牛乳と骨粗鬆症

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西洋のミルク事情 −フィンランドの酪農

西洋の牛乳事情をご理解いただくために、フィンランドの酪農の歴史について触れておきたい(www.cc.jyu.fi/~pete/yearbook/changein.htmwww.odci.gov/cia/publications/factbook/)。フィンランドは北緯60度以北にあり、ヘルシンキは世界の中で最も北に位置する首都である。温暖なバルチック海の影響で緯度から想像するほどには寒くないが、気候は寒冷である。最も南にあるヘルシンキでも真夏に20度を超えることは少ない。冬期は-4度から-8度になる。

1860年代に甚大な飢饉に見舞われフィンランドで大勢の人々が飢餓で死んだ。その経験から、農業の中核は穀物生産から畜産へとシフトした。フィンランドの気候は穀物の栽培には適していないが、家畜に与える牧草の生育には十分だった。また、この頃から交通の便がよくなったので、畜産品を売って穀物を輸入する方が有利であった。自給自足経済から交換経済へ移行したのである。一方、1860年代の終わりごろから林業が興隆し、高賃金で労働力を吸収したために穀物生産に人手が回らなくなった。これらが女性の労働力でまかなえる酪農へと農業生産が転回した。

1880年代になると、人口増加という圧力にもかかわらずパンをつくる小麦とライ麦の生産絶対量が減少し、自給が不可能となった。しかし、アメリカ、南アメリカ、オーストラリアから低価格の穀物の輸入が可能になった。穀物輸入の増大と平行してバターの輸出量が急増した。1890-1894年の年間バター輸出量は800万キログラムを超え、1895-1900年の年間輸出は1,200万キログラムに達した。かくして、酪農(ミルクとバターの生産)が農業経済の最も重要な地位を占めるようになった。しかし、乳牛数は増えても飼料が不足した。乳牛飼料の質と量を改善することが最大の課題となった。栄養価の劣る野生の牧草だけではミルク生産量に限界があった。フィンランドでは1890年代に野生の牧草に代って良質の牧草を栽培して飼料とする方法が急速に広がった。1910年代には牧草の栽培面積がどの穀物の栽培面積をも上回るようになった。さらに1920年代に入ると、牧草の栽培面積はあらゆる穀物の栽培面積の合計を上回った。この農業の大転換によって乳牛のミルク生産量は著しく増えた。1870年代の乳牛1頭当たりのミルク生産量は500-700キログラムであったが、1920年代には1,200キログラムになった。

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現代のミルク生産
 −年間10,000 kgのミルク生産はいかにして可能になったか

しかし、ミルク生産量が増えたのは牧草の生産量が増えたためだけではない。年間1,200キログラムの生産量は1日当たり4キログラムに過ぎない(年間の搾乳日数を300日として)。現在の遺伝的改良が行われた乳牛(たとえばホルスタイン)は1日に30キログラムの牛乳を生産する。しかも、搾乳されている乳牛のほとんどが妊娠している。自分の身体を維持し、胎仔を育てながら、なおかつ30キログラムのミルクを分泌することは尋常ではできない。まず、ミルクの元となるエネルギーを供給してやらなければならない。品質が改良されたとはいえ、牧草だけではこのように大量のミルクを生産することは不可能である(牛乳1日30キログラムは1万8千キロカロリー)。てっとり早いのは穀物を与えることである。そのためには家畜に与えるための余剰穀物の生産が必要である。

1908年にF. Haberが空気中の窒素からアンモニアを合成する方法を開発し、1914年にK. Bosch がその大量生産に成功した(17)。この新技術が農民に安価な窒素肥料の入手を可能にし、余剰穀物を家畜に与えられるほどに穀物生産量が増大した。さらに、1940 年代に始まり、1960 年代から 1970 年代にかけて世界的規模で進行した「緑の革命」が一層の余剰農産物を生み出すことになった(18)。この余剰穀物によってミルクの通年生産(自然条件に左右されることなく、人工授精によっていつでも乳牛を妊娠させ、妊娠後半にも搾乳できる)が可能になった。したがって、先進国のミルク生産量は第一次および第二次世界大戦の間(1920 年頃から)に増大し、1940 年代にその増大は飛躍的になった。人間の欲望はこれだけでは終わらない。さらなる奇策が必要であった。

我々は牛は草原でのんびりと牧草をたべている動物であるとぼんやり考えている。しかし、牛は与え方によっては仲間の牛を食う。野生のゴリラは純粋な植物食であるが、動物園でビフテキを与えればよろこんでウシを食う。現在、日本では毎日4,000頭の牛豚が食用に屠殺されている。大半の日本人はこれらの家畜の筋肉しか食べない(内臓の一部は食用になる。しかしその量はごくわずかである)。人間の食用にならない骨、内臓の大部分、血液、脳・神経、胃腸の内容物などは焼却処分される。食肉用に屠殺される動物だけではない。人間と同じく病気になって死ぬ家畜もいる。このような動物は人間の食用にはならない(ペットの餌にはなる)。死なないまでも病気のために動けなくなり、人間が屠殺場に引きずっていかなくてはならない家畜(英語のdownに倒れた、弱りきったという意味があるので、このような家畜をdownerという)もいる。これらも埋めるか焼却しなければならない。焼却処分しても国土の狭い日本では埋めるところがない。日本よりさらに大量の肉を消費する西洋はより深刻である。しかし、知恵者がいた。骨や内臓を加熱・脱脂したあと乾燥して粉砕する(この工程をレンダリングという)。この粉末(肉骨粉、英語でMeat Bone Meal [MBM]という)を草や穀物と混ぜた飼料をつくれば、牛は仲間の牛をよろこんで食う。骨肉粉は、ミルクの生産に必須のタンパク質・カルシウムを豊富に含んでいる動物性タンパク飼料である。見方を変えれば、レンダリングは立派なリサイクルあるいはリユースである。かくてミルクの大量生産が可能になった。

京都大学の福岡伸一助教授の文章(葛西奈津子編集 21世紀に何を食べるか. 第9章 種の壁を乗り越えた狂牛病. 更生出版2000年10月)を借用する。福岡助教授は、骨肉粉は20世紀初頭から使われていたのに、なぜ1980年代になって突然、狂牛病(正式には、Bovine Spongeform Encephalopathyの頭文字を使ってBSEという)がイギリスで発生したのか、ということに関連して以下の説明を加えている。

1980年以前の処理工程「バッチ法」は、1回毎の操作と有機溶剤抽出法が組み合わされている。くず肉を蒸気加熱容器の中で100度以上、2時間程度加熱したあと、脂肪を抽出するためアセトンなどの有機溶剤を加えて加熱、濾過する。ところが1980年代に入ると、多くのレンダリング工場で、1回毎の加熱ではなく、ラインを作って高温装置の中に連続的にくず肉をくぐらせる「連続法」が採用され、また有機溶剤抽出法が行われなくなってきた。この変化の背景には連続法の方が処理効率がよいこと、オイルショックによる有機溶剤価格の上昇があった。また脂肪含有量の高い高カロリー飼料が好まれる傾向があったという。

福岡伸一助教授は、骨肉粉は20世紀初頭から使われていたと述べているが、高部 務氏はレンダリングは1920年代に始まったと書いている(高部 務. ピーターは死んだー忍び寄る狂牛病の恐怖. ラインブックス. 2001年5月. 9-10頁)。しかし、高部氏は「家畜のエサに、動物の蛋白質が混入されるようになったのは、(19)50-60年代に遡る」とも書いている(同書121頁)。リチャード・ローズは骨肉粉は畜産物の増産のために第二次世界大戦中に開発されたと述べている(Richard Rhodes. Deadly Feasts. The Prion Controversy and the Public's Health. Simon & Schuster, 1998, New York. 259頁)。

西洋とて昔から肉や牛乳の消費量が多かったわけではない。畜産品は貴重な換金食品であった。西洋人の牛乳消費量が増えたのは早くても1920年代以降のことであろう。SharpeとSkakkebaekは1993年にLancet誌上に発表した有名な論文「Are oestrogens involved in falling sperm counts and disorders of the male reproductive tract?」において「先進国では乳製品の消費量が多過ぎる。その傾向は1940年代から1950年代に始まった」と述べている(19)。

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参考文献

1. Ross PD, Norimatsu H, Davis JW, Yano K, Wasnich RD, Fujiwara S, Hosoda Y, Melton LJ 3rd. A comparison of hip fracture incidence among native Japanese, Japanese Americans, and American Caucasians. American Journal of Epidemiology 133:801-809, 1991

2. Abelow BJ, Holford TR, Insogna KL. Cross-cultural association between dietary animal protein and hip fracture: a hypothesis. Calcified Tissue International 50:14-8, 1992

3. Yamamoto K, Nakamura T, Kishimoto H, Hagino H, Nose T. Risk factors for hip fracture in elderly Japanese women in Tottori Prefecture, Japan. Osteoporosis International 3 (Suppl 1):48-50, 1993.

4. Dennison E, Yoshimura N, Hashimoto T, Cooper C. Bone loss in Great Britain and Japan: a comparative longitudinal study. Bone 23:379-82, 1998.

5. Tunstall-Pedoe H, Kuulasmaa K, Amouyel P, Arveiler D, Rajakangas AM, Pajak A. Myocardial infarction and coronary deaths in the World Health Organization MONICA Project. Registration procedures, event rates, and case-fatality rates in 38 populations from 21 countries in four continents. Circulation 90: 583-612, 1994.

6. Kannus P, Palvanen M, Niemi S, Parkkari J, Jarvinen M, Vuori I. Osteoporotic fractures of the proximal humerus in elderly Finnish persons: sharp increase in 1970-1998 and alarming projections for the new millennium. Acta Orthopaedica Scandinavica 71:465-470, 2000.

7. Kannus P, Niemi S, Palvanen M, Parkkari J. Continuously increasing number and incidence of fall-induced, fracture-associated, spinal cord injuries in elderly persons. Archives of Internal Medicine 160:2145-2149, 2000.

8. Kannus P, Palvanen M, Kaprio J, Parkkari J, Koskenvuo M. Genetic factors and osteoporotic fracturesin elderly people: prospective 25year follow up of a nationwide cohort of elderly Finnish twins. British Medical Journal 319(7221):1334-7, 1999.

9. Walker RM, Linkswiler HM. Calcium retention in the adult human male as affected by protein intake. Journal of Nutrition 102:1297-302, 1972.

10. Schwartz R, Woodcock NA, Blakely JD, MacKellar I. Metabolic responses of adolescent boys to two levels of dietary magnesium and protein. II. Effect of magnesium and and protein level on calcium balance. American Journal of Clinical Nutrition 26:519-23, 1973.

11. Anand CR, Linkswiler HM. Effect of protein intake on calcium balance of young men given 500 mg calcium daily. Journal of Nutrition 104:695-700, 1974.

12. Margen S, Chu JY, Kaufmann NA, Calloway DH. Studies in calcium metabolism. I. The calciuretic effect of dietary protein. American Journal of Clinical Nutrition 27:584-589, 1974.

13. Chu JY, Margen S, Costa FM. Studies in calcium metabolism. II. Effects of low calcium and variable protein intake on human calcium metabolism. American Journal of Clinical Nutrition 28:1028-1035, 1975

14. Barzel US, Massey LK. Excess dietary protein can adversely affect bone. Journal of Nutrition 128:1051-3, 1998.

15. Heaney RP. Excess dietary protein may not adversely affect bone. Journal of Nutrition. 128(6):1054-7, 1998

16. Brenner BM, Meyer TW, Hostetter TH. Dietary protein intake and the progressive nature of kidney disease: the role of hemodynamically mediated glomerular injury in the pathogenesis of progressive glomerular sclerosis in aging, renal ablation, and intrinsic renal disease. New England Journal of Medicine 307:652-9, 1982.

17. Frink CR, Waggoner PE, Ausubel JH. Nitrogen fertilizer: retrospect and prospect. Proceedings of National Academy of Science USA 96: 1175-1180, 1999.

18. Brown LR. Seeds of Change. The Green Revolution and Development in the 1970ユs. pp 3-12, New York, Washington, London, Praeger Publishers, 1970.

19. Sharpe RM, Skakkebaek NE. Are oestrogens involved in falling sperm counts and disorders of the male reproductive tract? Lancet 341: 1392-1395, 1993.

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