ヒムスワースの研究 その1

ヒムスワースは「炭水化物の摂取量が耐糖能(身体の血糖処理能力)に大きな影響をもたらす」という影浦尚視らの臨床研究に触発されて炭水化物の摂取量と耐糖能に関する詳細な研究を行いました。その結果、炭水化物は耐糖能に影響を与える唯一の栄養素で、炭水化物の摂取量が少ないとインスリンの働きが低下して耐糖能が悪化し、摂取量が多いとインスリンの働きが向上して耐糖能が良好になるということを発見したのです*。
*Himsworth HP. The dietetic factor determining the glucose tolerance and sensitivity to insulin of healthy men. Clinical Science 2: 67-94, 1935.

ヒムスワースは炭水化物80%(脂肪5%)の食事(下図の高炭水化物食)あるいは炭水化物20%(脂肪65%)の食事(低炭水化物食)を1週間食べさせた後で50グラムのブドウ糖を与え、3時間にわたって血糖値の推移を観察しました。するとどうでしょう。炭水化物をたくさん摂っていた人では血糖値があまり上昇しなかったのに、炭水化物をわずかしか食べていなかった人では60分後の血糖値が200mg/dlに達し、120分後でも140mg/dlに近い数値を示していました。この結果は炭水化物の摂取量が少ない人では血糖を処理する能力(耐糖能)が著しく低下することを示すものです。

このような結果をみると、炭水化物の多い食事を摂っていた人ではインスリンが多量に分泌されたのではないかと考える方がいるでしょう。何しろ、炭水化物を食べると「インスリンがドバッと出る」などとまことしやかに語られていますから。当時もそのように考えられていました。ヒムスワースが研究していたころは血液中のインスリンの測定ができなかったのですが、後になって炭水化物の多い食事をしたからといってインスリンの分泌が増えることはないということが明らかになりました。

ヒムスワースは炭水化物の少ない食事によって耐糖能が下がる理由を別の実験で明らかにしました。炭水化物の摂取量が異なる人(20%と80%)に5単位のインスリンを注射してその効き目を比べてみたのです(下図)。炭水化物の多い食事をしていた人では注射したインスリンによって血糖値が速やかにしかも高度に低下しました。しかし、炭水化物の少ない食事をしていた人に同じ量のインスリンでも、血糖値の下がりがわずかでその低下速度はゆるやかでした。つまり、炭水化物をたくさん食べていると、インスリンの効き目が著しくよくなることがわかったのです。

ヒムスワースは以上の研究結果から、糖尿病にはインスリンの分泌不足によるものだけでなく、インスリンの作用不足(体組織の感受性低下)によって発症する病型もあると考えるにいたったわけです。まさに画期的な発想でした。この研究によって糖尿病の診断と治療に新時代が到来したのです。

低炭水化物食によってインスリン感受性が低下するメカニズムは十分に解明されていませんが、遊離脂肪酸説が有力です。炭水化物が少ないと内蔵脂肪がエネルギー源として動員されるようになります。その際に生成する遊離脂肪酸がインスリンの働きを阻害するのではないかと考えられています。炭水化物を摂取すると、ブドウ糖がエネルギー源として使われるようになりますから、遊離脂肪酸の生成が抑えられ、低下したインスリン感受性は短時間で回復します。インスリン感受性の低下とその回復は炭水化物の摂取量に比例することがヒムスワースの実験によって明らかになっています。

ヒムスワースの研究に関連して、さらに一言、二言つけ加えます。炭水化物が少ないと、インスリンの効き目(身体のインスリンに対する感受性)が著しく低下するから、膵臓のβ細胞は頑張ってそれに見合うだけのインスリンを分泌するようになります。インスリンは肥満ホルモンとも呼ばれる同化ホルモンですから、炭水化物の少ない食事を続けているとインスリンの分泌が増えて肥ってしまいます。アメリカは肥満大国と言われますが、その背景には炭水化物の少ない食事によるインスリンの過剰分泌(インスリン抵抗性と呼ばれる)があります。

炭水化物の少ない食事で痩せると主張する人がいます。たしかに肥満者が炭水化物の少ない食事をしていると数ヶ月で10~20キロと痩せることがあります。炭水化物の極端に少ない食事(今どきのスーパー炭水化物制限食)は身体が要求するほどには食べられないのです。このような食事をしていることは絶食と同じですから、継続できるほどに意思の強固な人は数週間でガリガリに痩せてしまいます。また、血糖を上げるのは炭水化物だけだから、炭水化物を摂らない限り血糖は高くならないと声高に語られています。これもその通りです。後で述べるように、インスリンが治療に用いられるようになる前、この原理に基づいて、炭水化物を全く与えない飢餓療法が重症糖尿病の治療に用いられていました。でもこの人たちのインスリン感受性(耐糖能)は極度に低下していますから、少量の炭水化物を摂取するたびに血糖値が跳ね上がります。このことは上述のヒムスワースの研究で十分お分かりいただけるでしょう。


トップ

ご意見