2005年08月20日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (1)仲間を殺す−その1
「畜生」とは人に畜(やしな)われて生きているものの意で禽獣・虫魚の総称(広辞苑)です。「畜生にも劣る奴だ」とひとを罵ることがありますね。本当にひとは畜生に優る存在でしょうか。たしかに、ひとは他の動物と違って言葉を喋ります。電気機関を発明し、コンピューターを操り、宇宙にも出かけています。こういう点ではたしかにひとは畜生に優っているといえるかもしれません。
禽獣はメスを奪い合って(縄張り争い)、同種のオス同士が角突き合わせ、牙を剥き合うことがあります。負傷が原因で死ぬこともあるでしょうが、ほとんどの場合、敗勢のオスが逃げて一件落着となります。ライオンやオオカミでも相手を噛み殺すまで戦うことはありません。
それに比べると、ひとはひとを簡単に殺します。色恋の争いのあげくにオスだけでなく大事なメスを殺してしまうなんてのは人間だけですね。相手の一言についかっとなって殺す、金品を奪い取ろうとして殺す、積年の恨みをはらすために殺す・・・などということはひと以外の動物ではあり得ません。人間には相手を捉える鈎爪も噛み殺すための牙もありませんが、こん棒で殴り殺す、刃物で刺し殺す、鉄砲を撃ち殺すなんてことをするんですね。道具を使って仲間を殺すというのが人殺しの特徴です。
人間以外の動物には本能があって「仲間殺し」をガチッと止めています。人間にも本能らしきものがありますが、発達した大脳のために本能が壊れてしまっているのです(岸田 秀『ものぐさ精神分析』その他)。本能が壊れた動物であるからこそ人間は仲間を殺してしまうのです。人間以外の動物は餌を奪いあって争っても仲間を殺したりはしません。考えてみれば、殺して金品を奪うなどというのは極めて「人間的」な行為ですね。
2005年08月21日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (2)仲間を殺す−その2
「人殺し」、「近親相姦」、「ヒト*を食うこと」はひとの三大禁忌(タブー)とされています。この3つは実際によくあり得ることであまり頻繁に行われたら困るからタブーになったのでしょうね。
* ヒトは動物としてのひとのことです。ひとあるいは人は文化・伝統を背負った社会的存在です。私はときどき「ひと」を食いますが、「ヒト」を食べたことはありません。
人殺しに対しては法律をつくりました。刑法第199条に「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する」とあり、第11条に「死刑は、監獄内において、絞首して執行する」とあります。法律は一般人の行動規範ではなく、役人の行動規範を定めたものです。
刑法199条は、役人に、「人を殺した者を捕まえて殺してもお前の責任は問わない」と云っているのです。日本の死刑は絞首(絞め殺すことだが、実際は縛り首あるいは吊し首)ですが、他に斬首、火刑(火あぶり)、薬殺(塩化カリウムの静注)、青酸ガスによる窒息殺、電気イスでの通電ショック殺などがあります。秩序を維持するという名目で仲間を殺すという死刑は動物の群れではあり得ない究極のヒューマン(人間的)な殺しです。
人以外の動物でよくみられるのが「近親相姦」で、人同士でよくみられるのが「仲間殺し」です。それでは最後のタブー「仲間を食う」はどうでしょうか。
2005年08月22日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (3)仲間を殺す−その3
人間以外の動物は仲間を殺さないと書きましたが、もちろん例外があります。ライオンの「子殺し」が知られています。ライオンはプライドとよばれる複数のメスと子ども、それに1-7頭のオスからなる群れをつくっています。複数のオス(動物学はこれを「連合」と呼んでいます)はつねに行動をともにしています。連合は、激しい闘いの末にいつか日か別の「連合」に乗っ取られます。
この乗っ取りの直後に、群れにいる20ヵ月齢以下の子どもは新しく侵入したオスの攻撃を受けます。なかでも6ヵ月齢以下の子どもは乗っ取り後2ヵ月以内にほとんど殺されてしまいます。子どもを殺されたメスは間もなく発情し、乗っ取りオスと交尾します。自分の父親が群れにとどまっている期間内(平均26ヵ月)に十分成長できなければ、ライオンの子の生存は保証されません。というのは、メスは、妊娠中(約6ヵ月)と哺乳中(約8ヵ月)は発情しない(排卵が起こらない)からです。新しく侵入したオスはメスを発情させるために子どもを殺すのです。*
*上記は「土肥昭夫・岩本俊孝・三浦慎悟・池田啓一『哺乳類の生態学』東京大学出版会、1997年1月」に由っています。
ところで、乗っ取りオスライオンは殺した子ライオンをを食うでしょうか。普通は食いません。群れが移動したあと、ハイエナやハゲワシがその死体を始末します。
皆さんはライオンの子殺しを「畜生(けだもの)の浅ましさだ」とお考えでしょうか。
2005年08月23日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (4)仲間を食う(共食い)
牙を剥いて相争う、貪(むさぼ)り食う、近親姦が多いなどという理由でヒト以外の動物を畜生と軽蔑してきたのでしょうね。餓鬼(餓えと渇き=ガツガツ食う)も阿修羅(争い=殺しあう)も現世の人間世界にあります。でも哺乳類の畜生は仲間を食わないという点で人と異なります。
狭いケージの中で飼育されたマウスやハムスターには共食い(ともぐい)がときどき観察されます。これは、人工飼育というストレスが共食いの引き金になるからで、自然界では極めて稀な現象です。
バナナで餌付けされているチンパンジーが、縄張り争いで他の群れの個体を殺したり、同じ群れの仲間を殺して食ったという観察例が報告されています(ジェーン・グド−ル著、上野圭一訳『森の旅人』角川書店、2001年1月)。ヒトに近縁のチンパンジーは本能の一部が壊れているのでしょう。
何日も獲物狩りに失敗して餓えたライオンのプライドが他のプライドに出逢った場合、襲いかかるでしょうか。自然界にあっては、動物は同種の他の個体を食用に狩ることはありません。自らの命をかけて他の群れを襲わないまでも、自分の群れの餓え死にが近い個体あるいは病み衰えた個体を食うでしょうか。あるいはすでに息絶えた個体を餌として食うでしょうか。食わないのが畜生(けだもの)です。ところが人間はときにヒトを食べることがあるのです。
2005年08月25日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (5)薬としてヒトを食う
「生き肝(いきぎも)を食うと長生きする、病気が治る」という昔話しがあります。中でも、安達が原の鬼女伝説が有名です。
お姫様が重い病気に罹りました。「妊婦の生き肝を食べさせれば治る」と聞いた乳母が姫のために妊婦の生き肝を求めて旅に出ます。乳母は安達が原(福島県安達郡の安達太良山の山麓)で若夫婦に出逢いました。女は身籠っていました。夜半に女が産気づき、男は産婆を探しに出かけました。そのすきに、乳母は妊婦の腹を割いて生き肝をとりました。妊婦は「幼い時京都で別れた母を探して旅をしてきた・・・」と語って息絶えました。ふとみると、妊婦は見覚えのあるお守り袋を携えていました。なんと、妊婦は昔別れた乳母の娘だったのです。乳母はあまりの驚きに気が狂い鬼となりました。
現代人は「生き肝を食う」などと聞くと眉をひそめます。しかし、病人となると 話は別です。私は、かつて、喘息で苦しむ12歳の女の子が喘息に効くと差し出された3匹のあま蛙を一気に飲み込む様を目の当たりにしたことがあります。食わなければ助からないと知れば「生き肝」でも「生き心」でも何でも食います。脳死者からの「肝移植」「心移植」は身体に入る経路が異なるだけですね。とくに科学技術で加工された人体の一部なら、ひとはあまり抵抗感なく受け入れます。一種の「薬喰い」ですね。一部のひとを除けば輸血という食人は医療行為として広く受け入れられています。
2005年08月26日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (6)餓えてヒトを食う−その1
「餓える」という文字は「我が身を食う」と書きます。食うものがなくなれば頬がこけ、あばら骨が浮きでるほどに痩せてきます。我が身を食った証(あかし)です。単なる飢餓感や渇きから仲間を食うことはありません。まず我が身を食って、なお他に食う物が全くなければひとはヒトを食います。畜生と呼ばれる肉食獣が飢えて仲間を食うことはありません。食うのは人間だけです。死に対する恐怖が根底にあるからでしょうね。死の恐怖に身悶えるのは人間だけです。死から逃れるために、ひとはヒトを食うのです。医療における「薬喰いとしての人肉食」と同じです。
食うものがなくなってひとがヒトを食った例は日本にも多く見られます。以下は司馬遼太郎の『新史・太閤記』に由るものです。司馬さんはこんなことを想像で書く方ではありませんから、ちゃんとした資料に基づいておられます。
木下藤吉郎は中国の覇者毛利輝元を討つべく、手始めに毛利方の同盟国である山名家の鳥取城を攻めました。この城は山陰有数の堅城でした。力で攻めれば味方の損害ははかり知れませんから、兵糧攻めにしました。藤吉郎はまず敵地・鳥取の米を買い占めました。船を仕立てて鳥取城外の海岸に赴き、
「北陸はたいそうな飢饉じゃ。米でもよい。麦でもよい。大豆でもよい。この土地の値段の二倍で買おう」とさかんに吹聴した。百姓どもはあらそって売った。籠城中の山名家の諸将も「兵糧を売って軍資金の足しにしよう」と、むやみに持ちだしては売った。
困り果てた山名家は同盟国の毛利家に兵糧を送るよう頼みこみました。
兵糧は海路日本海まわりでやってきたが、すでに藤吉郎はそれを察知しており、軍船を日本海に配置して、運送船をことごとく撃破してしまった。城内では、一月目にはたれも走ることができず、三月目にはどの城兵にも死相があらわれてきた。四月目には、紙や草など咀嚼できるものはすべて食いつくし、馬も、乗り替え馬や荷駄の馬はすべて食いつくし、ついには一部のあいだで餓死者の肉を食う者が出てきた。
古来、人間の肉を食った例は、残された資料ではこの鳥取城内の場合しかない。それも籠城わずか四ヵ月である。さすが士分のあいだではそれほどの事象はみられなかったが、足軽以下には名誉心が乏しく、容赦なく屍肉を食い、死体をあさるために夜間柵のそばまで忍びよって味方の戦死者の足をひきずろうとする者も出、それが羽柴方の哨兵に撃ちころされるや、その男を他の味方が食ってしまうというありさまになった。さらに生きている者さえ殺され、仲間に食われた。
2005年08月27日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (7)餓えてヒトを食う−その2
大西俊輝さんは、著書『人肉食の精神史』(東洋出版、1998年3月)において、天明大飢饉(1782-87)の凄まじさを高山彦九郎の見聞録『北行日記』に由って次のように記しています。
猪・鹿・犬・猫・牛・馬などを食ったが、人を食うものもあった。餓えの結果、次々と人が死に、子があれば親の屍体は埋葬されるが、子がなければ埋葬されることなく屍体は放置された。放置された屍体を食い、さらには埋葬された屍体さえも、掘り出して食うものがあった。
山中野外の屍体を食うものがあり、煮たり焼いたりして食べている。また、生でも食べている。今、その食べた人に味はどうだったかと尋ねたところ、馬の肉は猪や鹿の肉よりうまい、人の肉は馬の肉よりうまい、と応えた。自分の子供を殺し食ったものもいる。まさに鬼畜のごとき所業である。
人の肉を煮ていると沸騰し、飛沫が火中に入るが、それは直ぐに燃え上がる。人の肉というものは脂の多いものだという。
飢えが迫ると、まだ体力のある者は、体力のない者を殺し食い、他人の馬を奪い取っては食い、なんとか生き延びていた。火を懸け焼かれた小屋の跡を見ると、人の骨や馬の骨が山のように出てきた。
卯の年(天明三年)の八月頃のことだが、二十歳ばかりの乞食が、子供の腕を噛み切って食べていたと、ある馬子が語っている。翌年の辰の年(天明四年)の正月にも、人を食う者があり、女どもは恐れて、草や木の根、根菜を採りに外に出ることもしなくなった。
久右衛門が語るところによれば、ここから二十里東の、さぶらい浜というところを通り掛かった折り、屍体の股の所を削(そ)ぎ落とし、それを噛んでいる人を見た。私(久右衛門)が通るのを見てその人は食べていた屍体の肉片を火中へと投じた。
ある里では、餓死寸前の家に入ると、その家の人から、どうか屍体の肉を分け与えてくれ、自分の母がまもなく餓死するから、そうしたら返すから、と言われたという。
これらは、遺伝子(本能)の命ずるがままに行動するヒト以外の動物にできることではありません。はてさて、脆きものかな、畜生に優る人間の理性は。
2005年08月28日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (8)餓えてヒトを食う−その3
ひとが食料としてヒトを食べることはタブーとされています。人肉食がタブーになったのは、大昔、それが横行していたからではないかと勘ぐることもできますね。ヒトは狩りやすい大型獣です。仲間同士が餌として殺しあっていたのでは集団が維持できませんからタブーになったのでしょう。
本能の壊れた動物である人間は殺しあいます。憎しみ・恨みという感情は人間特有のものです。襲われる前に襲うという予断も人間特有です。原爆という大量破壊兵器を使用した唯一の国アメリカは戦争という人殺しを終らせるために瞬時のうちに14万人を殺したのだと豪語しています。核爆弾による大量虐殺は「人間的」行為の極みですね。
大森貝塚を発掘したアメリカの生物学者モース(E. S. Morse)は、貝塚の中に土器、石器、骨角器の他に折れ砕かれた人骨を発見しました(礫川全次・編著『人喰いの民俗学』批評社、1997年1月)。『人喰いの民俗学』にモースの講演内容を紹介した新聞記事の引用があります。
さて、その掘り出したる中に人骨ありて、その骨は骨節中最も堅硬なる所にして、その骨皆折砕(おれくだけ)あり。デンマルク、ブラジルなどにて掘出せしもの皆同じ骨節にて、同じく折砕あり。これその葬りたる骨にあらずして(葬骨ならば全体を存せざるべからざる理なり)人々相食み(あいはみ)、その骨は砕折(たたきくだ)きて髄汁を吸いたるを知るに足るべし。
古代の日本人に食人の風習があったというモースの指摘は、当時の日本人に大きな衝撃を与えました。日本人類学の草分けとして活躍した白井光太郎は、モースの「発見」に接した頃のことを、次のように回想しています(上掲書)。
日本人の祖先は人肉を食いし証ありとの説には驚嘆張目せし次第にて、はたして吾人の祖先にこの風習ありや否やを審査せんとの奮発心を興起し、介墟(貝塚)の研究等に心血を傾注せし時代もこれあり候次第に御座候。
辺見庸さんの『もの食う人々』(共同通信社、1994年6月)によると、終戦直後のミンダナオ島(フィリピン群島南東部の島)で、旧日本兵が島民を捕まえて食っていたということです。山には野豚や野鹿がいました。銃も弾薬もあったのです。それなのに、彼等は数十人の島民を殺し、その肉を食ったというのです。野生動物よりもヒトの方が捕まえやすかったのでしょう。
飢えたあげくの人肉食は洋の東西を問わずどこでも行われていたことです。1972年、ウルグアイの学生ラグビーチームを乗せた飛行機がアンデス山脈の雪山で遭難し、33名が生き残りましたが、数日後に捜索は打ち切られてしまいました。絶望と飢餓に襲われた彼らは、犠牲者の屍の人肉を食べてしまったのです。72日間を生き延びて16名の若者が奇跡の生還を果たしました。
絶対的飢餓に襲われればタブーは、本能の壊れた動物であるひとにとって脆いものです。飢饉や戦争などの非常時には「仲間は食わない」という禁忌は霧散してしまうのですね。
2005年08月29日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (9)美味なるが故にヒトを食べる
人間の身体にはできるだけ人の身体に近い食べ物がよいとする考えがあります。肉食を勧める人たちはそう考えているのでしょうね。この考えをもう一歩進めると、人間に一番適したの食べ物は人肉であるということになってしまいます。すなわち「人肉は牛肉に勝る」。
人肉は美味しいという食通的食人があり、中国での事例がたくさん知られています。大西俊輝さんは著書『人肉食の精神史』(東洋出版、1998年3月)に『韓非子』の記載例として、斉の宮廷料理人「易牙」の話をはじめ多数の人肉食をとりあげています。
易牙は、春秋の覇者、斉の桓公の食道楽に取り入ってその寵を得ようとした。珍味の人肉を食べたいと、かねてより欲していた桓公の意向を承け、我が子の首を切り落とし、蒸し料理にして食膳に供した。
隋・唐の時代から五代を経て、北宋初期に至るまで、その高位大臣には人肉嗜好者が沢山いた。また、山海の賊も旅人を掠め殺し、その肉を削ぎ、食材としていた。賊の首魁は、婦人や子供の柔らかい肉を好み、特に選び捕らえては、それを食っていた。
隋の激賊の朱燦などは、人肉を食の最美なるものと絶賛していた。彼は部下に命じ、至るところで婦人や小児を略奪し、彼の私軍の食料にしていた。「人肉こそは、天下第一の美食」と、彼は公言して憚らなかった。他人から人肉の滋味を聞かれるや「酒飲みの人間の肉は、粕漬けの猪肉に似ている」と、食通なればこその答えを返している。
元の時代の学者、陶宗儀は、その随筆集「輟耕録」に「人肉を食う」と題し、小論を綴っている。そこでは「小児の肉を上とし、婦人の肉これに次ぎ、男子のそれは下等とする」と比較がある。
さらに大西さんは「古代中国の人肉食」と題して次のように書いています。
古代中国では、貧すれば夫は妻を、親は子を、殺しては肉屋に売り飛ばしていた。市場では公然と人肉が売買されたのである。肉屋の主人は、人々の目の前で死体を解体し、羊や豚や牛のごとく、その肉を店先に吊し売っていた。人肉は「両脚羊(二本足の羊)」と称され、羊肉と同一視されていた。
そういえば、中国では「空飛ぶものは飛行機以外、脚あるものは机以外はすべて食用になる」と言いますね。ヒトが食材になったとしても不思議はありません。でも、なにせ「白髪三千丈」のお国柄ですから、そのまま鵜呑みにすることはできませんね。
2005年08月30日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (10)肉食民族と植物食民族
2001年9月11日に2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、1機がワシントンの国防総省(ペンタゴン)に突っ込みました。同じ神を推戴するユダヤ教、イスラム教、キリスト教の骨肉の争いですね。当時、アメリカのテレビ番組で「パールハーバーの再来」という言葉を何度も聞きました。
あの惨劇をみながら、私は、広島と長崎の原爆、1945年3月9日の東京大空襲をしきりに思いだしていました。一神教のかの国では60年を経た時点でも「真珠湾攻撃を忘れるな(Remember Pearl Harbor)」と言っていますが、八百万(やおよろず)の神仏が見守る日本では「広島・長崎を忘れるな(Rember Hiroshima and Nagasaki)」という言葉は聞かれません。「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから」と言うだけです。
戦後パリを訪れた竹山道雄はある家庭に滞在したときの経験を次のように語っています(竹山道雄『ヨーロッパの旅』新潮文庫、1964年)。
・・・こういう(フランスの)家庭料理は、日本のレストランのフランス料理とは大分ちがう。あるときは頚で切った雄鶏の頭がそのまま出た。まるで首実験のようだった。トサカがゼラチンで滋養があるのだそうである。あるときは犢(こうし)の面皮が出た。青黒くすきとおった皮に、目があいて鼻がついていた。これもゼラチン。兎の丸煮はしきりに出たが、頭が崩れて細い尖った歯がむきだしていた。いくつもの管がついて人工衛星のような形をした羊の心臓もおいしかったし、原子雲のような脳髄もわるくはなかった。・・・
あるとき大勢の会食で、血だらけの豚の頭がでたが、さすがにフォークをすすめかねて、私はいった
「どうもこういうものは残酷だなあ−」
一人のお嬢さんが答えた。
「あら、だって、牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださったのだわ」
幾人かの御婦人たちが、その豚の頭をナイフで切りフォークでつついていた。彼女たちはこういう点での心的抑制はまったくもっていず、私が手もとを躊躇するのをきゃっきゃっと笑っていた。
「日本人はむかしから生物(いきもの)を憐みました。小鳥くらいなら、頭からかじることはあるけれども」
こういうと、今度は一せいに怖れといかりの叫びがあがった。
「まあ、小鳥を! あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷な国民でしょう!」
ヒトは植物から必要なものを補給するように進化してきた動物です。しかし、ウシやヒツジと違って、草や木の葉のセルロースを利用するようにはなりませんでした。人類は、穀物、果実や根茎など、植物が光合成で蓄えたデンプンを利用することによって、生命を維持するようになった哺乳動物です。イヌイット(エスキモー)だって例外ではありません。彼らが移り住んだ地にたまたま食糧となる植物がなく、クジラなどの海棲哺乳類を捕食する以外に生きる術がなかったからです。
ユダヤ、イスラム、キリストの三つの一神教はいずれも荒涼たる砂漠に生まれました。この地に移住したひとたちが羊を食べたのは「羊は人間に食べられるために神様がつくってくださった」からではありません。その風土で収穫する穀物だけでその地に住む人々を養いきれなかったから、砂漠にわずかに生える草を羊に食わせてその肉を食べたのです。それにしても、凄まじいですね、この人たちの復讐にかける執念は。
2005年08月31日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (11)ヒトは食料になるか
大西俊輝さんの『人肉食の精神史』につぎのような文章があります。
人が死んだ時、燃料までも使い、火葬にして貴重な蛋白源を、むざむざ消滅させてしまうとは、資源の有効利用を言うなら、まさに無駄遣いである。宇宙船「地球号」に乗る乗組員にとり、船内の資源は有限である。人が生き、殖えていく限り、これに見合う食料増産がなければ、やがて食料は枯渇してしまう。その結果、人は飢えに苦しむことになる。有限の資源を最大限に利用するためには、蛋白質の塊の人間を食べてはいけないということは、発想を変えて考えれば、あるいは無いのではあるまいか。
人肉は、これを一旦土に還し、土を植物が利用した後に、それを動物が食し、さらにその動物の肉を人間が摂取するという食物連鎖を通過させれば、充分に許容されるとする。この連鎖を短縮し、土に還したつもりで一旦廃棄とし、その廃棄物を腐敗する前に取り出し、食料に加工してはならないだろうか。それは果たして許されない禁忌の行為なのだろうか。
たしかに「地球号」には60億ものヒトという大型獣がひしめいています。ヒトの死体の肉を加工してハムかソーセージにしてしまえば誰も気付きません。しかし、「ヒトの肉からつくったソーセージ」なんていくら本能の壊れた人間でも狂気の沙汰です。
現在、日本人は全体で360万トンもの肉を消費しています。日本で毎年、約100万人が死んでいます。死亡者の平均体重を50キロとして、その25%が食用になれば、年間1万2500トンの肉が得られる計算になります。死体を再利用したところで、消費肉の0.3%強しかまかなえません。健康体で亡くなる人(事故死、自死、殺人など)はわずかです。ヒトを食用にするなどというのは猟奇的であるばかりでなく荒唐無稽な話です。
繰り返しますが、ひと以外の動物は同種の仲間を食べません。動物は、本能の壊れた人間と異なり、遺伝子(本能)の命ずるがままに行動するからです。動物には「仲間を食わない」という遺伝プログラムがセットされているのです。よく分りませんが、仲間を食い続けるとその身体に異変が起こり、種の保存が危うくなるからではありますまいか。
2005年09月01日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (12)人間の食べ物は遺伝的距離が離れているものほどよい
ひとは自らの身体にあるものを食物として摂る必要はありません。皆さんの身体には肉もあれば脂肪もあります。足りないのはデンプンだけです(肝臓と筋肉にグリコーゲンという動物デンプンがあります。ただしその量はわずかです)。食うものが全くなくなれば(極限の飢餓状態)ひとはヒトを食うこともありますが、他に食うものがあればひとはヒトを食いません。
ただし、ひとは他人の肉を食べないということであって、自分の肉を常に食べています。口に入れるものが少なくなれば、自分の身体の筋肉(タンパク質)や脂肪からエネルギーを得ることになります。痩せるということは自分の身体を食うことです。病魔に襲われて口からものが入らなくなると、ひとは「骨と皮」になりますね。自分の肉を消費しつくして余すところがありません。見事な終末です。
ウシ、ブタ、ヒツジなどはヒトと同じ哺乳動物です。ひとが哺乳類を食べる必要はありません。彼らの身体はヒトの身体と基本的に同じだからです。ウシ・ブタ・ヒツジなどの肉を食べるのは、他に食うものがないときか、特別な日(ハレの日)にだけ食べればよいのです。
ひとの食物としては鳥類は哺乳類よりましで、魚類は鳥類に比べてさらによいでしょう。ひとの食物はヒトからの遺伝的距離が離れているものほどよいのです。つまり、ひとの食物として最高なのは植物です。
2005年09月02日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (13)仲間を食うということ−その1
動物が毎日、仲間を食い続けたらどうなるでしょうか。身体を健全に保つという栄養学的視点で人肉は獣肉に優るのでしょうか。人間の赤ちゃんにとって母乳が牛乳に優ることは言うまでもありません。しかし、それは母体の血液から養分を得て育った胎児期に続く1年ほどの期間(乳児期=胎生期の延長)のことです。
哺乳動物の子どもは体重が出生時の3倍ほどになるまではメス親のミルクに哺んで育ちます。人間の子は1年で体重がほぼ3倍になります。その後は親が口にしているものと同じようなものを食べて育つのです。人間の子は1年を過ぎると、腸管壁の乳糖分解酵素(ラクターゼ)の活性が低下して母乳が飲めなくなります(飲めば下痢・腹痛を起こします)。
肉の主たる栄養素は脂肪とタンパク質です。脂肪は哺乳動物の種類によって脂肪酸の組成が異なっています。構成脂肪酸の違いによって色調、味、匂いが異なります。例えば、ヒトの脂肪は黄色で、ウシやブタの脂肪は白色です。
タンパク質は20種類のアミノ酸が数珠状に連なったものです。哺乳動物のタンパク質のアミノ酸組成は動物の間で大きな違いはありません。二個以上のアミノ酸が結合したものをペプチドといいますが、数十から数百のアミノ酸がつながったタンパク質(ポリぺプチド)には酵素やホルモンなどのように生命維持に欠かせないものがあります。しかしこれらのポリペプチドも他のタンパク質(たとえば筋肉)と同様に、胃液中のペプシン、膵液中のトリプシン、腸管壁のオリゴペプチダーゼによってアミノ酸に分解(=消化)されて吸収(=血液に入る)されます。消化とはタンパク質の持っている情報を完全に解体することです。
一個のアミノ酸以外にアミノ酸が二個つながったジペプチド、三個つながったトリペプチドも吸収されます。消化管の状態によっては数十個のアミノ酸からなるペプチドが吸収されることもあります。
38億年という長い進化の過程を経てきた動物の身体には免疫という素晴らしい機能が備わっています。たとえば、子供の頃に麻疹(はしか)に罹った人は二度と麻疹に罹ることはありません。麻疹ウイルスが一度侵入すると、麻疹ウイルス(抗原)に特異的に反応する抗体ができて、その後に侵入する同種のウイルス(抗原)を排除してしまうからです。
2005年09月03日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (14)仲間を食うということ−その2
昨日、一度ある種の細菌・ウイルス(異物=抗原)に感染すると、二度と再び同じ細菌・ウイルスの侵入を許さないという「二度なし現象」が免疫であると書きました。現在では、免疫現象は「自己(自分の身体)」と「非自己(元来、自分の身体にないもの)」を識別し、「非自己」である異物を排除する強力な生体防禦システムであると解釈されています(井村裕夫『人はなぜ病気になるのか』岩波書店、2000年12月;多田富雄『免疫・「自己」と「非自己」の科学』日本放送出版協会、2001年3月)。
「自己」と「非自己」の識別に重要な役割を演ずるのは、主要組織適合抗原(MHC)と呼ばれるタンパクです。このタンパクはほとんどすべての細胞の表面に存在し、個人によって少しずつ異なっています。免疫反応は、「非自己」である異種タンパクの断片(ペプチド)が細胞のMHCに結合することによって始まります。
身体に侵入した異種タンパクがマクロファージ*1に取り込まれて分解され、そのペプチド断片が細胞表面のMHCに結合します。すると、ヘルパーT細胞*2がこれを「非自己」と認識し(抗原提示といいます)、サイトカイン*3を分泌してB細胞*4に抗原に対する特異的な抗体の産生を促します(液性免疫*5という)。あるいは、その結合によるサイトカイン分泌がその場所にマクロファージやキラーT細胞*6を呼び集め、細胞や組織を攻撃することもあります(細胞性免疫*7という)。
*1 マクロファージ:細菌・ウイルス・異物・細胞の残骸などを細胞内に取込み消化する力の強い大型の細胞
*2 ヘルパーT細胞:リンパ球の一種。その成熟に胸腺(Thymus)が関与するのでT細胞という。ヘルパーT細胞は免疫応答を活性化するのでヘルパーとなっている
*3 サイトカイン:細胞が分泌して他の細胞の働きを活性化する物質(これもタンパク質)の総称。インターフェロンもサイトカインの一種
*4 B細胞:胸腺の関与なしで成熟し抗体を産生するリンパ球
*5 液性免疫:特異抗体(免疫グロブリン)による免疫。免疫現象が身体の反応を変えて傷害的な過敏症を起こすことがあり、これをアレルギーと呼ぶ。花粉症は代表的なアレルギーの一つ
*6 キラーT細胞:抗原特異的に細胞を攻撃するTリンパ球で、細胞障害性Tリンパ球ともいう
*7 細胞性免疫:臓器移植における拒絶反応がその代表的なもの
2005年09月04日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (15)仲間を食うということ−その3
細菌やウイルスだけでなく、他人の細胞(非自己)が体内に入ったときには「自己」は激しく「非自己」を攻撃します。臓器移植が困難なのはこのためです。
稀な出来事ですが、自分の身体の中でつくられるタンパク質や核酸に対する抗体ができて自分の組織を攻撃するという自己免疫疾患もあります。慢性関節リウマチや全身性エリテマトーデスなどは代表的な自己免疫疾患です。
本来、「自己」を「非自己」と認識して「自己」を攻撃することはありませんが、ときに、「自己」を「非自己」と見誤って攻撃してしまうことがあるのです。
妊娠は、胎児という異物(非自己)を280日の長きにわたって胎内に留め置く大変な生命活動です。「肝臓移植」を「生き肝を食う」と考えれば、「妊娠」は「人の子を食う」に似ていますね。妊娠は女性に多大のコストを要求します。妊娠を経験した女性には自己免疫疾患が多いのです。慢性関節リウマチ、全身性エリトマトトーデス、全身性強皮症などは女性に圧倒的に多い病気です。ヒトの肉を毎日食っていたら自己免疫疾患になる確率が大きくなるのではないでしょうか。
ヒトの肉(細胞)が消化・吸収・代謝される過程でペプチドが修飾を受け、そのペプチド断片がMHCと結合します。この抗原は自己成分とほとんど同じですから、つくられた抗体や誘導された免疫細胞は自己成分を攻撃することになります。しかし、ひとにヒトを長い間食わせる実験が行われたことはありませんし、「ヒトの肉を食らいし者、全身に紅き斑点を生じ・・・」という文献記述もありません。人肉を食うことの多かった古代の人々はこのことを経験的に知って、人肉食をタブーにしたと考えることもできますね。ヒト以外の哺乳動物が仲間を食わないのは、このような病態が起こらないように遺伝的にプログラムされているのかも知れません。
2005年09月05日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (16)哺乳動物を食べるということ
遺伝学的にみて、チンパンジーなどの類人猿はヒトに近く、次いでサルがヒトに近い存在です。ウマ・シカ・ウシ・ヒツジなどはヒトと同じ哺乳動物です。鳥類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫類の順にヒトから遠くなります。ひとの食料となるものでヒトと最も遠縁なのは植物(穀類、豆類、果実類、堅果類、蔬菜類)です。
ひとは自分の身体にあるものを食物として摂る必要はありませんが、食うものが全くなくなれば(極限の飢餓状態)ひとがヒトを食うことは前に述べた通りです。
ひともヒトという哺乳動物です。繰り返しますが、ウシ、ブタなどはヒトと同じ哺乳類の仲間です。ひとは哺乳動物を食べない方がよいのです。彼らの身体はヒトの身体と基本的に同じだからです。哺乳動物を食べるということは、ひとが自分の肉を食べることと同じで、他に食うものがないときだけ食べればよいのです。ひとが哺乳動物を食べるのは、牛がウシを食うことと基本的に変わりません。狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)は草食動物の牛(とくに乳牛)にウシを食わせるというとんでもないことを人間が行なったことに起因する牛の病気です。
それ以外に生きる術のない極寒の地に住むイヌイット(エスキモー)が海棲哺乳動物を、砂漠を生活圏とする遊牧民がウシやヒツジをが日常的に食べるのはやむを得ません。しかし、日本人が毎日、哺乳動物を食べる必要は全くありません。わずか40-50年(2世代)前に哺乳動物を食べはじめた日本人が日常的に哺乳類の肉や体液(ミルク)を食べる必然性は全くないのです。
再び繰り返しますが、「ひとの食物としては鳥類は哺乳類よりましで、魚類は鳥類に比べてさらによい。ひとの食物はヒトからの遺伝的距離が離れているものほどよい。つまり、ひとの食物としては植物が最高です」。植物は、ひとにとって最も大切な糖質(デンプン)の唯一の供給源です。昨今、繊維、センイとうるさいが、センイを供給してくれるのは植物だけです。「穀物食は地球を救う」などと大袈裟な物言いをしたくありませんが、穀物食は人類の滅亡を先延ばしすることは間違いありません。現在、大地が生産する穀物の大半は人間ではなく家畜が消費していることを忘れないでください。
2005年09月22日
なぜ、哺乳類を食べてはいけないか (17)日本人は「穀物+大豆+野菜(+魚)」を
この文章は9月6日に書く予定でしたが、トラブルによって掲載できませんでした。
抗原性をもつさまざまな食品が腸管に侵入します。抗原物質の多くは消化されて抗原性を失って吸収されますが、一部は腸管粘膜で免疫反応を誘導します。まず、粘膜細胞から分泌される免疫グロブリン(IgA)がその抗原の生体内侵入を局所で特異的に阻止します。同時に、生体内でもその抗原に対する特異抗体(IgG)が産生されなくなるという全身免疫機構の寛容状態が誘導されます。
この経口免疫寛容によって、大部分のひとはその風土に適った食べ物を食べている限り不都合な免疫反応(アレルギー)は起こりません。日本人の消化器は過去数千年の食環境に応じて日本人特有の免疫寛容を備えてきました。しかし、わずか1-2世代の間に、日本人がついぞ口にしたことのない食品が大挙して腸管に侵入するようになり、食品由来の抗原の種類が激増してしまいました。
このように生命体は必ずしも鉄壁ではありません。しなやかでありゆるやかでもあります。しかし、免疫寛容も完璧ではありません。私たちの先祖が食べ続けてきた食品からかけ離れた物ばかりを食べているととんでもないことが起こりかねません。日本人は、古来親しんできた「穀物+大豆+野菜(+魚)」という日常茶飯から大きく逸脱すべきではありませんね。哺乳動物の肉を食べるのは「ハレの日」だけでよいのです。
日本人ほど食に関して好奇心の強い民族はありません。何でも食べます。世界中の食財をかき集めて作った和・洋・中あるいは国籍不明の料理が一般家庭の食卓に載ります。西に旨いものがあると聞けば飛んで行き、東に珍奇なものが聞けば駆けつけます。「中国人は空飛ぶものは飛行機以外、脚あるものは机以外は何でも食う」の中国人を日本人と置き換えてもいいでしょう。レストランの中華料理は豪華ですが、一般の中国人家庭の日常の食卓は質素です(主食のメシあるいは麺類と野菜炒め)。中国人も、ヨーロッパ人も、アメリカ人も、食に関しては極めて保守的です。最近の日本人はおかしくなってしまいましたね。
2006年01月24日
急告:BSE感染、国内22頭目、北海道の農場(山梨日日新聞2005年1月24日)
農水省は23日北海道別海町の農場で死んだ乳牛1頭を牛海綿状脳症(BSE*)と確定診断したと発表した。国内の感染牛は22頭目。肉や内蔵などは消却処分されるため市場には出回らない。
*牛海綿状脳症(BSE):いわゆる狂牛病のこと
農水省などによると、5歳4ヶ月の雌のホルスタインで、20日に死んだという。感染源の恐れがあるとされる肉骨粉が餌として禁止される前の2000年9月に生まれた。北海道は飼料などを分析して感染ルートを調べる。21日に道内の検査機関で一次検査で擬陽性となり、二次検査でも陽性だった。
食に関する一日一話(2)の2005年6月7日に「急告:国内20頭目の狂牛病(BSE)も乳牛ホルスタイン」と題して次のように書きました。
厚生労働省の狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)の専門家会議は6月6日、北海道の乳牛1頭を国内20頭の狂牛病と確定診断しました。北海道鹿追町で飼育されていた4歳の雌のホルスタインです。これで日本で発生した狂牛病の牛はすべて乳用種のホルスタイン牛ということになります。
このホルスタイン牛の出生時期は、感染源の恐れがあるとして肉骨粉の飼料使用が禁止された2001年より前の2000年8月ということです。
例によって、厚労省は「肉や内臓などは焼却処分されるため市場には出回らない」と発表しています。しかし、この乳牛から搾った牛乳はどうなったのかということについて、厚生労働省も内閣府食品安全委員会も一切言及していません。
国内21頭目の狂牛病の発生は2005年12月10日で、北海道千歳市で飼育されていた5歳9ヶ月のホルスタイン乳牛でした。したがって2006年1月24日現在、日本国内で発症した狂牛病(22件)はすべて乳用牛ホルスタイン種に起こったことになります。イギリスでは18万頭を超える狂牛病牛が発生していますが、その80%以上は乳用牛でした。妊娠している牛から牛乳を搾るという無茶な現代酪農(多量の高タンパク質飼料を必要とする)が狂牛病発生の正体です。このことを知っていると昨今のアメリカ産牛肉の輸入再開・再禁止などのニュースはほんのお笑い草ですね。
2006年03月16日
急告:狂牛病、国内23頭目も乳牛
BSE疑いの乳牛、23頭目と確定診断(山梨日日新聞2005年3月16日)
厚生労働省の牛海綿状脳症(BSE)の専門家会議は15日全頭検査で擬陽性となった北海道中川町の乳牛1頭について、BSEと確定診断した。5歳の雌のホルスタインで、感染牛は国内23頭目。
肉や内臓は焼却処分されるため、市場には流通しない。
肉骨粉の飼料使用が禁止された2001年以前の2000年7月に生まれており、厚労省は現在進めている一連のBSE対策に影響はないとしている。
今月13日に北海道上川保健福祉事務所名寄地域保健部の1次検査で擬陽性とされ、北海道大と帯広畜産大の2次検査でも陽性だった。
専門家会議は「典型的なBSE」として会議を開かず、電子メールで検査データを確認し、確定診断した。
これで日本で狂牛病になった23頭の牛はすべて乳用牛ホルスタインであったことになります。乳牛は出産直前の2ヵ月は乾乳といってミルクを搾りませんが、出産5日後から商品としてミルクをずっと搾られます(搾乳300日)。子牛は生後3ヵ月ほどは母牛のミルクを必要としますが、現代酪農は商品として搾ったミルクを子牛に与えません。そのため、狂牛病になった乳牛は肉骨粉入りの代用乳で育てられたのでしょう。
2006年03月18日
急告:狂牛病、国内24頭目は初の肉牛
肉牛、初のBSE確認 14歳の雌、国内24頭目(日本経済新聞2005年3月18日)
厚生労働省は17日、長崎県壱岐市で繁殖用に飼育されていた雌の黒毛和牛1頭がBSE(牛海綿状脳症)感染牛だったと確認した。国内でのBSE感染牛としては24頭目で、肉用牛としては初めて。これまで乳用牛でしか感染例がなかったが、肉用牛でも発覚したことから、農林水産省などは感染経路の特定を急ぐ。
感染牛は1992年2月生まれの14歳の雌。これまでに10頭を出産し、その中には食用として市場に出回った牛もいるとみられるが、厚労省は「BSEの母子感染はないとされており、子牛の肉を食べても心配はない」としている。
この牛は10頭目の妊娠中に立てなくなり、分娩(ぶんべん)後の今月13日に佐世保市食肉衛生研究所に持ち込まれた。解体後に大腿(だいたい)部の脱臼が判明し、1次検査で陽性反応が出た。国立感染研究所で2次検査を実施、17日に開かれた厚労省専門家会議で確定診断された。
国内では2001年9月の千葉県での1ー9歳の23頭の感染を確認。感染牛はいずれも乳用牛として飼育されていたもので、うち2頭は飼育途中で肉用に変更された。肉用牛は生存期間が短く、BSE感染の危険性は低いとされるが、今回感染が確認された肉用牛は繁殖用のため高齢だった。
感染経路はまだ特定されていないが、農水省などは新たな感染ルートが存在する可能性もあるとして、飼料や薬品の使用状況のほか、この牛と一緒に育てられていた牛や子の追跡調査を進める。
この牛の肉や内臓は焼却処分され、市場には流通しない。
日本で初の肉用牛のBSE(狂牛病)感染です。牛は通常1頭の出産ですから、肉用牛が産んだ子牛は母牛のミルクで育ちます。また、肉用に育てている牛に肉骨粉の入った濃厚飼料で飼育しても利点はありません。だから、肉用牛に狂牛病が発生することは本来少ないのです。今回の感染牛は繁殖牛でしたから、妊娠中に栄養補給として肉骨粉入りの濃厚飼料が与えられたのかも知れませんね。
2006年04月20日
急告:国内25頭目の狂牛病もホルスタイン乳牛
岡山初BSE牛確認 奈義の乳牛、国内25例目(山陽新聞2006年4月20日)
岡山県は19日、同県奈義町の農場で飼育され牛海綿状脳症(BS E)1次検査で陽性反応を示していた乳牛1頭が国の確認検査により、
感染が確定したと発表した。北海道枝幸町産のホルスタイン種で、生後 71カ月の雌。国内25例目で、県内では初めて。
肉や内臓は焼却処分され市場には流通しない。
県は、18日に検体を国立感染症研究所(東京都新宿区)に送り、確 認検査を受けていた。脳に蓄積した異常プリオン(タンパク質)を調べ
る2次検査でも陽性と判定された。専門家会議は結果を「BSEの典型 例」と判断。会議を開かず委員が電子メールでデータを確認し、確定診
断した。
感染牛は2000年4月生まれ。02年3月、奈義町の農場に来た。 以降、子牛を4頭産んでおり、うち3頭は死亡。県は残る1頭を「疑似患畜」として所在を調査する。
肉骨粉の飼料使用が禁止された01年以前に生まれていることから、 県は、北海道で飼育されている際に、飼料から感染したケースも考えら
れるとして、感染経路なども調べる方針。
国内で25例目のBSE(狂牛病)もホルスタイン乳牛に発生しました。母ウシのミルク(人間用の商品)は乳牛の子牛に与えられませんから、子牛は代用乳で育てられます。この代用乳にBSE牛から作られた肉骨粉が加えられていたのでしょう。