糖尿病研究の先達ヒムスワ−ス

食事と糖尿病の関係を克明に研究し、現時点でもその輝きを失わない業績を残したのはロンドンのUniversity College Hospitalのヒムスワ−ス(Himsworth)である。一時期ロンドン大学の内科学教授も務めた。インスリンが欠乏する糖尿病以外にインスリン感受性の低下を主因とする糖尿病の存在を世界で始めて明らかにしたのもヒムスワ−スである。現在の研究者が驚くほどの精力的な研究を行ったが、その後忘れ去られてしまった。以下にヒムスワ−スの代表的な研究を紹介する。その前にインスリン発見前後(1910-1930年)の糖尿病に関する考え方の変遷をたどってみよう。

ヒムスワ−ス以前の「糖尿病と食事」

かつて糖尿病の治療には厳しい糖質制限が行われていた。インスリンが糖尿病の治療に用いられる前には、大量の糖質摂取によって糖尿病の臨床症状が悪化することが知られていたからである。アレン(Allen)は、1913年、膵臓を部分切除した犬にいろいろな食餌を与えて、次のような結論に達した。「膵臓の部分切除によって、糖尿病犬ができる。このような犬は、エスキモー食(肉食)には耐えるが、ヒンズー食(菜食)ではたちまち糖尿病で死んでしまう。」アレンはさらに、高糖質食はわずかに残存する膵臓に決定的なダメージを与えてしまうことも確認した。死亡した糖尿病犬の膵臓を組織学的に検索すると、ランゲルハンス島のb細胞が水泡変性をきたしていた。アレンはこの変化が糖尿病昏睡で死亡した患者にみられるものと同一であることを強調している。

この時代にはすでに、ランゲルハンス島が抗糖尿病物質(インスリン)を分泌するという考えが受け入れられていたから、アレンの結論が導かれたのである。膵臓を部分切除した犬では大量の糖質によって血糖が上昇し、ランゲルハンス島に過度の緊張を与え、最終的にはb細胞が壊死に陥る。したがって、糖尿病患者が命を永らえるためには、糖質摂取を少なくして血糖レベルを低く抑え、ランゲルハンス島の疲弊を防ぐことが必要であるということになったのである。

しかし、インスリンが発見されてから、糖尿病の治療が一変した。比較的多い糖質を含む食事が糖尿病患者にも許容されるようになった。このような食事が始めて導入されたときにはいろいろな抵抗(反論)があった。しかし、高糖質食による治療成績の向上が疑いのない事実となったために、糖質を比較的多く含む食事が糖尿病の食事療法として次第に受け入れられるようになった。それまでの理論によると糖尿病患者の食事は糖質をできるだけ少なくしなければならないのに、糖尿病の治療においては高糖質食が輝かしい成果を誇ったのである。両者の間には埋め難い溝があった。この反論はインスリン導入前にはそれなりの正当性があるようにみえた。高糖質食の治療効果が確認されたのはインスリンが治療に用いられるようになってからのことである。

インスリンが治療に初めて用いられたときには、インスリンはアレン食(極端な低糖質食)とともに与えられた。しかしインスリンが広範囲に用いられるようになると、経験上食事中の糖質量を増やすことの利点が認められ、次第に糖質の多い食事が普及するようになった。理論的には、糖質が増えればそれだけインスリンを増量する必要があると考えられていた。しかし、この考えは誤りであることが間もなく分かった。糖尿病患者に糖質の多い食事を与えてもインスリンの必要量は増えなかったのである。たとえば、糖質50グラム、脂肪115グラムの食事を摂っていた患者が糖質120グラム、脂肪76グラムの食事に切り替えても、インスリンの必要量は変わらなかったのだ。アレンの理論に従えば、増量した糖質がランゲルハンス島のb細胞を打ちのめし、糖尿病が悪化するはずであった。ところが、糖質の多い食事を摂ることによって、逆に糖尿病の症状が改善したのである。

なぜ、このようなパラドックスが起こったのだろうか? 皮肉にもアレンが自分自身の実験結果で答えを出すはめになった(1924年)。アレンは、膵臓を部分切除した犬を用いて単位インスリンに対して何グラムの糖質が耐えられるかを観察した。その結果、「多量の糖質を与えていると、一定量の糖質を代謝するのに要するインスリン量が減少する」という結論に達したのである。この実験結果は「なぜ高糖質食は有効か」という問に直接答えるものではないが、「高糖質食は有効である」という経験的事実を明らかな実験的事実として追認することになった。

アレンとその共同研究者の研究成果が当時の糖尿病に関する概念を支配していたが、別方向の考えが登場するようになった。ハマン(Hamman)とヒルシュマン(Hirschman)は、1924年、現在「Staub-Traugott効果」として知られている現象を観察している。これは、「健康者に2回続けて等量の糖質を与えると、2回目の糖質による血糖の上昇は1回目の上昇に比べると小さい」という現象をいう。マクロード(Macleod:インスリン発見によりバンテイング、ベストとともにノーベル賞を受賞した)は、1930年に、この現象の説明として「1回目の糖質投与によってインスリン分泌機構の感受性が高まり、分泌細胞が2回目の糖質による血糖上昇に速やかに反応して、多量のインスリンを分泌する」と述べている。インスリン発見者のマクロードはインスリンの分泌にこだわり過ぎた。

これを受けて、スウィーニー(Sweeney)は、1927年、耐糖能に影響を与える食事性因子を明らかにするために、4群の健康男性にそれぞれ異なる食事(脂肪食、タンパク食、糖質食、残りの1群は絶食)を2日間与えてから経口糖負荷試験を実施した。その結果、糖質食を食べた群の耐糖能は正常であった。タンパク食群はわずかに悪下し、脂肪食群と絶食群では耐糖能が著明に悪下した。スウィーニーは、高脂肪食あるいは絶食によって耐糖能が悪化するのは、糖質による刺激がないために、インスリン分泌細胞がうまく働かなくなるのだと考えた。つまり、高糖質食による耐糖能の改善は糖質による刺激によってインスリン分泌機構が活性化するためだと考えたわけである。

すでに、クロード・ベルナール(Claude Bernard)の時代(1877年)に、食事を摂らないと耐糖能が低下することが知られていた。ホフマイスター(Hoffmeister)は絶食にした犬にグルコースを与えると尿糖が出るというので「飢餓糖尿病」という言葉を考え出したほどである。

今までみてきた研究は、いずれも食事の耐糖能に与える影響を膵臓におけるインスリン分泌という側面から説明しようとするものであった。ヒムスワ−スが登場するまで、食事がインスリンの働きそのものに与える影響に注目した研究はほとんど行われなかった。しかし、数編の論文がある。ハインド(Hynd)とポッター(Rotter)は、1931年、高糖質食を与えていた動物の方が高脂肪食を与えていた動物よりもインスリン注射による痙攣(低血糖発作)が早く起こったことを観察している。このことは高糖質食を与えるとインスリンの効き目が大きくなることを示している。このことから、ヒムスワ−スは、健康者の耐糖能におよぼす食事の影響を個体のインスリンに対する感受性に対する影響という側面から考えるようになった。もし、高糖質食が個体の対インスリン感受性を亢進する(=インスリンの働きがよくなる)とすれば、高糖質食によって糖尿病患者のインスリン必要量が減少するという現象を説明できると考えたのである。

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