安全で付加価値の高い
新しいミルク(牛乳)の製造

現代の酪農は昔の酪農と大きく異なってしまった。根本的な違いは「妊娠牛からミルクを搾るようになった」ということである。妊娠牛のミルクには女性ホルモン(エストロゲンとプロゲステロン)が含まれている。現在の市販ミルクにはホルモン作用がある。アイスクリーム、チーズ、バター、ヨーグルトなどの乳製品もみなこの妊娠牛からの女性ホルモン入りミルクから作られている。農薬を使わない牧草・穀物で乳牛を飼育し、「有機酪農」で実績を挙げている酪農家もいるし、パスチャライズド牛乳、脂肪分の多いジャージー乳、放牧酪農を「売り(高付加価値)」にしているところもある。しかし、妊娠している乳牛から牛乳を搾った牛乳は、どのように工夫しようとも、安心して飲める牛乳ではない。妊娠していない牛の産生するミルクなら、消費者は安心して子どもに飲ませることができる。日本の酪農家がこの新しい(本当は新しくない、モンゴルで古来行われている乳搾りである)酪農に挑戦することを願う。日本の酪農が世界の酪農をリードすることになる。
ミルクが妊娠牛からのものか非妊娠牛からのものかは、ミルク中のプロゲステロン(黄体ホルモン)濃度を測ることによって簡単に識別できる。プロゲステロン濃度が10 ng/mlを超えていなければ非妊娠牛からのミルクである。現在の市販ミルクは20-30 ng/mlのプロゲステロンを含んでいる。


はじめに
戦後の日本で進行した食生活の変化(食生活の欧米化と称されている)は日本人の疾病構造に大きな影響(大腸がん・前立腺がん・乳がん・糖尿病の増加)を与えた。

食生活の欧米化は、動物性食品(肉類とミルク・ミルク製品など)の摂取量の増加と穀類(とくにコメ)の消費量の減少によって特徴づけられる(図1)。過去50年間に日本人が食するコメの量は半分以下になった(最近の日本人がコメから得るエネルギーは総エネルギーの30%に過ぎない)。これに対して、動物性食品の消費量が著しく増大した。1950年に比べて、肉類は約10倍、卵類は約7倍、ミルク・ミルク製品は約20倍に増えた。日本人は本来、肉食あるいはミルクを飲用する民族ではない。肉とミルクを栄養豊かな食品として認識するようになったのは明治維新(欧米の生活様式を見倣うことが文明開花といわれた)後のことである。しかし、日本人が本格的に肉とミルクを摂取するようになったのは1965年(昭和40年)以降のことに過ぎない。

先頭へ戻る

肉とミルクの消費は日本人の生殖能力と性行動に影響を与えるか
最近、「環境ホルモン」あるいは「外因性内分泌撹乱化学物質(environmental endocrine disruptor)」呼ばれる環境汚染物質が話題を集めている。環境ホルモンは、最初、野生動物にたまたま発見された生殖行動あるいは生殖器官の異常の原因ではないかという仮説によってメデイアを賑わせた。さらに、1992年、デンマークの Carlsen ら(1)がヒトの精子が1940-1990年の50年間に精子数がほぼ半減した(113x106 → 66x106/ml)という報告を行ってから、環境ホルモンのヒト精子に与える影響が大きな関心を集めた。その後も、同様の精子減少がフランス(2)、スコットランド(3)、アメリカ(4)の研究者からあいついで報告された。これらの研究の著者はいずれも、男性の胎児期からの環境ホルモン曝露が精子数の減少を引き起こした可能性を暗に指摘している。その一方で、精子数は減少していないという調査報告もある。

たとえ精子数の減少が事実としても精子数の減少が直ちに男性不妊に結びつくわけではない。しかし、日本の未来に暗い影を投げかけている少子化現象をすべて女性の社会進出・経済的自立による晩婚化などの文化・経済的変化に求めることもできない。ヒトの動物としての生殖能力の低下あるいは性行動の変化(内分泌撹乱作用という)にも注目すべきである。この点で、最近の環境ホルモンに対する関心の高まりは重要である。

ヒトの精子が本当に減少しているかという事実関係が明らかではない現在、環境ホルモンがヒト精子数減少の原因であると決めつけることはできない。現在、ヒトが体内に取り込んでいる環境ホルモンに精子数を減少させるほどの力があるだろうか。Safe(5)によると、estradiol-17b等量で表わした環境ホルモンの1日当たりの摂取量は0.0025 ngであるという。

戦後、日本で消費量が増大した肉類とミルク・ミルク製品には内因性の性ホルモンが含まれている。それに加えて、アメリカおよびカナダ産の牛肉には飼料効率を高めるために与えられた6種類の性ホルモン(estrradiol-17b、testosterone、progesterone、trenbolone、zeranol、melengesterol)が残留している(このためにEUはアメリカとカナダ産の牛肉の輸入を禁止しているが、日本は輸入している)。

穀類あるいは豆類(とくに大豆)などの食品にはdaidzein、genisteinなどの植物ホルモン(phytoestrogen)が大量に含まれている。ラットあるいはマウスをdaidzeinあるいはgenisteinの多い食餌で飼育すると、自然発生あるいは発がん物質で誘発した乳がんと前立腺がんの発生が抑えられ、潜伏期間が延長することが確かめられている(6-11)。日本人に前立腺がんと乳がんが少ないのは日本人の穀類と大豆を中心にした食生活によるものである可能性がある。一方、肉食・ミルク飲用民族である欧米人に前立腺がん・乳がん・ 子宮体部がん(類内膜型腺がん)が多いのはその肉・ミルク食に関係があるのかも知れない。

現在、日本史上はじめて子どものときからミルクを飲み肉を食べるようになった日本人が大挙して40代の後半(いわゆるがん年令)に突入している。戦後の日本で進行した食生活の変化によって、今後、乳がん・前立腺がん・子宮内膜がんなどのホルモン依存性のがん発生が著増する可能性がある。

日本人の身体は、長い歴史の中で植物エストロゲンには適応しているが、40年という短期間の間に急激に摂取量の増えた肉あるいはミルク中の動物由来のエストロゲン(estradiol-17b、estrone、estriol)には適応していないだろう。動物由来のエストロゲンが日本人の疾病構造のみならず、生殖機能、性的発育、性行動(脳の性的分化)に影響(すなわち、内分泌撹乱作用)を与える可能性がある。欧米とは異なり、日本ではとくに肉あるいはミルクの内分泌撹乱作用に注目する必要がある。

先頭へ戻る

仮説1「前思春期のミルク飲用が日本人に生殖能力の低下と性行動の変容をもたらす」
妊娠していない牛から搾乳したミルクの乳漿(ホエイ)には約30 pg/mLのestrone sulfate(estroneの硫酸抱合体)が存在する(12)。牛が妊娠するとその濃度が高くなり、妊娠41-60日には151 pg/mLとなり、妊娠220-240日には1,000 pg/mLに達する(表1)。GyawuとPope(13)によれば、妊娠後期の乳牛のエストロゲンの血中濃度は非妊娠牛の排卵期の血中濃度に比べて数100倍高いという。これらの事実は、妊娠牛が産生するミルクには非妊娠牛からのミルクに比べて著しく高濃度のエストロゲンが存在することを示している。

経口的に与えられた遊離(未抱合体)のestradiolやestroneの生物活性は比較的低い。しかし、口から入ったestrone sulfateの生物活性は高く、体内に入ると容易にestroneとestradiolに変換される(14)。

エストロゲンに加えて、ミルクにはもう一つの女性ホルモンであるプロゲステロン(黄体ホルモン)が存在する。その濃度はミルクで1 0,000 pg/mL、スキムミルクで1,400 pg/mL、バターで300,000 pg/gである(15)。ミルク中のエストロゲンやプロゲステロンの測定は牛の妊娠診断に応用されている(12,16)。このことから、現在の乳製品は妊娠牛が産生するミルクから作られていることがわかる。

Batraら(17)はMurrahバッファローにおいてestradiolの血中濃度とミルク中濃度を比較したところ、両濃度は密接に関連しており、ミルク中濃度は血中濃度のほぼ2倍であった。エストロゲンのミルク中濃度が血中濃度より高いのは乳腺でエストロゲンが生合成されるからではないかと考えられている(18)。

女性ホルモンは卵、肉、ミルクに含まれている(15)。このうち、日本ではとくにミルクに含まれる女性ホルモンが問題と思われる。第一に、女性ホルモンは妊娠動物の体内に多く含まれている。妊娠した動物を食肉用に屠殺することは稀であるが、現在のミルクは主として妊娠牛から搾乳されている。しかも、女性ホルモン濃度が上昇する妊娠後半の乳牛(12,13,18)からも搾乳されている。前述のように、ミルク中のエストロゲン濃度は妊娠日数とともに高くなる。第二に、日本では、前思春期(7-14歳)のミルク消費量が突出している(学校給食でミルクが供されるためと思われる)(図2)。前思春期はヒトの精巣発育にとって重要な時期であり(19)、内分泌撹乱作用を最も受けやすい(14)。

わたくし達は、市販ミルク(120-130ーCで滅菌)とモンゴルで非妊娠牛から搾乳した生ミルクにおけるエストロゲン濃度を測定した(20)(表2)。牛乳には経口的に摂取してホルモン作用を発揮するestrone sulphateが多い。このestrone sulphateの濃度はモンゴル牛の生乳よりも高温滅菌した市販ミルクに多く検出された(表3)。さらに、市販牛乳のプロゲステロン濃度はモンゴル乳の10倍も高い。牛乳には抱合型が主要エストロゲンとして存在する(牛乳中のプロゲステロン濃度が低いことから、わたくし達が搾乳したモンゴル牛は妊娠していなかったことが判る)。子供の1日のミルク摂取量を300 mlと仮定すると、1日に100 ng程度の抱合型 estroneと1,000 ng程度のプロゲステロンを摂取していることになる。エストロゲンの摂取量は環境ホルモン摂取量(0.0025 ng)の実に40,000倍である。以上のことから「前思春期のミルク飲用が日本人に生殖能力の低下と性行動の変容をもたらす」という仮説を提案するにいたった。

先頭へ戻る

現代のミルクと伝統的ミルク
ヒトは、離乳後にもミルクを飲用する唯一の哺乳動物である。わたくし達の仮説に対して、地球上には欧米人のように数1,000年以上にわたってミルクを飲用して繁栄している民族がいるではないかという反論があろう(21)。しかし、現在われわれが飲用しているミルクは100年前のミルクとは大きく異なっている。かつて放牧によって牧草で飼育している乳牛は妊娠後半にはミルクを産生しなかった。たとえば、モンゴルで放牧されている古来の乳牛は7-8月に自然交配によって妊娠し、4-5月に出産する(22)。モンゴルで子牛用のミルクを横取りする(搾乳する)のは6-10月の5ヶ月である(搾乳期間150日)。妊娠前半のミルクしか人間用に用いていない。しかも、搾乳量は最大で5 L、通常は1-3 Lである。

ある遊牧民は語った。「ミルクは子牛のものだ。われわれが妊娠中の乳牛からミルクを搾ってしまうと、よい子牛が生まれない。ミルクを搾ろうにも妊娠するとミルクが出なくなる」。人間も同様である。女性は、自分のこどもが母乳を飲んでいる間は妊娠しない。吸乳刺激によって分泌されるプロラクチンとオキシトチンが排卵を抑制するからである。たまたま、授乳中の母親が妊娠すると、母乳の分泌がわるくなり、人工乳でこどもを育てざるを得なくなる。

200年ほど前には欧米もモンゴルと同様な状態にあったらしい。R. D. Hurt(23)はその著書「American Agriculture: A Brief History」において、18世紀中頃のアメリカのミルク生産量が非常に少なかったことを「1日に1ガロン(約3.8 L)のミルクを搾れる牛はよくミルクを出す牛と考えられていた。しかし、1日1クォート(約1 L)が一般的であった」と述べている。しかし、品種が改良され、穀物と蛋白質からなる配合飼料で濃厚飼育されている現在の乳牛(たとえばホルスタイン)は分娩3ヶ月後に人工授精で妊娠し、妊娠後半にも産乳する。搾乳しないのは分娩前の2ヶ月のみである(したがって搾乳期間は305日)。平均1日当たりの搾乳量は24 Lに達している(24)。

このような搾乳量の増大はいつ頃から可能になったのだろうか。1908年に F. Haberが空気中の窒素からアンモニアを合成する方法を開発し、1914年に K. Boschがその大量生産に成功した(25)。この新技術が農民に安価な窒素肥料の入手を可能にし、余剰穀物を家畜に与えられるほどに穀物生産量が増大した。さらに、1940年代に始まり、1960年代から1970年代にかけて世界的規模で進行した「緑の革命」が一層の余剰農産物を生み出すことになった(26)。この余剰穀物によってミルクの通年生産(自然条件に左右されることなく、人工授精によっていつでも乳牛を妊娠させ、妊娠後半にも搾乳できる)が可能になった。

さらに、1920年代から製造されるようになったMeat Bone Meal(いわゆるMBMあるいは肉骨粉)がこの傾向に拍車をかけた。MBMは、胎内で仔を育てている妊娠牛から大量のミルクを搾るために必要だった(肉牛にMBMを与えても肉質が悪くなって食用にならない)。先進国のミルク生産量は第一次および第二次世界大戦の間(1920年頃から)に増大し、1940年代にその増大は飛躍的になった。SharpeとSkakkebaek(27)は1993年にLancet 誌上に発表した有名な論文「Are oestrogens involved in falling sperm counts and disorders of the male reproductive tract?」において「先進国ではミルク食品の消費量が多過ぎる。その傾向は1940年代から1950年代に始まった」と述べている。

したがって、近年のミルク飲用民族(たとえばデンマーク人)は100年前に比べると、女性ホルモンの多いミルクを飲んでいることになる。このことがデンマークにおける停留睾丸、尿道下裂、睾丸腫瘍の多発(28-30)の一因になっている可能性がある。

先頭へ戻る

エストロゲンと男性生殖機能
女性の卵巣から分泌されるestradiolは視床下部-下垂体系に作用して下垂体前葉からの性腺刺激ホルモン(FSH)や黄体形成ホルモンの分泌に対して負のフィードバックをかける(27,31-33)。FSHは一連の精子形成に重要な役割を演じているSertoli 細胞の増殖を制御している。過剰のエストロゲンは男性生殖器官の発達を生理的過程を通じて障害すると同時に、Sertoli細胞の増殖を抑制することによって精子形成を阻害する。動物実験によると、胎仔期のSertoli細胞の数によって成長してからの精巣の大きさや精子数が決まるが(34)、ヒトでは胎児期のみならず思春期を通じてSertoli細胞の質的および量的成長が起こる(19)。

経口的に与えた場合にはラットに不妊を起こすのに要するestradiolは比較的大量である(35)。経口的に与えたestradiolの吸収効率が低いからである。しかし、雄性ラットの腹腔内に10 ngのestradiolを与えると、性腺刺激ホルモンの分泌に影響を与えることなく精子が形成されなくなる(36)。このことは、estradiolが発育中の精子細胞を直接障害する可能性を示している。

ラット(0.1 kg)に対する10 ngのestradiolをヒトに当てはめてみる。エストロゲンの作用は体表面積に比例すると仮定する。体表面積は体重(kg)の0.7乗に比例する(37)。0.1 kgのラットに対する10 ngは、20 kgと30 kgの児童に外挿すると、それぞれ410 ngと540 ngに相当する。この外挿をミルク中のエストロゲンにそのまま当てはめることは正しくない。腹腔内に与えられたestradiolは経口的に与えられたものとは生物活性が異なるからである。しかし、ラットとヒトではエストロゲンに対する感受性が異なるだろうし、幼児の感受性には大きな固体差が存在する。また、ミルク中のエストロゲンは生物活性の高いestrone sufateとして存在する。したがって、数100 ngのエストロゲンが特に感受性の高い幼児の精子形成に対して悪影響をもたらす可能性を否定できない。

前思春期の少年では体内のエストロゲン濃度が極めて低いので、14歳以下の少年の性的成熟に対するエストロゲンの影響が大きい(14)。Hartmannら(15)の試算によると、ドイツ少年の食品からの 1 日のエストロゲン(estradiol と estrone)摂取量は80 ng で、その60-70%はミルクあるいはミルク製品に由来するという。しかしながら、Hartmannらは、この80 ngという数値は前思春期の少年のエストロゲン産生量に比べてはるかに小さいので、食品由来のエストロゲンの生体影響は起こらないだろうと結論している。

AnderssonとSkakkebaek(14)によると、JECFA(Joint FAO/WHO Expert Committee on Food Additives)が計算した少年の1日当たりのエストロゲン産生量6.500 ng(38)はかなりの過大評価であるという。エストロゲン産生量はエストロゲンの代謝クリアランスと血中濃度から計算されるが、JECFAが採用した代謝クリアランスは成人女性から得られた数値であること、実際の少年の血中濃度より高い数値を計算に用いたことがこのが過大評価の原因である。したがって、食品由来のエストロゲン80 ngは必ずしも無視できる数値ではない。

先頭へ戻る


  トップ 次へ

ご意見