日本人の食生活の基本は「穀物+大豆+野菜+(魚介類)」である。離乳期を過ぎてからもミルクを飲む哺乳類は人間以外にいない。日本の伝統的な食文化に牛乳は存在しなかった。人間が牛乳を飲むということはどういうことなのか。 |
「牛乳-ミルク」という言葉には安らぎの響きがある。牛乳は母親の香りがする。母親の暖かい乳房に縋ったころの想い出が甦る。 お医者さんに聞いてみよう。『牛乳を飲んでもいいでしょうか』 ほとんどのお医者さんは言う。『牛乳は天然の完全栄養食品だ。赤ん坊だけでなく、子どもにも、おとなにも、お年寄りにもよい。みんな、毎日、少なくともコップ1杯ぐらいの牛乳を飲むべきでしょう』 日本人の古来の食文化には牛のミルクを飲むという伝統はなかった。もちろん、日本でも牛馬は飼われていた。しかし、日本の牛馬は農耕・運搬用であり、その乳液を飲んだり、屠殺して肉を食用に供するということはなかった。このことはアジア・アフリカ(例外はある)に共通している。牛乳をそのまま(全乳のこと。現在は減菌・滅菌している)飲むのは西洋人(皮膚の色の薄い人たち=コーカソイド)だけである。 アジアで例外的に牛乳を食料としてきたモンゴルの遊牧民も搾った牛乳をそのまま飲むという習慣はない。一部は茶葉とともに煮出して乳茶(岩塩を入れるので塩味である)として飲むが、大部分の牛乳は直ちに撹拌して醗酵させ、もっぱらチーズ、クリーム、バターとして食用にする。因に、モンゴルの遊牧民は牛乳だけでなく、馬乳(乳糖が多いので馬乳酒をつくる)の他に、地域によってはラクダ、山羊、羊のミルクも利用する。 日本人が牛乳を飲みはじめたのは明治時代、西洋文化の到来以降のことである。外観を西洋風にすることが文明開化といわれた。髪型をザンギリにし、洋服を着ることが洋風とされた。皇族の正装は燕尾服にシルクハット、皇室の正餐はフランス料理とされた。当然、西洋人が好む牛乳の効能も喧伝された。しかし、食習慣のような文化の基層をなすものは簡単には変わらない。明治中頃の東京での牛乳消費量は年間1人当たり1.2 L程度であったという(乳の科学)。一般人が簡単に口にできるものではなく、牛乳は薬として用いられていたらしい。 一般人が牛乳を飲めるようになったのはもっぱら敗戦後のことである。牛乳消費量は高度経済成長期の1960年代に入って急速に増えた。1946年には1.13 kgであった年間1人当たりの牛乳・乳製品の消費量は、1960年12.0 kg、1970年28.8 kg、1980年42.0 kg、1990年47.5 kgとなり、1995年には52.7 kgとなって最高記録をつくった(最近の牛乳消費量は低迷している)。1995年の消費量は1946年の実に46.6倍である(図1)。 日本人がなぜ牛乳を飲むようになったのか。獣の分泌液は日本人の忌み嫌うものであったのに、日本人は好奇心が強い。圧倒的な体格の西洋人は何を食っているのか。江戸末期・明治初期の日本人は好奇の眼で西洋人の食べ物を観察したことだろう。西洋人は獣肉を食らい、牛乳という白い液体を飲んでいる!あれが彼らの秘密兵器だ!西洋人のように大きく強くなるには、獣肉を食い牛乳を飲まなくてはならない。日本人だって母乳だけで体重が3ヶ月で2倍になる。牛乳神話の始まりである。 戦後、連合軍総司令部(GHQ、中心はアメリカ)は学童に脱脂粉乳でつくったミルクを飲ませた。あれで牛乳が飲めなくなったという人もいるが、1930-1940年生まれのものはこの脱脂粉乳で牛乳の味と匂いに慣れた。1954年には学校給食法が公布された。学校給食の主体はコッペパンと牛乳であった。覚えておられる方もいるだろうが、「米を食っていたから戦争に負けた」「米を食うと頭が悪くなる」などととんでもないことを言う人もいた。アメリカの映画で観たパンとバターにフライドエッグ、牛乳とコーヒーという朝食は日本人の憧れでもあったから、日本でパン食が急速に普及した。今考えると、脱脂粉乳の支給とパンと牛乳からなる学校給食は、アメリカの穀物戦略の一環であったのかも知れない。1950年代のアメリカは緑の革命の真只中にあり、余剰穀物の売り捌先として巨大な人口を抱える日本が標的となった。米食民族をパン食民族に変えようとしたのである。日本人は、官民あげて、その戦略の一端を担った。 しかし、牛乳消費量の増加に一役も二役もかったのはなんと言ってもアイスクリームだろう。牛乳の臭いが嫌いだという人でも、あの舌の上でとろける柔らかい甘味を嫌う人は少ないからだ。 牛乳の消費量が増えただけではない。日本人は肉も食べるようになった。1946年の1人当たりの年間消費量は2.1 kgであったが、1960年に6.8 kg、1970年に15.5 kg、1980年に24.8 kg、1990年に26.0 kgとなり、1995年には30.0 kgに達した。1946-1995年の50年間で14倍に増えたことになる(図1)。 その一方、日本人の主食であったコメの消費量が減った。1946年のコメの消費量(年間1人当たり)は88.0 kgであった。その後、コメの増産に伴ってコメが十分に食べられるようになり、1959年には133.0 kgという戦後の最大消費量を示した。その後、日本人はだんだんコメを食べなくなり、1970年に99.0 kg、1980年に82.4 kg、1990年に72.2 kg、1995年には61.3 kgとなった。現在の日本人はコメをよく食べていた1959年に比べると、その半分以下のコメしか食べていないことになる(図1)。減反をし、青田刈りをしてなおコメが余るというのが日本のコメ造りの現状である。 日本人の食生活は、古来「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」(宮澤賢治)であった。言い換えれば、日本人の食生活の基本は「穀物+大豆+野菜+(魚介類)」であり、日本人は、過去2000年にわたって、コメをはじめとするでん粉が主成分の穀物に支えられてきた。この食生活は明治維新によって西洋文化が導入されても基本的に変わることはなかったが、過去40年という短期間で日本人の食生活は一変してしまった(食生活の欧米化=動物性食品の増加と穀類の減少)。 仮に日本人の「穀物+大豆+野菜+(魚介類)」という食生活の基本的原型が1,000年前に成立したと仮定する。1,000年という期間がどの位の長さなのか実感できないだろう。そこで別の物差しで1,000年という期間を考えてみる。あなた方(読者)のひとり1人に2人(2の1乗人)の親がいる(母親と父親)。その母親と父親にも2人の親(祖父母)がいる。すなわち祖父母は4人(2の2乗人)いる。その祖父母にも2人の親がいた。曾祖父母は8人(2の3乗人)である。曾々祖父母は16人(2の4乗人)となる。ヒトはだいたい30歳位までに子どもをつくるから1世代を30年とする。30年毎に祖先は倍々に増える。1,000年は33世代に相当する。したがって、1,000年前には祖先が総数2の33乗人いたことになる。これはいったいどの位の人数になるか。高校時代に習った数学を使って計算するとなんと80億になる。 あなたの祖先は1,000年遡ると80億人もいるのだ!現存の日本人1億3,000万(2000年の人口は1億2,692万)だから、今から1,000年前には1億3,000万 x 80億人が日本という国土に住んでいたことになる。現在の世界の人口は約60億人。その一人ひとりが80億の先祖をもつとすると1,000年前には地球上に60億 x 80億(4,8 x 1019人)が住んでいたことになってしまう。もちろん、1,000年前にこんな途方もない数の人類が生存していたわけではない。ということは人間の祖先は大部分が共通しているということだ。もとをたどっていくと、みんな親戚なのだ。そういえば、すべての現代人は20-14万年前にアフリカに住んでいたある女性の子孫だという説もあるではないか(DNA人類進化学http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/D/dna-09.html)。 80億は途方もない数字である。手首の動脈に触れてみよう。ピクピクと規則正しく脈打っているだろう。心臓は全身に血液を送りだすために収縮と拡張を繰り返している。今、あなたはその拍動を脈波として感じているのだ。あなたの心臓は1分間に70-80回拍動する。簡単のために100回/分としよう。1時間で100 x 60 = 6000(6千)回脈打つ。1日24時間では14万4千回で、1年365日では5256万回となる。あなたが100年生きるとすれば、生涯脈拍数は52億5600万回である。1000年間のあなたの祖先数の80億は生涯脈拍数より多い。あなたの身体は80億人の遺伝子が混ざりあってできているのだ。今、あなたは、この80億の祖先が食べ続けてきたものを捨て、祖先が全く知らなかったものを食べている。 わたくし達の身体は60兆(さらに途方もない数字)もの細胞から成り立っている。細胞の構造が変わるわけではないが、その構成成分(アミノ酸や脂肪酸など)は毎日の食事成分で日々置き換わっている(新陳代謝という)。アメリカ人のような食事を摂れば、あなたの身体はアメリカ人の食事に含まれているアミノ酸や脂肪酸などによって構成されることになる(もちろん、あなたの身体つきがアメリカ人のようになるわけではないが)。あなたの身体はあなたの食べたものそのものである(You are what you eat.)。そう、あなたの身体は「日常茶飯」によって構成され機能している。 戦前および戦後間もなくの日本人の身体は小柄であった。1962(昭和37)年の17歳男子の平均身長は163.8 cm、体重55.7 kgであった(同年齢の女子の身長と体重は153.6 cmと50.9 kg)。こんな体格(体力ではない)では、オリンピックで、大男・大女の西洋人に勝てるわけがない。「大きいことはいいことだ」「タンパク質を摂ろう」が1960年代の合い言葉であった。そう言えば、若い女性が結婚相手に望むものとして「3高」というのもあった。高学歴、高給取りに加えて高身長だった。たしかに、肉を食い牛乳を飲むようになって日本人は大きくなった。1997(平成9)年の17歳男子は、身長170.7 cm、体重61.0 kgになった(女子の体重と身長は158.4 cmと52.3 kg)。過去35年間に17歳男子と女子の身長はそれぞれ6.9と4.8 cm伸び、体重は5.3と1.4 kg増えた。女子は身長に比べて体重の増加が少ない。細身が美しいと勘違いしているからだ。 |
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