糖尿病は糖質摂取量の減少によって起こる

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その4 糖尿病の記述疫学
参考文献

その4 糖尿病の記述疫学

ついで、ヒムスワースが行った食事と糖尿病に関する記述疫学的研究(4)を眺めてみよう。上述のように、ヒムスワースは、糖尿病患者は、その発症前に低糖質食(高脂肪食)を食べていることを明らかにした(1403)。このような食事が健康者の耐糖能に悪影響をもたらすことから、ヒムスワースは毎日の食事組成が糖尿病の発生要因として重要な意味を持つと考えるようになった。この仮説に弱点があるとすれば、それが後ろ向きの証拠に基づいているということである。すなわち、ヒムスワースの研究は、糖尿病患者はその病気になる前に低糖質食を摂っているものが多いというものであって、もし健康者がこのような食事を摂っていればそうでない者に比べて糖尿病になる確率が高いということを示すものではなかった。また、糖尿病の素因をもつものは、このような食事を好むのではないかという反論も成り立つ。

このヒムスワースの「低糖質食→糖尿病」仮説を立証するためには大掛かりなコホート研究(前向き研究ともいう。「低糖質食」を食べている集団と「高糖質食」を食べている集団を長期間追いかけて糖尿病の発生率を両集団で比較する)を行う以外にないが、そのような研究は現実的には不可能である。したがって、状況証拠を積み重ねる以外に方法はない。このなかで最も期待の持てる方法はいろいろな集団における食事組成と糖尿病の発生率を比較検討することである。すなわち、いろいろな集団において食事組成と糖尿病の発生率の間に同じような関係が認められること、あるいは、ある集団における食事組成の変化が糖尿病の発生率にある一定の影響を与えていることが確認されれば、その仮説が間接的ではあるが立証されたと考えてよいだろう。ヒムスワースの扱ったデータは古いが、その論調は今でも輝きを失っていない。

・データの概要

糖尿病は届け出義務のある疾患ではないので、その発生率を国別に把握することは難しい(当時は今よりさらに困難であった)。したがって、それぞれの国の糖尿病死亡率に頼らざるを得なかった。一般に、この死亡率は人口10万対の糖尿病による死亡数で表わされる。ヒムスワースは、1900-1931年のアメリカ、オランダ、プロシア、イギリス、オーストラリア、イタリア、日本の糖尿病死亡率の年次推移を調べて図示している(図9)。インスリンが糖尿病の治療に用いられるようになってから糖尿病の治療が格段に進歩したにもかかわらず、糖尿病による死亡率は世界的に着実に増加していた。各国の糖尿病死亡率はそれぞれの国の医療水準と死亡届の精度によって異なる。たとえば、1922年度の糖尿病死亡率(人口10万対)は東京2.4、ロンドン9.5、ニューヨーク27.8であった。また、ニューハンプシャー州の死亡率(1928-29)が26.5であるのに対して、国境を接するカナダ・ケベック州の死亡率(1921-26)は11.0であった。これらの死亡率の違いをすべて単に医療水準と死亡届の精度によって説明することは難しい。この時代、日本の糖尿病死亡がアメリカのそれに比べて非常に少なかったというのは事実であろう。

インスリンが糖尿病の治療に用いられるようになった1922-23年には糖尿病死亡率がわずかに低下したが、その後再びそれ以前と同様な上昇が続いた。もちろん、インスリンが使われたからといって、直ちにその効果が死亡率の低下に反映されるわけではない。10年ぐらい経ってその効果が現われるのかも知れない。インスリンの効果は糖尿病の発症から死亡するまでの期間の延長となって現われる。したがって、図9は、余命が延長したにもかかわらず、糖尿病の死亡率が急激な上昇を続けていたことを示している。つまり、糖尿病の発生率はその死亡率よりさらに急激に上昇しているはずである。しかし、医療水準が高く、死亡統計が整備されている国々においては、発生率の代わりに死亡率を用いても本質的な誤りを犯すことはないだろう。

日常の食事は、人種、民族、あるいは社会階層によって異なり、かつ利用できるデータは不十分であるから、そのデータの解釈は慎重でなければならない。当時でも食事に関する調査はいろいろな国で行われていた。20世紀初頭で最も信頼できるデータはヨーロッパと北アメリカにおける調査であろう。これらの国々では、社会階層別の食事に関するデータが得られていた。それによると、食事内容は個人の経済状態に大きく左右される。したがって、国毎の比較を行うときには、どの社会階層をその国の代表として採用するかが問題となる。手工業労働者は一国の人口の大きな部分を占め、しかもこの階層の購買力が食品の物価を決めていることを考えると、この階層の食事がその国の食事を代表すると考えるのが一番無難である。このような理由で、ヒムスワースは手工業労働者の食事を用いて国毎の食事の比較を行った。

食事調査は非常に煩雑で、信頼できる情報は小集団のものに限られる。このような小集団では、食品の摂取量(総摂取エネルギー)は、個人の食欲(身体活動度)によって大きく左右される。したがって、小集団の食品摂取量を用いて国毎の比較を行うことは無意味である。このような比較が多少とも意味をもつのは、たとえば日本とヨーロッパのように、国によって食事の内容が極端に異なる場合だけである。しかしながら、タンパク質、脂肪、糖質の摂取割合(%エネルギー)は国毎の比較に耐える。食品の摂取量が大きく異なる場合でも、これら栄養素の摂取割合は比較的一定に保たれているからだ。

タンパク質の%エネルギーは、国によって摂取量が大きく異なるにもかかわらず、驚くほ一定している。人種、民族によって、あるいは過去100年間(1830-1930)に起こった食習慣の変化によって、食事内容は大きく変わったが、蛋白質の%エネルギーはほぼ12%で安定している。人種、民族、あるいは時代によって変わるのは、脂肪と糖質の%エネルギーである。脂肪と糖質の%エネルギーは逆比例し、高脂肪食=低糖質食、低脂肪食=高糖質食である。

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・糖尿病の発生率と食事との関係

1930年という時点で、国別の糖尿病死亡率が最も大きく異なったのは日本とアメリカである。1930年の日本における死亡率3.5に対し、アメリカのそれは24.0であった。日本とアメリカでは食事内容が大きく異なる(現在でも異なっているが、1930年頃の日本とアメリカではさらに大きく異なっていた)。この頃の日本人の食事は典型的な高糖質食(低脂肪食)であり、アメリカ人のそれは典型的な高脂肪食(低糖質食)であった。戸田の1927年の報告によると、日本人の脂肪の%エネルギーは5%、糖質のそれは80%であった。一方、1930年のアメリカでは、刑務所で受刑者に与えられていた食事の脂肪の%エネルギーは38.1%であった。この当時、ほとんどの国において、脂肪の多い食事は富者の特権であったが、アメリカでは囚人にすら脂肪に富んだ食事が与えたいた。アメリカ人の好みとアメリカの経済力を適格に表わしている。それ以前のアメリカにおける食事調査も、アメリカ人が高脂肪食を好むことを示している。ある調査によると、20世紀初めのアメリカ人の標準的食事は糖質54%、脂肪35%であり、同時代のヨーロッパ人の食事は糖質67%、脂肪16%であったという。

他の主要国の糖尿病死亡率は日本とアメリカの中間に位置し、食事内容も日本の高糖質食とアメリカの高脂肪食の中間に位置していた。各国の糖尿病死亡率とそれぞれの国の都市勤労者階級の典型的な食事を表2にまとめてある。低糖質食の国では糖尿病死亡率が高いことが歴然としている。しかし、総摂取エネルギーは糖尿病死亡率と関係がなかった(日本人の摂取エネルギーが飛び抜けて多い。この時代の日本の労働者の食生活は1升飯に漬物ということであったろう)。

ヒムスワースは、糖質あるいは脂肪の摂取量と糖尿病死亡率の関係を入手可能なあらゆるデータを駆使して詳細に検討してみたが、労多くして得られるものはほとんどなかったと述べている。しかし、糖質の%エネルギーと糖尿病死亡率の関係は単なる偶然と看過できないほどに密接である。糖尿病死亡率の高い国では、低糖質食(高脂肪食)が好んで食べられており、逆に糖尿病死亡率の低い国では高糖質食(低脂肪食)が食べられていた。

この関係が事実ならば、エスキモーあるいはラブラドル半島の原住民の糖尿病死亡はかなり高いはずだと反論する向きもあろう。しかし、エスキモーが極端な高脂肪食を摂っているという有名な喧伝は誤りである。ある調査によると、ラブラドル半島原住民の糖質の%カロリーはほぼ70%、脂肪は21%である。エスキモー自身は脂肪をほとんど食べないらしい。極寒の地では、獣脂肪は、食糧として消費するにはあまりにも貴重な産物で、燈油あるいは保革油として用いていたのである。ただし、バッフィン島で昔ながらの生活を営むエスキモーの食生活調査によると、その食事は糖質8.2%、脂肪47.6%であった。このエスキモーにおける糖尿病の発生率は不明であるが、それほど高いとは思われない。エスキモーはこのような食事に古来適応しているのであろう。

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・糖尿病死亡率の年次推移と食事内容の変化

1900-1931年の世界主要国における糖尿病死の年次変動(図5)をみると、多くの国々で2回、増加傾向に歯止めがかかっている。第一回の低下は第一次世界大戦の最中に起こり、二回目の低下はインスリンが糖尿病の治療に導入されるようになってからの数年間に起こった。第一回目の低下は戦争中の食糧事情の悪化に伴って必然的に生じたものであろう。二回目の低下の理由は述べるまでもない。

1900年頃から、西洋文明の影響を受けている国々で、国民の食事内容が着実に変化した。その変化を一言でいうと、総摂取エネルギーはほとんど変わらないのに、糖質の%エネルギーが減り、脂肪の%エネルギーが増えたということにつきる。この食事の変化は、イングランドとウエールズにおける統計資料にはっきり示されている。1904年には、都市勤労者の1日の摂取エネルギーは3,094-4,013 kcalで、糖質の%エネルギーは65.7-71.0%、脂肪の%エネルギーは17.6-23.2%であった。1928年に行われた勤労者階級の家庭調査によると、摂取エネルギー3,000 kcal、糖質の%エネルギー58%、脂肪の%エネルギー32%という数値になった。脂肪と糖質の%エネルギーは逆比例する。低糖質食(高脂肪食)に移行するにつれて糖尿病死亡率が上昇する。

オランダでも同じような現象が観察された。1907年の糖質の%エネルギーは72%であったが、1916年には62%となり、1930年には53%にまで低下した。一方、脂肪の%エネルギーは、1907年17%、1916年26%、1930年には35.5%に増加し、1910年には9.9であった糖尿病死亡率は1915年には13.1となり、1930年には17.6と上昇した。

図5を見ると、日本で1900-1930年の間に糖尿病死亡はほとんど増加していないことがわかる。この期間に日本人の勤労者階級の食事内容はほとんど変化しなかった。1886年に行われた刑務所の受刑者の食事調査によると、糖質の%エネルギーが84%、脂肪の%エネルギーが3.9%であったという。1927年の戸田の調査によると、日本人の食事は相変らず糖質80%、脂肪5%という構成であったということは先に述べた。

以上に述べたことから、1900-1931年の糖尿病死亡の増加は、糖質摂取量の減少と脂肪摂取量の増加に伴って起こったと推論することができる。特筆すべきことは、この期間内に総摂取エネルギーの変化はほとんど見られなかったということである。

図5から第一次世界大戦が糖尿病に与えた影響が見てとれる。糖尿病死亡は、戦争によって食糧事情が悪化した国々において減少し、食糧供給に影響がなかった国々では変わらなかった。すなわち、日本とオーストラリアの糖尿病死亡率は大戦中に増えているし、食糧の自給が可能であったイタリアでは糖尿病死亡率はほとんど変わらなかった。しかし、戦争の真只中にあったプロシアはもちろん、デンマークやオランダのように中立国であってもドイツ軍に食糧を供給せざるを得なかった国々においては、糖尿病死亡率は低下している。

さらに、この低下の時間的関係が興味深い。プロシアでは1915年にすでに糖尿病死亡率の低下が始まっているが、イギリスでは1917年までその低下が明らかではない。ドイツ海軍は開戦と同時に潜水艦による厳重な海上封鎖を行ったが、イギリスに対する海上封鎖は1917年の春までほとんど効果がなかったのである。さらに、アメリカの糖尿病死亡率は、食糧品の価格上昇と政府の統制による食糧事情の悪化が始まった1918年になって初めて低下し始めた。

戦争によって食糧事情が悪くなっても、それが極端に悪くならない限り総摂取エネルギーはほとんど変化せず、食事の内容(糖質の増加と脂肪の減少)が変わるだけであるということは注目に値する。大戦の影響がなかった東京では、糖尿病死亡は変化しなかった。大戦の影響をほんの少し被ったニューヨークでは糖尿病死亡率が1918年からわずかに低下している。大戦によって食糧供給が影響を被ったパリとロンドンでは死亡率が大きく低下した。食糧統制が早期にしかも厳しく行われたベルリンでは糖尿病死亡率が22.5から10.8へと半減している。いずれの場合でも死亡率の低下は食糧事情の悪化に少し遅れて始まり、好転のあともしばらく低下が続いている。

上述のように、第一次世界大戦による糖尿病死亡率の低下に関連する食事内容の変化は、糖質の%エネルギーの増加と脂肪の%エネルギーの減少によって特徴づけられる。この食事の変化には総摂取エネルギーの減少を伴うこともあったが、イギリスのように総エネルギーにほとんど変化のなかった国もある。さらに、糖尿病死亡率の減少と食事内容の変化の間には、糖質摂取量が増え脂肪摂取量が減った国ほど糖尿病死亡率の低下が著しい、という影響関係も認められた。

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・食事の変化と糖尿病死亡率の変化

アメリカ全国の1928-29年の糖尿病死亡率は19.0(都市24.4、農村14.3)で、州によって死亡率が大きく異なる(表3)。たとえば、ニューヨーク州の死亡率は26.7(都市部28.2、農村部11.3)で、アーカンサス州は8.3(都市部17.7、農村部7.4)である。農村部で糖尿病死亡が少ないのは、当時の農民の食事は糖質が多く、脂肪が少ないということに由来していると考えられる。糖尿病死亡率が北部に向かうほど高くなるのも、北部の住民の食事が低糖質/高脂肪に傾斜していくことによるものだろう。後述のように、収入と食事内容の間には密接な関係がある。収入が多くなると、糖質の摂取量が減り、脂肪が増える。当時のアメリカでは、北部の労働者は南部の労働者に比べて収入が多く、したがって脂肪の摂取量が多く(=糖質は少なくなる)、糖尿病の発生率も高かった。

アフリカ系アメリカ人(黒人)はコーケイシャン(白人)より糖尿病になりにくいと言われたこともあるが、これは誤解である。1926-30年の5年間の黒人の糖尿病死亡率は白人に比べてほんの少し低いだけであった。いずれの人種でも、都市部の住民の糖尿病死亡率は農村住民より高い。ルイジアナ、アラバマ、ノースカロライナ、テキサスの黒人団体に質問状を送って食事の内容を尋ねた記録がある。その回答によると、「南部の黒人の食事は糖質が中心で、肉類、バター、ミルク、卵の摂取量は非常に少ない」が、南部の黒人が北部に移住すると、同じ労働に対して南部より高い賃金が得られるので生活レベルが向上し、「シカゴの黒人の肉類、ミルク、卵、バターの消費量は白人より多い」ということであった。すなわち、南部の黒人は糖質を多く摂取し(したがって糖尿病が少ない)、北部では脂肪摂取量が多い(糖尿病が多い)。

アフリカ原住民には糖尿病の発生が非常に少ないということは定説となっていた。しかし、この原住民が西欧社会に移住すると、糖尿病死亡率が急激に上昇することが知られている。アメリカ在住のアフリカ系アメリカ人がその好例であった。

残念ながら、かつて黒人奴隷の供給地であったアフリカ西海岸の諸部族の食事に関するデータを入手できない。しかし、東アフリカの諸部族の食事に関しては信頼すべき情報があった。一般に、アフリカ人は遊牧民と農民に大別できる。ケニアの2部族の食事調査によると、農業で生活しているキクユ族の食事は72.4%の糖質と9.2%の脂肪からなり、遊牧生活を営んでいるマサイ族の食事は蛋白質37.6%、脂肪50%、糖質12.4%であった。マサイ族の食事は典型的な高脂肪/低糖質食であったが、残念ながらこの部族の糖尿病発生率に関するデータが得られなかった。

アメリカに連れて来られた黒人に眼を転ずると、1930年頃には糖尿病はごくありふれた病気であり、その糖尿病死亡率は同じ地方に住む白人の死亡率にほぼ等しくなっていた。前にも述べたが、白人でも黒人でも、糖尿病死亡率は北部にいくほど高かった。南部の黒人の食習慣は南部の白人のそれと異なっているが、黒人が北部に移住すると、その食生活は速やかに周囲の白人の食習慣を取り入れたのだ。

中国大陸の中国人とアメリカに移住した中国人の間にも糖尿病の発生率に大きな差があった。中国北部の中国人の食事は、糖質が多くて脂肪は非常に少なく、糖尿病はこの地域には稀であった。一方、アメリカに移住した中国人の糖尿病死亡率は比較的高くなっていた。アフリカの黒人の場合と同様に食生活の変化が糖尿病の発生を促したものと思われる。

アイルランド人とイタリア人についても興味深いデータがあった。アメリカに移住したアイルランド人は貧農の出身が多い。1911年に行われた食事調査によると、かの国のアイルランド人の食事は、糖質72%、脂肪15.5%であった。1931年の糖尿病死亡率は、スコットランドの13.6、イングランド・ウエールズの14.5に対してアイルランドは8.2であった。しかしながら、アメリカにおける糖尿病死亡率が低かった1910年においてすら、アメリカに移住したアイルランド人の糖尿病死亡率はアイルランド在住のアイルランド人はもちろんアメリカ生まれのアメリカ人の死亡率よりも高くなっていた。ジョスリンは「アメリカ在住のアイルランド人は母国のアイルランド人に比べると非常に裕福である」と述べている。裕福な生活は低糖質/高脂肪の食生活を意味するものであり、その生活が糖尿病死亡の増加を招いたものと思われる。

イタリアからの移民はアイルランド人の場合と対照的であった。1910年のイタリアの糖尿病死亡率は4.7で、同年のアメリカ在住イタリア人の死亡率はこれよりわずかに高くなっているだけであった。イタリア移民はアメリカにおいてイタリア人社会を形成し、イタリア人固有の食生活を維持してきた。イタリア人居住区における食事調査によると、イタリア系アメリカ人の食生活は本国のイタリア人の食生活に近似していたという。典型的なイタリア農民の食事(1906年)は、糖質71%、脂肪18%であった。

ヒムスワースはインド人の食生活と糖尿病の関係につても触れている。ヒンズー教徒のある宗派は宗教的な理由で厳格な菜食主義を貫いている。他の宗派には肉食の習慣もある。厳格に菜食主義を守っている人たちには他の宗派の人たちに比べて糖尿病が少ないというジーマン(Zieman)の報告を紹介している。

以上のことから、ヒムスワースは、「低糖質/高脂肪食と糖尿病の関係は、いずれの人種、民族にも認められる普遍的な現象である」と述べている。

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・経済と糖尿病の関係

糖尿病死亡率が社会階層によって異なることはよく知られている。1921-1923年にかけてイングランドとウエールズにおけるこの問題を扱った公認記録がある。これによると社会階層が上位にランクされる(収入が多くなる)ほど、糖尿病死亡率が高かった。ここで注意しなければならないことは、インスリンが糖尿病の治療に用いられるようになったのは1921-1923年であったということである。その当時のインスリンは非常に高価で、このホルモンは経済的に恵まれているもの以外には手の届かない治療薬であった。すなわち、インスリン治療の機会の多かった上位の階層で死亡率が高かったということは、糖尿病の発生と進展が食事内容(経済状態)に左右されるという仮説を強く支持している。

スコットランドにおいて社会階層による食事の違いを調査した報告によると、総摂取エネルギーは労働強度ではなく、収入によって決定されていたという。収入が増えるにしたがって総摂取エネルギーが増加するが、蛋白質の%エネルギーは収入にかかわらずほぼ一定であった。エネルギー摂取量の増加は主として脂肪摂取量の増加によってもたらされる。脂肪とは逆に、収入が増えると糖質の%エネルギーが減少する。

この収入と食事の関係は、いずれの民族でも認められている。インド・ベンガル地方でもヨーロッパの諸民族と同じく、裕福な階層ほどその食事には脂肪が多く、糖質が少ない。ギー(ghee)のような油の多い食物は貧民には手の届かないほど高価で、もっぱら富裕層の口に入るだけであった。経済状態がよくなるにつれて、総摂取エネルギーが増え、脂肪が相対的に多くなり糖質が少なくなるのはアジアでも認められる普遍的な現象であった。

インドにおける糖尿病死亡率に関しては断片的な情報しか得られなかったが、「熱帯地方における糖尿病」なるシンポジウム(1907年と1927年)における一致した見解は、糖尿病の発生率が社会階層によって異なるということであった。すなわち、糖尿病は貧しい階層には稀な疾患であるが、富裕層においてはありふれた病態であった。1927年の会議を総括したダット(Dutt)は「糖尿病は糖質をわずかしか摂らない富裕層の病気」と述べている。エジプトにおいても同じような関係が観察されていた。この国でも、糖尿病は富裕層に多く、貧民層には稀であった。富裕層の食事は脂肪が多く、貧民層の食事は糖質が多いということも他の諸国と同様であった。

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・全般的な考察

過食、脂肪摂取量の増加、大量飲酒などが食生活に関連した糖尿病の原因として挙げられている。ヒムスワースは自ら収集した資料に基づいてつぎのような考察を行っている。

エネルギー摂取量が糖尿病死亡率と関係があるという証拠は得られなかった。確かに、社会階層が上位になるほど(収入が増えるほど)、食物の総摂取量は増える。しかし、食物の総摂取量と糖尿病死亡率の間には何の関係も認められなかった。イングランド、スコットランド、アメリカにおける食事調査でみる限り、1900-1930年の間に糖尿病死亡率は着実に上昇したが、総摂取エネルギーはほとんど増えなかった。ある国では第一次世界大戦によって食糧不足が起こったが、スコットランドにおける調査によると1915年から1917年の間に1日の摂取エネルギーは200 kcal減少しただけであった。また、都市と農村の総エネルギー摂取量はほぼ等しいのに、都市における糖尿病の年齢調整死亡率は常に農村より高かった。したがって、食物摂取量の多少が糖尿病の発生率に関係があるとは考えがたい。

経済的に豊かになると、砂糖の消費量が増える。砂糖の摂取量が糖尿病の発生に関係があるのではないかという仮説は面白いが、ジョスリンが行った調査の結果はこの仮説を支持していない。

飲酒が糖尿病の発生に関係するという仮説も、それを支持する証拠に乏しい。エジプトにおける糖尿病は富裕層に多く、貧しい人たちには少ない。あるエジプトの医師の記録によると、彼の糖尿病患者は生涯一滴のアルコールも飲んだことがない人ばかりであった。イギリスでの調査によると、バーテンダーの糖尿病死亡はむしろ少なく、醸造業で働く人たちの糖尿病死亡は他の職業人のそれとほぼ同じであったという。イギリスには醸造業の従業員は好きなだけビールを飲んでよいという風習があったから、この人たちの糖尿病死亡があまり多くないという事実は重要である。飲酒は糖尿病の発生に大きな影響を与える要因とは考えがたい。(糖質の効用 その2の「アルコールを飲むことは糖質を減らすことと同じである」という部分を思いだして欲しい。大量飲酒は糖尿病の発生要因の一つである。)

糖尿病の発生を予防する因子として挙げられているものに身体的活動がある。ボース(Bose)は先に述べた「熱帯地方の糖尿病」シンポジウム(1907年)において、激しい労働は糖尿病の発生を防ぎ、進展を防止すると述べている。これは、臨床家の経験にも合致することで、糖尿病予防の可能性を示している。

ジョスリンは、肥満と糖尿病の関係に強い印象を受け、糖尿病は肥満に対するペナルテイーであると述べているほどである。ヒムスワース自身も、60%が肥満者で占められている一群の糖尿病患者の発病前の食事を調査して、糖尿病に罹患した人たちは低糖質/高脂肪の食事を好むことを明らかにしている(1403)。この結果は、低糖質/高脂肪の食事が肥満を起こし、糖尿病の発生の原因になることを示唆している。すなわち、糖尿病発生のそもそもの原因は低糖質/高脂肪食ということになる。

ヒムスワースによると、糖尿病死亡率に関係のある食事性因子は食事の脂肪と糖質の%エネルギーだけである。彼の論文に記述されている情報はすべて、糖質の%エネルギーの高い食事を摂っている集団では糖尿病による死亡が少なく、逆に脂肪の%エネルギーの高い食事を摂っている集団では糖尿病死亡が多いことを示している。同じ素因をもつ集団でも、糖質の摂取割合が高くなると糖尿病死亡率が減少し、逆に糖質の摂取割合が低くなると死亡率が上昇する。

ヒムスワースは、健康人の耐糖能とインスリン感受性に影響を与える唯一の食事性因子が糖質の摂取量であることを発見した(1)。総摂取エネルギーも、タンパク質の摂取量も、脂肪の摂取量も耐糖能とインスリン感受性に影響を与えなかった。唯一、糖質の摂取量が多いと耐糖能とインスリン感受性が良くなり、少ないと悪化した。このことは、糖尿病の発生と進展に関係する低糖質/高脂肪食のうち、より重要な因子は糖質の摂取量であることを示している。
この研究結果を踏まえて、ヒムスワースは「長期間にわたる低糖質食の摂取は耐糖能とインスリン感受性の低下を招き、最終的に糖尿病にいたる」という仮説を提案したのである(3)。

ヨーロッパとアメリカにおけ1900-1930年の30年間にみられた糖尿病死亡率の増加がこの期間内に起こった糖質摂取量の減少に関係していると考えるのは自然である。ヒムスワースは、糖尿病の発生要因は糖質の摂取割合の減少ではなく、糖尿病素因のある人たちが十分量の糖質を摂らなかったことにあると述べている。

糖尿病の発生と進展に関するこの仮説を他の仮説と比べてみる必要があろう。素因(遺伝要因)が糖尿病(とくインスリン非依存性糖尿病と呼ばれていた2型糖尿病)の発生に一役買っていることはジョスリンがすでに1930年代に指摘している。ヒムスワースがいうように、いろいろな国で1900-1930年の30年間に糖尿病死亡率は著しく上昇したが、遺伝素因をもつ人がこの期間に全世界的に急増したなどと考えることはとてもできない。もっと論理的な説明としてヒムスワースはつぎのように述べている。「糖尿病の遺伝素因はもともと裾野が大きく広がっている。この素因にある種の外的要因が強く作用して、この遺伝素因が表面に出て(今様の言葉で言えば遺伝子の発現あるいはスイッチオン)糖尿病になる。この外的要因が低糖質食である。

民族あるいは人種によって遺伝素因の保有率は異なるだろうが、どの人種、民族にも不特定多数の遺伝素因をもつ人たちがいる。その遺伝素因の強さはまた個体によって大きく異なる。ある国の食事が多量の糖質を含んでいるときには、素因の極めて強い人だけが糖尿病になり、それ以外の人たちは糖尿病にならない。しかし、経済の発展によってその国が豊かになり、美味しい脂肪(脂は旨い肉のことである)を食べるようになると、糖質摂取量が減り、遺伝素因のあまり強くない人まで糖尿病になるようになる。さらに糖質の摂取量が減ると、遺伝素因の低い人まで糖尿病になるという事態になる。」ヒムスワースは、豊富なデータでこの仮説を検証している。

ヒムスワースの論文にはつぎのような記述もある。「糖尿病予防の最良の方法は、糖尿病の素因をもつ人にできるだけたくさんの糖質を含む食事を摂るように勧めることであり、その食欲を満たすのに他の食品を用いることのないよう力づけることである。」

ヒムスワースの仮説は、現在の知識に照らしても決して遜色のない実験的および疫学的観察から導かれたものであったが、第二次世界大戦後には彼の一連の論文はほとんど引用されていない。このことに関しては砂糖を糖尿病の原因であるとジャーナリズムに喧伝したユドキン(Yudkin)にも責任がある。糖質(炭水化物)と糖類(砂糖など)は紛らわしく、ユドキンのいかがわしさに紛れてヒムスワースの重要な仕事が忘れられてしまったことは実に残念である。ユドキンの「Pure White and Deadly」(邦訳:坂井友吉他訳「純白、この恐ろしきもの」評論社)は世界中で読まれたということである。

因に、最近の論文(5)に人種・民族の2型糖尿病に対する遺伝的感受性がまとめられているので紹介しておく()。

その4

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参考文献

1. Himsworth HP. The dietetic factor determining the glucose tolerance and sensitivity to insulin of healthy men. Clin Sci 2, 67-94, 1935.

2. Himsworth HP, Kerr RB. Insulin sensitive and insulin-insensitive types of diabetes mellitus. Clin Sci 1939; 4: 119-152.

3. Himsworth HP, Marshall EM. The diet of diabetics prior to the onset of the disease. Clin Sci 1935; 2: 95-115.

4. Himsworth HP. Diet and the incidence of diabetes. Clin Sci 1935; 2: 117-148.

5. Zimmet, PZ. Kelly West lecture 1991. Challenges in diabetes epidemiology - from West to the rest. Diabetes Care 1992; 15: 232-252.

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