炭水化物の威力 その3
アルコールを飲むと炭水化物が不足する
炭水化物とアルコール 炭水化物の重要性をさらに理解していただくために、炭水化物とアルコールの関係を述べておきます。ご存知のように、私たちが飲用するアルコール(エチルアルコールまたはエタノール)は穀物や果物などの炭水化物を微生物(酵母)の力を借りてアルコール発酵させたものです。すなわち、アルコールは炭水化物からつくられます。ここからアルコールに関する大きな誤解が生まれてしまいました。それは、アルコールは炭水化物と同等のエネルギー源であるという誤解です。困ったことに今でも「日本酒を飲むときはご飯(炭水化物)を減らしなさい」などとおっしゃる方がいます。 アルコールは炭水化物ではありません。体内に吸収されたアルコールのほとんどは代謝されて酢酸になります(最終的には炭酸ガスと水に分解されます)。脂肪酸はメチル基(CH3-)が鎖状につながった有機酸(CH3CH2…CH2COOH)です。炭素の鎖が数によって長鎖脂肪酸、短鎖脂肪酸などと呼ばれますが、炭素数が一つの酢酸は最短鎖脂肪酸です。つまり、酢酸のもとになるアルコールは炭水化物ではなくて脂肪なのです。 日本酒やビール・ワインなどの醸造酒は多少とも未発酵の炭水化物とともにわずかながら蛋白質などの栄養素を含んでいます (図)。 しかし、焼酎・ウィスキーなどの蒸留酒はアルコール以外に栄養源らしきものはなにも含まれていません。蒸留酒は香りと微妙な味のついた高濃度のアルコール水溶液です。ほとんどの酒飲みは焼きとりやさしみなどをつまみながらアルコールを口にします。私たちは昔から「肝臓を護るために、お酒を飲むときは良質の蛋白質を摂りなさい」と繰りかえし聞かされてきました。「良質の蛋白質」とは「動物の肉」のことです。しかし、動物性蛋白質を食べながらお酒を飲むと炭水化物が不足します。お酒の好きな方ならきっと、アルコールをたっぷり飲んだあとにお茶漬けやラーメンが食べたいと思われたことがあるでしょう。お酒を飲んだあとは身体が炭水化物を要求するのです。 飲酒量と栄養摂取量に関する筆者らの調査*では、飲酒量が増えるにしたがって穀類の摂取が減って肉類が増えていました。「お酒を飲んだらごはん(炭水化物)を減らしなさい」は単なる風説ではなく飲酒者はこの教えをきちんと守っています。多くのひとが、アルコールは穀類や果物からつくられるから、「アルコール=炭水化物」と誤解しているのです。 アルコールは胃と小腸から吸収されて血液に入り全身をめぐります。一部は呼気と尿中に排泄されますが、吸収されたアルコールのほとんどは肝臓でアセトアルデヒドを経て酢酸に分解され、最終的に炭酸ガスと水になります(図)。 身体に入ったアルコールを分解する酵素は二つあります。一つがアルコール脱水素酵素でもう一つはさきに「炭水化物と化学物質の毒性」で取りあげたCYP2E1です。少量のアルコールの分解には主としてアルコール脱水素酵素が関わりますが、大量のお酒を飲んで血中アルコール濃度が高くなったときにはCYP2E1が動員されるようになります。 CYP2E1はミクロソームという細胞小器官に存在する酵素ですから、「ミクロソームのエタノール酸化酵素」の意味でMEOS(ミーオス)とも呼ばれています。ミーオスはリーバー博士*の命名によるものですが、後になってCYP2E1と同一のものであることが判明しました。 「炭水化物と化学物質の毒性」で述べたように、炭水化物の摂取量が少ないと四塩化炭素の肝毒性が強くなります。炭水化物の少ない食事によってCYP2E1が誘導され、四塩化炭素から大量のフリーラジカルがつくられるからです。アルコールも低炭水化物食と同様にCYP2E1を誘導します。アルコールによるCYP2E1の誘導現象はリーバー博士によって発見されました。初めてアルコールを飲んだころには少量で酔っていた「酒に弱い」ひとが飲酒を重ねるとだんだん多量のアルコールが飲めるようになることがあります。この「酒に強くなる」という現象にもアルコールによるCYP2E1の誘導が関与しています。 上記のように「低炭水化物食」と「アルコール」はともにCYP2E1の活性を高めるのですが、世間で常態となっている「低炭水化物食+アルコール」(炭水化物の摂取量が少ない状態でアルコールを飲む)は「低炭水化物食」と「アルコール」の単なる足し算ではなく、両者が相乗的に作用してきわめて高度のCYP2E1の活性亢進を起こします*。 ここで、アルコールに関する動物実験で使われるアルコール液体食について説明しておきます。固形あるいは粉末の飼料とアルコールを加えた飲料水で動物を飼育してもよいのですが、ラットなどの実験動物は人間と違ってアルコールが好きではありません。ラットに飲ませるには15%のアルコール(日本酒ぐらいの濃度)が限度ですが、この程度の濃度では臓器に明らかな変化は起こりません。アルコール濃度が高くなると飲水量が少なくなる同時に餌の摂取量も減少して体重が減ってしまいます(15%でも体重が減ります)。一方、ラットが十分量の餌を食べるような濃度ではアルコールの摂取量が少なすぎて何の影響も現れません。ここに、リーバー博士が開発した、アルコール研究に極めて有用な「リーバー食」が登場したのです。リ博士は、蛋白質・脂肪・炭水化物・ビタミン・ミネラル・食物繊維を溶かした液体にアルコールを加えてアルコール含有液体食をつくり、哺乳ビンのようなガラス容器でラットに飲ませました。液体食は、アルコールの摂取量を一定に保ちながら他の栄養素を自由に変えることができますから、動物実験には非常に便利でした。 リーバー博士は、1960年ごろのアメリカ人の標準的な食事に基づいて、動物用の標準液体食(蛋白質18%、脂肪35%、炭水化物47%)を作りました(図)。 この標準食(1kcal/ml)の80ml(=80kcal)で若いラットは順調に成長します。次いで、標準食の炭水化物(4kcal/g)をアルコール(7kcal/g)で置き換えて、蛋白質18%、脂肪35%、炭水化物12%、アルコール35%の割合にしたものがリ博士のアルコール食です。リ博士はアルコールが炭水化物と同等のエネルギー源で、炭水化物と置き換え可能と考えていたのです。これがリ博士の失敗でした。 アルコールの健康障害といえば肝障害ということになっています。今ではどなたでも、アルコールを飲み過ぎると肝臓が侵されることを知っています。ALTやASTなどの肝機能検査の数値が上がっていると、お医者さんが最初に発する言葉は「お酒をたくさん飲んでいますか」です。しかし、1960年ごろまでは、アルコールだけで肝臓が悪くなることはないと信じられていたのです。もちろん、アルコール依存になっているような大酒飲みに肝炎・肝硬変などが起こることはよく知られていました。しかし、大酒飲みに肝障害が起こるのは、アルコールが直接の原因ではなく、食べるべきもの(蛋白質)を摂らないでアルコールばかり飲んでいるからだという「アルコール性肝障害の栄養起因説」が主流だったのです。今でもあまり変わりませんが「お酒を飲むときは良質な蛋白質(=動物性蛋白質)を食べなさい」と言われていました。とくに1960年代は「何を措いても蛋白質」の時代でした。実際、インスリンの発見者の一人であるベスト(Best C)は、自ら動物実験を行って、「栄養が十分であれば、アルコールは甘くない砂糖水のようなものだ」語っていたほどです。アルコールを飲料水に加えて飲ませているかぎり、ラットの肝臓には最も軽度の障害である脂肪変性すら起こらないのです。 しかし、故郷のベルギーで、栄養が十分でありながら肝硬変になったアルコール依存症の患者を診たことのあるリーバー博士はこの医学界の常識に挑戦しました。リ博士の最大の研究業績は「栄養学的に十分な組成のアルコール食」をヒヒ(baboon)に与えて実験的にアルコール性肝硬変を発生させることに世界で初めて成功した*,**ことです。このリ博士の研究では、最長4年間にわたって「アルコール液体食」で飼育した15匹のバブーンのうち5匹に肝炎、5匹に肝硬変が発生しました。リ博士の、栄養が十分であっても大量のアルコールを飲めば肝硬変が起こるという報告は医学界に大きな衝撃を与えました。 リーバー博士の「栄養学的に十分な組成のアルコール食」とはどんなものだったのでしょうか。ヒヒの実験でリ博士が用いた液体食(1 kcal/ml)はエネルギー割合で18%の蛋白質と十分量のビタミン・ミネラルを含んでいました。アルコールは全量を炭水化物と置き換えて全摂取カロリーの50%に達していました。リ博士は、アルコール依存症に陥っているひとたちに不足しがちな蛋白質とビタミンをたくさん加えたということから「栄養学的に十分」と考えたのです。つまり、リ博士は「大量のアルコールを含む超低炭水化物食」を「栄養学的に十分な組成のアルコール食」と称していたわけです。しかし、本来的に重要な栄養素である炭水化物を極端に減らしているのですから、栄養学的に十分であるはずがありません。「リーバー博士の失敗」はアルコールを炭水化物と同等の互換性のある液体と考えていたことにあります。今でもそうですが、この頃はとくに、「炭水化物は単なるエネルギー源である。炭水化物など摂らなくてもよい」と考えられていたのです。 私は以前から「炭水化物は単なるエネルー源である」という考え方に疑問を抱いていましたので、リーバー博士の「超低炭水化物+アルコール」が栄養学的に十分であるはずがないと思っておりました。前に述べたように、アルコールは脂肪です。アルコールを加えるとき、減らすべきは脂肪であって炭水化物ではありません。そこで、リ博士のアルコール食が栄養学的に不十分であることを実験的に証明しようと思い立ちました。以下にその経過を少し詳しく述べることにします。 まず、リーバー博士の処方にしたがって、アルコールが含まれていない標準食(蛋白質18%、脂肪35%、炭水化物47%の液体食)を作ります(図)。
この標準食の炭水化物をアルコールで置き換えたものがリ博士のアルコール食で、その本体は低炭水化物/アルコール食(蛋白質18%、脂肪35%、炭水化物12%、アルコール35%)です。一方、標準食の脂肪をアルコールで置き換えたものが低脂肪/アルコール食(蛋白質18%、脂肪0%、炭水化物47%、アルコール35%)です。これら3種類の液体食でラットを4週間飼育してアルコール肝障害の程度を観察しました*。 ラットは夜行性の動物ですから、日中は背中を丸めて眠っていて、暗くなってから活動をはじめます。餌を食べるのももっぱら夜間です。したがって、毎日新たに液体食をつくって午後4時に与え、翌日の午前10時に給餌ビンを撤去しました。ラットは脂肪の代わりにアルコールを加えた低脂肪/アルコール食はよく飲むのですが、低炭水化物/アルコール食をあまり好みません。液体食の摂取量を測ると、標準食>低脂肪/アルコール食>低炭水化物/アルコール食でした。栄養素とアルコールの摂取量が違っては実験になりませんから、飲用量の最も少ない低炭水化物/アルコール食に合わせて他の群の給餌量を調整しました(ペア・フィーディングと言います)。餌の食べ方を見ているだけでも低炭水化物/アルコール食(リーバー博士のアルコール食)は大変な餌であると感じたものでした。 この実験結果の一部を下表に示します。肝臓の顕微鏡標本をつくり、病理学の専門家にアルコールの影響を調べていただきました。
この表は、肝臓に変化のみられないものを(−)、肝細胞に小さな脂肪滴(軽度の脂肪変性)がみられるものを(1+)、大小さまざまな脂肪滴が存在して明らかな脂肪変性(脂肪肝)の起こっているものを(2+)で示しています。 アルコールを含んでいない液体食(標準食)を食べていたラットでも10匹中1匹に軽度の脂肪変性(1+)が認められました。アルコールを飲まなくても肝臓に脂肪の溜まることがあります。一方、炭水化物を少なくしてアルコールを加えた液体食(低炭水化物/アルコール食=リーバー博士のアルコール食)を食べたラットでは、10匹のうち半数の5匹に明らかな脂肪変性(2+)が生じておりました。さらに3匹には(1+)が認められ、異常なし(1+)は10匹中2匹だけでした。これに対して、脂肪を少なくしてその代わりにアルコールを加えた液体食(低脂肪/アルコール食)を食べたラットでは明らかな脂肪変性(2+)が起こったラットは10匹中1匹だけでした。軽度の脂肪変性(1+)も2匹に認められただけで、7匹には肝臓に変化がありませんでした。つまり、同じ量であっても、炭水化物の少ない状態で飲んだアルコールは高度の肝障害を起こすが、適度の炭水化物を摂りながら飲んだアルコールは肝臓にあまり悪い影響をもたらさないという実験結果でした。 先に、「低炭水化物食」と「アルコール」はともにCYP2E1を誘導するが、この両者が組合わさるとそれぞれの誘導作用が相乗的に働いて極めて高度の誘導効果をもたらすことをお話しました。上表右端のデータ(CYP2E1の活性)は、肝臓のミクロソーム分画を用いて測定したジメチルニトロサミンの代謝速度(10匹の平均値)です。低炭水化物/アルコール食を与えられたラットの活性は低脂肪/アルコール食の2倍以上になっています。つまり、アルコールを飲むときに炭水化物の摂取量が少ないと、CYP2E1(MEOS)の活性が著しく亢進するのです。アルコール性肝障害はCYP2E1の分布している部位(肝小葉の中心静脈周辺)に強く現れますので、CYP2E1によるアルコールの代謝が肝障害に関連していると考えられています。 最後にもう一度繰りかえしますが、アルコール飲料は穀類などに含まれている炭水化物を微生物の力でアルコールに変えたものです。アルコール発酵によって穀物などの原料から減少する栄養素は炭水化物です。アルコール(=脂肪の一種)のつまみに焼き鳥や魚介の刺身ばかりを食べていると大切な炭水化物が不足してしまいます。宴会の納めにはお茶漬けあるいはおむすびが最高です。
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