日本の育児に大きな影響を与えた書物に、アメリカの小児科医ベンジャミン・スポック(1903~1998)が著した『スポック博士の育児書』(原題 The Common Sense Book of Baby and Child Care)がある。この原著の初版は1946年で、42か国語に翻訳され世界中で5000万冊も販売されたといわれるほどに圧倒的な影響力を発揮した育児書であった。以下のことは『乳がんと牛乳−がん細胞はなぜ消えたのか』(径書房、2008年10月)の訳註で述べたことであるが、ここでも触れておきたい。
アメリカでは1946年の初版につづいて、1992年に第6版、1998年に第7版、2004年に第8版が出版されている。日本でも、赤ちゃんが生まれると誕生祝いに日本語版を贈ることが流行ったというから、1970(昭和45)〜1980(昭和55)年に母親になった女性(現在60〜80歳)のなかにはこの育児書を読んで子どもを育て、一層強固な牛乳信者になった人もいることだろう。実際、日本の母子健康手帳および副読本はこの育児書を参考にしてつくられた。
日本では1966(昭和41)年に、高津忠夫・監修の和訳・初版が原著・第3版(1957年)に拠って、暮しの手帖社から出版された。その後、1992年にアメリカで出版された英文の第6版が、故高津忠夫と奥山和男の監修で『最新版・スポック博士の育児書』として翻訳・出版され、2006(平成18)年現在、13刷を重ねている。
日本語版での牛乳に関する文章は初版でも最新版でもほとんど変わっていない。日本語の最新版(原著第6版)には次のように書かれている。
牛乳には、人間の体に要る、ほとんど全部の成分が、含まれています。つまり、蛋白質、脂肪、糖分、ミネラル、それに、たいていのビタミンが入っています。
もっとも、よくバランスのとれた食事をしている子なら、牛乳をのまなくても、他の食べものから、こういった大切な栄養素をとることができますが、カルシウムだけは例外です。
牛乳は、カルシウムをたっぷり含んでいる唯一のたべものなのです。だから、どんな形にせよ、よちよち歩きの子には、一日に450cc〜560cc、もっと大きい子には、700cc〜950ccの牛乳を与えなければいけないのです。
といっても、こどもは、日によって、また週によってほんの少ししかのまなかったり、とてもよくのんだり、ムラの多いものだということを忘れてはいけません。いつまでも牛乳をのませようとおもったら、あまりほしがらないときは、しばらく少しにしてやればいいし、まったくのみたがらないときはそっとしておくことです。けっして無理じいをしてはいけません。ただし、二、三週間たっても、まだ700ccにもどらないときは、牛乳を使う料理を考えるなりして、たべさせる工夫をしてください。
このようにスポック博士は、幼児に多量の牛乳を飲ませるよう母親に説いていた。ところが博士は、1998年の第7版で、牛乳に対する考えをそれまでと180度変えてしまった。スポック博士は、「自然界には、離乳期を過ぎてミルクを飲む動物はいない。人間も同じで、離乳期を過ぎたらミルクを飲まないことが正常である。……(中略)……必要なタンパク質を植物から摂ったほうが、子どものカルシウム・バランスは良くなる」と述べ、1歳未満の子どもは母乳で育てるのが自然で、離乳期を過ぎたら植物性の食品を食べさせよと強調するようになったのである。
日本語の最新版は第6版に拠っているからこのスポック博士の考えを伝えていない。英語版はさらに改訂されて2004年に第8版が発行されているから、アメリカで最新版といえば第8版のことである。第6版を翻訳した日本語の最新版は原著最新版とは似て非なるものである。第8版は次のような、乳・乳製品に対するスポック博士の新しい見方を伝えている。
アメリカ人の心臓発作に到る過程は子どものころから始まっている。すでに3歳で、多くのアメリカの子どもの動脈壁に脂肪が付き始める。12歳の子どもの70%に動脈硬化の初期変化がみられ、21歳になるとほぼ全員に動脈硬化が始まっている。肥満がアメリカ社会全体を覆うようになった。アメリカは社会全体で食生活を変えなければならない。最悪の食品は乳・乳製品である。
長い間、お医者さんは、少年少女がたっぷりカルシウムを摂らないと、年をとってから骨がもろくなってしまうと言い続けてきた。事実、米国科学アカデミーは1〜3歳の子どもは一日500mg、4〜8歳は800mg、9〜18歳は1300mgのカルシウムが必要だと述べている。こんなにたくさんのカルシウムを摂るために、一番手っ取り早い方法は牛乳をたっぷり飲むことである。アメリカは国をあげて『もっと乳・乳製品を!』という宣伝キャンペーンを繰りひろげてきた。
しかし、最近、こんなに大量のカルシウムが子どもに本当に必要なのかと疑問を投げかける専門家が現れるようになった。例えば、12~20歳の女性を対象にした研究によると、一日500mg(勧告量の40%)以上のカルシウムを摂っても、骨密度が増えることはないという。骨を丈夫にするのは、カルシウムではなくて運動(身体活動)なのだ! よく運動する少女ほど骨が丈夫(骨密度が高い)であった。
個人的なことになるが、私(スポック博士)は、88歳になった1991年から乳・乳製品を完全に絶ち、肉は脂身のない部分を少ししか食べないという食生活に切り替えた。この食事にしてから2週間で、長年の抗生物質の治療で効果のなかった慢性気管支炎が消えた。私の中高年の友人で、食事から乳製品や肉を除くことによって持病の心臓病がよくなった人が何人もいる。この種の食事が効果を発揮するためには、精製しない穀物、たくさんの野菜・果物を食べて、よく身体を動かすことが必要である。
私はもはや、2歳を過ぎた人間に乳・乳製品を勧めることはしない。たしかに、乳・乳製品が望ましい食物だと考えていた時期もあった。しかし、最近の多くの研究や臨床経験に基づいて、医師も『乳・乳製品はよいものだ』とする考えを見直さざるを得なくなったのである。
子どもに乳・乳製品を与えてもよいのは1歳(最初の誕生日)までである。体重が生まれたときの3倍になれば子どもはもはやミルクを必要としない。 |