。食育の基本は、その地域の伝統に裏打ちされた味覚・嗅覚・視覚などの感覚を鍛えることだ。舌触り・歯ざわり・歯ごたえなどの口内触覚も重要な感覚である。「食育」は本来、家庭が担うべきことだ。これを学校に委ねるということは家庭教育の崩壊を目指すことである。やんぬるかな。 文部科学省は、2003年5月30日付けの通達で、カルシウムの1日摂取量の50%を学校給食でまかなうように指示している。これは、学校給食に牛乳を必ず加えよという「強制」である。さらに、学校給食における食品構成について、この通達は次のように述べる。「牛乳については、児童生徒等のカルシウム摂取に効果的であるため、その飲用に努めること。なお、家庭の食事においてカルシウムの摂取が不足している地域にあっては、積極的に調理用牛乳の使用や乳製品の使用に努めること」と乳製品の使用まで半強制している。 牛乳を飲んでも児童生徒の骨が丈夫になるなどということはないから(「子どもに牛乳を飲ませても骨は丈夫にならない」「牛乳カルシウムの真実」を参照して欲しい)、文科省は、落ち込んだ牛乳の消費量を盛り返すために、学童・生徒の牛乳離れを食い止めようとしたのだろう。 厚生労働省も2006年2月に、「妊産婦のための食生活指針」を公表した。ここにも「牛乳・乳製品などの多様な食品を組み合わせて、カルシウムを十分に」とある。厚労省も、売れなくなった牛乳の消費量を増やそうと弱い立場の妊産婦を脅迫している。妊産婦に必要がないどころか有害な「ウシのミルク」を飲ませようなんてなんとひどいと思いませんか。 役人はい言う。「あなたの意見は正しいと思うけれど、乳牛を育ててミルクを搾って生計を立てている人がいるのです、その辺も考慮しないと・・・」。官庁の最大の仕事は業界保護と業者間利害の調整である。官庁や官僚の話を聞くときは、常に「社会保険庁が何をしたか」を思い出してください。 介護は相続税で たくさん稼いだ人には生きている間はできるだけいい思い(?)をして頂いて、死んだら一旦チャラにして生きている具合の悪い人たちに配分する。亭主の稼いだものは同時に奥さんのものだ。その逆も然りである。夫婦の片方が死んだら遺産はすべて残った片割れに行く。しかし、親の稼いだ金は世代を超えて子どもには行かない。残った方も死んだら、すべてチャラ。 親が若くして死んだら、残された子どもはどうするのだと心配する向きもあるだろうが、子どもが自分で食えるまで誰かが面倒をみるのは当然で、そんな細かなことは技術的にどうにでもなる。稼いだ金は生きている間に使いきり、世代を越えないという原則を貫くことだ。 今の相続税は土地や建物などの不動産にもかかる。不動産は評価が難しく課税対象として不適当である。課税するのは簡単に現金化できる金融資産だけでよい。現金、預貯金、株式・債券、投資信託などだけで1400兆円あるという。金融資産にかかる相続税率を100%とすると相続税はどの位になるのだろうか。 金融資産の半分超の750兆円は60歳以上の人が保有する。60歳以上は毎年その2%が死亡する。750兆円の2%、15兆円が遺産となるべき金融資産である。残った同世代の配偶者は相続権があるから、実際単年度でどのくらいの相続税が入るのかわからない。しかし、やがてはその相続者も亡くなるから、使わずに残った分は没収されてしまう。生きているうちに息子・娘にくれてやってもよい(生前贈与)。息子や娘が入ったあぶく銭に狂喜して使ってくれれば消費税が増える。新しいビジネスを興してくれればさらによい。この相続税(没収した金融資産)は、すべて介護に使う。平成18の介護予算は7・1兆円であった。はたして相続税でこれを賄えるか。賄えはければ、不足分は消費税で補う。 土地や建物を持っている人は生きている間に売り払って使い切ってもよいし、子どもに遺してもよい。子孫に遺したいと考える人は金融資産を土地や建物に換えるかも知れない。それはそれでいい。土地を持っていると土地保有税(今の固定資産税)がかかる。不動産を新たに購入した人からは20%の消費税(今の不動産取得税)をもらうことになる。 不動産は簡単に売れるものではない。相当値引きしないと売れないだろう。これからは人口が減るから特別なところ以外の土地は売れない。価値を産まない不動産は持っていたって意味がない。どんな不動産も長くて3代で雲散霧消する。 2003年の税制改革で相続税の最高税率70%が50%に引き下げられた。かつて70%だった所得税の最高税率は今では40%(平成18年度までは37%)になっている。相続税は下げ過ぎた。これからは世代を越えた金融資産の相続税率は一律100%にするのだ。死んだら全額取られてしまうのですよ、早いとこ使わなくっちゃ。お金持ちにはできるだけたくさん使っていただいて社会貢献をしていただくのだ! お金持ちに感謝しよう! 食糧自給率 これからは世界中で食料の争奪戦が始まって、金があっても食材が買えないなんてことがあるかもしれないという。でも本当に困るのは食料ビジネスだけだ。 この間、恒例のたまさかの「飲めや唄えや」を共にした若ものに「食糧自給率が下がっているらしいよ。農産物が入って来なくなったら、ご飯とイモだけの食事になるらしい」という意地の悪い話題を持ち出した。彼の返答は私の予想とは違っていた。「そうなれば、ご飯とイモでいいと思いますよ。マグロだ、エビだ、カニだと脳天気に食ってられるの今のうちだけ。そのうちにこんなものが食えなくなるなんてことは僕らみんな知ってます。だいたい石油が出なくなったら、肉や魚だけではなく、米や魚だって危ないじゃないですか。そうなったら、おじさんたちが戦後やったというように、空き地を耕してジャガイモだってつくりますよ」。 善哉(よいかな)、善哉。今どきの若者は醒めている、先が見えている。日本は安泰だ。そうか、この賑わいは消える寸前の灯火か。いいよ、食えるときに食いたいものを食えるだけ食っておけ。 輸入農産物の大部分は家畜に与えるための飼料用穀物である。輸入農産物がなくなっても、肉や牛乳・乳製品が好きなときに食えなくなるだけのことだ。コメの好きな日本人は、またコメ作りに励むだろう。でも、一旦、荒れ地(休耕田)になってしまった田んぼを元通りにするのは大変だろうなあ・・・空き地でイモ作りなんてのは楽しそうだが。 年金(11) 年金は税方式で 21世紀は人口減少の世紀だ。負担人口が減って給付を受ける人口が増える。今後は大きな経済発展はのぞめない。子ネズミの数が減るばかりでなく、その稼ぎも悪くなる。受給人口が増えるのに、保険料収入が減っていく。厚生年金の破綻も必至である。 人はだれでも、生きている間に、病気になったり、怪我をしたり、事故に遭ったりする。これらの偶発的な苦難に対して、みんなで予め金(掛け金=保険料)を出し合って相互に助け合うというのが保険制度である。80歳になったって、全員が病気になるわけではない。保険はリスクが分散しているからこそ成り立つ制度である。 しかし、ある年齢に達すると職を失う、収入が減る・途絶えるという事態は偶発的出来事ではない。必然である。今年64歳の人は、生きている限り、来年にはすべてまとめて65歳になる。だから、保険方式は老齢年金になじまないのだ。年金は誰にでも平等に訪れる高齢期に対する生活保障である。税金で賄うのは当然である。 憲法25条1項に「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。日本政府は、歳をとって収入が減った人に「健康で文化的な最低限度の生活」を保証する義務を負っている。健康で文化的な最低限度の生活を営むにどのくらいの金額が必要なのかわからない。この際、1月に10万円で暮らしていただくことにする。この最低の生活保証をみんなが納める税金で行うのだ。この税金には消費税が相応しい。 民主党の年金改革案は老齢年金の全額を保険方式から税方式に変えようとするものである。今だって老齢基礎年金の1/3は純然たる税金で賄われている。民主党案の保険を税にという考えはよい。ただしなんとも情けない。基礎年金に当てる税金は5%の消費税だという。最高満額は現行と同じ月6万6000円である。何よりも民主党案が悪いのは、現役時代の平均年収が600万円を超すものは満額受け取れない、1200万円を超すものは基礎年金をご遠慮願うという制限をつけることだ。そんなバカなことがあるか。高額所得者ほど消費が多い。したがって消費税も多く払う。高額所得者はやらずぶったくりか。民主党は、現行の消費税5%(年額12兆5000億円)で年金を賄うとしているから、こんなバカな話になってしまうのだ。高額所得者だって、本人が要らないと受け取りを辞退しないかぎり、当然毎月10万円(年額120万円)の年金を受けとるのは当然である。 だいたい、年収600万円、1200万円などという所得捕捉をどうやって行うのだ。年収600万円を超えるものはなんとかして599万円にしようとするし、1200万円を超えるものは、基礎年金がなくなってしまうから、1999万円の収入に収めようと必死になる。 貧乏であっても金持ちであっても65歳になった日本人全員に月額10万円(年額120万円)をお渡しするのだ。「65歳を過ぎて、年収が1200万円もある人に老齢年金なんか出す必要はない、そんな金があるなら貧乏人の取り分を多くせよ」という声が必ず出る。こういうのを貧乏人根性(嫉[そね]み・妬[ねた]み・僻[ひが]み根性)というのだ。120万円は年収1200万円のわずか10%に過ぎない。しかし、年収60万円の人は180万円となって使える金が3倍になる。 税制もそうだが、年金制度は簡素でなければならない。ある一部の専門家だけが判るような制度であってはならない。2004年に成立した年金法案の「マクロ経済スライド方式」なんて何のことかお解りですか。官僚や学者は「ごまかし」が得意である。やばいと思うからごまかすのである。みなさんは自分が納得しないことに、首を縦に振ってはいけませんよ。完全に納得するまで首を横に振り続けるのです。 「65歳を過ぎた日本人は全員、生きているかぎり月10万円を老齢年金として受けとる」というのが簡単でよい。あとは「日本人」をどう定義するかだけである。 日本人の体力ー世界陸上 日本人の体力が他国の選手に劣るのは歴然としていたが、それ以上に明々白々となったのは日本人選手の「やる気のなさ」であった。大枚の強化資金を使って、一次予選も通過できないのに、狭義が終わったとたんに「ニコニコ」するとは何ごとか。ましてや、「楽しんだ」「楽しかった」とは何たる言い草か。あんたの愉しみのために税金を使っているんじゃないんだよ。 1984年のロスアンゼルス・オリンピックで、M選手がマラソンに出場した。同選手はスタートしばらくしてから先頭を走り、その存在を十分に知らしめてから途中棄権した。私はラジオでM選手のインタビューを聞いた。「睡眠不足で完走は無理だと思っていた。10キロぐらいなら全力で走って先頭に立てる。先頭を走ればテレビに写る。せめてテレビで大写しになって棄権しよう」。彼女は「目立ちたがり」スポーツ選手の嚆矢である。 大阪陸上でF選手が予選・決勝ともに5000mで中途からトップを走った。アゴが完全に上がっていた。先頭争いから脱落することを承知の上で先頭を走ったのだ。これも「目立ちたがり」「一瞬でいいから輝きたい」症候群であることは見え見えであった。日本陸連は、このような作戦をたてた選手、コーチ、監督を厳重に処分せよ。 昭和24年(1949年)に、ロサンゼルスで開かれた全米水泳選手権の1500m自由形で18分19秒0という当時としては驚異的な世界新記録で日本中を狂喜乱舞させた古橋広之進(前日本水連会長)はその著「古橋広之進力泳30年」(日本図書センター、1997年2月)において。つぎのように書いている。 「青春時代を慢性飢餓状態で過ごしたかたならお判りいただけるだろうし、今日、スポーツ栄養学を学ぼうとされている若い女性の皆さんにも、あるいは参考になるかもしれない。日米対抗(註1949年の全米水上選手権)に出発する前の合宿のメニューである。マネージャー原秀夫さんの手記によって、合宿中の献立を示すと次のようになる。」 (朝) 米1合7勺 + 玉子1個
+ 味噌汁他1品 古橋は1日に5・5合(770グラム)の米を食べていたのである。昨今の選手はどのくらいのメシを食ってるのだろうか。せめて一日に四合(560グラム)くらいのコメは食っているだろうね。現代栄養学の「バランスのとれた食事」が日本人選手を弱くした。 年金(10) 役人と大臣 日本の大臣はころころと変わる。農林水産大臣は、安倍内閣が発足した2006年9月以来、わずか1年で4人の政治家(松岡利勝、赤城徳彦、遠藤武彦、若林正俊)が勤めることになった。 アンドレイ・グロムイコなどという人物は1957-1985年の28年間もソ連の外務大臣を勤めた。この28年間に日本では岸信介(1957年)から安倍晋太郎(1982-85)まで、実に19人もの外務大臣が誕生した、最も長いのが安倍の4年で、あとは長くて2年、ほとんどは1年で交代した。 日ソ国交回復は1956年であったが、領土問題が大きな懸案として残った。ぽっと出の大臣が老練な政治家の相手になれるのかと日本人は心配だったが、「日本の政治家は3流だが、1流の優秀な官僚が補佐しているからへっぽこ大臣でも勤まる。大臣は単なる飾りだ。官僚が書いた文章を読み上げるだけだから、大臣は字が読めて握手ができればよい」などと説明されていたから、「日本は清貧で優秀な官僚が動かしている。何があっても大丈夫」などと思っていた。 ところが、年金・天下りなどで、霞ヶ関の役人(=官僚)というのはとんでもないごろつきだということが国民にわかってしまった。日本の政治家(=国会議員)は政策立案・法案作成を役人に丸投げにしてきた。それをいいことに、自分たちの利益が最大になるように役人は法律を施行してきた。一つの法律ができると、その法律を円滑に実施するためと称して10も20も財団や基金をつくった。これが天下り機関である。北方四島は還るはずもなかったのだ。 2007年7月29日の参議院選挙は史上初の極めて意義深い選挙であった。国民が「官僚は政治家並みあるいはそれ以上に悪いやつらだ」ということを知ってから初めての選挙であった。国民は役人を解雇できない。だから、過去60年にわたって役人をのさばらせてきた自民党に鉄槌をくだしたのだ。さてこれからどうなるか。民主党の年金案もろくでもないが、さりとて自民党内閣が続くかぎり、厚生労働大臣の舛添さんは小手先の手直し以外になにもできません。 年金(9) 霞ヶ関の出先機関 江戸幕府はほぼ完璧な封建体制を維持していた。徳川幕府は間接的に日本を支配したが、300余りの藩はほぼ独立国だった。それぞれが独自の軍事、法律、財政、教育制度を維持していた。幕府は隠密を放って藩政を監視しただけであった。中央集権体制になったのは明治政府以降のことに過ぎない。 江戸時代に役人の収賄が露顕すれば打ち首あるいは切腹のうえ家系断絶。軽くて閉門蟄居。江戸時代にこのようなことがあって、なぜ現在にないのか。かつての役人はすべて「さむらい」だったからだ。「さむらい」は、今ではわけのわからなくなった「仁義礼智信忠孝悌」という儒教の倫理に縛られていた。一人を慎む(ひとりをつつしむ)ことができた「さむらい」もいただろう。これは簡単に言えば、周りに人がいないときだけでなく独りでいるときも屁をこかないということだ(私なんか一日たりとて一人を慎めない)。こんな「さむらい」が役人だったから、私腹を肥やす役人は少なかった。さらに一両だって切腹ものだ。そのうえ、藩自体が小さかったから監視の目が行き届いていた。今はそんなことはない。上の席に座るものほど取れるものは取る。 海外の新知識を仕入れた明治政府は地方の田舎役人に行財政を任せることができなかったのだろう。だからお目付け役として各省庁の出先を地方に置いた。その名残りが上記の出先機関である。 農林水産省関東農政局山梨農政事務所というのは何をしているのかと聞きに行ったことがある。山梨県下の田畑を回って米の作柄を調べて作況指数を計算しているのだという。稲穂に触りかつ噛んで米の出来具合いを良・やや良・平年並み・やや不良・不良などと農林水産省が毎年都道府県別に発表する数字のもとになる資料を集めているということだった。山梨県庁にも農政の部局があるが、山梨県の役人には米の出来具合を判定する能力がないというのだろう。だからといって、山梨農政事務所が悪いことをしていると言っているわけではないから、職員の皆さん、ご心配なく。 出先機関で働く国家公務員は全国でどのくらいいるのだろうか。皆さんも散歩・買い物で外出された折に霞ヶ関の出先を探してみてください。 年金(8) 美しい国、日本 今国民年金をもらっている人は、保険料の納付記録がどうのこうのというから、自分が積み立てた金を受けとっていると思っているだろうが、とんでもない。現時点で若い人が納めている保険料がお年寄りに回っているのである(ただしその1/3は税金であり、集まる保険料がますます不足するから近々配る年金の1/2が税金になる)。生活保護の原資に税金をあてるのは当然だ。全額、税金にせよ。 年金記録が消えてしまったと大騒ぎになったから、政府は「年金記録確認第三者委員会」などという組織を作って対応におおわらわである。来年3月までに納付記録を確認して結果を加入者全員に通知するという。 ちょうどよい。記録確認が終わったら、納めた保険料に利子をつけて全員に返せ! そのうえで新たな年金を65歳以上に渡すのだ。日本に40年以上住んだものには金持ちであろうが貧乏人であろうが65歳以上の全員に月額10万円の年金を配るのだ。金持ちの中には「そんなはした金はいらないよ」というのもいるかも知れない(まずこんな金持ちはいない)。受け取りを辞退するもの以外の全員に年額120万円を配れ! 30兆円あれば足りる。現在の老齢年金最高額(月額6万6000円)でよいというのであれば20兆円で十分だ(現状ではこの最高額をもらっている人は年金受領者の半分もいない!)。貧窮者だけに金を渡すのは救貧制度であるが、貧富を問わず同額を渡してこそ真の年金制度となる。 朝日新聞2007年7月9日の「私の視点」に斉藤隆男氏が「問題は年金制度そのもの」という文章をお書きになっている。お読みになった方もおられるであろうが、拝借する。 ―<前略>−目下の事態の本質は年金制度そのものにある。本気で責任を追及すれば、過去60有余年に政権とかかわった全員が万死に値しよう。 そもそもが加入者の老後を心配して生まれた制度ではなかった。厚生年金保険の前身である船員保険と労働者年金保険は、1940(昭和15)年から42年にかけて、戦争を契機に開始されている。後者は産業戦士と呼ばれた炭鉱労働者を特に優遇した。厚生省の初代年金保険課長だった花澤武夫氏の、内輪向けの座談会での証言が興味深い。 「(制度の手本にしたナチス・ドイツは)年金保険の金を利用してベルリンから八方に向けて戦時目的の自動車の高速道路、アウトバーンを作ったのですね。(中略)ヒットラー・ユーゲントなどに金をやってスポーツを奨励する。これは将来の戦力になるわけです」 「労働者のほうは(年金保険料)を出すに決まっているのです。あの時代には組合組織も何もありませんから。それに反対する勢力もなくて、軍の要請と言われれば、戦争中ですから、うんもすんもない。(中略)世間では何のことかよく分からないうちに、要するに、戦争に勝つために必要な法律なのだということで。鵜呑(うの)みにさせられてしまったのでしょう(財団法人厚生団編「厚生年金保険制度回顧録」、1988年) 要は初めから加入者への年金給付など二の次三の次でしかなかったということだ。運用と称して保険料で豪華な保養施設を次々と造り、天下り先を乱立させたのをみても、国民を「金づる」と見なした発想は戦後も改められることはなかった。だからこそ、勤務先が保険料の半額を負担してくれる厚生年金と、本人の全額負担が強いられる国民年金、などという不公正が罷(まか)り通り続けている。―<後略>― 年金記録の確認に要する費用や納付記録の送付にかかる費用は厚生省の年金局と社会保険庁の歴代の役人に負担させよう。こんなことに税金をってはいけませんよ、阿部さん。 ジェイン・プラントの乳がん ジェイン・プラントは1945年生まれの有名な地球化学者で、その研究功績により大英帝国勲章のうちナイトに次ぐコマンダー(CBE)の称号を受けている。プラントは1987年、42歳で乳がんになったが、科学者の目で自分の乳がんの発生原因を身に付いた観察力と分析力で追求し、その後4回にわたる乳がん再発をのり越えた。 英文の書名は「自分の命は自分で決める」「生きるか死ぬかはあなたしだい」とでもいうのだろう。なぜ乳がんになるのか、乳がんになったときの医療との向き合い方、再発を防ぐための食事療法などを述べている。和訳されて当然の内容であるが、日本には欧米に比べて乳がんが少ないから市場価値がないと判断されたのか、他に理由があったのか日本で翻訳出版されなかったのは残念だ。 地球化学の研究で中国人学者と共同研究をしていたから、ジェイン・プラントは極東の状況にも明るかった。イギリスでは12人に1人が乳がんになるのに、中国では「金持ちおばさんの病気」と揶揄されるほどに豊かな生活と結びついたまれな病気であった。イギリスと中国の生活で最も大きな違いは何か。イギリス人は乳・乳製品を毎日たくさん食べているのに、中国人は食べない。科学者ジェイン・プラントに天啓のベルが鳴り響いた。そうだ! 牛乳だ! プラントの科学者としての資質は乳がんの背景を鉈で断ち割って物事の真実に迫る。4回の再発を繰り返したのち、プラントは乳・乳製品を含む食物をいっさい口にしないようにした。イギリスで乳製品を全く含まない加工食品を探すことは四葉のクローバーを探すより難しかったが、プラントの決意は固かった。かくしてプラントは自分の乳がんを克服したのである。 タバコを吸う人のすべてが肺がんになるわけではない。同様に牛乳・乳製品を好んで口にするものがすべて乳がん・前立腺がんになるわけではない。しかし、集団的レベルでみれば喫煙者に肺がんが明らかに多く、牛乳・乳製品の多飲・多食者に乳がんと前立腺がんが多いのも明らかだ。ある人が肺がん、乳がんあるいは前立腺がんになったからといって、個人の病気の原因をある特定の嗜好習慣のみに求めることはできない。ジェイン・プラントが乳・乳製品を完全に遠ざけることによって再発を繰り返す乳がんを克服したからといって、プラントの方法がすべての乳がん患者に効果があるとは思わない。しかし、プラントの洞察力は尊敬に値する。 この本は2000年に出版されたものなので、いまさらの翻訳出版は難しい。私が一部を要訳してお伝えしよう。少し時間をいただきたい。 Jane Plant 「ふりかけ」の怪 原材料名:乳糖、でんぷん、いりごま、砂糖、食塩、かつお・さば混合削り節、デキストリン、のり、大根葉、卵黄粉末、醤油、ニンジン、ぶどう糖、植物油、植物性蛋白、カボチャ、トマト、発酵調味料、植物蛋白加水分解物、青のり、グリーンピース、昆布、かつお粉末、さば粉末、ホウレンソウ、抹茶、ケール、ブロッコリー、アスパラガス、小松菜、清酒、みりん、唐辛子、えびエキス。調味料(アミノ酸等)、卵殻カルシウム、着色料(クチナシ、カロチノイド、カラメル、紅麹、紅花黄)、酸化防止剤(V.E)、甘味料(甘草)。原材料表示の1番目に挙げられているのは最も含有量の多い食材であるという。このふりかけに最も多く使われているのは乳糖である。 自然界では、乳糖は哺乳類のミルク中にしか存在しない。哺乳類のミルクといえば昨今では牛乳だ。このふりかけには牛乳が使われている! 加工品はかくのごとし。野菜のふりかけなら数種類の野菜で十分なのに。「食生活指針:一日30品目」の後遺症だろう。アア、くわばら、くわばら。 年金(7) 消費税20%に反論 いわく、<大いに文句あり。25%も払えといわれたら死ぬしかない。> 実は、年金(3)年金は消費税で、25%ではなく20%を提案しているのだが、消費税を上げたために一人でも死ぬようなことがあったら、これは人殺し消費税である。大いに困った。提案を撤回するしかない。この方が老齢基礎年金(国民年金)をどのくらい受け取っているかわからないが、現在の制度では満額で月額たったの6万6000円に過ぎない。あまりにも気の毒だ。なんとかせめて10万円お贈りしたい。 前回の計算では生活必需品の出費を月5万円として計算したのだが、この金額があまりにも少な過ぎた。電気代、ガス代、水道料、食費、週1回ぐらいの娯楽などにかかる費用を考えると、5万円では少な過ぎる。そこでこの際、最低限度の生活費として月額10万円を再提案する。この消費(年120万円)にかかった消費税は全額お返しすることにする。その上で、65歳以上の日本人全員に月額10万円(年額120万円)を贈るのだ。 これをすべて消費税で賄ったとしたら税率がどのくらいになるか計算してみよう。消費税率1%を2・5兆円とするのが大前提である(税率をX%とすると、収入は2・5X兆円になる)。日本の総人口を1億2500万人、65歳以上人口(年金受給人口)を2500万人とする。 2500万人に月額10万円(年額120万円)を贈ると、年金用に(2500万)x(120万)=30兆円が必要となる。日本人すべてが生活必需品を購入するにあたって支払った消費税の総額は(1億2500万)x(1・2X万)=1・5X兆円となる。入ってきた消費税が年金総額+戻し税総額になるから、Xを求めるには、 20%で<大いに文句あり、死ぬしかない>だったから、30%などと言ったらさらなる文句が飛んで来るだろう。月10万円で暮らす人は3万円の消費税を払うが、その3万円はすべて戻ってくるから消費税0円なのだが。 私自身、20%は許容できても、消費税30%なんてのは非現実的だと思う。20%は5分の1だが、30%ってのは3分の1だからね。消費も落ち込むだろうね。税率の低い国で買い物するようになるだろう。とすると消費税で年金月額10万円という提案は諦めるよりないか。だけど、65歳以上の人に10万円を贈るには30兆円あればいいし、将来、老年人口が3500万人になっても42兆円あればいいのだ。これ位、なんとか捻出できるよ。国の特別会計は225兆円(Wilipedia)もあるのだから。これを削ればよい。 今、公務員制度改革法案が国会に上程されている。この法案は地方にある各官庁の出先機関や外郭団体に手をつけているのだろうか。そうでなければ全く無意味な法案だ。 食事ガイドライン そのトップに、「多様な食品で栄養バランスを、一日30品目を目標に、主食、主菜、副菜をそろえて」とあった。一日に30品目ですよ! 「食生活指針」などというのは食品業界の要望を入れてつくるから30品目ぐらいないと納まらない。 当時、何を食べたか数えてみた。ある日の我が家の献立を披露すると、朝食「ご飯(米)、みそ汁、納豆」、昼「おにぎり(昆布、おかか」、夕食は「ご飯、煮物、みそ汁(朝の残り物)」、ささげのごま和え」だった。食品は、米、みそ、ねぎ、わかめ、豆腐、昆布の佃煮、かつお節、海苔、しょうゆ、芥子、じゃがいも、にんじん、しいたけ、凍み豆腐、ささげ、ごま、砂糖の17種類であった。 みそ汁に七色唐辛子(信濃善光寺・八幡屋の「七味唐からし」は唐辛子、陳皮、麻の実、胡麻、青しそ、しょうが、山椒)を振りかけると17品目がいっきょに24品目にはねあがる。30品目、30品目と叫ぶ輩には「七色唐辛子」をすすめたものだった。 我々は一日30品目なんてとても食べられない。20品目が限度ではないか。この指針に批判の声があがり、厚生省は2000年に食生活指針を改訂して「一日30品目」を引っ込めた。 厚労省と農水省は2005年に共同で、日本人の食事ガバランスガイドを作った。農水省が一枚噛んだから、当然そのガイドラインは、酪農、畜産などの業界の声を反映したものになった。食品業界にとって政府が発表するガイドラインに自分たちの食品が絵入りで取り上げられるかどうかは大問題である。各農業団体、食品団体の声をすべて漏れなく取り上げたのが2005年の「食事ガイドライン」である。 このバランスガイドに絵入りで取り上げられている食品を列挙すると、 もちろん、一日にこれらをすべて食えというわけではないが、このガイドに従ったら毎日がハレの日だ。35種類もある。まず、家計がもたない。ついで病気になる。食糧自給率40%を嘆く農水省のすることか。鶏と豚はあるが牛肉は身を縮めて「ハンバーグステーキ」のみ。牛海綿状脳症(BSE、狂牛病)関連でアメリカ産牛肉の輸入をめぐって係争中であったからだ。決着すれば「ステーキ」が入るだろう。 豚肉混入「牛ミンチ」 ミンチ(ひき肉)にしてしまえばどんな肉を使っているのか判らない。牛のひき肉は普通の牛肉より安い。安いのはそれなりの理由があるからだ。ミンチにしてしまえば肉牛と乳牛の区別はつかない。安い牛ひき肉のほとんどは乳牛の肉を使っている。 みなさんはレストランのひき肉料理や、ハム・ソーセージの類(たぐい)をよく平気で食えるものだ。昔のヨーロッパではみんなの見ている前で豚を殺し、肉をミンチにして腸詰めなどを作っていたのだろうが、今はどうやって作られているか見当もつかない。材料の見分けがつかないほどに加工したり調理したものは気持ちが悪い。植物でも動物でも食い物としては生きているときの姿を想像できるものがよい。 車谷長吉(くるまたにちょうきつ)さんは「塩壷の匙」(1995年11月、新潮社)で「このごろハムたらソーセージたら言うもんが出来とうやろ、人間ほどむごいものはあらへん、牛でも鶏(とり)でもあないなもんにしてしもて、平気で喰うて行くんやが」というお母さんの言葉を紹介している。 年金(6) 役所 たしかにひどい役所だ。でも役所なんて所詮あんなものと先から分っていたのではないか。 みなさんが銀行に預金すると預金通帳を受け取るでしょう。その通帳を大切に保管していませんか。ときどきは残高がどのくらいあるか確かめるでしょう。 通帳を紛失したら、銀行が再発行してくれる。新しい通帳をみて思っていた金額より少なかったら、もっと預金があるはずだ、調べてくれと銀行に抗議するだろう。銀行が台帳を調べて「間違いありません」と言えば、「私の記憶違いだったか」と納得する。中にはそんなはずはないと怒声を発する者もいるだろうが、それでは預けた証拠を見せてくれと言われれば反論できない、諦める。預金システムを信用しtれいるからだ。 年金保険料を預けたのなら、なぜその証拠を保管しておかなかったのか、まことに面妖な話だ。お役所のすることだから間違いはないと思っていた? 役所なんてのはどこもあんなものとは最初から分っていたことだ。「集められるうちに集めて、早く使ってしまおう」というのが役所なんだから。役所を信用したあなたが悪い。 自民党も民主党も年金をいまだに社会保険でやろうとしている。懲りない面々だ。社会保険庁の名前を「ねんきん事業機構」にしようが、国税庁に合体しようが、年金保険は必ず破綻する 年金(5) 今まで納めた厚生年金保険料は返してもらおう 「法律で返せないことになっている」と役人はいうでしょうね。法律は改正するためにある。なぜ「ねずみ講」を「年金制度」などと言いくるめて金を集めただろうか。払うのは20年、30年先だ。今のうちに集められるだけ集めて使ってしまおう。役人は自分たちが自由に使える金が欲しかったのだ。そして実際に使ってしまった。 返却されたお金と払う必要がなくなった年金保険料(国民年金;年額16万2960円、厚生年金:総収入の18・30%)を自ら運用して将来に備えるのだ。 年金(4) 厚生年金は要らない 給料が毎年上がった頃(1980年代まで)はねずみ講の年金制度は機能した。しかし加入者が減り始め、賃金上昇も停滞するようになり、受取人ばかりが増えている現在ではねずみ講は無限地獄に嵌まりこんでしまった。厚生労働省はパート労働者を厚生年金に加入させてねずみ講の子ねずみを増やそうと躍起になっている。こんな時期に誰がねずみ講に加入するものか。国民年金だけでなく、厚生年金からも隙あらば逃げ出そうとしている企業が現われている。 2004年度に成立した年金改革では、厚生年金の保険料を将来的にボーナスを含め総収入の18・30%に引き上げることになっている。労使折半とはいえ、この18・30%は本来労働者が受けとるべきものである。お勤めの会社に申し入れてください「厚生年金から脱退して、社会保険庁に納めている保険料相当分を割り増し賃金として支給して欲しい」と。労働者は給与所得のすべてを消費に当てているわけではないから、この割り増し賃金は消費税(20%)として支払った総額を上回るだろう。 年金(3) 年金は消費税で 国民年金は保険料(現在、月額1万3580円、年額16万2960円)を25年以上払っていれば65歳になると加入年数に応じて年金を受けとれるという制度である。たとえば40年間加入すると、年金年額は79万4500円(月額6万6283円)になる。しかも、受けとる年金の半分は本物の税金で賄われている。月額6万円なにがしで暮らしていけるだろうか。 高齢者の最低生活にどの位かかるか分からない。毎月10万円(年120万円)あればなんとか生きていくことはできるだろうか。月10万円の独り暮らしは大変だろうが、2人の共同生活ならば20万円となり、なんとか最低生活は維持できるだろう。 現在、65歳以上の人が2500万人いる。この人たちが毎月10万円受けとるとすると、年に30兆円が必要となる。これをすべて消費税(税率1%=2・5兆円)で賄うとしたら消費税率はどのくらいになるか。 消費税には逆進性が強いという批判がある。消費税率を仮に20%とすると、年120万円で生活している人が払う消費税は24万円だが、1200万円の人は240万円も消費税を払う。所得が多く大量に消費するひとはたくさん払い、所の少ないひとは税金も少ないから公平だと思うのだが。所得の低い人ほど税負担感が大きいから、消費税は弱者いじめの税金であるという。120万円のうちの24万円も1200万円のうちの240万円も割合はともに20%だが、低所得者と高所得者では20%の意味が違うというのだ。 さらに、生命維持に不可欠な生活必需品にまで消費税がかかるのは納得できないという意見もある。そんなことを言うから、洗濯石鹸は生活に欠かせないから消費税なし、化粧石鹸は贅沢品だから消費税をかける、イワシ・サンマは無税でタイ・ブリは有税などという瑣末な議論が起こってくるのだ。税制は簡素でなければならない。すべての消費に消費税をかけるのだ。その代わり、最低限の生活維持に必須な消費にかかった消費税は年度末に一括返還する。 日本人が生活維持(米・味噌・醤油・野菜と下着)に必要なギリギリの費用を月5万円とする(因みに私の日常茶飯の食費は月1万5000円ほどである)と年額60万円となる。これにも20%の消費税がかかるから、生活必需品の購入で支払った消費税は12万円である。この12万円を年度末に日本人全員に返還する(戻し税)。4人家族(夫婦・子ども2人)だと年度末に48万円が戻る。 そこで日本の人口を1億2500万人、年金取得人口を2500万人、消費税率1%が2・5兆円になるとして、いくらの消費税率でこの年金制度を維持できるかどうか計算してみよう。消費税率をX%とする。中学生の計算能力で計算できる。 私の計算したところでは、この制度を維持するには消費税率を当面17・14%にしなければならない。年度末に10万4000円の払い戻しがあるが、17・14%の消費税率に耐えられますか。なお、この計算には徴収・分配・払い戻しにかかわる事務費用(委託費)が含まれていない。この費用は税金で賄うことになる。 17・14%などという半端な税率は面倒だ。思い切って20%として余った金はボーナスとして日本人全員に配ることにしよう。 経済の専門家は、「消費税20%なんてのは正気の沙汰ではない。そんなことをしたら、消費が落ち込んで日本経済は大打撃を受ける」としたり顔に言うだろう。そりゃ、日本経済はいっとき冷え込むだろう。でも日本人はすぐ慣れる。だって、1万500円で買っていたものが、1万2000円になるだけのことじゃないか。その「だけ」がけしからんとお叱りを受けそうだが、国民年金保険料16万円と厚生年金として支払っている年収の18%を払わなくてもよくなるのですよ。 年金(2) 集金と分配に間があると、役人の手許に金が残る。役人はこの金を使いたがる。分配を多くしてあげるという口実を設けて投資する(素人が手を出すから焦げつく)。レジャー施設をつくる。病院をつくる。ホテルを建てる。年金保険、労働保険(雇用、労災)。健康保険のうち、企業単位の健康保険組合にあまり無茶なものはないが、社会保険庁が管轄している政府官掌保険(いわゆる政管健保)なんてのはあちこちにたくさんの赤字病院をつくったし、社会保険健康センターなどというものをつくってわけのわからぬ健康づくり事業を行っている。 とくに雇用保険なんてのはひどかったな。雇用促進事業団(現雇用・能力開発機構)は体育施設、福祉施設、保養施設、会館施設などを2070施設もつくった。極め付けは、総合的リフレッシュセンターとしてつくられたスパウザ小田原であった。神奈川県小田原市に455億円かけて建設されたこのリフレッシュセンターは8億数千万円で売却された。損失約446億円! 役人に金を管理させるとこういうことになるんですよ。 年金(1) 年金は大勢の人から金を集めて特定の階層(老人)に分配するシステムで、一種のねずみ講(無限連鎖講)である。ねずみ講は必ず破綻する。国民年金が破綻ムードに入った。親ねずみが増えるばかりで子ねずみが一向に増えないからである。ねずみは賢い動物で、危険を察知したら我先に逃げ出す。遠からず完全に破綻するだろう。 広く薄く金を集めてある特定の集団に回そうとしているものに年金保険と介護保険がある。介護保険も遠からず破綻するだろう。理由は年金と同じである。ある特定の集団に回すお金は税金をあてるべきである。 税金も保険料も大きな違いはない。税金は税務署が、保険料は社会保険庁が集めているが、ともに政府が強制力をもって徴収するから基本的には同じである。 日本の国土に生まれ、日本語を話している人々を日本人という。困窮状態に陥った日本人には等しく手を差し伸べるのが政府の責任である。このために我々は税金を払っているのだ。 保険料だと自分が払ったものだから受け取るのは権利だと思うらしい。ところが税金になると、何かお慈悲を受けているように感じてしまう人がいるようだ。お慈悲ではない。歳をとって収入が少なくなった日本人を助けるのは日本政府の責任である。堂々と受け取ればよい。 介護保険のように年齢で区切ることはない。日本人が病気になったり医療・看護・介護を必要とするようになったら、日本国内のどこに住もうと手を差し伸べなければならない。 小さな政府、大きな政府という言い方がある。小さな政府がよいのは当たり前だ。役人は我々の生活を邪魔するために存在する。少なければ少ないほどよい。社会保障だからといって役人が係わる必要はない。地方分権が進んで、たとえ道州制がなっても、日本のどこに居住しようと同じ援助が受けられるシステムを構築する必要がある。 このような話をすると「財源はどうするのだ」と反論が必ずある。消費税しかないのに決まっているではないか。消費税はどのくらい? 25%。文句ありますか? |