炭水化物の威力 その2

炭水化物は単なるエネルギー源ではない(1)

炭水化物と化学物質(四塩化炭素)の肝毒性

炭水化物は単なるエネルギー源ではありません。ある意味で、食べるということは炭水化物を摂るということなのです。どうしてそんなことが言えるのか、本項で四塩化炭素という化学物質を例にして説明します。

私は大学院で「四塩化炭素の肝毒性に影響を与える環境因子」という研究テーマを与えられました。「栄養によって四塩化炭素の毒性がどのように変化するか」、「他の化学物質との混合曝露によって四塩化炭素の毒性がどのような修飾を受けるか」について研究するようにと言われたのです。

四塩化炭素はかつて脱脂洗浄剤として広く用いられていましたが、現在ではその強い毒性のために産業界で溶剤として用いられることはありません。試薬としてわずかに用いられているだけです。四塩化炭素には非常に強い肝毒性があります。コップ1杯の四塩化炭素を飲めば肝臓組織が崩壊し、七転八倒の苦しみのうちに死にいたります。

大学院に入って右も左も判らないままに、ラット(白ネズミ)に四塩化炭素の蒸気を吸入させて、曝露濃度と毒性の量—影響関係を調べておりました。どのくらいの濃度の四塩化炭素を吸入させたらどの程度の肝毒性が起こるかという毒性学の基本的なことを調べていたのです。ラットにいろいろの濃度の四塩化炭素を吸入させて24時間後に血液中のGPT*とGOT*を測り、肝臓と腎臓を調べるという単純な実験でした。
*GPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)、GOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)は肝臓などの細胞が破壊されたときに血液中に漏れだしてくる酵素で、その濃度の測定によって肝障害の程度を知ることができます。最近、GPTとGOTはそれぞれ、ALT(アラニン・アミノトランスフェラーゼ)とAST(アスパラギン酸アミノトランスフェラーセ)と呼ばれるようになりました。

あるとき、5匹1群のラットに400ppmの四塩化炭素を吸入させたところ、そのうちの1匹に他のラットとはけた違いにひどい肝毒性が起こりました。どうしたことかと調べたところ、四塩化炭素の曝露前にそのラットの給水ビンが床に落ちていたのです。実験動物のラットは固形飼料で飼育しますので、飼料を餌箱に入れ、飲料水は給水ビンで別口に与えます。ラットは飼料をかじっては給水ビンの吸い口から水を飲むのです。そのラットが吸い口を突ついているうちにビンが落ちてしまったのでしょう。水を飲まないとラットは餌を食べません。このことは、餌を一晩食べていない(=絶食)ラットが四塩化炭素を吸入すると激しい肝障害が起こることを示しています。四塩化炭素をラットに吸入で与えました。したがって、絶食で肝毒性が強くなったのは胃が空っぽで吸収量が増えたからではありません。絶食によって四塩化炭素の毒性に係わる何か基本的なところに変化が起こったのです。

四塩化炭素はそのままでは肝毒性を起こしません。その肝毒性は、四塩化炭素が肝臓でシトクロムP450 (CYP)という薬物代謝酵素*によって代謝される際に生起するトリクロロメチルラジカルによって起こります(下図)。

この中間代謝物は、四塩化炭素から塩素が電子を一つ持ったまま飛び出したために生じるもので、不対電子を抱えた、フリーラジカルと呼ばれる極めて不安定な物質です。近くの分子(脂肪)からすぐさま電子(水素)を引き抜いて安定化しようとします。水素を引き抜かれた分子も不対電子になりますから、直ちに近くから水素を奪います。奪われるとさらに隣から電子を奪う・・・。かくしてこれらの連鎖反応が線香花火のように広がって、肝臓は大きな障害(脂質過酸化)を受けることになります。
*身体に吸収される化学物質(薬物)は脂溶性です。脂溶性のままでは腎臓から尿中に排泄されません。排泄されるためには水溶性の物質に代謝(脂溶性→水溶性の化学変化)を受けなければなりません。この代謝に係わる酵素がシトクロムP450(CYP)です。日本語では薬物代謝酵素と呼ばれています。薬物代謝酵素の薬物は‘くすり’のことではなく、くすりを含む広い意味での化学物質のことです。この酵素にはいくつもの分子種がありますが、代表的なものにアルコールの代謝に関与するCYP2E1や睡眠剤などの代謝に係わるCYP3A4などがあります。代謝によって薬効や毒性が低くなりますが(解毒)、ときには反応性の高い物質が生起してかえって毒性が亢進することがあります。この化学変化は代謝活性化と呼ばれています。

四塩化炭素を吸入したラットの肝臓の顕微鏡写真を見てみましょう。普通に餌を食べていたラットの肝臓は細胞の中に脂肪滴が入りこんで脂肪変性を起こしていますが、細胞構築が保たれており、それほど高度の障害(細胞壊死)は起こっておりません。

これに対して一晩の絶食後に四塩化炭素を吸入したラットでは細胞構造が消え、重篤な肝障害が起こっていることが判ります。

つまり、同じ濃度の四塩化炭素によって、餌を一晩食べなかったラットでは食べていたラットに比べて激しい肝障害が起こるのです。先ほど述べたように、四塩化炭素の肝障害はCYP2E1による代謝活性化によるものです。したがって、絶食がラットにCYP2E1の活性亢進を起こすのではないかと考えるのが順当です。絶食とは何も食べないということですから、どの栄養素の欠落が四塩化炭素の毒性増強(=CYP2E1の活性亢進)をもたらすのか追求が必要でした。

まず事始めに、肝臓における四塩化炭素の代謝速度を測定しなければなりませんでした。詳しいことは省略しますが、ラットの肝臓をすりつぶして超遠心機にかけて得られるミクロソーム分画を酵素源として四塩化炭素の代謝速度を測定する方法を開発しました*。この手法は、ガスクロマトグラフィーという分析器があれば、どんな揮発性炭化水素の代謝速度でも簡単に測定できる非常に便利な測定法です。私はこの測定方法をバイアル-平衡法と名づけました。
*Sato A, Nakajima T. A vial-equilibration method to evaluate the drug- metabolizing enzyme activity for volatile hydrocarbons. Toxicology and Applied Pharmacology 47:41-46, 1979.

この方法を用いて、一晩だけ固形飼料を与えずに飲料水だけで飼育した絶食ラットと餌も水も与えた摂食ラットについて、四塩化炭素の代謝速度を比較しました。その結果、一晩絶食ラットの肝臓では摂食ラットの肝臓に比べて2-3倍もCYP2E1活性の高まっていることがわかったのです*
*Nakajima T, Sato A. Enhanced activity of liver drug-metabolizing enzymes for aromatic and chlorinated hydrocarbons following food deprivation. Toxicology and Applied Pharmacology 50:549-556, 1979.

1969年に、ロンドン大学のマクリーン(McLean)教授は「ラットに蛋白質の多い食餌(高蛋白食)を与えると四塩化炭素の毒性が強くなる」という論文を英国医学紀要(British Medical Bulletin)に発表なさっていました*。

マ教授は、四塩化酵素の代謝を実測したわけではありませんが、高蛋白食がその代謝を亢進するために四塩化炭素の肝毒性が強く現れるのだと考えておられたようです。
*McLean AEM, McLean EK. Diet and toxicity. British Medical Bulletin 25:278-281, 1969.

しかし、絶食(全栄養素の欠落)が四塩化炭素の代謝を促進し、その毒性を増強することを経験していましたから、私は摂取量の増える栄養素(蛋白質)がCYP2E1の活性に影響を与えることはあり得ないと考えていました。

マクリーン教授が用いたラットの飼料を下図に示します。

マ教授の高蛋白食は蛋白質50%、脂肪30%、炭水化物20%で、一方、低蛋白食は蛋白質5%、脂肪30%、炭水化物65%という構成のものでした。別の観点からすれば、マ教授の高蛋白食とは低炭水化物食のことであり、低蛋白食とは高炭水化物食のことだったのです。この当時の標準的な考えであったと思われますが、マ教授は、栄養が酵素の活性に影響を与えるとすれば、蛋白質からなる酵素の活性を支配する栄養素は蛋白質以外にあり得ないと考えておられたのでしょう。

そこで私は、炭水化物・蛋白質・脂肪・ビタミンなどの栄養素の含有量を様々に変えた餌を与えたラットの肝臓における四塩化炭素の代謝速度を測定するとともに、四塩化炭素を吸入させてその肝毒性の強さを観察しました。蛋白質を多くしても少なくしても四塩化炭素の代謝と毒性は全く変わりませんでした。ところが、蛋白質量を一定に保ちながら脂肪と炭水化物の含有量を等カロリー的に変えた餌をラットに与えたところ、炭水化物の摂取量が少なくなるにつれて四塩化炭素の代謝が速くなり、その毒性が強く現れたのです。ビタミンもミネラルも四塩化炭素の代謝と毒性に影響を与えませんでした。つまり、炭水化物はCYP2E1の活性に影響を与える唯一の栄養素であることを発見したのです。

まず、炭水化物の摂取量(横軸)と四塩化炭素の代謝速度(縦軸)の関係をご覧ください(下図)。

このは横軸の一番左に絶食ラットにおける代謝速度を示しています。炭水化物の摂取量が少なくなるにつれて(右から左)、四塩化炭素の代謝速度が速くなっています。炭水化物0%の餌は、蛋白質と脂肪さらにビタミン・ミネラルなどは十分含まれていますが、炭水化物だけが全く含まれていない餌ということです。この炭水化物0%の餌を食べたラットでは四塩化炭素の代謝が著しく亢進し、その代謝速度ほぼ絶食ラットにほぼ匹敵しています。つまり、四塩化炭素の代謝に関して言うと、炭水化物を摂らないということは何も食べないことと同義です。「食べる」ということは「炭水化物を食べる」ことなのですね。

次いで、炭水化物の摂取量と四塩化炭素の肝毒性の関係を示したをご覧ください。

このの横軸は上の「炭水化物と代謝速度」の図と同じですが、縦軸は肝毒性の指標であるGPTの値を対数で目盛っています(GPTを対数尺で目盛るのは酵素濃度が指数分布するからです。対数変換してはじめて正規分布の代謝速度と比較することができます)。炭水化物の摂取量が少なくなるにつれて肝障害が激しくなり、炭水化物0%の餌を食べたラットの肝臓は絶食ラットの肝臓と同程度の激しい障害を受けました。四塩化炭素の毒性についても、炭水化物を摂らないということは何も食べないことと同じなのです。

くどいようですが、四塩化炭素の代謝と毒性を比較するために上の二つの図を一つの画面に並べてみました。

代謝(左)と毒性(右)の炭水化物摂取量に対する関係はお互いによく似ています。両者がこのように似ていることは四塩化炭素の肝毒性が代謝活性化によって起こることの証拠です。同時に、四塩化炭素の代謝と毒性がともに炭水化物依存性であることを示しています。

私はこの実験結果を1981年7月に東京で開催された第8回国際薬理学会で発表しました。この学会にシンポジストとして来日されたマクリーン教授は私の発表を興味深く聞いてくださいました。そのときの「私にとってはtoughなことだが、あなたの話のほうが正しいようだ」というマ教授の言葉が忘れられません。この「炭水化物仮説」はマ教授の査読を経て、Biochemical Pharmacology*に掲載されました。自らの説を否定する他人の論文を「私が詳しく読んだ」という文章をつけ加えて、ご自身が編集委員を務める雑誌に掲載してくれたマ教授は正真正銘の立派な研究者でした。しかし、残念なことに、炭水化物の摂取量がCYP2E1の活性を左右するメカニズムはいまだによく解っていません。
*Nakajima T, Koyama Y, Sato A. Dietary modification of metabolism and toxicity of chemical substrate – with special reference to carbohydrate. Biochemical Pharmacology 31:1005-1011, 1982.


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