牛海綿状脳症(狂牛病)

狂牛病については、他にいくつかの良書(山内一也・小野寺 節、プリオン病ム牛海綿状脳症のなぞ、近代出版1996;立石 潤、プリオンとプリオン病、共立出版1998;リチャード・ローズ著、死の病原体プリオン、草思社1998;リチャード・レーシー著、狂牛病ーイギリスにおける歴史、緑風出版1998;小野寺 節・佐伯圭一、脳とプリオン、朝倉書店2001)があるのでここでは触れない。なお、ネット上でも、池田正行氏が狂牛病に関する良質の情報を提供している(http://square.umin.ac.jp/massie-tmd/bse.html)。

2001年9月11日、新聞、テレビは各社一斉に日本で狂牛病(牛海綿状脳症)が始めて発見されたことを報じた。この日に2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、1機がワシントンの国防総省(ペンタゴン)に突っ込むという大事件があったため、報道機関はそちらに目を奪われていた。テロ事件が少し平静になった10月初旬から農林水産大臣は連日テレビに呼ばれ対応に大忙しであった。この大臣はステーキを食べミルクを飲むというパフォーマンスを行い、国民の苦笑を誘っていた。大臣は「危険なところは脳、脊髄、眼球、回腸の末端部だけです。肉やミルクは心配ありません。30ヵ月以上の牛はすべてその脳髄を検査して、安全性を確認した牛の肉以外は市場に出しません。安心して食べてください」と述べていた。テレビキャスターの「なぜ、肉やミルクは完全に安全と言い切れるのか」という質問に対して「責任ある研究機関がマウスに肉と牛乳を与えて脳症様の症状が現れなかったからだ」と答えていた。「イギリスで狂牛病が出てから今まで6年が経っている。これから市場に出る牛肉は安全だとしても、この6年の間にすでに牛肉を食べてしまった人たちはどうなるのか。人に狂牛病のような症状が出るのは4年から30年もかかると言われている。不幸にして30年後に症状が出たらどうするのか」には「・・・」であった。

なぜ月齢30ヵ月以上の牛だけ検査するのかという疑問が出て当然である。30ヵ月以下の牛は大丈夫であるという保証は全くない(その後、食用に屠殺する牛はすべて検査することになった)。たしかに、30ヵ月以内の牛に狂牛病の発生例はない。30ヵ月以前では病原体といわれるプリオンが脳に検出されるほどには増えない(検査法の感度が低いから、たとえ将来狂牛病になるウシであっても検出されない)。ヨーロッパの狂牛病先進国でも30ヵ月以上の牛しか検査していない。狂牛病の原因と目されているプリオンという物質は30ヵ月以内の牛の脳髄には存在しないわけではなく、存在しても微量で現在の検査には引っかからないということである。陽性と判定されない程度のプリオンをもつウシを食っても問題ないのかといわれると何とも答えられない。その後、厚生労働省は食肉用に屠殺するウシは月齢に関係なくすべて検査する、検査に合格したものだけ市場に出すと明言した。日本では年間130万頭のウシが肉になる。これらのウシの延髄を取り出して検査するというのだ。大変な金と労力を要する。それまでして日本人はウシを食べなければならないのか。

そもそも「肉骨粉」を必要としたのは酪農であった。現在の乳牛は胎内で30キロにまで育つ仔牛を抱えながら毎日30キロものミルクを搾られている。30キロのミルクは20,000キロカロリーに相当する。草や穀物だけを与えていたのではとてもこんな芸当はできない。1985年にイギリスで発生した狂牛病の第一例は乳牛であったし、千葉県の日本の第一号も白黒ブチの乳牛であった。これからも狂牛病の乳牛が現れるだろう。さんざんミルクを搾ったあと、肉にして食ってしまうなんて。日本でもかつて農耕用に牛馬を飼っていた。しかし、さんざん働かせておいて、肉にして食うなどという無体なことはしなかった。東南アジアも同様であった。仏教が浸透した地域には節度があった。単に肉牛を育てるだけだったら「肉骨粉」などは必要ない。牧草地で草を食べさせ、屠殺場に送る前の数カ月穀類を与えて肥育すればよかったのだ。

ヨーロッパでも狂牛病が発生する前は乳牛を4-5回妊娠させていた。しかし今は2-3回の妊娠が一般的である。乳牛は、生後14ヵ月で人工授精を受けて最初の妊娠をする。ウシの妊娠期間はヒトと同じ280日前後である。最初の子牛を産んでからミルクが搾れる。したがってミルクを出すのは月齢23ヵ月からである。最初の出産の3ヵ月後に再び人工授精を受ける。二回目の妊娠期は月齢26ヵ月である。今度はミルクを搾られながらの人工授精で、妊娠中もずっとミルクを搾られる。ただし、出産前2ヵ月は搾乳を免れる。この時期にまでミルクを搾られては胎内の仔牛が育たないからだ。そして月齢35ヵ月で第2子を産み、47ヵ月で第3子を産む。月齢50ヵ月では狂牛病が発病している可能性はほとんどない。しかも検査合格のお墨付きで市場に出せる。これが現在ヨーロッパで行われている一般的な乳牛の飼育法である。乳牛の一生は大変である。乳牛ほど人間に重労働を強いられる動物は地球上にいないだろう。

農林水産大臣は「ニワトリとブタは安全です。狂牛病に似た症状を発したニワトリとブタはいません」と言う。それはそうだろう。ニワトリは40日で肉になり、1年以上生きるブタはいない。ブタは6ヵ月ほどで肉になってしまうからだ。

「人間社会がそれなりに考えて行動していることだ」として現代の畜産技術に必ずしも反対してわけではない国立科学博物館の遠藤秀紀氏はその著書「ウシの動物学」(アニマルサイエンス2 東京大学出版会2001年7月10日)においてウシの現代病について次のように述べている。

    第四胃変位。いまのウシの飼養者にとって、そしてウシの獣医師にとって、これほど頭の痛い疾患はないだろう。しかし、おそらくはこんな病気が広まったのは、少なくとも問題化したのは、ヒトとウシとの共存の歴史においては、ごく最近のことに過ぎない。われわれは、ウシとのつき合いのなかで、多くの病気を、ウシ起こしてしまったのかもしれない。ウシの第四胃は、腹腔内でしっかり保定されていない。ときに、第四胃の運動が低下し、胃内容の鬱滞を招くと、第四胃は拡張し、左右に振れたままもとの正中近くへ戻らなくなる。とりわけ分娩後の雌ウシでは当然、第四胃も動きやすい。第四胃変位には左への変位と右への変位の両方があるが、右方変位は胃捻転を招きウシにとって極めて危険である。第四胃が捻転にいたれば、ショックと脱水で急死は免れない。第四胃変位の原因は多岐にわたる。とりわけホルスタインに多く、品種間差異は歴然としているようだ。かつての品種成立時の遺伝学的要因というよりは、その後のホルスタインの改良の方向性が、第四胃変位を容易に起こす集団を増やしていると考えることができる。さらに、やり玉にあがる要因は、濃厚飼料の多給だ。生産性を求めて濃厚飼料を多量に与えられたウシは、酪酸醗酵の増進で、第四胃の運動が減退してしまうのである。また、輸送時のストレスが第四胃の遊走を引き起こすという議論がある。

    先進国で牛乳を生産に耐えないかたちで殺処分に追い込む、もっとも頭の痛い疾患は乳房炎だ。現在、日本における乳牛の死廃例の2割前後が乳房炎によると考えられている。欧米先進諸国においても同様だろう。
    乳房炎こそ、ウシの現代病の典型である。あくまでも微生物による感染症だが、その病原体や発症機序は単純には語れない。多くの場合、Staphylococcus aureus、S. agalactiae、S. dysgalactiae、Escherichia coli、Klebsiella pneumoniaeが乳房内へ侵入、乳腺や乳管で増殖し、炎症を招く。これらの細菌名をみて、お気づきの読者もおれれよう。比較的どこにでもいる細菌が、偶発的に乳房を冒すのである。原因微生物は細菌とはかぎらず、真菌やマイコプラズマもありうる。つまり、病原体の特定とは無関係に、われわれは疾患に対する総称として乳房炎という言葉を使っているのだ。原因菌が常在性であるうえ、発症は感染だけでなく、体質、畜舎構造、飼養形態、搾乳方法、年齢、乳期など、雑多な要因に支配されている。発症しない個体は、潜在的な乳房炎の候補者となる。そして、発症すればたいてい慢性化し、生産現場での完治はむずかしい。けっきょくのところ、人間の飽くなき牛乳生産の夢が生み出したコントロールの困難な病気といえよう。

    もう1つ、乳牛の現代病、ケトーシスを取り上げておこう。先進国で栄養を十分に与えられ、高泌乳を求められているウシにだけ生じる病気である。ケトーシスの病態生理は、ケトン体、すなわちb-ハイドロキシ酪酸、アセト酢酸、アセトンが、体内に異常に増加した状態とまとめることができる。実際のケトーシスの発症機序は、非常に複雑だ。個体ごとに、多様な要因が複合して起こるといえよう。たとえば単純には、酪酸の多いサイレージを多量に食べさせれば、ルーメンの醗酵の結果、いずれにせよケトン体は増加するだろう。また、あまりに、泌乳の多い集団なら、いくら飼料を供給しても低栄養・低血糖状態を招く。対抗して、脂肪を動員した個体は、脂質代謝物としてケトン体を生じるだろう。さらに高泌乳牛は、そもそも肝機能を多大に使って生産を続ける。ケトン体の代謝に回せる肝臓の能力にも限界があろう。また、泌乳量が上がると、乳腺組織そのものが、アセト酢酸を生成することが知られている。血糖不足のために乳腺細胞の糖代謝が正常に進まないのだ。つまりは、高泌乳を求めるあらゆる飼養形態が、乳牛をケトーシスへ追い込んでいく。

    雌が原因の不受胎で、かつ、ほかの範疇に含まれる明らかな原因がみつからない状態をリピートブリーデイングと一括し、該当する患畜はリピートブリーダーとよばれる。簡単にいえば、理由はわからない、何度種をつけても雌が妊娠しない、という状態だ。リピートブリーデイングのほんとうの原因は、いずれ卵巣や子宮などの具体的疾患に帰着されるだろう。

    BSE(牛海綿状脳症)は近代畜産のあり方に、大きな警鐘を鳴らしたと受け取るべきだろう。この事件は、合理性を追求してきた近代畜産が、タンパク質リサイクルシステムを普及させてなで営まれていることを、一般社会に知らしめる契機となった。そのシステムが、経済競争のなかで編み出されてきた、食肉生産の新しい方向性を表現していることは確かである。しかし、ほかの家畜の屠体の一部を、ウシの飼料に供給するという考え方に、今日の社会は、そもそも倫理的な抵抗を感じなかったのだろうか。ウシを家畜化し、ウシを育て、ウシを利用するという営みは、人間がウシの顔をたえずみつめてきたからこそ、成功をおさめてきたのである。あくまでも私の感覚だが、ヒツジであれなんであれ、ほかの家畜の処理遺体産物を、計画的・組織的にウシ飼養プロセスに組み込むことは、ヒトとウシのつき合い方としては、道徳的一線を越える行為である、と感じられる。この営みから私がみてとることができるのは、もはやウシの顔をみなくなった、“傲慢な社会”の一面である。同じようなシステムは、今日ブタでも確立されている。ブタが弱齢で解体されるから、プリオン病が表面化しないのかどうかわからない。しかし、家畜に対して少しずつ根を張る、近代社会の奢りは、畜産技術の発展を冷静に認識してきた私の倫理観からみても、省みるべき時期を迎えているように思われる。

狂牛病騒ぎで牛肉を買うひとが少なくなっているという。畜産農家の苦衷は察してあまりある。しかし、一般人にとっては結構なことではないか。日本人が肉を食べる必要は全くないからだ。ただ、政府は、農家に酪農を奨励し、日本人に肉やミルクを勧めてきたという経緯がある。もちろん、政府だけの責任ではない。官民あげて「もっと肉を、もっとミルクを」をと望んだのだ。日本人は、この方針を大転換して、軟着陸を目指すことが必要だ。ウシは草で育てることだ。妊娠しているウシからミルクを搾るような無体なことはせず、出産後のウシから6ヵ月ほどミルクを搾ればよい。当然ミルクの生産量は落ちる。1リットルの牛乳が200円なんて、ミネラルウオーター並みではないか。喫茶店の一杯のコーヒーより安い。1リットル500円ぐらいになればよい。肉はかつてのように冠婚祭のときにだけ食べればよい。ある程度時間がかかっても、酪農家は植物を育てる農業に方向を変え、乳業メーカーは他の産業に活路を見い出すことだ。政府は責任をもってその支援に当たるべきだ。

もちろん、食は好みの問題である。肉を食べたいと思うひとは食べればよいし、ミルクが好きだというひとは飲めばよい。しかし、肉のタンパク質は良好で健康によいとか、ミルクはカルシウムが多いから妊婦や育ちざかりの子どもに欠かせない食品であるなどとひとに強制するのは犯罪的である。家庭でいただく日常茶飯は「穀物+大豆+野菜+(魚)」がよい。肉を食べるのは特別の日だけでよい。肉料理は家庭外でいただくものだ。

日本人が肉やミルクをやめるのはそんなに難しいことではなさそうだ。日本人が肉を食べ、ミルクを飲むようになったのはつい最近のことだ(とは言っても40年ほど経っているが)。肉とミルクの味は短期間の学習で覚えたもので、日本人の血と肉になっていない。

スーパーの棚にきれいに並べられたピンク色の食品を見慣れた日本人は、その食品が自分たちの仲間である哺乳類の肉体の一部などと思いもしないだろう。学童も今教室で飲んでいる牛乳がウシという哺乳類が残酷な仕打ちを受けながら排泄(分泌)している液体などと思いもしないだろう。テレビや絵本でふだん目にするのは青々とした草原でのんびり草を食んでいる乳牛だから。

ブタは屠殺場の下り勾配の狭いコンクリート路を一列に駈けおりる。待機している屠場員は電気ごてのような器具をブタの前頭部に押し当てる。電流が一瞬のうちにブタを横倒しにする。片足に鏈をかけられ、ウインチで吊り上げられる。ほぼ2メートル間隔で片足で吊るされたブタが移動する。もう一人の屠場員がブタの頭部を左腕に抱えて右手のナイフで頸動脈を切断する。血が噴出する。あたり一面は血の海だ。電気ショックから醒めたブタは前脚を震わせてもがく。足が切断され、頭部が切り落とされ、皮が剥がれ、内臓が取り出され、背骨で真っ二つに割られる。そして最後にピンク色の肉片となって発泡スチロールのトレイに入れられ、ラップで覆われる。

日本は山川草木国土悉皆成仏の国だ。山にも岩にも草花にも「いのち」を感じていた。わたくしの子供の頃(昭和30年代)、隣家のおばあさんは屋根裏に巣くうネズミに毎夕ご飯を与えてお経を唱えていた。

本当の姿を知れば日本人は肉食を慎むだろう。楽観的に過ぎるかな。しかし、女性(とくに母親)に期待している。女性が「何かおかしい、何か気持ちが悪い」と感じたとき、世の中が動く。草食動物のウシにウシを食べさせるなんて「気持ちが悪い」。本来、草食動物(植物食)であった日本人が肉を食べるということはウシがヒツジを食うのと本質的に変わらない。やはり、「気持ちが悪い」。

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参考図書

牛乳や肉についてもっとお知りになりたい方は次の本を参考に。

真弓定夫「お母さん!アトピーから赤ちゃんを守ってあげて―心ゆたかな子供を育てる食育のすすめ」、合同出版、1988年3月

泉谷 希光「赤ちゃんができない原因は"いい栄養"にあった―日本を滅ぼす間違いだらけの現代栄養学」(ゴマブックスB‐491〉、ごま書房、1991年9月

日本栄養・食糧学会・監修、山内邦男・今村経明・守田哲朗・責任編集「牛乳成分の特性と健康」、光生館、1993年6月

Neal Barnard, Food for Life. How the New Four Food Groups Can Save Your Life. Three Rivers Press, New York, 1993.

ジェレミー・リフキン・著、北濃秋子・訳「脱牛肉文明への挑戦 繁栄と健康の神話を撃つ」、ダイアモンド社、1993年10月

上野川修一・編「乳の科学 シリーズ《食品の科学》」、朝倉書店、1996年3月

Frank A. Oski, Donユt Drink Your Milk. New Frightening Medical Facts about the Worldユs Most Overrated Nutrient. TEACH Services, Inc., 1996

ノーマン・W・ウオーカー・著、弓場 隆・訳「自然の恵み健康法―野菜とフルーツの自然食」、春秋社、1998年1月

ピーター・コックス・著、浦和かおる・訳「新版 ぼくが肉を食べないわけ」、築地書館、1998年11月

鷹尾 亨・編著「牛乳・乳製品の実際知識(第5版)」、東洋経済新報社、1999年7月

外山利通・著「牛乳神話完全崩壊」、メタモル出版、2001年1月

ジョン・ハンフリース・著、永井喜久子+西尾ゆう子・訳「狂食の時代」、講談社、2002年3月

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