堺屋太一氏の「少子化対策の切り札は若年出産の奨励である」

私は少子化対策の切り札は若年出産の奨励だと考える。近代工業社会では教育、就業、出産という順番が当然だと考えられているが、これでは出産期が遅れるばかり。四十代のいちばん社会で活躍するべきときに子育てが大変で、親の介護まで重なったりする。

教育期と出産期を重ねるようにできないものだろうか。十代後半で出産すれば、親が四十歳ちょっとのときに子どもは二十歳で独立している。子どもが子どもを産んで育てられるのかといった批判もあるだろうが、大学には学生のための託児所の設置を義務づけ、ママさん学生には奨学金を出し、育児を社会で支える環境をつくるべきだ。学生の間は勤めているときよりも自由時間は多く、育児にも時間が割けるはずだ。かつての日本では十代の出産は珍しくなかった。今の状況は近代工業化社会が企業に都合よくつくったもの。大学生や高校生が子どもを産むことをふさわしくないとか、みだらであるというふうに考える今の倫理観や美意識を変える必要がある。

政府の少子化対策は明確な証拠に基づいていない。保育所を増やしたり、育児休暇を伸ばしたり、育児への助成金を出したりしても、出生率は0・1〜0・2程度上がるだけで長続きしない。先進国の中ではそういう対策をあまり実施していない米国の出生率が高いことなどをきちんと研究していない。世界的に見ても出生率が高いところは初産年齢が低い。先進国はどこでも若年出産を奨励すべきなのだ。

人口減少社会のあり方を考えるには世界の歴史を振り返ってみることが必要になる。世界史上、人口が大きく減った時期は二回ある。最初は二〜五世紀。西洋ではゲルマン民族の大移動が起こり、東洋では北方民族らが侵入し中国が分裂している。このときは古代文明が破壊され、以降数百年以上にわたって社会が原始化、経済も自給自足の停滞期に陥った。

次は十三〜十五世紀。このときは地球の寒冷化やペストの大流行などが原因だったが、西洋では人々が生産性の低い土地や職業を捨てて生産性の高い分野に移動する動きもあった。この結果、一人当たりの所得は増加し、これが文化や工芸品への支出を増やし、ルネッサンスの文化が花開いた。

人口が減ること自体は悲観する必要はない。二回目の人口減少期のように生産性を高めるほうに変化できるかどうかが課題だ。日本にはまだ生産性の低い業種の保護や余計な規制がたくさん残っている。

移民の受け入れも必要だろう。技能を持つ外国人に来てもらうと同時に、日本人が生産性の高い仕事に就けるよう生産性の低い仕事を代替してくれるような外国人も入れるべきだろう。

もう一つ重要なのは、人生八十年時代の新しい年齢感を築くこと。今後、団塊の世代が六十代を迎えるが、この世代は六十歳で引退しようとは思っていない。少なくとも七十歳まではいきいきと働くことができる環境をつくることで、消費市場も労働市場も活性化し経済は発展する。雇用形態、街づくりなどを含めた大プロジェクトを組んで早急に環境を整備すべきだ。

今の日本では官僚機構が人口減少時代にふさわしい変革を邪魔している。権限や予算との引き換えで効果が不透明な政策を次々と打ち出し、生産性の低い産業を保護し、縦割り行政の弊害ばかりが目につく。新しい時代にはこの官僚機構をまず見直す必要がある。


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