炭水化物の威力 ー 糖尿病
炭水化物が少ないと糖尿病になる
糖尿病体験 本章の始めにまず、私の糖尿病体験を述べることにします。私が「糖尿病」と診断されたのは1989年(51歳)のことです。私の糖尿病はもっと前から始まっていたのでしょうが、たまたま受けた勤め先の健康診断で「尿糖陽性」を指摘され、2回のグルコース負荷試験註を経て「糖尿病」ということになりました。 「痛い」「苦しい」などの自覚症状があれば病気とされて当然ですが、「糖尿病」というのは変な病気ですね。私の場合は「痛い」「苦しい」はもちろんのこと、「渇き」「多尿」などの自覚症状も「体重減少」もありませんでした。ただ、尿検査で糖(グルコース)が検出され、グルコース溶液を飲んだあとの血糖値が200mg/dlを超えていたということで、突然、健康人から糖尿病という病人に転落してしまったのです。なぜ私が糖尿病になったのか解りません。格別太っていたわけではありません。BMI23.8で標準の体重でした。母親が糖尿病と云われていましたから、その体質(インスリン分泌能力が低い)を受け継いだのかもしれません。自分では、歩くといえば駐車場への往復ぐらいで、汗をかくほど身体を動かすことはほとんどなかったことが原因ではないかと考えています。 友人の内科医に相談したところ、「糖尿病は治る病気ではない。このまま放置すると、遠からず腎臓や網膜(目)や神経がやられる。血糖値をコントロールする以外にない。そのためにはまず食事と運動、次いでくすりだ。くすりは一生飲み続けることになる」と散々脅かされました。ただこの友人の素晴らしかったのは「君の膵臓のランゲルハンス島は半乾きになっている。くすり(ンスリン分泌刺激薬)で無理やり働かせると本乾きになってインスリンが全く出なくなってしまうこともある」とも言ってくれたことです。たどり着いた結論は、くすりを服まず、食事と運動でこの事態に対処することでした。 日本糖尿病学会の『糖尿病食事療法のための食品交換表』と格闘し、車に乗らず、エレベータ・エスカレータを使わず、ただひたすら速めに歩くことに徹しました。バスや電車でも、30分以内なら、吊り革につかまってつま先立ちをしていました。当初は起床時、毎食の前後、就寝前と1日に7〜8回も尿糖を試験紙で検査して、その結果に一喜一憂していました。その後、小型簡易血糖測定器を購入して食前食後に血糖を測定するようになりました。何をどのくらい食べると血糖がどのくらいになるか記録しました。ごはんやうどんを食べると血糖が上がることもよく分りました。ごくごく特別の場合を除いて間食はいっさい口にしませんでした。食後2時間の血糖値が170mg/dlを超えていたら何を措いてもウォーキングに出かけました。食前(空腹時)の血糖値が120mg/dl以下になっていれば安堵し、超えていたらごはんを少なくして歩きに歩きました。頭の中が糖尿病(血糖値)のことでいっぱいでした。「血糖値を測って歩く」という生活でした。当時の私は完全に血糖値に支配されていました。もう糖尿病(血糖値)なんかどうでもよいと思うこともたびたびありました。こんな状態が3年ほど続きました。今考えると、このころの私は間違いなく高血糖恐怖症という病気(神経症)でした。どこにも悪いところはないのに、糖尿病と言われて本当の病気になってしまったのです。 インスリンが分泌されない1型糖尿病は、激やせ、口渇、多尿、衰弱などの症状が現れる、明々白々な病気です。治療(インスリン補充)が必要です。その昔、渇きの病(やまい)と呼ばれたものはほとんどが1型糖尿病だったのでしょう。しかし昨今、成人に蔓延していると言われる2型糖尿病は、インスリンは分泌されているが、その働きが悪くなっている状態で、まことに摩訶不思議な病態です。メシはうまいし酒も飲める。それなのに、ある日突然、健康人が病人という境遇に置かれてしまうのです。一病息災などと気楽なことを言ってはいられません。奈落の底に突き落とされたような気分になります。「糖尿病は自覚症状がないから怖いのだ。サイレントキラーだ」「そのうちに目が見えなくなる」「人工透析はしんどい。透析原因の一位は糖尿病である」「とにかく血糖値を下げなさい」などという医師の言葉や新聞・テレビの報道に恐れおののくのです。一度「糖尿病」と言われた人は、やれ食事、それ運動と気の休まるときがありません。友人と酒を飲むときも、旅さきでも、「運動と食事」が頭から離れません。こうなったら明らかに真性の病気です。私は、「糖尿病」に分類されてから22年も経ちますが、未だにこの「心の病気」から完全に抜けだせていません。 食品交換表にカラー写真で例示されている食事を最初に眺めた見たときの印象は「糖尿病食というのはずいぶん豪勢ではないか」というものでした。5尺4寸(164cm)14貫(56kg)の私のために、家人が「穀物(コメ)+大豆+野菜+魚(+卵・肉)」で1600kcalの食事を用意してくれました。私自身はこの「糖尿病食」に不満はありませんでしたが、こんなに少量で品数の多い食事を毎日つくるのはたいへんだろうと家人に申し訳ない気持ちがありました。また、最初から、日本人の食事にしてはごはんがずいぶん少ないなと感じていました。 奇妙な論文 "コメを食べると糖尿病になる" 2010年に「コメを食べると糖尿病になる」という奇妙な論文*が日本人研究者によって発表されて話題になりましたので、ここでこの論文の問題点に触れておきます。研究者たちは、まず1995年と1998年に食品摂取頻度調査を行って対象者(男25,666人、女33,622人)のコメ(ごはん)の摂取量を求め、それから5年後に同じ人たちに糖尿病になったかどうかを申告してもらいました。その結果、「糖尿病になった」と答えた人は、「糖尿病にならなかった」人に比べて、5年前にごはんをたくさん食べていたというのです。ただし、ごはんと糖尿病の間にこのような関係があったのは女性だけで、男性では関係が認められませんでした。 この研究は、5年前に行った栄養調査のごはんの摂取量から33,622人の女性を4群に分けています。最も少ない量のごはん(0-278g)を食べていた人(=一番目の人)が6,593人、二番目(280-427g)の人が10,551人、三番目(420-420g)の人が13,376人、四番目(> 437g)の人(=最もたくさんのごはんを食べていた人)が3,102人でした。これらの4群で「糖尿病になった」と答えた人の数を比べると、一番目が78人(1万人当たり118人)、二番目が136人(129人)、三番目が212人(158人)、四番目が52人(168人)で、ごはんをたくさん食べていた人(三番目と四番目)に糖尿病が多かったというのです。このことから、ごはんをたくさん食べる女性は糖尿病になりやすいという結論が導かれたのです。 食べているごはんの量に応じて4群に分けたというのに、最も少ない群が3,102人で最も多い群(6,593人)の半分しかいないというのは変ですね。三番目に少ない群(=二番目に多い群)の13,376人(調査対象の約4割)は全員が420gという同じ量のごはんを食べていると答えていました。茶わん1杯のごはんは140gですから、対象の4割にものぼる人が朝・昼・晩それぞれ1杯のごはんを食べると答えたのでしょう。 食品摂取頻度調査でごはんの摂取量を調べるときには「過去1年間の食事を思い出して記入してください。あなたは平均して普通の大きさの茶碗でごはんを1日に何杯食べますか」などと訊ねられます。あなたならどう答えますか。「そんなことわからないよ」が正直な答えでしょう。しかし記入漏れが許されませんから、ほとんどの人は「まあ、朝昼晩それぞれ1杯として、1日3杯ということにしておこう」ということになります。というわけで、この研究の調査対象の実に4割が1日に420gのごはんを食べると答えたのです。いい加減なものですね。このように、食品摂取頻度調査で食品摂取量を求めるのは至難の業なのです。 さらに、この研究の大きな欠点を敢えて挙げれば、糖尿病であるかどうかを自己申告に頼ったことです。研究対象者全員の空腹時血糖値あるいはヘモグロビンA1cが測られていれば研究の信憑性が増したと思います。糖尿病は自覚症状に乏しく、ほとんどが健康診断で発見されます。定期的に健康診断を受けている、とくに健康に関心の高い人たちが「糖尿病」と答えたのかも知れません。そうだとすれば「ごはんを食べる人」=「健康に関心の高い人」ということになります。 また、ごはんと糖尿病の関係が女性にだけ認められたということがこの研究の最大の問題点なのかも知れません。女性には、年齢・体重・食べものに関しては正直に答えなくてもよいという特権があります。女性にとって「食べる・食べない」は極秘情報なのです。女性を対象にした研究では、ときに、真逆の結論が導かれてしまうこともあります。このことに関しては、筆者のウェブサイト「生活習慣病を予防する食生活」の「日本人と牛乳」と「女性を対象にする栄養疫学の研究は真実を見逃す」をご覧ください。 たしかに日本で糖尿病が増えています。平成19(2007)年の国民健康・栄養調査によると、1997年から2007年の10年間に、糖尿病が1370万人から2210万人へと1.6倍(実数で840万人)も増えたということです。一方、日本のコメの消費量はずっと減り続けています(下図)。コメを食べなくなった日本で糖尿病が増えているのに、「糖尿病の原因はコメ」というのはおかしいではありませんか。コンピューターソフトがありますから、疫学研究は誰にでもできます。ただし、信頼が置ける研究は「常識」のある人でなくてはできないのです。 「コメをたくさん食べると糖尿病になる」などということはありません。事実は正反対です。コメで生きてきた日本人がコメを食べなくなったから、日本に糖尿病が増えたのです。もちろん、コメを食べなくなったことだけが糖尿病急増の原因ではありません。豊かになった日本人は身体を動かさなくなりました。「炭水化物摂取量の減少」と「運動量の低下」の二つ要因が重なって、日本に糖尿病と言われる人が増えたのです。 炭水化物中心の食生活を送っていた昔の日本では糖尿病が少なかった 1935年、イギリスのヒムスワースは7つの国(日本、アメリカ、イギリス、イタリア、オーストラリア、オランダ、プロシア)の、1900-1931(明治33〜昭和6)年の糖尿病死亡率の推移を第一次世界大戦(1914-1918)とからめて解析しています(下図)*。戦争によって食糧事情が悪化した国(プロシア、オランダ、イギリス)では糖尿病の死亡率が著しく減少しました。食糧事情が悪くなっても、極端に悪くならないかぎり、総摂取カロリーは変わりません。ただし、食事の内容が大きく変わります。穀物(炭水化物)が増えて肉(脂肪)が減ります。「戦争で食糧事情が悪くなると糖尿病が減る」は全世界に共通して観察される現象で、たとえば日本でも、第二次世界大戦の戦中戦後(1945-1948年)に糖尿病患者が激減しました。敗戦後の食糧難の時代には、大学病院の糖尿病外来を訪れる患者がなく、医師たちは栄養失調の研究に勤しんだということです。 7カ国のうち、糖尿病死亡率が最も大きく違うのは最小の日本(人口10万対2.0)と最大のアメリカ(27.8)です。日本とアメリカで糖尿病死亡率がこのように大きく違うことに対して、ヒムスワースは両国の食生活が極端に異なることにその原因を求めています。彼はこの論文で、1919(大正8)年ごろの日本人の食事について、蛋白質10%、脂肪5%、炭水化物85%であったと述べています。このころの日本では「雑穀ごはん+みそ汁+つけもの(+魚の干物)」という素朴な食事が一般的でしたから、日本人の蛋白質、脂肪、炭水化物の摂取割合はおそらくこんなものだったのでしょう。一方、このころのアメリカの刑務所では脂肪38%の食事が受刑者に与えられていたということです。ほかの国では脂肪の多い食事は富裕層の特権であった時代に、アメリカでは囚人にすらこのような脂肪の多い食事が与えられていたのです。当時のアメリカの経済力とともにアメリカ人の好みを如実に表わしている数字です。ヒムスワースはこれ以外にたくさんの事例解析を行って「炭水化物(脂肪)が減る(増える)と糖尿病が多くなる」ことを論証しています。 ヒムスワースの「1930年ごろの日本で糖尿病死亡が少なかったのは炭水化物が多かったからである」という結論に対して、昔の日本では「糖尿病が少なかった」「脂肪が少なく炭水化物が多かった」のは事実だが、「糖尿病が少なかったのは日本人の寿命が短くて糖尿病になるまで生きていなかったからだ」と異論を唱える方がいます。たとえば、後藤由夫先生は、『私の糖尿病50年』(創新社2009年)において、「Himsworthがみていたのは脂肪摂取量の多い国は豊かで糖尿病罹病年齢まで生存するのに対し、経済的に遅れている国では脂肪摂取量が少なく、安価な炭水化物をエネルギー源として、しかも糖尿病罹病年齢まで生存する者は少なく、若年期に死亡する者が多いことをみているにすぎない(以上ママ)」と述べておられます。 第三回国勢調査に基づく生命表によると、1930(昭和5)年の日本人の0歳平均余命(平均寿命)は、男44.82年、女46.54年で、50年に届きませんでした。一方、アメリカの人口統計によると、このころ(1929-30年)のアメリカ人の0歳平均余命は男57.71年、女60.90年でした。これをみると、日本人はアメリカ人に比べて12-14年も短命であったようにみえます。このことをとらえて「日本人は糖尿病になるまで生きていなかった」などという反論が生まれたのでしょう。一般のひとは「昔は人生50年。50年を過ぎて生きる日本人は稀だった」などと誤解しています。 この誤解の根底には「平均寿命」という言葉にあります。正式には0歳平均余命と呼ばれる平均寿命は、生まれたばかり(0歳)の赤ん坊がそれからあと平均して生きのびる年数で、各年齢の死亡率から計算されます。20歳に到達した人が平均して生きる年数は20歳平均余命、40歳になった人の場合は40歳平均余命です。 各年齢の死亡率のうち、0歳平均余命の計算に最も大きな影響を与えるのは若年者(とくに乳児=0歳児)の死亡率です。明治・大正・昭和(戦前)の乳児死亡率は極めて高率でした。たとえば、大正時代(1912-26年)の乳児死亡率(出生1000 対)は常に150以上でした(2010<平成22>年の死亡率は2.3)。1000人生まれると、そのうち150人以上が初めての誕生日を迎えることなく死んでしまったのです。死因のほとんどは肺炎、下痢腸炎などの感染症でした。さらに、幼少期をなんとか切り抜けた青年期の日本人には結核という、当時は死病と恐れられていた伝染病が待ちうけていました。当時の20代の結核死亡率は人口10万対600というものすごいものでした(現在、結核で死亡する青年はほとんどいません)。しかしもちろん、大部分の日本人は、乳児期・幼少期・青年期を通してつぎつぎと襲いかかる微生物との闘いを克服していました。実際のところは、この闘いに勝利して免疫を獲得した日本人はその後結構長い人生を過ごしていたのです。 事実、1930年の40歳の平均余命は、日本人男性の25.74年に対してアメリカ人男性28.68年(日米差2.94年)、日本人女性の29.01年に対してアメリカ人女性30.86年(日米差1.85年)と、日本とアメリカの平均余命の差は大幅に縮小します。感染症をのりこえた日本人はアメリカ人と同程度に生きながらえたのです。 1930年頃、死亡診断書に「糖尿病」と記載されたのは糖尿病性昏睡などの重篤な糖尿病でした。日本とアメリカの糖尿病死亡率の差は両国の医療水準と死亡届の精度にもよるでしょうが、かつての日本の糖尿病死亡がアメリカに比べて非常に少なかったことは疑う余地のない事実でしょう(このことに対して異議をさしはさむ方はおられません)。たとえば、糖尿病の歴史に造詣の深い二宮陸雄氏は、『インスリン物語』(医歯薬出版2002年)で、「欧米では多数の糖尿病患者が昏睡で死んでいたが、日本では重い糖尿病の人は少なかった」「インスリンが発見された大正末期に東京大学の教授をしていて、指導的な内科医であった青山胤通や三浦謹之助らも、その長い臨床経験を通じて、わずか数人の糖尿病昏睡を経験したにすぎないと書いている」と述べておられます。 一般に、糖尿病(2型)になるのは40歳以上です註。明治・大正・昭和(戦前)の日本に昏睡を来すような重症の、40歳以上の糖尿病は非常に少なかったと思われます。糖尿病と診断がつかずに死んでしまった人もいたでしょうが、40歳以上の糖尿病の死亡率には、ヒムスワースの粗死亡率と同程度の日米差があったであろうと推定されます。20世紀前半の日本で糖尿病死亡が非常に少なかったのは「日本人は糖尿病になるまで生きていなかった」からではなく「炭水化物(穀物)を中心にした食生活でよく身体を動かしていた」からだと考えるほうがより自然でしょう。 炭水化物が少なかったために誤って糖尿病と診断されてしまった! ー 炭水化物がインスリンの働きを左右する 1994年ごろ、ブドウ糖(グルコース)負荷試験註の前日の夕食に野菜サラダしか食べなかった女性が誤って糖尿病と診断され、α-グルコシダーゼ阻害剤という糖尿病治療薬を処方されるという事例にぶつかりました。この方は糖尿病でもなんでもなかったのですが、ただ検査前日の夕食に炭水化物の摂取量が少なかったために糖尿病と診断され、くすりを処方されてしまったのです。この女性の言い分は「だって先生(お医者さん)が夕食のあとは何も食べてはいけません、朝食を抜いて検査にいらっしゃいとおっしゃるんだもの。血糖のもとになる炭水化物を食べないほうが正確に診断していただけると思っていたのよ」でした。これ以降、「糖尿病には何よりも炭水化物が重要な意味を持っているのではないか」という考えが頭を離れなくなりました。 この「検査前日に炭水化物の少ない夕食を摂ったために誤って糖尿病と診断されてしまった」という事例にぶつかってから、炭水化物と糖尿病に関する文献を集めはじめました。そして1995年、先に触れたヒムスワースの論文に行き当たったのです。これを契機に、私の糖尿病に対する考えが大きく進展しました。「日本に糖尿病が増えているのは日本人がコメ(炭水化物)を食べなくなったからである」という考えが半信半疑から確信に変わりました。 インスリンの働きが脂肪の摂取量ではなく、炭水化物の摂取量によって一元的に支配されていることを見事に立証した研究が、今から70年以上も前(1935年)に、ヒムスワースによってなされていたのです*(ただし、あとで述べるように、炭水化物の少ない食事で耐糖能が悪化することを最初に発見したのは、ヒムスワースではなく、日本の影浦尚視です)。 ヒムスワースの時代のグルコース負荷試験には、50gグルコースの水溶液が用いられていました(現在は75gグルコースの水溶液)。ヒムスワースは、健康人にいろいろな食事を摂らせてからグルコース負荷試験を行って、食事がグルコースの処理能力(耐糖能)とインスリンの効き目(インスリン感受性)に与える影響を観察したのです。 炭水化物が摂取カロリーの80%を占める高炭水化物食(脂肪5%)を一週間食べた人では、50gグルコースの水溶液を飲んでも血糖値はほとんど変化しなかったのに、炭水化物の少ない食事(炭水化物20%、脂肪65%)を一週間食べていた人の血糖値は糖尿病と判定されかねないほどに高くなりました(下図)。驚くべき結果ですね。血糖の本体であるグルコースは食事の炭水化物に由来するのに、血糖の素(もと)となる炭水化物をたくさん食べていたら、グルコース溶液を飲んでも血糖がほとんど上がらなかったのです。 なぜ、こんなことが起こるのか。誰でも最初に考えることは、「炭水化物をたくさん摂っているとインスリンの分泌が増えるからだ」ということです註。負荷試験の前に炭水化物をたくさん摂っていれば、その刺激によって膵臓のインスリン分泌能力が高まっているからだろうという想定です。こんなことは、インスリンの血中濃度を測ってみれば簡単にわかることなのですが、1930年代にはインスリンを測定する方法がありませんでした。しかし、当時すでに結晶インスリンが使われていましたので、ヒムスワースはこのインスリンを用いて正解を導いたのです。正解は「炭水化物を摂らないとインスリンの働き(インスリン感受性)が悪くなる」ということでした。これを言い換えると、「炭水化物をたくさん摂るとインスリンの働きが良くなる」ということになります。 ヒムスワースはインスリンを注射して、炭水化物をたくさん摂っていた人と少ししか摂っていなかった人でインスリンの効き目を比べました(下図)。炭水化物の多い食事をしていた人ではインスリンによって血糖値が速やかにしかも高度に低下しました。しかし、炭水化物の少ない食事をしていた人に同じ量のインスリンを注射しても、血糖値の下がりがわずかでその低下速度はゆるやかでした。 つまり、炭水化物をたくさん摂っていると、インスリンの効き目が著しくよくなることがわかったのです。さらに、炭水化物、脂肪の摂取量をさまざまに変えて行ったインスリン感受性試験の結果から、インスリン感受性の低下(=インスリン抵抗性)は脂肪の過多ではなく炭水化物の過少によって起こることが確認されました。 ヒムスワースが登場するまでの研究はすべて、食事中の炭水化物や脂肪が血糖におよぼす影響を「膵臓のインスリン分泌」という面からのみ追求していました。ヒムスワースは、食事の血糖におよぼす影響を「身体(筋肉と脂肪)のインスリンに対する感受性(インスリンの働き具合)」という、従来とは全く異なる視点から眺めたのです。そして、炭水化物の多い食事が身体のインスリン感受性を亢進する(=インスリンの働きをよくする)ことを見事な研究で証明しました。この研究は高く評価され、その後の糖尿病治療に活かされるべきでした。しかし、不幸なことに、欧米の医学・栄養学は炭水化物を単なるカロリー源に過ぎないと軽視していました。そのためヒムスワースの画期的な業績は欧米で(したがって日本でも)次第に忘れ去られてしまったのです。 糖尿病は現在、1型と2型に分類されています(この分類は1979年に始まりました)。1型はインスリンが分泌されないタイプの糖尿病で、治療にインスリンが欠かせません。成人が罹患する糖尿病は、そのほとんどが2型に分類されるタイプで、その根底にインスリン抵抗性があると考えられています。2型糖尿病の治療は運動と食事療法が中心です。現在の糖尿病分類の基礎になっているインスリン抵抗性という概念を最初に提唱した人がヒムスワースです*。 糖尿病の分類に関するヒムスワースの貢献は『ジョスリン糖尿病学(第2版)』(日本語版2007年)に次のように記述されています(日本語版13ページ。次の斜体文字が引用文)。 炭水化物の摂取量とグルコース負荷試験 炭水化物の多い食事を与えたときは正常であった耐糖能が、炭水化物の少ない食事によって糖尿病と判定されるほどに悪化したというヒムスワースの研究を契機に、グルコース負荷試験前の少なくとも3日間は1日300グラムの炭水化物の摂取が必要であるといわれるようになりました*。しかし、1960年、ウィルカーソン(Wilkerson HLC)によって、炭水化物の摂取量を1日50グラムに制限しても耐糖能は大きな影響を受けないという、誤った研究結果が報告されてしまったのです**。この研究の血糖値の測定には重大な誤りがありました。たとえば、100gのグルコース溶液を飲んでから1時間の、42人の平均血糖値±標準偏差(mg/100ml)は1日300グラムの炭水化物で97±25.4、50グラムで116±30.3でした。こんな数値はあり得ないのに、ウィルカーソンは、炭水化物が少ないとたしかに血糖値は上昇するが、その上昇は糖尿病の診断を誤るほどではないから、炭水化物の摂取量が50グラムでも構わないと結論してしまったのです。この論文が『New England Journal of Medicine』という影響力の大きな医学誌に掲載されたため、アメリカ糖尿病協会は、1日300グラムの炭水化物はアメリカ人には多すぎる、1日150グラムで十分と判断しました。WHO(世界保健機関)もこれにならい、グルコース負荷試験の前には1日150グラム以上の炭水化物をとるよう被験者に指示することを勧告して、現在にいたっています。 1日に150グラムの炭水化物は、1日に600kcalを炭水化物から摂るということになります。2000kcal/日の人だと、炭水化物からのエネルギーは30%です。ずっと穀物中心の食生活を送ってきた日本人にはあまりにも少ない炭水化物です。1日に150グラム以上の炭水化物を摂っていても、グルコース負荷試験直前の食事(=試験前日の夕食)の炭水化物が少ないと、健康な人の耐糖能が著しく悪化し、誤って糖尿病型あるいは境界型(耐糖能異常;糖尿病予備群)と判定されてしまうことがあるのです。この事実は、筆者たちの研究で確認されました*。 糖尿病に関する遺伝的負荷のない、12名の健康な学生に実験に参加してもらい、1週間あけて2回のグルコース負荷試験を行ないました。被験者は、負荷試験前日の朝食と昼食には普通の食事(タンパク質15%、脂肪25%、炭水化物60%)を摂り、一回目は夕食だけ炭水化物の少ない食事(タンパク質25%、脂肪65%、炭水化物10%)、二回目は夕食だけ炭水化物の多い食事(タンパク質15%、脂肪5%、炭水化物80%)を摂りました。炭水化物の少ない食事は「ビフテキ+ポテトフライ+野菜サラダ」で、炭水化物の多い食事は「どんぶりメシ+豆腐の味噌汁+野菜のおひたし」でした。炭水化物の少ない食事は今どきの言葉で言うと「スーパー炭水化物制限食」です。被験者は午後7時に夕食を摂り、翌日の午前10時に75gグルコース溶液を飲みました。 負荷試験前日の夕食にどんぶりメシを食べたときは、当然のことながら、被験者全員の耐糖能(血糖曲線)は正常でした(上図)。ところが、夕食に「炭水化物制限食」(ステーキ)を食べたときは、被験者全員の耐糖能が著明に悪化しました。負荷60分後の血糖値が200mg/dlを超えたものが12名中2名(糖尿病型)、120分後の血糖値が140mg/dlを超えたもの(境界型;耐糖能異常)が4名もいました。検査前日の夕食(検査の15時間前)の炭水化物摂取量がグルコース負荷試験の結果に大きな影響をもたらすことがお解りいただけたでしょうか。炭水化物の少ない食事をして検査を受けると、誤って糖尿病あるいは耐糖能異常と判定されてしまうことがあるのです。 この研究では、グルコース溶液を飲む前(空腹時)と飲んでから30分後(負荷後)の血漿インスリン濃度(pmol/l)が測られています。前の晩に炭水化物をたくさん食べたときと少ししか食べなかったときで比べると、空腹時のインスリン濃度(平均値±標準偏差)は63±10と61±11、負荷後の濃度は368±76と351±36で、インスリンの分泌には差がありませんでした。同じようにインスリンが分泌されていても、試験前日夕食の炭水化物が少ないと、体組織のインスリン感受性が低くなっているためにグルコースがうまく使われないのです。 負荷試験前日の夕食に炭水化物の少ない食事を摂ったときに観察される最も大きな血清脂質の変化は、血中遊離脂肪酸の著明な増加でした。どんぶりメシを食べたときの空腹時の遊離脂肪酸濃度は0.41±0.15mmol/lでしたが、ステーキを食べたときは0.74±0.30mmol/lでした。この遊離脂肪酸が体組織のインスリン感受性を低下させるのです。空腹時に遊離脂肪酸が増えるのは炭水化物の少ない食事を摂ったときだけです。炭水化物を十分であれば、脂肪がどんなに多くなっても、遊離脂肪酸が増えることはありません。唯一の食事性因子は炭水化物摂取量の絶対量の不足です。 ・・・つづく |