男女共同参画型社会の実現に向けて

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子どもをつくらない男女

最近は男も女も子どもをつくる関係を持たなくなった。女はつき放すし、男もおよび腰である。女の妊孕力(にんようりょく=胎児を宿す能力)は20歳前後が最大であるが、この頃大半の女は大学へ行っている。大学を出ると2-3年は勤めるからもう25を過ぎている。男と一緒に暮らすようになっても、しばらくは二人だけの生活を楽しみたいからと遊びまわるものあり、あるいは仕事に打ち込むものありで子どもができないように工夫する。30をとうに過ぎてもうそろそろと思ってもこれができない。卵子が精子と出会ってもこれを受け入れないし、精子にも卵膜を突き破る力がない。1世代前は子どもが出来過ぎて困っていたものだ。ある男は女房の枕元をまたいだだけで子どもが出来てしまうと嘆いていた。1965(昭和40)年には182万(人口1000対出生率18.6)の子どもが生まれたが、およそ同数の胎児が妊娠中絶によって葬られていた。2000(平成12)年に生まれた子どもは119万人(出生率9.5)になった。

1960年頃の不妊は20組(カップル)に1組であったが、最近では8組に1組が不妊を訴える。中国(一人っ子政策が行われているので夫婦は必死である)も同様で、不妊カップルが12組に1組に増えている。シンガポールは更に深刻で5組に1組は不妊であるという。食生活の変化(肉を食い牛乳を飲むという習慣はつい先頃までアジア人には無縁であった)はアジア人の生殖能力により大きな影響を与えるのである。グルメ男はインポである(塩野七生)。お嬢さん方、「グルメ=食べる」男にはご注意を。

「男とは暮らしたくない、ひとりがよい」と言う20代の女で「でも子どもは欲しい」と言うシングル女が4割いる(日本経済新聞2003年6月25日)。理由は「年をとってから寂しい、面倒をみてもらいたい」からだという。ペットのように育てられた子どもが年老いた女の尻を拭くものか。親が突き放してはじめて子どもがおとなになる。親と一つ屋根の下で起居をともにする30を過ぎた男女が増えた。ふとんはたたんでくれる、顔を洗うと朝飯が待っている、家に帰れば灯りがともっている、即座に夕食がテーブルに並ぶ、タンスには洗濯済みの下着が納っている。かつての王侯貴族とまではいかないが、「ばあや」と「じいや」にかしずかれる大家(たいけ)のお坊っちゃま、お嬢様である。気楽である。周りの同居親子に聞くと、双方から「たまには洗濯ぐらいするし、朝ご飯だってつくるよ」という声が返ってきた。誇らし気であった。「じいや」と「ばあや」も楽しいらしい。「父も母も喜んでいるみたいだよ。結婚しろなんて言わないもの」。同衾しないまでも、20歳過ぎの男あるいは女が母である女あるいは父である男と一つ屋根の下で寝起きするのは近親相姦のようなものだ。たまらなく甘美である。離れがたい。本物の近親相姦は隠微であるが、こっちは大っぴらの脳天気である。

長年、親と同居していた男女が、年老いて寝たきりになった両親の尻を拭くか。拭かない。老人ホームに預けっぱなしにするに決まっている。一方にはまだ楽しい未来があり、もう一方には暗い絶望しか残っていないからだ。年齢の差からくる必然である。永い間、一緒にメシを食い、他人には見せられないところも見せあった1組の男女(夫婦)こそ真の仲間である。年老いた男が同じく年老いた女の尻を拭くのだ。男あるいは女が褒美をもらって、何度でも我がことのように喜んでくれるのは女房か亭主しかいない。周りの友を思い浮かべて見よ。一度は慶ぶが、度重なる友の幸運は「何であいつだけが」となる。繰り返す。永年連れ添った夫・妻に勝る友はいない(山本夏彦)。

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めざめたおんなと哀れなおとこ

山本夏彦は小学校4年のとき「人の一生」と題する綴方を書いた(以下、山本夏彦「最後の波の音」文藝春秋2003年3月による)。

人の一生    四年 山本夏彦
おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。その頃になってあわてだすのが人間の常である。あわててはたらいている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れている。かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。その間をノラクラ遊んでくらす者もある。そんな事をしているうちに子供が出来る。子供が出来ると、少しは真面目にはたらくようになる。こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。又、その子供が同じことをする。こうして人の一生は終ってしまうのである。
(「文藝春秋」平成13年6月号)

10歳のときにこの綴方を書いたという山本夏彦は男女の性を次のように書く。

情報過多の時代である。女はめざめて助平になった。男を哀れと思うようになった。不本意であろうが体だけ女である女は、子を生むようにできている。男は一度果てたら回復するのに手間がかかる。女は五回でも十回でもしぼるだけしぼってなお余りある。男は女をめざめさせ、女に敵う男はないと知ったのである。こんどは男が逃げ回って結婚したがらなくなる番である。
(「文藝春秋」平成11年11月号)

(略)女のSexは海よりも深く、山よりも高い。男は短きは一撃か二撃で達するから女に性欲はないのではないかと怪しむ男さえいた。ところがめざめた女は十回でも二十回でも達して飽くことを知らない。あくる朝はついぞ経験したことのない快い目ざめを目ざめる由である。
 ためしに聞いてみるがよい。来世は男に生れてきたくはないか、美男に生れて慕いよる女たちを片はじから犯してみたくはないかと聞いてみるがよい。めざめた女は来世も女にと答えるにきまっている。男は哀れだという。
女はようやく知ったのである。男の性は弱いと知ったのである。だから男はこれまで女を圧してきたのである。
(「文藝春秋」平成11年4月号)

「女はようやく知ったのである」「男の性は弱いと知ったのである」「だから男はこれまで女を圧してきたのである」の三つの「のである」で世間のすべてが分るのである。来世は男に生まれたいという女はおんなではない。「男は、女は」と言い募る女もおんなではない。「おちんちんないもん。立ったままおしっこできないもん」の類いである。世の中のことはすべて「めざめたおんな」と「哀れを知るおとこ」に任せたいものだ。

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男女共同参画型社会

1999(平成11)年に男女共同参画社会基本法が制定された。私の住むK市にも男女共同参画課ができた(課長は男である!)。お決まりのように「婦人行動計画」「女性市民会議」「女性問題懇談会」「女性交流センター」が設置され、「男女共同参画プラン」が作られている。プランの基本目標には「人権の尊重と男女平等の意識づくり」「まちづくりへの男女共同参画」「働きやすい環境の整備」「ともに生きるための福祉環境づくり」「生涯を通じた健康づくり」という耳触りのよい言葉が羅列している。五つの目標に「意識づくり」「まちづくり」など四つの「づくり」が並んでいる。役所の「・・づくり」は「つくらない」ことと同義である。パンフレットを洪水のようにばらまくことが男女共同参画課参画推進係の仕事である。

K市の職員の35%は女性である。課長は150人、部長は12人いる。女性の課長は二人(1.3%)、部長はゼロである。なぜこんなことになるのか。問題は男である。「女に重要な仕事は任せられない」「管理職能力のある女性がいない」と男どもは言う。そんなことはない。女は、課長になれば課長の仕事をこなし、部長になればその職を全うする。女が課長になり部長になって困るのは男である。権力・ポストに対する男のやきもちほど恐いものはない。死にものぐるいで抵抗する。男にはそれしかないからだ。だから男は女を圧してきたのである。

対処法は簡単である。市長が「5年以内に課長・部長の1/3 を女にする」と宣言し、実行すればよい。「男女共同参画プラン」にはこの目標が掲げられていない。「意識づくり」などのお題目を唱えていないで、市長が先頭に立って「クオータ条例」をつくればよい。10年もすればK市役所は一変し、世の中が変わる。役所が週休二日制をまず実施して、やがて定着したではないか。そうなって困るのは今度は女である。女は女を鋭く観察する。課長や部長が女になったら、部下の女が逃げ出すだろう。あるいは部下が上司をいびり出すだろう。女の本物の敵は常に女である。


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