「牛乳と乳がん」研究のメタアナリシス
Dongらのメタアナリシス 「牛乳と乳がん」について乳がんの専門医と話をしたことがある。この人は「エビデンス(科学的根拠に基づいた治療)」を重んずる方で、「牛乳が乳がんの原因になることはメタアナリシスで証明されていない。どちらかというと、牛乳はむしろ予防的にはたらく」とDongらの論文*に言及された。 メタアナリシスというのは、過去に行われた類似の研究を収集し、観察する対象集団を大きくして検出力を高める疫学手法である。Dongらは1989-2010年に行われた乳・乳製品と乳がんの発生に関する18の研究を対象にしてメタアナリシスを行った。その結果はつぎのようなものであった(上の図:牛乳と乳がん、下の図:全乳製品と乳がん)。 これらの図には、牛乳や乳製品の摂取量が少ないグループの乳がんリスクを1.00としたときの、摂取量の多いグループの相対リスクとその95%信頼区間がプロットされている。相対リスクの信頼区間の上限が1を下回ると牛乳(上の図)や乳製品(下の図)に乳がんの予防効果があるということになる。Dongらの計算した全体の相対リスク(95%信頼区間)は、牛乳に関しては0.90 (0.80-1.02)、全乳製品に関しては0.85 (0.76-0.95)であった。Dongらは牛乳・乳製品は乳がんに対して予防的にはたらくと結論している。 Knektの研究(フィンランド) 乳製品の定義がそれぞれの研究によって異なるので、ここでは「牛乳と乳がん」(上の図)について述べることにする。これには12の研究の相対リスクとその信頼区間が目盛られている。牛乳をたくさん飲んでいる女性の相対リスクは0.42(Knect 1996)から1.71(Gaard 1995)にわたる。個々の研究で、相対リスクの95%信頼区間の上限が1を下回る(牛乳飲用が乳がんの予防になる)のは、12研究のうちの3研究である(Knect 1996; Hjartaker 2001; Shin 2002<更年期前>)。 これら3研究のうち、相対リスク(95%信頼区間)が0.42(0.24-0.74)という驚くべき数値を報告しているKnektの研究*をここで取りあげることにする。なお、Shin 2002(更年期前)は、さきに「女性を対象にする栄養疫学研究は真実を見逃す」で話題にした「ハーバード大学の大規模疫学研究」である。 Knektの研究によると、牛乳飲用量の少ないグループ(1日に370g未満)の乳がんリスクを1.0とすると、牛乳をたくさん飲むと答えたグループ(1日に620g以上)の相対リスクは0.42であったという。つまりKnektは、牛乳をたくさん飲むと乳がんになるリスクが大幅に減少するという研究結果を報告したのである。 この研究について少し詳しく述べる。1967年から1972年にかけて15-90歳(平均年齢39±16歳)の4,697人の女性に栄養調査を行い、その後25年間追跡したところ88人が乳がんに罹患したことがわかった。そこで、これらの女性を、牛乳の飲用量が少ない(370g/日未満)、中間(370-620g/日)、多い(620g/日以上)の3グループに分けて、グループ間の乳がん罹患率を比較した。その結果、牛乳飲用量の多いグループの乳がんリスクは少ないグループの半分程度であったというのである。 それでは牛乳飲用量が少ないと答えたのはどんな女性だったのか。各グループの年齢や、体重、身長は記述されていない。ただ、3グループの1日当りの食物摂取量が報告されているだけである。下表をご覧いただきたい。 牛乳飲用量の多いグループに比べると、少ないグループでは、牛乳だけでなくフィンランド人の主要食品である乳製品・穀物・ポテト・肉の摂取量も少ない。乳製品にいたっては多いグループの半量以下である。そのため、牛乳飲用量の少ないグループの摂取エネルギーは多いグループの70%程度にとどまっている。つまり、牛乳をあまり飲まないと答えた女性は、牛乳だけでなく、他の食物の摂取量も少なかったのである。 フィンランドの牛乳飲用量 1960年代のフィンランドでは、心筋梗塞による死亡が世界一であった。心筋梗塞の原因としてやり玉に上がったのは飽和脂肪酸であった。さらに、飽和脂肪酸は乳がんの発生要因とも考えられていた。飽和脂肪酸の摂取量をいかに減らすかはフィンランドの重要な健康施策であった。 第二次世界大戦後のフィンランドは世界に冠たる牛乳消費大国で、国民は1日に800gほどの牛乳を飲んでいた(下図)。このため、1960年代の後半には飽和脂肪酸の多い乳脂肪を減らすことがフィンランドに健康を取り戻すために必要と考えられるようになった。実際、フィンランドの牛乳消費量は1990年代には半減した。付言すると、「飽和脂肪酸の多い牛乳はあまり健康的な飲みものではない」という考えはフィンランドだけでなく、心筋梗塞の多い欧米に共通する流れであった。 Knekt研究の問題点 Knektの研究は、牛乳摂取量によって女性を3グループに分け、その後25年にわたって乳がんの発生を追跡したコホート研究という体裁をとっている。しかし、牛乳だけではなく食物全体の摂取量が大きく異なっているグループ間で乳がんの発生率を比較するという研究にはあまり意味がない。牛乳をたくさん飲んだから乳がんにならかったと考えることもできるが、牛乳を飲まないと答えた女性に最初から問題があったと考えることもできるからである。 研究対象となった、牛乳をあまり飲まないと答えた女性は、体調に何らかの不具合があって、牛乳(および乳製品)を控えていたのかもしれない。この不具合のなかに未診断の乳がんが含まれていたと考えることは不自然ではない。乳がんの虞れを抱えた女性が乳・乳製品を控えていたために、乳・乳製品の摂取量の多い女性には乳がんが少ないという結論が導かれた可能性がある。 メタアナリシスの結論を最高のエビデンスと考える医学研究者がいるが、もともと欠陥を抱えた研究をいくら集めて観察数を多くしてもエビデンスが高まるわけではない。銅をどんなに鍛錬しても金にならないのと同じである。 |