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がんの予防その2植物を食べて生きる地球上のほとんどの植物は毎日強烈な太陽光線を浴びている。しかも素っ裸で。植物も酸素を呼吸に用いている。したがって、植物は、衣服を身に纏っている人間よりも多量の活性酸素などのフリーラジカルに曝されている。長い進化の過程で、植物はフリーラジカルから身を守る術(すべ)を身につけた。ベータ(b)-カロチンである。b-カロチンは、自ら、発生するフリーラジカルの攻撃を受け、フリーラジカルが細胞を傷つける前に取り除いてしまう。b-カロチンのこのような作用を抗酸化作用と呼んでいる。b-カロチンはどの植物の葉っぱにも含まれている。b-カロチンは二つのビタミンAからなる物質で、一部は体内でビタミンAになる。したがってビタミンAにも多少の抗酸化作用がある。果物や野菜を多く食べているものにはがんが少ない。この事実とb-カロチンの抗酸化作用からして、b-カロチンやビタミンAのがん予防効果について介入実験を行うべきだという声が上がった(3)。この辺が欧米人のおかしなところである。果物や野菜を食べれば足りるのに、わざわざくすりとして飲ませようというのだ。 b-カロチンはどんな植物にも含まれている。黄緑野菜や果物ならなんでもよい。にんじん、サツマイモ、カボチャなどにはとくに多い。カボチャやミカンをたくさん食べて掌(てのひら)や踵(かかと)が黄色くなった(橙皮症)という人もおられうだろう。あれがb-カロチンの影響である。今ではb-カロチンの錠剤が手に入る。しかしあのようなものを飲んではならない。植物の中には純粋なb-カロチンが含まれているわけではない。同様なものがたくさんあってカロチノイドという形で含まれている。これが一緒になって身体をフリーラジカルから守っているのだ。b-カロチンは抗酸化作用があるからといって純粋なb-カロチンを毎日服んだら益になるどころか有害である。その例を三つ紹介しよう。 b-カロチンは肺がんを予防するかどうかを廻ってフィンランドで1つとアメリカで2つの大掛かりな人体実験が行われた。1群の人たちに毎日b-カロチン(あるいはビタミンA)を服んでもらい、他方には偽薬(プラセボという。簡単に言えば、うどん粉を丸めて色も形も同じ錠剤にしたものである)を服んでもらって、その後の肺がん発生率を調べるという研究である。もちろん、対象者は自分の服んでいるものがb-カロチンであるか、偽薬であるかは判らないようにしている。 フィンランドで行われた研究は、50-69歳の喫煙男性(肺がんになる可能性が高い)29,133人に対してb-カロチンあるいはa-トコフェロール(ビタミンE)が肺がんを予防するかどうかについて調べたものである(4)。対象者をランダムに4群に分け、それぞれにb-カロチン20 mg(7,282人)、ビタミンE50 mg(7,286人)、b-カロチン20 mg+ビタミンE50 mg(7,278人)、偽薬(7,287人)を処方(毎日服用)した。したがって、14,560人が毎日b-カロチンを服み、14,564人がビタミンEを服んだことになる。研究は1985年から1988年にかけて開始し、1993年4月30日まで続けられた。観察期間は5年から8年である。この観察期間中に876例の肺がんが新規に発生した。ビタミンEを服んだものと服まなかったものでは肺がんの発生率に差はなかった。しかし、b-カロチンを服んだものでは、服まなかったものに比べて肺がんの発生率が18%も高かった。ビタミンEは、b-カロチンによる肺がん発生率の増加に影響を与えないことも判った。b-カロチンを服んだものでは全死亡も増えたが、その増加は肺がん死亡の増加によるものであった。ビタミンEによって全死亡率は変らなかったが、脳出血による死亡はビタミンEを服んだものに多かった。 このフィンランドでの大規模研究の結果は世界に衝撃を与えた。そこで、同じ頃に行われていたアメリカでの研究に期待が集まった。アメリカで行われた研究の一つはCARET(b-Carotene and Retinol Trial)と呼ばれるもので1985年に始まった(5)。対象者は、肺がんになる確率が大きいと言われている喫煙者とアスベスト(石綿)に曝露したことのある18,314人である。b-カロチン群は毎日30 mgのb-カロチンと25,000国際単位のレチノール(ビタミンA)を服用した。平均して4.0年間の観察で388例の肺がんが発見された。肺がんの発生率と肺がん死亡率だけでなく、すべての原因による死亡率もb-カロチンとレチノールを服んだ人たちに有意に高かった。b-カロチンやビタミンAをサプリメントとして服用することは肺がんの予防になるどころか、かえって肺がんの発生を促すということから、この研究は1997年末まで行われる予定であったが、21ヵ月も前に中止された。 アメリカで行われたもう一つの大規模研究は、1982年に始まり1995年12月31日に終了した(6)。研究の対象者は年齢40-84歳の男性医師22,071人である。そのうち、喫煙者は11%、かつての喫煙者は39%、非喫煙者は50%であった。11,036人が1日置きに50 mgのb-カロチンを服用し、11,035人には偽薬が処方された。対象になった医師たちは平均して12年間(11.6-14.2年)b-カロチンあるいは偽薬を服み続けた。b-カロチンを服んだ医師1,273例の悪性腫瘍が発生し、偽薬を服んだ医師からは1293例の悪性腫瘍が発生した。肺がんの発生はb-カロチン群で82例、偽薬群で88例であった。すべてのがんによる死亡は386例と380例、全死亡は979例と968例、心血管系疾患による死亡は338例と313例、心筋梗塞の発生は468例と489例、脳卒中の発生は367例と382例で、いずれの指標においてもb-カロチン群と偽薬群の間に有意の差は認められなかった。この研究によると、12年間にわたるb-カロチンの服用はがんと心血管系疾患に対してくすり(予防効果)にもならないが、毒(発生促進)にもならないことを示している。 サプリメントに頼ってはならないb-カロチンが肺がんを予防するどころか、かえって肺がんの発生を増加させてしまったことは前に述べた。植物中に存在する物質はそれ一つである役割を果しているわけではない。あらゆる物質が協力して一定の役割を果しているのだ。それが、36億年の進化の歴史である。賢(さか)しらに、ある一つの物質を取り出して、それを毎日服めば効果があるというようなものではない。抗酸化作用を示す物質には、b-カロチン以外に、ビタミンC、ビタミンEなどがある。これらが存在するのも植物であって動物食品には含まれていない。b-カロチンの片割れであるビタミンAは動物にも含まれているが、その抗酸化作用は弱い。 同じようなことがゲニスタインと乳がんの間でも認められる。ゲニスタインは植物ホルモンの一種である。日本人は大豆(納豆、豆腐、味噌)をよく食べる。日本人の女性に乳がんが少なく(アメリカの1/3)、男性には前立腺がんが少ない(アメリカの1/10)。日本人にこれらのホルモン依存性のがんが少ないのはダイゼインやゲニスタインなどの植物ホルモンを含む大豆を食べているからだとする説がある。大豆は家畜のエサという認識しかないアメリカ人は純粋なダイゼインやゲニスタインの錠剤を造って売り出した。 これらの錠剤は乳がんを予防するどころか、毎日せっせと服んでると、予防どころか逆に乳がんになってしまう可能性がある。ダイゼインやゲニスタインを含む大豆が乳がんの予防効果を示すのであって、純粋なダイゼインやゲニスタインに効果があるわけではない。アメリカ人は、ことが乳がんとなると、かくも単純な思考回路に陥ってしまう。ゆめゆめこの単純思考の罠にはまらないようにすることが大切だ。 ある種のアミノ酸がうつ病に効果があるとか免疫力をアップするなどという話しをお聞きになったことがあるだろう。きのこの抽出エキスに抗がん作用があるなどという話は泡のように生まれては消え、消えては生まれた。もっともらしい解説とともに、ある物質を加えるとマクロファージ(貪食細胞)が細菌やがん細胞を活発に攻撃する顕微鏡映像を見るとついつい信じてしまうひともおられるであろう。だからといって、その物質を食べたら免疫力がアップし、がんが消失するなどということはない。私たちは、36億年という進化のプロセスを経た60兆もの細胞が協同して働いて、生きているのだ。 効果のないものでも効果があるように感じることがある。信頼する医師が「これを服めばぐっすりおやすみになれますよ」といって、偽薬(うどん粉をまるめてつくた色つきの錠剤のようなもの)を不眠を訴えるひとに渡せば、その晩はぐっすり眠れるひともいる。しかし、数日すれば化けの皮がはがれる。「藁にも縋りたい」患者や健康志向の現代人を騙すことは簡単である。詐欺の種は浜の真砂ほどもある。種の尽きることはない。一つの物質をことさら強調するひとの言を信じてはならない。本人にその気はなくてもそのひとは詐欺師である。かくいう私も糖質、糖質と言っているので「お前もその一人ではないか」と思われる方がいらっしゃるかも知れない。しかし、私の本心は「植物を食べよう。植物の中で穀物は最良の食(賜)べものである」ということにある。 くすりの本質についても触れておかなくてはならない。くすりは短期間服用するものである。たとえば、感冒ウイルスが巣くって熱発する。咽頭に炎症が起こったためである。頭が痛い、身体が熱でフワフワする。このとき、私たちは解熱鎮痛剤を服む。解熱鎮痛剤がウイルスをやっつけることを期待しているのではない。一時的に体調を整えて、身体に備わった力(自然治癒力)がウイルスとの戦いに勝利することを期待するのである。生物活性のあるくすりを長期間にわたって服み続ければ好ましくない影響が現われる。副作用という。副作用は必ずしも連用によって起こるわけではない、短期間でも起こりうる。くすりがある機能にのみ作用して、他の機能に影響を及ぼさないなどということはない。だから、効くくすり(=生物活性のあるくすり)の服用は慎重でなければならない。もし、サプリメントが何らかの生物活性のある物質なら、毎日服むことによって好ましくない影響が現われる。幸いなことに、ほとんどすべてのサプリメントは毒にもくすりにもならない。したがって副作用もない。お金がかかるだけである。 参考文献1. Ornish D, Brown SE, Scherwitz LW, Billings JH, Armstrong WT, Ports TA, McLanahan SM, Kirkeeide RL, Brand RJ, Gould KL. Can lifestyle changes reverse coronary heart disease? The Lifestyle Heart Trial. Lancet 336:129-33, 1990. 2. Barnard N. Food for Life. Three Rivers Press. New York. 1993. 3. Peto R, Doll R, Buckley JD, Sporn MB. Can dietary beta-carotene materially reduce human cancer rates? Nature 290: 201-208, 1981. 4. The Alpha-Tocopherol, Beta Carotene Cancer Prevention Study Group. The effect of vitamin E and beta carotene on the incidence of lung cancer and other cancers in male smokers. New England Journal of Medicine 330: 1029-1035, 1994. 5. Omenn GS, Goodman GE, Thornquist MD, Balmes J, Cullen MR, Glass A, Keogh JP, Meyskens FL, Valanis B, Williams JH, Barnhart S, Hammar S. Effects of a combination of beta carotene and vitamin A on lung cancer and cardiovascular disease. New England Journal of Medicine 334: 1150-1155, 1996. 6. Hennekens CH, Buring JE, Manson JE, Stampfer M, Rosner B, Cook NR, Belanger C, LaMotte F, Gaziano JM, Ridker PM, Willett W, Peto R. Lack of effect of long-term supplementation with beta carotene on the incidence of malignant neoplasms and cardiovascular disease. New England Journal of Medicine 334: 1145-1149, 1996. |
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