なぜ、哺乳類を食ってはいけないか
その2 〜ひとを食った話〜

前のページに戻る

飢えてヒトを食う

他に食う物が全くなければ、ひとはヒトを食う。単なる飢餓感や渇きから仲間を食うのではなかろう。肉食獣が飢えて仲間を食うことはない。食うのは人間だけだ。死に対する恐怖が根底にあるからだろう。死の恐怖に身悶えるのは人間だけだ。死から逃れるために、ひとはヒトを食う。医療における「薬喰いとしての人肉食」と同じである。

食うものがなくなってひとがヒトを食った例は日本にも多い。以下は司馬遼太郎の『新史 太閤記』に由る。木下藤吉郎は中国の覇者毛利輝元を討つべく、手始めに毛利方の同盟国である山名家の鳥取城を攻めた。この城は山陰有数の堅城である。力で攻めれば味方の損害ははかり知れない。兵糧攻めにすることにした。藤吉郎は鳥取の米を買い占めた。船を仕立てて鳥取城外の海岸に赴き、

    「北陸はたいそうな飢饉じゃ。米でもよい。麦でもよい。大豆でもよい。この土地の値段の二倍で買おう」とさかんに吹聴した。百姓どもはあらそって売った。籠城中の山名家の諸将も「兵糧を売って軍資金の足しにしよう」と、むやみに持ちだしては売った。

山名家は毛利家に兵糧を送るよう頼みこんだ。

兵糧は海路日本海まわりでやってきたが、すでに藤吉郎はそれを察知しており、軍船を日本海に配置して、運送船をことごとく撃破してしまった。城内では、一月目にはたれも走ることができず、三月目にはどの城兵にも死相があらわれてきた。四月目には、紙や草など咀嚼できるものはすべて食いつくし、馬も、乗り替え馬や荷駄の馬はすべて食いつくし、ついには一部のあいだで餓死者の肉を食う者が出てきた。

古来、人間の肉を食った例は、残された資料ではこの鳥取城内の場合しかない。それも籠城わずか四ヵ月である。さすが士分のあいだではそれほどの事象はみられなかったが、足軽以下には名誉心が乏しく、容赦なく屍肉を食い、死体をあさるために夜間柵のそばまで忍びよって味方の戦死者の足をひきずろうとする者も出、それが羽柴方の哨兵に撃ちころされるや、その男を他の味方が食ってしまうというありさまになった。さらに生きている者さえ殺され、仲間に食われた。

大西は、上掲の『人肉食の精神史』において、天明大飢饉(1782-87)の凄まじさを高山彦九郎の見聞録『北行日記』に由って次のように記している。

猪・鹿・犬・猫・牛・馬などを食ったが、人を食うものもあった。餓えの結果、次々と人が死に、子があれば親の屍体は埋葬されるが、子がなければ埋葬されることなく屍体は放置された。放置された屍体を食い、さらには埋葬された屍体さえも、掘り出して食うものがあった。

山中野外の屍体を食うものがあり、煮たり焼いたりして食べている。また、生でも食べている。今、その食べた人に味はどうだったかと尋ねたところ、馬の肉は猪や鹿の肉よりうまい、人の肉は馬の肉よりうまい、と応えた。自分の子供を殺し食ったものもいる。まさに鬼畜のごとき所業である。

(略)

人の肉を煮ていると沸騰し、飛沫が火中に入るが、それは直ぐに燃え上がる。人の肉というものは脂の多いものだという。

(略)

飢えが迫ると、まだ体力のある者は、体力のない者を殺し食い、他人の馬を奪い取っては食い、なんとか生き延びていた。火を懸け焼かれた小屋の跡を見ると、人の骨や馬の骨が山のように出てきた。

卯の年(天明三年)の八月頃のことだが、二十歳ばかりの乞食が、子供の腕を噛み切って食べていたと、ある馬子が語っている。翌年の辰の年(天明四年)の正月にも、人を食う者があり、女どもは恐れて、草や木の根、根菜を採りに外に出ることもしなくなった。

助の次男の久右衛門が語るところによれば、ここから二十里東の、さぶらい浜というところを通り掛かった折り、屍体の股の所を削(そ)ぎ落とし、それを噛んでいる人を見た。私(久右衛門)が通るのを見てその人は食べていた屍体の肉片を火中へと投じた。ある里では、餓死寸前の家に入ると、その家の人から、どうか屍体の肉を分け与えてくれ、自分の母がまもなく餓死するから、そうしたら返すから、と言われたという。

これらは、遺伝子(本能)の命ずるがままに行動するひと以外の動物にはとてもできない。はてさて、浅ましきかな、人間は。

大森貝塚を発掘したアメリカの生物学者モース(E. S. Morse)は土器、石器、骨角器の他に折れ砕かれた人骨を発見した(礫川全次・編著『人喰いの民俗学』批評社、1997年1月)。『人喰いの民俗学』にモースの講演内容を紹介した新聞記事の引用がある。

さて、その掘り出したる中に人骨ありて、その骨は骨節中最も堅硬なる所にして、その骨皆折砕(おれくだけ)あり。デンマルク、ブラジルなどにて掘出せしもの皆同じ骨節にて、同じく折砕あり。これその葬りたる骨にあらずして(葬骨ならば全体を存せざるべからざる理なり)人々相食み(あいはみ)、その骨は砕折(たたきくだ)きて髄汁を吸いたるを知るに足るべし。

古代の日本人に食人の風習があったというモースの指摘は、当時の日本人に大きな衝撃を与えた。日本人類学の草分けとして活躍した白井光太郎は、モースの「発見」に接した頃のことを、次のように回想している(上掲書)。

日本人の祖先は人肉を食いし証ありとの説には驚嘆張目せし次第にて、はたして吾人の祖先にこの風習ありや否やを審査せんとの奮発心を興起し、介墟(貝塚)の研究等に心血を傾注せし時代もこれあり候次第に御座候。

辺見庸の『もの食う人々』(共同通信社、1994年6月)によると、終戦直後のミンダナオ島(フィリピン群島南東部の島)で、旧日本兵が島民を捕まえて食べていたという。山には野豚や野鹿がいた。銃も弾薬もあった。それなのに、彼等は数十人の島民を殺し、その肉を食ったというのである。野生動物よりもヒトの方が捕まえやすかったのだろう。

日本兵が潜んでいた高山の尾根の現場を見て麓の村にたどり着いた辺見を6、7人の村人が取り囲んだ。

村人たちは口々に言ったのだ。
「母も妹も食われました」
「私の祖父も日本兵に食われました」
「棒に豚のようにくくりつけれられて連れていかれ、食べられてしまいました」
「食われた」。この受け身の動詞が私のメモ帳にたちまち十個も並んだ。
村民たちは泣き叫んでいない。声を荒げてもいない。押し殺した静かな声だった。

「汝殺すなかれ」あるいは「人を殺したる者は刑に処す」という文明の枠外にあればタブーは消失してしまうのだろう。本能の壊れた動物であるひとの世のタブーは神あるいは法の裁きによって支えられているのだ。飢饉や戦争などの非常時には「仲間の肉は食わない」という禁忌は霧散してしまう。こんなときには神も仏も法もないのだ。

先頭へ戻る

ヒトは食料になるか

大西の『人肉食の精神史』につぎのような文章がある。

人が死んだ時、燃料までも使い、火葬にして貴重な蛋白源を、むざむざ消滅させてしまうとは、資源の有効利用を言うなら、まさに無駄遣いである。宇宙船「地球号」に乗る乗組員にとり、船内の資源は有限である。人が生き、殖えていく限り、これに見合う食料増産がなければ、やがて食料は枯渇してしまう。その結果、人は飢えに苦しむことになる。

有限の資源を最大限に利用するためには、蛋白質の塊の人間を食べてはいけないということは、発想を変えて考えれば、あるいは無いのではあるまいか。

人肉は、これを一旦土に還し、土を植物が利用した後に、それを動物が食し、さらにその動物の肉を人間が摂取するという食物連鎖を通過させれば、充分に許容されるとする。この連鎖を短縮し、土に還したつもりで一旦廃棄とし、その廃棄物を腐敗する前に取り出し、食料に加工してはならないだろうか。それは果たして許されない禁忌の行為なのだろうか。

これは、本能の壊れた動物(遺伝子の命令通りに行動しない)である人間の発想である。たしかに「地球号」には60億もの大型獣がひしめいている。ヒトの死体の肉を加工してハムかソーセージにしてしまえば誰も気付かない。しかし、「ヒトの肉からつくったソーセージ」なんていくら本能の壊れた人間でも狂気の沙汰だ。現在、日本人は全体で360万トンの肉を消費している。毎年、日本で100万人弱が死ぬ。死亡者の平均体重を50キロとして、その25%が食用になれば、年間1万2500トンの肉が得られる。死体を再利用したところで、消費肉の1割強しかまかなえない。繰り返すが、ひと以外の動物は同種の仲間を食わない。動物は、本能の壊れた人間と異なり、遺伝子の命ずるがままに行動する。動物には「仲間を食わない」という遺伝プログラムがセットされているのだ。よく分らないが、仲間を食い続けるとその身体に異変が起こるのだろう。

先頭へ戻る

ヒトを食うということ

「薬喰い」や「美味礼讃」ではなく、ひとがヒトを食料として毎日食い続けたらどうなるか。身体を健全に保つという栄養学的視点で人肉は獣肉に優るか。人間の子どもにとって母乳は牛乳に優る。しかし、それは母体の血液から養分を得て育った胎児期に続く1年ほどの期間(乳児)だけである。すべての哺乳類の子どもは体重が出生時の3倍ほどになるまではメス親のミルクに哺んで育つ。人間の子は1年で体重がほぼ3倍になる。その後は親が口にしているものと同じようなものを食って育つ。人間の子は1年を過ぎると、腸管壁の乳糖分解酵素(ラクターゼ)の活性が低下して母乳が飲めなくなる(飲めば下痢・腹痛を起こす)。

肉の主たる栄養素は脂肪とタンパク質である。脂肪は哺乳類の種によって脂肪酸の組成が異なる。構成脂肪酸の違いによって色調、味、匂いが異なる。例えば、ヒトの脂肪は黄色で、ウシやブタの脂肪は白い。タンパク質は20種類のアミノ酸が数珠状に連なったものである。筋肉タンパク質のアミノ酸組成は哺乳類の間では大きな相違はない。タンパク質は胃液中のペプシン、膵液中のトリプシン、腸管壁のオリゴペプチダーゼによってアミノ酸に分解されて吸収される。一個のアミノ酸以外にアミノ酸が二個つながったジペプチド、三個つながったトリペプチドも吸収される。消化管の状態によっては数十個のアミノ酸からなるペプチドが吸収されることもある。

38億年という長い進化の過程を経てきた動物の身体には免疫という素晴らしい機能が備わっている。免疫の基本は、「自己」と「非自己」を識別し、「非自己」である異物を排除する強力な防禦システムである(井村裕夫『人はなぜ病気になるのか』岩波書店、2000年12月;多田富雄『免疫・「自己」と「非自己」の科学』日本放送出版協会、2001年3月)。この識別に重要な役割を演ずるのは、主要組織適合抗原(MHC)と呼ばれるタンパクである。このタンパクはほとんどすべての細胞の表面に存在し、個人によって少しずつ異なっている。免疫反応は、異種タンパク(ペプチド)が細胞のMHCに結合することによって始まる。異種タンパクがまずマクロファージなどの貪食細胞に取り込まれて分解され、そのペプチド断片がMHCに結合する。すると、ヘルパーT細胞がこれを「非自己」と認識し(抗原提示という)、サイトカインを分泌してB細胞に抗体産生を促す(液性免疫という)。あるいは、その結合が局所でのサイトカイン分泌を促してマクロファージやキラーT細胞を呼び集め、組織を攻撃する(細胞性免疫という。移植拒絶反応もこの機序で起こる)。

本来、「自己」を「非自己」と認識して「自己」を攻撃することはない。が、ときに、「自己」を「非自己」と見誤って攻撃してしまう。生物のゆるやかさである。自分の身体の中でも常にタンパク(ペプチド)がつくられてMHCに結合している。この「自己」に反応するT細胞も多い。が、これらは胸腺において除去される。骨髄で産生される未熟なリンパ球は胸腺に運ばれて、「教育」を受けてT細胞となる。「自己」と強く反応するT細胞は胸腺内で死をプログラムされ死滅する。

細菌やウイルスだけでなく、他人の細胞(非自己)が体内に入ったときには「自己」は激しく「非自己」を攻撃する。臓器移植が困難なのはこのためであることが多い。稀な出来事ではあるが、自分の身体の中でつくられるタンパク質や核酸に対して抗体ができて自分の組織を攻撃するという自己免疫疾患もある。

妊娠は胎児という異物を280日の長きにわたって胎内に留め置く大変な生命活動である。「肝臓移植」を「生き肝を食う」と対比すれば、「妊娠」は「人の子を食う」に似ている。妊娠は女性に多大のコストを要求する。妊娠を経験した女性には自己免疫疾患が多い。慢性関節リウマチ、全身性エリトマトトーデス、全身性強皮症などは女性に圧倒的に多い。ヒトの肉を毎日食っていたら自己免疫疾患になる確率が大きくなるのではなかろうか。ヒトの肉(細胞)が消化・吸収・代謝される過程でペプチドが修飾を受け、そのペプチド断片がMHCに結合する。この抗原は自己成分とほとんど同じだから、つくられた抗体や誘導された免疫細胞は自己成分を攻撃する。しかし、ひとにヒトを長い間食わせる実験が行われたことはないし、「ヒトの肉を食らいし者、全身に紅き斑点を生じ・・・」という記述もない。人肉を食うことの多かった古代の人々はこのことを経験的に知って、人肉食をタブーにしたのではなかろうか。

先頭へ戻る


哺乳動物を食う

遺伝学的にみて、チンパンジーなどの類人猿はヒトに近く、次いでサルがヒトに近い。ウマ・シカ・ウシ・ヒツジなどはヒトと同じ哺乳類である。鳥類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫類の順にヒトから遠くなる。ひとの食料となるものでヒトと最も遠縁なのは植物(穀類、豆類、果実類、堅果類、蔬菜類)である。

ひとは自分の身体にあるものを食物として摂る必要はない。ヒトの身体にはタンパク質(肉)もあれば、脂肪もある。ひとがヒトを食う食人はタブーになっているが、食うものが全くなくなれば(極限の飢餓状態)ひとがヒトを食うことは前に述べた通りである。他に食うものがあればひとはヒトを食べない。これは、ひとは他人の肉を食わないということであって、自分の肉は食う。口に入れるものが少なくなれば、自分の身体の筋肉や脂肪からエネルギーを得る。痩せるということは自分の肉を消費した結果である。

「ひとはヒトを食う必要はない」というよりも他に食うものがある限り「ひとはヒトを食ってはならない」のだ。ひともヒトという動物である。ウシ、ウマ、ブタなどはヒトと同じ哺乳類の仲間である。ひとは哺乳類を食べない方がよい。彼らの身体はヒトの身体と基本的に同じだからだ。哺乳類の肉を食べるということは、ひとが自分の肉を食べることと同じで、他に食うものがないときだけ食べればよい。ひとが哺乳類を食うということは、牛がウシを食うことと基本的に変わりはない。

それ以外に生きる術のない極寒の地に住むエスキモー(海棲哺乳類)や砂漠を生活圏とする遊牧民(ウシとヒツジ)が日常的に哺乳類を食うのはやむを得ない。日本人や欧米人は哺乳動物を毎日食う必要はない。とくに、わずか40-50年(2世代)前に哺乳類を食いはじめた日本人が日常的に哺乳類の肉や体液(ミルク)を食う必要は全くない。

ひとの食物としては鳥類は哺乳類よりましで、魚類は鳥類に比べてさらによい。ひとの食物はヒトからの遺伝的距離が離れているものほどよい。つまり、ひとの食物としては植物が最高である。植物は、ひとにとって最も大切な糖質(デンプン)の唯一の供給源だ。昨今、繊維、センイとうるさいが、センイを供給してくれるのは植物だけである。「穀物食は地球を救う」などと大袈裟な物言いはしないが、穀物食は人類の滅亡を先延ばしすることは間違いない。穀物の大半は人間ではなく、家畜が消費しているからだ。

日本人ほど食に関して好奇心の強い民族はいない。何でも食う。世界中の食財をかき集めて作った和・洋・中あるいは国籍不明の料理が一般家庭の食卓に載る。西に旨いものがあると聞けば飛んで行き、東に珍奇なものが聞けば駆けつける。「中国人は空飛ぶものは飛行機以外、脚あるものは机以外は何でも食う」の中国人を日本人と置き換えたいくらいだ。一般の中国人家庭の日常の食卓は質素である(主食のメシと野菜炒め)。中国人も、ヨーロッパ人も、アメリカ人も、食に関しては極めて保守的である。

筆者は、1980年頃、アメリカの家庭ですき焼きとカレーライスを作ったことがある。すき焼きの評判はいま一つであったが、日本式カレーは大好評であった。子どもの一人が「あなたは日本で一番の料理人か」と眼を輝かせて訊ねたくらいだ。子どもが旨いというものは本当に旨いのだ。なに、カレーといったところで、みじん切りのタマネギを油で炒め、ブタ肉、ジャガイモ、ニンジンを加え、カレー粉とマギーの固形スープで味つけしただけのものである。ご飯はカリフォルニア産のジャポニカ米(現地の日本人はぼたん米と呼んでいた)を電気炊飯器を持ち込んで炊いた。主婦はメシの炊き方とカレーに興味を示した。しかし、「自分で作ることはないだろう」と呟いていた。電気炊飯器が傑作であることは認めたが、彼女がこの優れものを購入する気はなさそうであった。さもあろうと思った。彼らにとってライスは付け合わせの一品に過ぎないのだから。日本人はライス(主食)をカレー(おかず)で食うが、アメリカ人はカレーをライスで食う。

抗原性をもつ多種多量の食品が腸管に侵入する。抗原物質の多くは消化されて抗原性を失って吸収されるが、一部は腸管粘膜で免疫反応を誘導する。まず、粘膜細胞から分泌される免疫グロブリン(IgA)がその抗原の生体内侵入を局所で特異的に阻止する。同時に、生体内でもその抗原に対する特異抗体(IgG)が産生されなくなるという全身免疫機構の寛容状態が誘導される。この経口免疫寛容によって、大部分のひとは何を食っても不都合な免疫反応(アレルギー)は起こらない。日本人の消化器は過去数千年の食環境に応じて免疫寛容を備えてきた。しかし、わずか1世代の間に腸管に侵入する食品由来の抗原の種類が激増した。生命体はしなやかであるがゆるやかでもある。免疫寛容は完璧ではない。日本人は、古来親しんできた「米+大豆+野菜+魚」という日常茶飯から大きく逸脱すべきではない。

先頭へ戻る


戻る トップ  

ご意見