牛乳の未来

私たちは子どもの頃から、ミルク(牛乳)ほど身体によいものはないと教えこまれてきた。現在でも多くの日本人が、ミルクはタンパク質・ミネラルなどの栄養素を豊富に含む、健康的な飲みものだと考えている。しかし、これは巧みにつくり上げられた幻想である。

私たちはミルクを食品の一つと誤解している。ミルクは肉や野菜のような食品ではない。この白い液体は、単に哺乳動物の子どもに栄養分を与えるだけでなく、その細胞の分裂と増殖を刺激して子どもの急速な成長を促す成長促進剤である。そのため、この液体にはたくさんのホルモンやホルモン様物質が含まれている。

母乳が赤ん坊にとって完璧な飲みものであるように、牛乳は子ウシにとって完璧な飲みものである。ミルクは、それが人間のもの(母乳)であれウシのもの(牛乳)であれ、その動物種の子どもの成長・発育のためにつくられた複雑な生化学的液体である。牛乳が悪い飲みものというわけではない。それはすばらしい飲みものである、ただし子ウシにとって。ここに牛乳問題の本質がある。

ウシの成長は速い。子牛の体重は1日に1kgも増えるが、人間の子どもは体重が1kg増えるのに1ヵ月かかる。そのためだろうか、牛乳が悪いのはウシという大きな動物の飲みものだからという人もいるがそうではない。哺乳類の子はすべて離乳期を過ぎると母親の乳首から遠ざかるのに、人間だけが成長したあとでもミルクを飲む。牛乳が異種動物のミルクだから悪いのではない。離乳期を過ぎてもなお、ミルクという成長促進剤を飲み続けることが問題なのである。

赤ん坊の細胞分裂を刺激するようにデザインされた物質を、離乳期を過ぎた人間が口にしたらどうなるか。ミルクのインスリン様成長因子―1(IGF-1)は細胞の分裂増殖が盛んなとき(人間では乳児期と思春期。成人ではがんに罹ったとき)にその力を発揮する。IGF-1だけではない。現在の牛乳は妊娠しているウシから搾られている。したがって、市販の牛乳には多量の女性ホルモン(卵胞ホルモンと黄体ホルモン)が含まれている。

日本人の食べものは昔から「穀物+大豆+野菜+魚」で、もともと日本には牛乳を飲み乳製品を食べるという習慣はなかった。こう言うと、いや6世紀ごろ朝鮮半島を通して乳牛飼育が伝えられ、日本でも蘇や酪がつくられていたと反論する人がいる。しかし、蘇と酪は朝廷や一部の公家が口にしただけでまたたく間に日本から消えてしまった。明治になって蒸気機関に肝をつぶした日本人の中には西洋人の力の源泉として牛乳に関心を抱く者ももいたが、乳・乳製品が一般人に広まったのは戦争に負けてアメリカに占領されてからのことである。

日本で乳がんや前立腺がんなどのホルモン依存性の悪性腫瘍が急速に増えている。「なぜ、乳がんと前立腺がんが増えるのか」と問われると、ほとんどすべての専門家は「食生活の欧米化」という曖昧な言葉で逃げる。「食生活の欧米化」とは何か? 和食と洋食を一言で表わすなら、和食は味噌・醤油・煮干し・鰹節・昆布の風味で、洋食はバター・クリームの香りのする食事である。「食の欧米化」とは、日本人が牛乳・バター・クリーム・ヨーグルト・チーズなどの乳製品を口にするようになったことをいうのである。「バタ臭い」と「欧米風」は同義語である。乳がんと前立腺がんは乳文化の負の側面が顕わになったものである。

乳・乳製品は日本人の日常茶飯にはなくてもよいが、私たちに新しい味と香りもたらした食品でもある。乳製品がすでにコメの消費量を上回った現在、もはや乳文化の進出を押しとどめることはできない。乳・乳製品が好きだというひとの飲み食いに異論を唱えることはお節介である。「美味しいからどうぞ」とひとに勧めるのは構わないし、業界が「美味しい○○」と宣伝することは当然である。しかし、国が政策(国策)として「カルシウムの補給に牛乳を! 牛乳を飲まないと骨粗鬆症になる」と特定の食品を国民に強要することはおぞましい。受け入れたからには乳文化の負の部分も引き受けなければならない。今後の課題はこの負をいかに小さくするかということである。

最近では、農薬を使わない牧草・穀物で飼育した乳牛から搾られた「有機牛乳」がスーパーの棚に並んでいる。また、ノンホモ牛乳、低温殺菌牛乳、脂肪分の多い濃厚牛乳を「売り(付加価値)」にしている酪農家もいる。さらには非加熱牛乳を売りにしている酪農家さえ現れた。思いやりのある方法で乳牛を飼育しているので、搾った牛乳がそのまま生(なま)で飲めるという。しかし、哺乳類の体液(ミルク)を生で飲むなどということをしてはいけない。成人T細胞白血病の原因となるウィルス(HTLV-1)が母乳を介して感染することを忘れてはならない。牛乳にも未知の微生物が存在する可能性もある。この非加熱・無殺菌の牛乳が腹痛・腹満・下痢を起こさないといわれるのはこの牛乳が勝れているからではない。牛乳があまりにも高価なので、下痢を起こすほどにはたくさん飲めないからである。

「技術がある」からといって、あまりにも自然の営みに反することをしてはならない。1980年代の中ごろからイギリスで、脳に空胞ができてスポンジ状になり痙攣・運動失調・異常行動を起してウシが死ぬという奇病(牛海綿状脳症あるいは狂牛病)が多発した(イギリスでの発生は現在までに約18万5000頭)。日本では2001年9月10日に第一例が発生してから今までに36頭が狂牛病になった。特筆すべきは、イギリスでも日本でも、狂牛病になったウシのほとんどが乳牛であったという事実である。狂牛病はウシにウシを食わせるという反自然的な生産活動の結果であった。

インスリン様成長因子―1(IGF-1)の存在は成長促進剤としての牛乳本来の特性である。1994年以来、アメリカの酪農は遺伝子組み換えウシ成長ホルモン(rBGH:recombinant Bovine Growth Hormone)を搾乳中の乳牛に注射して牛乳生産量の増大を図ってきた。rBGH はIGF-1の生成を刺激することによって間接的に乳分泌を増やす。

この生産拡大技術は巧妙である。成長ホルモンはヒトとウシで構造が違うが、IGF-1は同じである。たとえrBGHが牛乳中に残っていても、ウシ特有のものだから人間に影響を与えることはない。rBGHによって牛乳中に増えても、IGF-1は天然の成長促進因子だから規制の対象にならないとアメリカは主張する。日本もこのアメリカの論理を受け入れている。現在でも、アメリカの乳牛の20%が搾乳開始60日後から2週間ごとにrBGHを注射されている。ウシのミルク分泌は搾乳開始から2ヶ月ぐらいで低下しはじめるが、rBGHによって分泌低下が抑えられ、300日間の搾乳量が10%ほど増えるという。幸いなことに、日本の酪農ではrBGHは用いられていない。ただし、rBGHが用いられていないウシの分泌する牛乳が安全というわけではない。牛乳にはもともと、子ウシの成長を促すためにIGF-1が含まれているからである。

牛乳は雌ウシの体液であるから、女性ホルモンの存在もまた牛乳の必然である。妊娠しているウシからも搾乳するという現代の酪農技術によって、牛乳中の女性ホルモンが増えた。妊娠後半には血液中の女性ホルモン濃度が高くなるから、この時期に搾られている牛乳中にも女性ホルモンが増える。このような牛乳を、女性ホルモンに感受性の高い前思春期の子どもに飲ませてはならない。日本では「子どもの成長にカルシウムが必要である。牛乳にはカルシウムが多い」という理由で、無定見に、児童・生徒に牛乳を飲ませている。

ミルクを大量に分泌しているウシを妊娠させ、妊娠しているウシから大量のミルクを搾るという現代酪農は不自然である。妊娠中、とくにその後半には女性ホルモンが増える。妊娠後半のウシから搾られたミルクは、どのように工夫しようとも、安心して前思春期の子どもに与えることのできるミルクではない。安心・安全なミルクを生産する酪農の鉄則は「妊娠しているウシからミルクを搾らない」ということである。「妊娠していないウシのミルク」と「妊娠しているウシのミルク」(図)の選択肢があれば、たとえ高価であっても日本の消費者は「非妊娠牛ミルク」を購入するだろう。前述の「非加熱無殺菌牛乳」が180ミリリットル540円(税込み)という高値で売られている。「非妊娠牛ミルク」もそれなりの価格で売れるだろう。

「非加熱牛乳」のような特別牛乳を除くと、日本の牛乳は1リットル200円程度でスーパーの棚に並んでいる。180ミリリットル36円! 普通の牛乳はペットボトル入りの水より安い! 「非加熱牛乳」の10分の1以下! 市販の牛乳は水ほどの価値もないのである。皆さんは不思議に思わないだろうか。搾乳器で搾られ、加熱殺菌され、頑丈な紙パックに詰められた1リットルの牛乳がわずかに200円。こんなに安く売られているのは「わけあり商品」に決まっている。「わけあり」とは、胎内で子どもを育てているウシに高カロリーの配合飼料を与えて搾ったミルクであるということである。

日本の酪農は飲用向け牛乳の生産によって成りたっている(牛乳の取引価格は加工用より飲用向けが高い)。日本で搾乳される牛乳(年間約800万トン)のほぼ半量は飲用向けである。品質保持の面から輸入できないから、飲用向け牛乳はすべて国産でまかなわれている。

バターと脱脂粉乳は、生乳から水分を除いたものであるが、酪農・乳業の基幹製品である。今は指定乳製品とし輸入が制限されているが、環太平洋経済連携協定(TPP)が締結され、日欧間で経済連携協定(EPA)が拡大すると、いずれバターと脱脂粉乳の輸入が自由化される。自由化されると、内外価格差の大きい乳製品は外国産が国産を圧倒する。ただし、飲用向けの牛乳(生乳)は将来にわたって輸入されることはないだろう。飲用向け牛乳中心の生産を行っている限りにおいては日本の酪農は安泰である。別の言い方をすると、牛乳が飲まれなくなったら日本の酪農は終わりである。人口減少を迎える今、国内での牛乳需要の増加はありえない。付加価値の創設が求められている。

日本の酪農は学校給食で提供される牛乳(学乳)に支えられている。学乳が廃止されたら、日本の多くの酪農が廃業に追いこまれる。だから、日本の酪農家は今までとは違う生産モデルで安全・安心な牛乳を生産しなくてはならない。

並の牛乳の生産量を上げるより高品質牛乳の生産で単価を上げる酪農家は賢い。日本では、「安心・安全」が最高の品質(付加価値)となる。安全・安心な牛乳の生産の要諦は妊娠しているウシから搾乳しないことである。現代の酪農では出産後に人間用の牛乳搾りを開始してから300日間ミルクを搾る。搾乳を開始しておよそ60日後、泌乳の最盛期に人工授精で妊娠させる。搾乳は妊娠が成立してから220日間続く(ウシの妊娠期間は280日)。新しい牛乳生産モデルでは妊娠している乳牛からは人間が食用にするミルクを搾らない。人間用の乳搾りを授精するときまでとする方式で生産された牛乳は超高品位牛乳となる。

「妊娠しているウシからミルクを搾らない」とすれば、搾乳期間が短縮して乳牛1頭あたりのミルク生産量は減るだろう。乳価は単純に需要と供給の関係で決まるものではない。たとえ生産量が半分になっても、酪農家の収入が直ちに半減するわけではない。

事業は常に変革を迫られる。変革には旗印がいる。今回の旗印は「妊娠牛からミルクを搾らない」である。新しい生産方式では量より質を重視する。新しい生産モデルでは、酪農家の労働量は確実に減る。妊娠しているウシから搾乳しなくなると、濃厚飼料の給餌量が減って、生産コストが下がる。

当然、非妊娠牛のミルクからつくられたバター・クリーム・チーズなどの乳製品もそれ相応の高値で取引される。「本品は妊娠した乳牛から搾られたミルクを原料にしていません」は最高の品質表示ラベルになる。日本の酪農乳業界には新しい生産モデルを世界に先がけて築きあげることを提案したい。

アメリカは合成と天然の性ステロイドホルモンを肉牛の肥育に使っている。合成性ホルモン(ゼラノール、酢酸トレンボロン、酢酸メレンゲステロール)に関しては牛肉中の残留基準が定められているが、エストラジオール、プロゲステロン、テストステロンについては天然ホルモンであるという理由で基準値は設定されていない。日本もこれに同調しているから、日本政府が新しい生産モデルの旗ふりになることは期待できない。

妊娠後半のウシが分泌するミルクに増える女性ホルモンは硫酸エストロンである。もともとウシやヒトに存在する天然のホルモンということで、このホルモンについても安全基準は設定されていない。しかし、硫酸エストロンは、結合型エストロゲンと呼ばれる、口から入って作用する女性ホルモンである。妊娠馬の尿から抽出される硫酸エストロンがプレマリンという名で更年期障害の治療に使われていることは「コラム:プレマリン」で述べた。硫酸エストロンは別格であることを特記しておきたい。

妊娠しているウシから搾られた牛乳が乳がん、前立腺がん、卵巣がん、子宮体部がんの発生に関連しているという報告があるが、因果関係が科学的に立証されているわけではない。酪農団体が「乳がん・前立腺がん発生の牛乳仮説」を否定的にとらえずに前向きに活用することを期待する。酪農再生のラストチャンスである。

まず、酪農家が「私たちは妊娠しているウシからミルクを搾りません」と宣言して実行する。乳・乳製品メーカーは「本品は妊娠しているウシから搾ったミルクを使用していません」と製品に明示する。日本政府は業界の自主的な決定を受けて、「日本は妊娠しているウシのミルクからつくられた乳製品を輸入しない」と宣言する。日本の乳業界は安全安心な国産牛乳からバター・脱脂粉乳あるいはチーズを製造して国の内外に売る 。牛乳の真実を知れば、日本人は妊娠したウシの牛乳からつくられたアイスクリームなどは食べなくなる。アメリカは「非妊娠牛乳」を新たな非関税障壁と非難するだろうが、安全はすべてに優先する。

明治維新(1868年)とアメリカの占領(1945年)を契機に導入された西洋文明のあるものは日本で成熟した。日本製の自動車・工作機械などは世界を席巻している。日本とアメリカ・ヨーロッパの間で自由貿易協定が締結されたら日本の農業は壊滅的打撃を受けるという意見があるが、日本人に愛され、世界がよいものだと認める農産物は国の内外で評価される。たとえば、100グラム3000円の和牛の肉は200円のアメリカ牛肉とのすみ分けている。新鮮さが勝負の果物(ブドウ・モモ)や野菜は国内産が外国産を圧倒している。ワインは欧米の文化であるが、白ワインは本場のフランスでも販売されているという。ウィスキーだって、スコッチの本場で健闘している。

政府の厚い庇護を受けて、児童・生徒に牛乳を飲ませることによって存続している、日本の酪農・乳業の未来は暗い。日本製のバター・チーズは中国や東南アジアに輸出できるかもしれない。しかし、妊娠しているウシから搾った牛乳を原料にした乳製品を女性ホルモンの影響を受けやすいアジアの民族に食べさせることは忍び難い。妊娠していないウシから搾った牛乳でつくったバターやチーズをアジアに輸出してほしい。「日本製」の売りは「安心」である。アジアの中間層は日本の新しいバターと脱脂粉乳を求めるだろう。

バターやチーズはヨーロッパ文化そのものである。日本製のバターやチーズは本場のイタリア・フランスで売れるのか。乳製品は本家・本元のヨーロッパで評価されて初めて本物になる。日本には味噌、醤油、納豆、日本酒などの製造に使われてきた酵母がたくさんある。「海外生まれを独自のものにつくり変える」は日本文化の真骨頂である。日本の酪農乳業界には世界に冠たる「和乳・和酪」(日本独自の高品位牛乳・乳製品)をつくることを期待したい。「この製品は妊娠している牛から搾った牛乳を使用していません」と表示された日本産乳製品は海外でも勝負できる。日本とヨーロッパの間で自由貿易協定が成立すれば、日本のバター・チーズも本家本元に輸出可能となる。そしていつの日か、日本の牛乳生産モデルがアメリカやヨーロッパでも広まるだろう。こうなれば日本酪農の未来は明るい。


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