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日本人の身体が悲鳴をあげている。「タンパク質が多すぎる!」 現代の牛乳:年間10,000 kgの牛乳生産はいかにして可能になったか。牛乳を飲まないでカルシウムが充分に摂れるのか。この問いには「象を見よ、象は牛乳を飲んでいますか」と答えよう。アフリカ象の巨大な骨格、2メートルにおよぶ立派な牙。あれはみな草木に含まれるカルシウムから作られたのだ。 |
牛乳 −この魅惑的な白い液体「牛乳-ミルク」という言葉には安らぎの響きがある。牛乳は母親の香りがする。母親の暖かい乳房に縋ったころの想い出が甦る。お医者さんに聞いてみよう。『牛乳を飲んでもいいでしょうか』 ほとんどのお医者さんは言う。『牛乳は天然の完全栄養食品だ。赤ん坊だけでなく、子どもにも、おとなにも、お年寄りにもよい。みんな、毎日、少なくともコップ1杯ぐらいの牛乳を飲むべきでしょう』 日本人の古来の食文化には牛のミルクを飲むという伝統はなかった。もちろん、日本でも牛馬は飼われていた。しかし、日本の牛馬は農耕・運搬用であり、その乳液を飲んだり、屠殺して肉を食用に供するということはなかった。このことはアジア・アフリカ(例外はある)に共通している。牛乳をそのまま(全乳のこと。現在は減菌・滅菌している)飲むのは西洋人(皮膚の色の薄い人たち=コーカソイド)だけである。 アジアで例外的に牛乳を食料としてきたモンゴルの遊牧民も搾った牛乳をそのまま飲むという習慣はない。一部は茶葉とともに煮出して乳茶(岩塩を入れるので塩味である)として飲むが、大部分の牛乳は直ちに撹拌して醗酵させ、もっぱらチーズ、クリーム、バターとして食用にする。因に、モンゴルの遊牧民は牛乳だけでなく、馬乳(乳糖が多いので馬乳酒をつくる)の他に、地域によってはラクダ、山羊、羊のミルクも利用する。 日本人が牛乳を飲みはじめたのは明治時代、西洋文化の到来以降のことである。外観を西洋風にすることが文明開化といわれた。髪型をザンギリにし、洋服を着ることが洋風とされた。皇族の正装は燕尾服にシルクハット、皇室の正餐はフランス料理とされた。当然、西洋人が好む牛乳の効能も喧伝された。しかし、食習慣のような文化の基層をなすものは簡単には変わらない。明治中頃の東京での牛乳消費量は年間1人当たり1.2 L程度であったという(乳の科学)。一般人が簡単に口にできるものではなく、牛乳は薬として用いられていたらしい。 一般人が牛乳を飲めるようになったのはもっぱら敗戦後のことである。牛乳消費量は高度経済成長期の1960年代に入って急速に増えた。1946年には1.13 kgであった年間1人当たりの牛乳・乳製品の消費量は、1960年12.0 kg、1970年28.8 kg、1980年42.0 kg、1990年47.5 kgとなり、1995年には52.7 kgとなって最高記録をつくった(最近の牛乳消費量は低迷している)。1995年の消費量は1946年の実に46.6倍である。 日本人がなぜ牛乳を飲むようになったのか。獣の分泌液は日本人の忌み嫌うものであったのに、日本人は好奇心が強い。圧倒的な体格の西洋人は何を食っているのか。江戸末期・明治初期の日本人は好奇の眼で西洋人の食い物を観察したことだろう。西洋人は獣肉を食らい、牛乳という白い液体を飲んでいる!あれが彼らの秘密兵器だ!西洋人のように大きく強くなるには、獣肉を食い牛乳を飲まなくてはならない。日本人だって母乳だけで体重が3ヶ月で2倍になる。牛乳神話の始まりである。 戦後、連合軍総司令部(GHQ、中心はアメリカ)は学童に脱脂粉乳でつくったミルクを飲ませた。あれで牛乳が飲めなくなったという人もいるが、1930-1940年生まれのものはこの脱脂粉乳で牛乳の味と匂いに慣れた。1954年には学校給食法が公布された。学校給食の主体はコッペパンと牛乳であった。覚えておられる方もいるだろうが、「米を食っていたから戦争に負けた」「米を食うと頭が悪くなる」などととんでもないことを言う人もいた。アメリカの映画で観たパンとバターにフライドエッグ、牛乳とコーヒーという朝食は日本人の憧れでもあったから、日本でパン食が急速に普及した。今考えると、脱脂粉乳の支給とパンと牛乳からなる学校給食は、アメリカの穀物戦略の一環であったのかも知れない。1950年代のアメリカは緑の革命の真只中にあり、余剰穀物の売り捌先として巨大な人口を抱える日本が標的となった。米食民族をパン食民族に変えようとしたのである。日本人は、官民あげて、その戦略の一端を担った。 しかし、牛乳消費量の増加に一役も二役もかったのはなんと言ってもアイスクリームだろう。牛乳の臭いが嫌いだという人でも、あの舌の上でとろける柔らかい甘味を嫌う人は少ないからだ。 牛乳の消費量が増えただけではない。日本人は肉も食うようになった。1947年の1人当たりの年間消費量は2.1 kgであったが、1960年に6.8 kg、1970年に15.5 kg、1980年に24.8 kg、1990年に26.0 kgとなり、1995年には30.0 kgに達した。1946-1995年の50年間で14倍に増えたことになる(図1)。 その一方、日本人の主食であったコメの消費量が減った(図1)。1946年のコメの消費量(年間1人当たり)は88.0 kgであった。その後、コメの増産に伴ってコメが十分に食えるようになり、1959年には133.0 kgという戦後の最大消費量を示した。その後、日本人はだんだんコメを食わなくなり、1970年に199.0 kg、1980年に82.4 kg、1990年に72.2 kg、1995年には61.3 kgとなった。現在の日本人はコメをよく食していた1959年に比べると、その半分以下のコメしか食っていないことになる。減反をし、青田刈りをしてなおコメが余るというのが日本のコメ造りの現状である。 日本人の食生活は、古来「一日ニ玄米四合(しごう)ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」(宮澤賢治)であった。言い換えれば、日本人の食生活の基本は「穀物+大豆+野菜+(魚介類)」であり日本人は、過去 2,000 年にわたって、コメをはじめとするでん粉が主成分の穀物に支えられてきた。この食生活は明治維新によって西洋文化が導入されても基本的に変わることはなかったが、過去40年という短期間で日本人の食生活は一変してしまった(食生活の欧米化=動物性食品の増加と穀類の減少)。 仮に日本人の「穀物+大豆+野菜+(魚介類)」という食生活の基本的原型が1,000年前に成立したと仮定する。1,000年という期間がどの位の長さなのか実感できないだろう。そこで別の物差しで1,000年という期間を考えてみる。あなた方(読者)のひとり1人に2人(2の1乗人)の親がいる(母親と父親)。その母親と父親にも2人の親(祖父母)がいる。すなわち祖父母は4人(2の2乗人)いる。その祖父母にも2人の親がいた。曾祖父母は8人(2の3乗人)である。曾々祖父母は16人(24人)となる。ヒトはだいたい30歳位までに子どもをつくるから1世代を30年とする。30年毎に祖先は倍々に増える。1,000年は33世代に相当する。したがって、1,000年前の祖先の総数は2の33乗人いたことになる。これはいったいどの位の人数になるか。高校時代に習った数学を使って計算するとなんと80億になる。あなたの祖先は1,000年遡ると80億人もいるのだ!現存の日本人1億3,000万(2000年の人口は1億2,692万)だから、今から1,000年前には1億3,000万 x 80億人が日本という国土に住んでいたことになる。現在の世界の人口は約60億人。その一人ひとりが80億の先祖をもつとすると1,000年前には地球上に60億 x 80億(4.8 x 10の19乗)人が住んでいたことになってしまう。もちろん、1,000年前にこんな途方もない数の人類が生存していたわけではない。ということは人間の祖先は大部分が共通しているということだ。もとをたどっていくと、みんな親戚なのだ。そういえば、すべての現代人は20-14万年前にアフリカに住んでいたある女性の子孫だという説もあるではないか(DNA人類進化学http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/D/dna-09.html)。 80億は途方もない数字である。手首の動脈に触れてみよう。ピクピクと規則正しく脈打っているだろう。心臓は全身に血液を送りだすために収縮と拡張を繰り返している。今、あなたはその拍動を脈波として感じているのだ。あなたの心臓は1分間に70-80回拍動する。簡単のために100回/分としよう。1時間で100 x 60 = 6,000(6千)回脈打つ。1日24時間では14万4千回で、1年365日では5,256万回となる。あなたが100年生きるとすれば、生涯脈拍数は52億5,600万回である。1,000年間のあなたの祖先数の80億は生涯脈拍数より多い。あなたの身体は80億人の遺伝子が混ざりあってできているのだ。今、あなたは、この80億の祖先が食い続けてきたものを捨て、祖先が全く知らなかったものを食している。 わたくし達の身体は60兆(さらに途方もない数字)もの細胞から成り立っている。細胞の構造と機能が変わるわけではないが、その構成成分(アミノ酸や脂肪酸など)は毎日の食事成分で日々置き換わっている(新陳代謝という)。アメリカ人のような食事を摂れば、あなたの身体はアメリカ人の食事に含まれているアミノ酸や脂肪酸などによって構成されることになる(もちろん、あなたの身体つきがアメリカ人のようになるわけではないが)。あなたの身体はあなたの食したものそのものである(You are what you eat.)。そう、あなたの身体は「日常茶飯」によって構成され機能している。 戦前および戦後間もなくの日本人の身体は小柄であった。1962(昭和37)年の17歳男子の平均身長は163.8 cm、体重55.7 kgであった(同年齢の女子の身長と体重は153.6 cmと50.9 kg)。こんな体格(体力ではない)では、オリンピックで、大男・大女の西洋人に勝てるわけがない。「大きいことはいいことだ」「タンパク質を摂ろう」が1960年代の合い言葉であった。そう言えば、若い女性が結婚相手に望むものとして「3高」というのもあった。高学歴、高給取りに加えて高身長だった。たしかに、肉を食い牛乳を飲むようになって日本人は大きくなった。1997(平成9)年の17歳男子は、身長170.7 cm、体重61.0 kgになった(女子の体重と身長は158.4 cmと52.3 kg)。過去35年間に17歳男子と女子の身長はそれぞれ6.9と4.8 cm伸び、体重は5.3と1.4 kg増えた。女子は身長に比べて体重の増加が少ない。 乳糖分解酵素(ラクターゼ)活性持続症牛乳に含まれている糖質は乳糖(ラクトース)である。乳糖は2糖類の糖質で、2つの単糖類(ガラクトースとグルコース)から構成されている。乳糖は乳汁以外には自然界に存在しない。人乳中のラクトースは100 g中7.2 gで全哺乳類のミルクのなかで最も含有量が多い(牛乳は4.4 g)。なぜ、哺乳類のミルクに乳糖が存在するのか明らかではないが、乳児で急速に発達する脳髄や細胞壁の構築のため、これらの成分として多量のガラクトースが要求されるかららしい(牛乳成分の特性と健康1993年6月、光生館)。ただし、成人では必要なガラクトースは肝臓においてグルコースから作られるので乳糖を必要としない。乳汁中のラクトースは小腸上半部(空腸)の粘膜上皮に存在する乳糖分解酵素ラクターゼ(正式にはb-ガラクトシダーゼ)によってガラクトースとグルコースに加水分解される。これら二つの単糖類は小腸上皮に存在する糖輸送系によって吸収される(細胞内に入る)。したがって、乳糖の利用にはラクターゼが重要な役割を演じている。 離乳期以降はこのラクターゼ活性は急速に低下する。ラクターゼ活性の低いひとが牛乳を飲むと、乳糖は分解されないまま腸内細菌の多い大腸に達する。腸内細菌は乳糖の一部を分解して乳酸、酢酸、ギ酸などの有機酸をつくり、ギ酸は炭酸ガスと水素に分解する。これらの有機酸が腸壁を刺激して腹痛を起こし、ガスは腹鳴、腹部膨満感、鼓張の原因となる。腸内細菌による分解を免れた乳糖は、その高浸透圧性によって、腸管の水分吸収を妨げるとともに腸壁から水分を吸いとって腸内容物を水様便として下痢を誘発する。これが西洋人が名付けた「乳糖不耐症」である。離乳後に牛乳が飲めなくなることは正常な発達過程である。この「乳糖不耐症」なる用語はあまりにも西洋中心主義的で不適切である。本編では離乳後も生涯にわたって牛乳を飲める状態を「ラクターゼ活性持続症(lactase persistence)」と呼ぶことにする。 すべての哺乳類は、離乳後は親が食しているような固形食物から栄養を摂るようになる。これは自然の経過であって、すべての哺乳動物に共通して認められる食行動の変化である。日本人のラクターゼの活性は14-15歳で乳児期の10分の1に低下し、以後ずっと低い活性のままで経過する。日本人の中にも、牛乳を飲み続けることによって、牛乳が飲めるようになるひとがいる。飲乳によるラクターゼ活性の誘導と腸内細菌叢の変化が乳糖への適応をもたらすものと考えられる。しかし、この適応は不完全であって、大量の牛乳を飲めば腹部の不快症状が発生する。 このように考えると、なぜ、ミルクが乳糖を含むのかとということに関して仮説が提示できる。乳糖は、自然界には、哺乳類のミルクの中にだけ存在する。生まれた子どもがいつまでもミルクを飲んでいると、母親は次の子どもを胎内に宿すことができない。排卵が起こらず妊娠できないはらだ。ある年齢に達した子どもがミルクを飲むと、乳糖分解酵素の活性が低下しているために、お腹が痛くなってミルクを飲めなくなる。そこで親が口にしているような食物をミルクの換わりに食うようになる。これが、すべての哺乳類に備わる離乳機構である。哺乳類が子孫を残せるように、ミルクが乳糖という特別の糖質を含むようになったのだ。ミルクは生後の一定期間だけ子どもが飲めるようになっているのである。 ヒトのなかには離乳期以後もラクターゼ活性が高く保たれたままのひと達がいる。このひと達は、生涯にわたって腹部不快感を起こすことなく大量の牛乳が飲める。そのほとんどは皮膚の色の薄い西洋人である。西洋人は、成人して牛乳が飲めない正常なアジア・アフリカ人を指して「乳糖不耐症」というが、大人になっても牛乳が飲めるという方が異常であって、西洋人ほとんどは「ラクターゼ活性持続症」であるとも言える。 ラクターゼ活性持続症の集団は、約8,000年前にメソポタミアの「肥沃な三日月地域」において突然変異によって出現したと云われている(1)。この集団が北の日照時間の短い、寒冷な地域に移動した。わずかな太陽光の有効利用のために皮膚の色が薄くなる突然変異が選択された(コーカソイド)。この変異集団はタンパク質とカルシウムを濃厚に含む牛乳を用いることが生存要件であった。ラクターゼ活性持続症は小麦と牛乳(およびバターとチーズ)を基本とする食生活を可能にしてこの突然変異種の生存を支えてきた。哺乳動物で、離乳後もミルクを飲むのは一部の人類だけである。言い換えれば、現在の西洋人は、離乳後もミルクを飲めるようになった人類の一変種の子孫である。 北方アジア(乾燥した半砂漠地帯で、弱々しい草が生える)に移動したモンゴロイドは牧畜の技術に出逢い遊牧を始めた。このひと達(現在のモンゴル民族の祖先)は6-10月はミルク(前述のように食用にするのはチーズ、バター、ヨーグルトで全乳を食用にすることは少ない)を主食とし(白食という)、11-5月のミルクが出ない時期は主として肉(主として羊肉)を食った(赤食)。馬、牛、羊、山羊、ラクダなどで衣食住のすべてを賄った。なお、馬乳の乳糖濃度は6.3%と高いので、これを発酵させて馬乳酒(アイラグ)を作った。もちろん、交易によって得た麦・粟なども食用にしたが、その消費量はわずかであった。現在でもモンゴル人の穀物由来のエネルギーは全エネルギーの30%に過ぎない。翻って東南アジアに移動したモンゴロイドはどうか。彼らが生存し繁殖するために、哺乳動物の肉やミルクを利用する必要はなかった。この地域は食用になる果実類、堅果類、根菜類の豊富なところであった。野生動物・昆虫などは貴重なタンパク質源として利用しただろうが、哺乳動物の分泌液であるミルクを食用にすることなど思いも及ばなかったことだろう。日本人の原祖先は狩猟で生活していた北方モンゴロイド(ブリアート人の近縁)と言われている。彼らの移り住んだ日本の大地は森林地帯であった。彼らの生活は必然的に狩猟(動物食を中心)から採集(植物食を中心)へと変わらざるを得なかった。続いて南方(揚子江周辺)から稲作技術を携えたモンゴロイドが日本列島に移住した。縄文時代にはすでに日本で稲が栽培されていたらしい。その後、朝鮮半島からより高度な稲作技術をもった民族が日本に到来し、稲作が西日本全体に広がった。これが弥生時代である。大和朝廷の征夷とは稲作を広げる事業に他ならなかった。 牛乳は骨粗鬆症の予防になるか牛乳100 gには約100 mgのカルシウムが含まれている。したがって、牛乳は高カルシウム食品である。日本では、成人1人1日当たり600〜700 mgのカルシウム摂取が必要とされている(厚生省:第6次改定日本人の栄養所要量、1999)。1997年の成人の平均カルシウム摂取量は571 mgで、日本人に唯一不足している栄養素はカルシウムであるという。カルシウムが必須ミネラルであることはいうまでもない。最近では、カルシウムは骨粗鬆症との関連で語られることが多い。骨粗鬆症になると、骨折を起こし易い。高齢者の骨折は「寝たきり」という悲惨な状態を招く。 中央酪農会議(Japan Dairy Council http://jdc.lin.go.jp/index.html)のホームページから牛乳−カルシウム−骨粗鬆症に関する文章を引用する。 中央酪農会議の主張その1 牛乳で骨粗鬆症や老化を防ぐ カルシウムは骨や歯を作るだけではなく、血液や神経、筋肉などが円滑に働く役割も持っています。カルシウムが不足すると、こうした毎日の生理作用を補うために骨の中のカルシウムが使われます。そのために骨がスの入ったようなスカスカの状態になり、もろくなる病気が骨粗しょう症です。これを防ぐためには、若い頃から牛乳のようにカルシウムの吸収率のよいものをとり、カルシウムを貯金することが大切です。他にカルシウムは、脳卒中などを引き起こす動脈硬化を防ぐ役割があります。動脈硬化は動脈の壁にコレステロールが沈着して血管を狭くします。カルシウムが不足すると、コレステロールの沈着が促進されることが知られています。また、高血圧を防ぐためには、たんぱく質を充分に摂取することが大切です。良質のたんぱく質は血管を保護し、強く丈夫にするほか、たんぱく質のアミノ酸であるメチオニンが血圧を下げる働きをするといわれています。吸収率の良いカルシウムと良質のたんぱく質をバランス良く含んだ牛乳は、高血圧や動脈硬化、骨粗しょう症を防ぎ、脳卒中や心疾患などの成人病を予防するために、大切な役割を果たしています。
中央酪農会議の主張その2 骨粗鬆症の原因 1. カルシウム不足
骨は毎日少しずつ新しく生まれ変わっています。新しい骨を作り出すために必要なカルシウムが不足すると骨が材料不足で細くもろくなり、骨粗しょう症の原因になります。 2. カルシウムの調節因子の異常
カルシウムが骨の材料として役立つためには、ビタミンDやカルシトニン、 副甲状腺ホルモンなどの因子が不可欠。これらが不足したり過剰になったりすると、身体へのカルシウムの吸収が悪くなったり、吸収しても骨に運ばれなかったりして、骨粗しょう症の原因になります。 3. 女性ホルモンの不足
女性の場合、女性ホルモンが不足すると、骨にカルシウムが付きにくくなったり、骨からカルシウムが溶けだしたりすると考えられています。しかも女性ホルモンは閉経によって急激に減少するため、高齢の女性に骨粗しょう症が多いのです。 4. 運動不足
運動を行い骨に刺激を与えると、骨を作る細胞の働きが活発化し、骨の量が増える と考えられています。そのため、病気で動けなくなった人や、病気でなくともほとんど歩かない人などは骨の量が減り、骨粗しょう症を呼び起こしやすくなります。 5. 身体のさまざまな老化現象
背骨を例にとっても30歳代を最高に、以降は年を取るにつれて骨の量は減っていきます。これはカルシウム吸収が減少するためと考えられています。その理由としてビタミンDが体内でできにくくなるとか、腸の働きが低下することなどが考えられています。 6. 無理なダイエットは骨の赤信号
絶食など極端なダイエットを行うと、栄養不足になる恐れがあります。そうすると骨を作るいちばん大事なカルシウムはもちろん、タンパク質やビタミンなども不足し、骨の形成に支障をきたします。 この文章の内容は概ね正しい。問題は「牛乳を飲み続けると骨量が増え、骨粗鬆症にならない」というところにある。フィンランド人、スウェーデン人、オランダ人は牛乳・乳製品の消費量が非常に多い。比較のために国連の食糧・農業機関(FAO、Food and Agriculture Organization)の統計(FAOSTAT Database Collections)から1994-1998年のバター以外の牛乳・乳製品の年間1人当たりの消費量を比較してみる(表1)。日本人の1人当たりの年間摂取量125.8 kgはフィンランド人の消費量566.3 kgの約4.5分の1である。ただし、表1の数値は(生産量 + 輸入量 + 貯蔵量 - 輸出量 - 飼料用 - 加工用 - 廃棄量 - 他用途に使用)を人口で割ったものだから、栄養調査などで得られる摂取量とは異なることをお断りしておく。しかし、フィンランド人などの西洋人の牛乳・乳製品の消費量が日本人の消費量よりはるかに多いことは確実である。それでは、西洋人には骨粗鬆症や骨折が少ないだろうか。 ミルクと骨粗鬆症 −日本と西洋−大方の予想に反して、西洋人は日本人に比べて大腿骨頚部骨折を起こしやすい(2, 3)。例えば、35歳以上の女性の大腿骨頚部骨折の発生率はイギリス、オックスフォードで人口10万対202であるが、鳥取県の同年齢女性における発生率は半分以下の90である(4)。 Abelowら(3)は、世界の16カ国について動物性食品およびカルシウムの摂取量と50歳以上の女性における骨折発生率との関係を調べている。骨折発生率は論文に発表された数値を使い、動物性タンパク質やカルシウムの摂取量はFAOの数値を使った。その結果、動物性食品の摂取量と骨折の間には強い正の相関関係が認められた。つまり、肉や牛乳をたくさん摂取している国ほど骨折が多い(図2)。骨折が多いのはノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ニュージーランド、イギリス、アメリカ、フィンランド、イスラエルで、少ないのはパプア・ニューギニア、南アフリカ(黒人)、シンガポール、ユーゴスラビア、香港、スペインであった。アメリカの黒人女性の骨折はアメリカ・ヨーロッパの白人女性に比べると少ないが、南アフリカの黒人女性よりはるかに多かった。また、カルシウム摂取量と骨折発生率の関係をみると、カルシウム摂取量の多い国ほど骨折が多いという結果になった。Abelowらは、カルシウムをたくさん摂取していても動物性タンパク質の摂取量が多いと、酸ム塩基平衡が酸性側に傾きカルシウム・バランスが負に傾いてしまう(骨のカルシウムが溶け出して尿中に排泄される)と考えた。この研究を契機に、タンパク質とカルシウム・バランスの研究が多数行われた(その結果については後に述べる)。 イギリスと日本で骨量と骨折(大腿頚部骨折)を比較した疫学研究を取り上げてみよう(5)。この研究は、ハートフォードシャーの男172人および女143人と和歌山県太地の男86人および女90人について、体格、骨量(大腿骨頚部と腰椎)、生活習慣(飲酒、喫煙、カルシウム摂取量、屋外活動)などを比較したものである。イギリスでは4年後、日本では3年後に骨量を再検査して加齢による骨量変化を比較している。初回測定の骨量は男女ともにイギリス人の方が多かったが、骨量の1年当たりの減少率は男女ともにイギリス人の方が大きかった。すなわち、イギリス人の骨量は日本人に比べて加齢ととに急速に減少した。この傾向はとくにイギリス人女性で著しい。この調査では、男女とも、体格(BMI)はイギリス人の方が大きく、屋外運動量もイギリス人の方が多い。体格が大きく、運動量が多いということは骨量の増加に役立つことである。それにもかかわらず、イギリス人では年齢とともに骨量が減少した。この研究の報告者は、日本人は男女とも牛乳を週4日しか飲まない(ただし、週3日魚を食う)という結果から、日本人のカルシウム摂取量はイギリス人(1日当たり男680 mg、女632 mg)に比べてかなり少ないだろうと推定している。牛乳を飲まないということはカルシウム摂取量が少ないことと同義に扱われるが、牛乳を飲まない日本人の方が骨量の減少が少ないという矛盾はどのように解釈したらよいのだろうか。つぎの2つがこの矛盾を説明する。1)日本人のカルシウム要求量はイギリス人(西洋人)に比べて少ない(日本人は少ないカルシウムで生存できるという遺伝的特性をもつ)。2)牛乳中のカルシウムは役立たない。 フィンランドは世界一の牛乳消費国である。フィンランドは人口がおよそ500万という人口小国であるから、全国規模で疾病統計が入手できる。男性の心筋梗塞発生率は世界1位の地位を確立している(6)。このフィンランドでタンペレのUKK健康増進研究所のカンヌス(Kannus)らはフィンランドにおける骨粗鬆症関連の転倒骨折についていくつかの研究を報告している。それによると、60歳以上の骨粗鬆症に起因する大腿骨頚部骨折は1970年から1998年の29年間で驚異的に増加した。年齢調整を行ったうえで比較すると骨折発生率(人口10万対)は女性で50から133に(2.7倍)、男性で14から49に増えた(3.5倍)。これらの発生率は年齢調整したものである。したがって、高齢者が増えたから骨折が増えたわけではなく、実際に骨粗鬆症が誘因となった転倒骨折を起こすお年寄りが増えたことを示している(7)。さらに、骨粗鬆症関連の転倒による脊椎骨骨折によって起こった50歳以上の脊髄損傷の年齢調整発生率(人口10万対)は1970年1月から1995年12月までの26年間に女性で5.8倍(5から29)、男性で2.4倍(7から17)に増えた(8)。さらに、カンヌスらは骨粗鬆症関連の骨折に遺伝的要因がどの程度関与しているかを検討するために双生児研究を行っている。1946年より前にフィンランドで生まれた1卵性双生児2,308組と2卵性双生児5,241組の計7,549組(15,098人)を追跡調査した。これらの双生児において1972年から1996年の25年間に起こった転倒骨折を調べ上げたのである。このような研究ができるのは総人口500万という人口小国ならではのことである。女性で双生児の両方が転倒骨折を起こした割合は1卵性双生児で9.5%、2卵性双生児で7.9%であった。男性では9.9%と2.3%であった。この結果をみると、男性では遺伝的要因が骨粗鬆症関連の転倒骨折に関与している可能性があるが、女性ではその可能性は少ない(9)。 上述の牛乳消費大国フィンランドにおける骨粗鬆症の増加は牛乳の飲める西洋人(ラクターゼ活性持続症)においても、牛乳が骨粗鬆症を予防できないことを示している。 牛乳は骨粗鬆症を助長するなぜ、牛乳やチーズのカルシウムが骨粗鬆症の予防にならないのか。牛乳消費量の多い国民は牛乳に加えて肉・チーズなどの高タンパク食品の摂取も多い。タンパク質を構成するアミノ酸にはメチオニン、システインなどの含硫アミノ酸がある。動物性タンパク質は植物性タンパク質に比べて含硫アミノ酸が多い。これらのアミノ酸の硫黄は分解されて硫酸イオンとなり体液の酸・塩基平衡を酸性側に傾ける。酸性になった体液をアルカリにして酸・塩基平衡を保たなければならない。体内に取り込まれた酸あるいは代謝で産生された酸は腎臓から尿中に排泄しなければならない。腎臓はpHが5以下の尿を排泄することができないから、酸性に傾くと体液は直ちにアルカリで中和される。中和に用いられるアルカリ源はカルシウムである。体内のカルシウムの99%は骨に存在する。細胞内の微量のカルシウムを中和に用いることはできないので骨のカルシウムがもっぱら使われる。 タンパク質の摂取量が多くなると尿中に排泄されるカルシウムが増えることは1970年代に行われた代謝実験でよく知られた事実である(10-14)。1997年にはアメリカの骨・ミネラル学会は「高タンパク食の骨代謝に与える影響」をめぐってシンポジウムを開催した。 このシンポジウムで、アルバート・アインシュタイン医学校のバーゼル(Barzel)とワシントン大学のマッセイ(Massay)は「必要以上にタンパク質を摂ると骨量が減る」ことを強調し、骨粗鬆症の予防のためにはタンパク摂取を少なくし、野菜や果物(ともにカリウムが多い)を多く摂ることを勧めている(15)。しかし奇妙なことに、バーゼルとマッセイは、肉と魚は骨に悪いがチーズを除く乳製品とミルクは悪くないといっている。牛乳はタンパク質がほぼ20%を占める高タンパク食品である(牛乳は水分90%の液体であることを想起してほしい)。今はやりの低脂肪乳はさらにタンパク質の占める割合が増える(脂肪分が2%、1%になれば、タンパク質はそれぞれ25%、30%に増える)。一方、ワシントン大学のヒーニーは、高タンパク食が尿中にカルシウムの喪失を促すことは間違いないが、失われる以上にたくさんのカルシウムを摂れば骨量の減少を防ぐことができると述べている(16)。彼の説明によると、余分なタンパク質によってカルシウムが尿中に失われると、身体はより多くのカルシウムを吸収するようになるというのだ。毎日140 gのビーフを余分に食べれば、タンパク質摂取量が40 g増える。これによって36-40 mgのカルシウムが毎日尿中に失われる。これは少ない量ではない。しかし、身体がこれに適応して(副甲状腺ホルモンの分泌が増える)、小腸のカルシウム吸収率が0.018増加する。1日250 mgのカルシウム摂取ではカルシウム吸収増加量は4.5 mgに過ぎないが、摂取量が1500 mgになれば、27 mgのカルシウムが余分に吸収されるようになる。カルシウム摂取量が少ないときにたくさんの肉を食べることは問題であるが、摂取量が多ければ肉を多く食べても問題はない。実際、タンパク質をたくさん摂るような人は同時にカルシウムもたくさん摂っている。ヒーニーは、重要なのはタンパク質の摂取量そのものではなく、カルシウム(mg)とタンパク質(g)の比であるという。そして、中年女性にとって適切なカルシウム/タンパク質の比は20であるという。すなわち、タンパク質摂取量が50 gであれば1,000 mgのカルシウム摂取が必要であり、75 g のタンパク質は1,500 mgのカルシウムが必要というのだ。これはとんでもない数値であるが、困ったことに、アメリカの食品・栄養委員会は1997年にこの数値を勧告している。 ラクターゼ活性持続症(牛乳が飲める)の欧米人でさえ牛乳中のカルシウムは骨粗鬆症の予防に役立たない。役立たないどころか、牛乳は骨粗鬆症を助長する。まして、牛乳が飲めない(正常である!)日本人が牛乳を飲んでもカルシウムは吸収されない。腸管内の水分だけでなく、腸上皮細胞内の水分も取り込んで、腸管内を下ってしまう。日本人に対する牛乳の効果は便を柔らかくする以上のものではない。多量のタンパク質が困るのは腎臓に負担を与えるということである。タンパク質は最終的に尿素あるいはその他の分解産物として排泄される。尿素を排泄するためには大量の水をいったん濾過してから再吸収しなければならない。たくさんのタンパク質を含む食品を摂ると腎臓はオーバーワークを強いられ、腎機能の低下を招く(17)。 1960年以前の日本人のタンパク摂取量は少なかった(欧米でも平均的な西洋人のタンパク質摂取量が急増したのは第一次世界大戦後のことに過ぎない)。人間の腎臓は多量のタンパク質の処理には不向きにできている。成長したひとにはそんなにタンパク質は必要ない。19歳から51歳の成人に対するアメリカのタンパク質摂取量の勧告値は0.75 g/kgである。これに従うと、体重60 kgの人は1日に45 gでよいことになる。WHOは成人のタンパク質摂取量は1日当たり0.6 g/kg でよいという。60 kgの人は36 gでよいことになる。日本の第6次栄養所要量(2000年から2004年まで適用)におけるタンパク質所要量はなんと60歳以上の男性で65 g、女性で55 gである。タンパク質が多すぎる!現在の日本人のタンパク質摂取量は総カロリーの16%に達している。1998年の国民栄養調査によると、50-59歳の日本人は平均して87.3 gのタンパク質を摂取している(うち、動物性タンパク質が46.9 gで54%を占める)。日本人の身体が悲鳴をあげている。「タンパク質が多すぎる!」 現代牛乳の魔力現在世界一の牛乳消費大国であるフィンランドでも、かつての牛乳生産量はそんなに多くなかった。フィンランドでは1890年代に野生の牧草に代って良質の牧草を栽培して飼料とする方法が急速に広がった。1910年代には牧草の栽培面積がどの穀物の栽培面積をも上回るようになった。さらに1920年代に入ると、牧草の栽培面積はあらゆる穀物の栽培面積の合計を上回った。この農業の大転換によって乳牛のミルク生産量は著しく増えた。1870年代の乳牛1頭当たりのミルク生産量は500-700キログラムであったが、1920年代には1,200キログラムになった(www.cc.jyu.fi/~pete/yearbook/changein.htm;www.odci.gov/cia/publications/factbook/)。 しかし、ミルク生産量が増えたのは牧草の生産量が増えたためだけではない。年間1,200キログラムの生産量は1日当たり4キログラムに過ぎない(年間の搾乳日数を300日として)。現在の遺伝的改良が行われた乳牛(たとえばホルスタイン)は1日に30キログラムの牛乳を生産する。しかも、搾乳されている乳牛のほとんどが妊娠している。自分の身体を維持し、胎仔を育てながら、なおかつ30キログラムのミルクを分泌することは尋常ではできない。まず、ミルクの源となるエネルギーを供給してやらなければならない。品質が改良されたとはいえ、牧草だけではこのように大量のミルクを生産することは不可能である(牛乳1日30キログラムは1万8千キロカロリー)。てっとり早いのは穀物を与えることである。そのためには家畜に与えるための余剰穀物の生産が必要であった。 1908年にハーベル(Haber)が空気中の窒素からアンモニアを合成する方法を開発し、1914年にボッシュ(Bosch)がその大量生産に成功した(18)。この新技術が農民に安価な窒素肥料の入手を可能にし、余剰穀物を家畜に与えられるほどに穀物生産量が増大した。さらに、1940 年代に始まり、1960 年代から 1970 年代にかけて世界的規模で進行した「緑の革命」が一層の余剰農産物を生み出すことになった(19)。この余剰穀物によってミルクの通年生産(自然条件に左右されることなく、人工授精によっていつでも乳牛を妊娠させ、妊娠後半にも搾乳できる)が可能になった。したがって、先進国のミルク生産量は第一次および第二次世界大戦の間(1920 年頃から)に増大し、1940 年代にその増大は飛躍的になった。人間の欲望はこれだけでは終わらない。さらなる奇策が必要であった。 我々は牛は草原でのんびりと牧草を食んでいる動物であるとぼんやり考えている。しかし、牛は与え方によっては仲間の牛を食う。野生のゴリラは純粋な植物食であるが、動物園でビフテキを与えればよろこんでウシを食う。現在、日本では毎日4,000頭の牛豚が食用に屠殺されている。大半の日本人はこれらの家畜の筋肉しか食わない(内臓の一部は食用になる。しかしその量はごくわずかである)。人間の食用にならない骨、内臓の大部分、血液、脳・神経、胃腸の内容物などは焼却処分される。食肉用に屠殺される動物だけではない。人間と同じく病気になって死ぬ家畜もいる。このような動物は人間の食用にはならない(ペットの餌にはなる)。死なないまでも病気のために動けなくなり、人間が屠殺場に引きずっていかなくてはならない家畜(英語のdownに倒れた、弱りきったという意味があるので、このような家畜をdownerという)もいる。これらも埋めるか焼却しなければならない。焼却処分しても国土の狭い日本では埋めるところがない。日本よりさらに大量の肉を消費する西洋はより深刻である。しかし、知恵者がいた。骨や内臓を加熱・脱脂したあと乾燥して粉砕する(この工程をレンダリングという)。この粉末(肉骨粉、英語でMeat Bone Meal [MBM]という)を草や穀物と混ぜた飼料をつくれば、牛は仲間の牛をよろこんで(?)食う。骨肉粉は、ミルクの生産に必須のタンパク質・カルシウムを豊富に含んでい動物性タンパク飼料である。見方を変えれば、レンダリングは立派なリサイクルあるいはリユースである。かくてミルクの大量生産が可能になった。 京都大学の福岡伸一助教授の文章(葛西奈津子編集 21世紀に何を食べるか. 第9章 種の壁を乗り越えた狂牛病. 更生出版2000年10月)を借用する。福岡助教授は、骨肉粉は20世紀初頭から使われていたのに、なぜ1980年代になって突然、狂牛病(正式には、Bovine Spongeform Encephalopathyの頭文字を使ってBSEという)がイギリスで発生したのか、ということに関連して以下の説明を加えている。 1980年以前の処理工程「バッチ法」は、1回毎の操作と有機溶剤抽出法が組み合わされている。くず肉を蒸気加熱容器の中で100度以上、2時間程度加熱したあと、脂肪を抽出するためアセトンなどの有機溶剤を加えて加熱、濾過する。ところが1980年代に入ると、多くのレンダリング工場で、1回毎の加熱ではなく、ラインを作って高温装置の中に連続的にくず肉をくぐらせる「連続法」が採用され、また有機溶剤抽出法が行われなくなってきた。この変化の背景には連続法の方が処理効率がよいこと、オイルショックによる有機溶剤価格の上昇があった。また脂肪含有量の高い高カロリー飼料が好まれる傾向があったという。
福岡伸一助教授は、骨肉粉は20世紀初頭から使われていたと述べているが、高部 務氏はレンダリングは1920年代に始まったと書いている(高部 務. ピーターは死んだー忍び寄る狂牛病の恐怖. ラインブックス. 2001年5月. 9-10頁)。しかし、高部氏は「家畜のエサに、動物の蛋白質が混入されるようになったのは、(19)50-60年代に遡る」とも書いている(同書121頁)。リチャード・ローズは骨肉粉は畜産物の増産のために第二次世界大戦中に開発されたと述べている(Richard Rhodes. Deadly Feasts. The メPrionモ Controversy and the Publicユs Health. Simon & Schuster, 1998, New York. 259頁)。 西洋とて昔から肉や牛乳の消費量が多かったわけではない。畜産品は貴重な換金食品であった。西洋人の牛乳消費量が増えたのは早くても1920年代以降のことであろう。SharpeとSkakkebaekは1993年にLancet誌上に発表した有名な論文「Are oestrogens involved in falling sperm counts and disorders of the male reproductive tract?」において「先進国では乳製品の消費量が多過ぎる。その傾向は1940年代から1950年代に始まった」と述べている(20)。 炭水化物(糖質)の意味ひとにとって最も重要な栄養素は何か。炭水化物(最近は糖質というようになった)である。ヒトでは大脳が発達している。発達しているといっても、脳は体重の2%を占めるに過ぎないが、そのエネルギー消費量は膨大で20%(400キロカロリー)にものぼる。しかも、脳は専らグルコースを利用する。脳は1日24時間働いている。ひとが生きているということは脳が機能しているということと同義である。脳が機能するためには少なくとも100 gの糖質が必要である。脳で使われるグルコースは炭酸ガスと水に変えられて排泄されるから、脳には常にグルコースが補給されなければならない。人間の身体は肝臓と筋肉に糖質をグリコーゲン(動物デンプンともいう)という形で保有しているが、その量は肝臓に60グラム、筋肉に120グラムほどである。肝臓のグリコーゲンは分解されて、グルコース(血糖)として血中に放出されるが、筋肉中のグリコーゲンの分解で生じるグルコースは筋肉のために使われ、血液にグルコースを供給することはない。筋肉はグルコースを乳酸に分解する過程でエネルギーを獲得する。生じた乳酸は肝臓あるいは腎臓に送られ、再びグルコースに作り換えられる(糖新生という)。また、心筋、副腎髄質、赤血球などもグルコースを唯一のエネルギー源としており、1日40グラムほど消費する。したがって、ヒト(他の動物も同じ)はデンプンをグルコース源として摂らなければ生きていけない。デンプンが多量に存在するのは植物だけである。動物の肉を食っても糖質はごくわずかしか補給されない。デンプンが少ないときは、やむを得ず、タンパク質の構成成分であるアミノ酸(アラニンが主役)からグルコースを作って(糖新生という)、脳や心筋にグルコースを供給しなければならない。 ヒトは自らの身体にあるものを食物として摂る必要はない。肉もある。脂肪(室温で固くなる飽和脂肪酸が主体)もある。ひとがヒト(動物としてのひと)を食う食人はタブーになっている。食うものが全くなくなれば(極限の飢餓状態)、ひとはヒトの肉でも食うが、他に食うものがあればひとはヒトを食わない。これは、ひとは他人の肉を食わないということであって、ひとは自分の肉は常に食っている。口に入れるものが少なくなれば、自分の身体の筋肉(タンパク質)や脂肪からエネルギーを得る。痩せるというのは自分の肉を食うことだ。病魔に襲われて、口からものが入らなくなると、ひとは「骨と皮」という状態になる。自分の肉を消費しつくした状態である。 ウシ、ウマ、ブタなどはヒトと同じ哺乳類の仲間である。ひとが哺乳類を食う必要はない。彼らの身体はヒトの身体と基本的に同じだからだ。哺乳類の肉を食うということは、ひとが自分の肉を食うことと同じで、他に口にするものがないときだけ食えばよい。普段は食っても役立たない。ヒトの食物としては鳥類は哺乳類よりましで、魚類は鳥類に比べてさらによい。魚の油はエイコサメンタエン酸やドコサヘキサエン酸などの、室温で固まらない不飽和脂肪酸(ただしこれらの多価不飽和脂肪酸はもろ刃の剣で、過酸化脂質になり易いという欠点がある)を多く含んでいるからである。ヒトの食物はヒトからの遺伝的距離が離れているものほどよい。つまり、ヒトの食物としては植物が最高である。植物は、ヒトにとって最も大切な糖質(デンプン)の供給源だ。昨今、繊維、センイとかしましいが、センイを供給してくれるのは植物だけである(なぜ、哺乳類を食ってはいけないか)。 ヒトは植物から必要なものを補給するように進化してきた動物である。しかし、ウシやヒツジと違って、草や木の葉のセルロースを利用するようにはならなかった。穀物、果実や根茎など、植物が光合成で蓄えたデンプンを利用することによって、生命を維持するようになった哺乳類の一種である。エスキモーとて例外ではない。彼らが移り住んだ地がたまたま食糧となる植物がなく、クジラなどの海棲哺乳類を捕食する以外に生きる術がなかっただけのことである。先にも述べたが、西洋人がウシを食いミルクを利用するのは、彼らがその風土に適応しただけのことに過ぎない。西洋人の食生活は、西洋という地にあって長い時間をかけて築き上げられた食体系である。しかし、西洋の地で発達した近代栄養学(タンパク・ビタミン・ミネラルという成分栄養学)を日本語にそのまま翻訳すべきではない。 牛乳を飲まないでカルシウムが充分に摂れるのか。この問いには「象を見よ、象は牛乳を飲んでいますか」と答えよう。アフリカ象の巨大な骨格、2メートルにおよぶ立派な牙。あれはみな草木に含まれるカルシウムから作られたのだ。大地に根を張る植物は土壌のカルシウムを吸収して根や葉に保有する。陸上の巨大な草食動物はみなこのカルシウムによってあのような巨体になった。人間が食する野菜もそれなりのカルシウムを含んでいる。太陽光の少ない地域の習性だろうか、西洋人は生野菜を好む。困ったことに、最近の若い女性も野菜サラダを好む。理由を尋ねると「生野菜は新鮮だから」という。生の植物の葉や茎はウシやヒツジの食い物であって人間の食すべきものではない。植物は生き物だ。植物の葉は、虫に食わられないように、保護膜(自然の農薬)で覆われている(21)。草木のセルロースを利用する草食動物は胃腸内の微生物がその保護膜も含めて分解してくれるのだ。野菜は茹でこぼしたり、油通しして食べるに超したことはない。古来、アジア人(日本人もしかり)は、野菜を茹でたり、油で炒めたり、漬け物にしたりして食べてきた。調理すればかさが減ってたくさん食すことができる。野菜中のカルシウムは牛乳のカルシウムと同程度に吸収される(22)。 穀物食の威力その1 旺盛な生殖能力全身で親鸞に帰依して親鸞の教えを広め、巨大な本願寺教団をきずきあげた蓮如は、72歳で5人目の妻を娶り、84歳で27人目の子を儲けている(五木寛之. 蓮如-聖俗具有の人間像-. 岩波新書. 1994年7月. 東京)。本願寺の非嫡出子として生まれた蓮如は、40歳まで部屋住みの身であった。蓮如の生きた1415-1499年は、度重なる戦乱・飢饉と土一揆の頻発した次代であった。上記の五木の書物から抜き書きする。 水で薄めた粥を幾人もですする貧しい生活のなかで、蓮如は二十八歳のときようやく部屋住みのまま妻を迎え、やがてつぎつぎと子供が生まれます。男の子四人、女の子三人、あわせて七人が不如意な生活のなかで誕生しました。この七人が最初の妻の子です。
この多産の妻は如了という婦人で13年間の結婚生活ののち、病気で亡くなった。 やがて彼は再婚しますが、前の奥さんの実の妹で、蓮祐といいます。乳飲み子を抱えた貧しい部屋住みの男に同情して、何かと世話をやいているうちに愛情が生まれたのだ、という説があります。この女性ともまた長く連れ添って十人の子供を産みました。 蓮如は五十六歳のとき、この二番目の夫人を亡くしました。そして三番目に蓮如と連れ添ったのは如勝という女性ですが、蓮如六十四歳のときに、またもやこの三番目の女性は亡くなりました(註 如勝との間に一人の子をなす)。その後、蓮如は七十歳をこえてから、四度目の妻を迎えます(註 宗如というこの夫人は二人の子を産んだ)。この人もやはり亡くなりまして、最後に蓮能という非常に若い女性を迎えて五度目の結婚をし七人の子供を作ります。この妻が蓮如の最後をみとりました。 こうして眺めてみますとなんだか気が遠くなるような話です。最後の子供ができたのは八十四歳というのですから、まさに奇跡といいますか、スーパーマンといいますか、実に何とも言えない驚くべき人物です。五人の女性に男の子十三人、女の子十四人、十三男十四女あわせて二十七人の子供を産ませたという、これはもう桁はずれの人です。その生命力といいますか、エネルギーといいますか、本当にこういうこともあり得るのかと驚くほどの人物です。 蓮如が完全なベジタリアンであったかどうか判らないが、現代の平均的な日本人ほどには肉や魚を食わなかっただろう。蓮如の食生活がどんなものであったか是非知りたいところだ。おそらくベジタリアンに近い生活であっただろう。72歳で若い妻を娶り、84歳で7人目の子を産ませるという奇跡ともいうべき生命力の源泉は菜食にあったのだ。読者の中には「肉は精がつく」とお考えの方が多いだろう。しかし、それは逆なのだ。ヒトの生命と活力の源は、植物が太陽光エネルギーを用いて炭酸ガスと水から造るデンプンにある。 昨今はグルメ流行りである。テレビにグルメ番組の登場しない日はないといっていいほどだ。にわかグルメは色鮮やかな食品を口にいれたとたん、あるものは宙の一点を凝視し、あるは瞑目して、「こってりして(味が濃すぎる)」「さっぱりして(薄味に過ぎる)「しこしこして「固過ぎる」美味しいなどと宣う。「まったりしている」などという意味不明の表現もある。「個性的な味がする」「食材の味が活かされている」などは「不味い」の同義語である。どなたかの川柳に「グルメ番組、たまには不味いと言ってみろ」というのがあった。 グルメを礼讃する國では出生率が低い(男の生殖能力が落ちている)。イタリア、フランス、スペイン、日本がその代表である。塩野七生さんの「再び男たちへ」(文藝春秋、1991年4月)の「グルメ考」によると、「葡萄酒の新酒はギリシャ産のどこそこのものにかぎるとか、魚をベースにしたソースの隠し味には、インド産の香辛料の何とかが欠かせない、という感じの美食の後に何が来るか。安眠ではないか。安眠というからには、もちろん一人で眠りだけをむさぼることを意味する。つまり、食事面での美味追求にエネルギーを消費してしまえば、別の面での美味追求に費やすエネルギーは残らない」そうだ。つまるところ、「グルメ志向が強いものにはインポが多い」のだ。りんごや桃の木に肥料をやり過ぎると果実が少なくなるのと同じである。 エルウイン・フォン・ベルツは、「肉食は瞬間的な大仕事には適しているが、それを継続する段になると植物性食物に及ばない」と述べた(ショットレンダー著/石橋長英訳 エルウイン・フォン・ベルツム日本に於ける一ドイツ人医師の生涯と業績ム 伝記叢書191 大空社 1995年10月)。肉食と労作によって筋肉は肥大し増量するが、その増量した筋肉に仕事をさせるのはグリコーゲンと呼ばれる動物デンプンである。グリコーゲンは主として植物デンプンから作られる。「肉食は継続する大仕事(たとえばマラソン)には適していない」のだ。その例を以下に示す。 穀物食の威力その2 驚くべき身体能力「山椒は小粒でもピリリと辛い」「大男総身に知恵の回りかね」は小柄な男の負け惜しみでもあったが、一端の真実でもあった。現在の日本人で、オリンピックの陸上競技でメダルが狙えそうなのはハンマー投げの室伏広治ただ一人である。しかし、室伏の母親はチェコスロバキア人(生まれながらにして肉を食べ牛乳を飲んでいる民族)である。戦前の小柄な日本人は強かった。1902年11月に藤井 実が陸上100メートル10秒24の日本人初の世界記録を残している。 1928年のアムステルダム五輪では織田幹雄が三段跳びで優勝し、1932年のロサンゼルス五輪では南部忠平が走り幅跳びで優勝した。1948年のロンドン五輪には敗戦国の日本は参加を拒まれたが、五輪と同日程で開催された全日本水上選手権で古橋広之進が1500メートル自由形で18分37秒0という当時としては驚異的な世界記録を樹立した。1948年といえば敗戦の3年後で、多くの日本人はイモと雑穀で飢えをしのいでいた時期である。古橋もイモを食いながら練習に励んだ。ちなみに、全盛期の古橋の身長は174センチ。当時は大柄であったが、現在では並みの体格である。 古橋は1945年(昭和20年)4月、日本大学農学部に進学した。この8月に日本の戦争は敗戦に終わった。日本図書センター刊行(1997年2月)の「人間の記録20 古橋広之進力泳30年」から食糧に関する記述を抜き書きする。 大学入学と同時に私を待ちうけていたのは勤労動員であった。その年の春から夏にかけて、私は神奈川県の厚木飛行場の横にある高座海軍工廠で、勤労学徒の一員として働いていた。ここでは、紫電とか雷電という戦闘機を作っていたが、私たちは工場の近くに住み込んで、開墾とサツマイモづくりに従事していた。 私たちの起床は午前四時半、アオサという海藻の入った塩汁に豆カスという粗末な朝食をすますと、五時半には宿舎を出発。鍬をかついで隊列を整えて開墾地まで延々と歩く。 つらい思い出だけが残っているが、なかでもいちばん苦しかったのは、やはり食糧事情であった。昼の弁当は、ニギリメシ1個と炒った豆。空腹をかかえて宿舎にたどり着けば、待っているものは豆カスとグリーンピース。たまにサツマイモでもあれば、その皮はおろか、尻っぽの先まですべて胃袋に直行してしまう。ひどかったのは食事だけではなかった。宿舎には、風呂もなければ蚊屋もない。毎日、井戸水を汲んで体を洗った。床につくと、こんどは蚊の集中攻撃である。しかし、どんなにかゆくてもそれは寝つくまでのほんのわずかな時間で、疲れ切っているためにすぐに深い眠りに落ちていった。 古橋は小学生時代水泳で活躍した。1940年(昭和15年)、小学校6年生の古橋は静岡県西部の学童大会で100メートルと200メートル自由形でいずれも当時の学童新記録で優勝している。その強さから豆魚雷といわれていたらしい。1946年、少年時代の古橋を知る友人の勧めによって日本大学の水泳部に入った。 朝、茶わん一杯のご飯を食べて、新聞紙にくるんだ1個のにぎり飯をカバンに入れて、鶴見の下宿を出て藤沢の学校へ行く。弁当のにぎり飯は電車の中でたちまち胃の中におさまってしまう。昼は、友達からのサツマイモの差し入れを期待するのだ。それがない時は水を飲んでがまんした。 フラフラになりながら1日5,000メートル以上泳いだ。 藤沢から1時間半もかけて東松原のプールへ通って練習、終わってから鶴見の下宿へ帰る。練習に加えて1日四、五時間の電車の中は、地獄のような苦しみで座席に座ることもできず、立っていると倒れそうになった。 そのころ(註1946年)、食糧事情は極端にわるかった。水泳の練習をするにも、学校に通うにも、まず第一に確保しなければならないのが食糧であった。 暇を見つけては、私は買出しに歩いた。買出し先は、今日では住宅化が進んでいる横浜線の沿線の、小机、中山、淵野辺あたりの農家である。その頃、農家の人たちは非常に強気で、現金で食糧を売ってくれる農家は1、2割しかなかった。ほとんどが食糧と引きかえに、衣類、靴、紙とか石けんなどの日用品を要求してくる。私たちにそんな気のきいた品物があるわけがない。何軒も何軒も頭を下げて歩いて、やっとサツマイモを分けてもらう。リュックサックにいっぱいのイモを背負い、両手にも持てるだけのイモをさげて田舎道を歩く。運よく取締りにもあわずに帰れた時はよいが、時には、運わるく取締りにあって、やっとの思いで手にいれたサツマイモを没収された時の悔しさといったらなかった。物資統制下の当時としては、闇行為なのである。 これは古橋らに限ったことではない。当時は日本人の大半が闇行為で飢えをしのいでいた。 仲間の一人に、東京出身の佐藤という男がいた。練習で、彼はいつも私より一歩先をいっていた。私は、一日も早くベストを出すんだ、佐藤を追い越すのだ、と自分に言い聞かせながら、毎日いちばん遅くまで泳いでいた。サツマイモをかじり、胸のやけるのを防ぐために、岩塩をなめながら泳いだこともあった。 1947年(昭和22年)の6月に日・立・明三大学対抗水泳大会があり、古橋らは四月から演習を開始した。 水泳部の合宿所には、そのころ30人ほどの部員が住んでいた。およそ1升今でいえば1.4キロの米をおかゆにして30人の部員で食べる。一人平均3勺3分(註 47グラム)にしかならない。米の配給基準は、一人1日2合3勺から、戦後一時期の2合1勺時代を経て、当時2合5勺(355グラム)になっていたが、遅配欠配があいつぎ、しかも代用食のイモや砂糖、魚などが配給される。米の配給は、月に十日分もあればよい方であった。私たちは、イモや麦、それに合宿所の空き地につくっていた野菜、はては食べられる野草まで一緒にナベに入れて飢えをしのいでいた。 1948年(昭和23年)の7月末にロンドンでオリンピックが開かれた。世界記録に近い成績を上げていた古橋たちは参加を熱望していた。しかし、敗戦国の日本とドイツは招待されなかった。日本が参加しなかったオリンピックの水泳ではアメリカが圧勝した。 日本水連の田畑会長はロンドン・オリンピックの水泳日程に合わせて日本選手権大会を神宮プールで開いた。オリンピックは世界選手権でもある。日本選手権の成績がロンドン大会の記録よりすぐれていれば、真の世界王者はオリンピック優勝者にあらずして日本選手権大会の勝者であるという意気込みであった。 8月6日の1,500メートル自由形で、古橋は18分37秒0、同僚の橋爪四郎は18分37秒8というともに世界新記録を樹立した。ちなみに、ロンドン・オリンピックの1,500メートル自由形優勝者はアメリカのマクレーンで記録は19分18秒5であった。なお、8月8日に行われた400メートル自由形で、古橋は4分33秒4の世界新記録で再び優勝した。オリンピック優勝者アメリカのスミスの記録は4分41秒0であった。敗戦国日本が先勝国アメリカを破ったのだ!しかも世界新記録で!日本中が興奮で沸き返った。 日本水泳界が国際水泳連盟に復帰したのは1949年(昭和24年)6月14日であった。古橋らはこの年の8月16日からロサンゼルスで開かれる全米水泳選手権に招待された。古橋の胸は躍った。古橋の今までの世界最高記録は未公認記録であった。日本の時計は進むのが遅いのではないかと半信半疑に思っていたアメリカ人もいたかも知れない。国際水泳連盟承認の国際舞台で記録を出せば公認される。日本人ばかりか世界が注目した。 8月16日の午後2時半、1,500メートル自由形の予選が始まった。予選A組に登場した橋爪は他を200メートルも引き離して1着でゴールした。記録は18分35秒7の世界新記録。古橋の未公認世界記録を1.3秒上回る記録であった。並みいるアメリカの観客もこの初っぱなの大記録に驚いた。日本の強さはやはり本物だった。古橋は予選B組に出場した。記録は18分19秒0。橋爪の世界新記録の30分後の世界記録であった。翌日に行われた1,500メートル決勝で古橋は優勝した(記録は18分29秒9、橋爪は18分32秒6で準優勝)。1,500メートルでの驚異的な世界記録を目の当たりにしたアメリカの新聞記者は古橋を「フジヤマのトビウオ」と命名した。大会第三日目に行われた400メートル自由形決勝でも古橋が優勝し、日本勢は1位から4位までを独占した。つづいて行われた800メートルリレーでも、日本チームは、アメリカチームが前年ロンドンで作った世界記録8分46秒0を上回る8分45秒4で優勝した。古橋は大会最終日の800メートル自由形にも9分35秒5で優勝した。 古橋は、その著書で、もう一つどうしても紹介したいものがあるとして次のように記している。 青春時代を慢性飢餓状態で過ごしたかたならお判りいただけるだろうし、今日、スポーツ栄養学を学ぼうとされている若い女性の皆さんにも、あるいは参考になるかもしれない。日米対抗に出発する前の合宿のメニューである。マネージャー原秀夫さんの手記によって、合宿中の献立を示すと次のようになる。 (朝) 米1合7勺 玉子1個 味噌汁他1品
(昼) 米1合8勺 2品 肉類を主としたもの、野菜を主としたもの
(夜) 米2合 2品 肉類を主としたもの、果物
甘味の補完としては栄太楼のウメボシ飴のようなものを時々使った。
古橋らは1日に5合(0.7キログラム)の米を食っていた。米5合は2,500キロカロリー、タンパク質43グラムを含んでいる。米5合を炊いてメシにすると1.5キログラムになる。1.5キログラムのメシは食えるが、1キログラムのパン(2,640キロカロリーに相当し、93グラムのタンパク質を含む)は一抱えするほどあってとても食えない。メシの水分は60%であるのに、パンの水分は38%しかないからである。パンはパサパサしていて水か牛乳でもないと喉を通らない。 ロサンゼルスの全米選手権大会で圧倒的な強さを見せつけた古橋は21歳であった。ヘルシンキオリンピックの開かれた1952年(昭和27年)には古橋は24歳になっていた。400メートル自由形に出場した古橋は8位に終わった。アメリカで世界的な有名人になった古橋には世界各国から招待状が舞い込んだ。ステーキも食わされたであろう。古橋の食生活は変わってしまったに違いない。 1964年10月に開かれた東京五輪女子バレーボールでは「東洋の魔女」が活躍した。彼女らは全員が戦中あるいは戦後間もなくの生まれである。猛練習の合間におにぎりを頬張る姿を映像でみた。本物のライスボールが彼女らの持久力の源泉であった。女子バレーボールの他に、東京五輪では体操、柔道、重量挙げで金メダルを獲得したが、彼らの力もコメから生まれたと想像する(東京五輪での金メダルは計16)。これには理由がある。 エルウイン・フォン・ベルツは、1876年、日本に招かれ、東京医学校(のちの東京大学医学部)の教師となった。1902年に退職したあとも、宮内省侍医を務め、1905年に帰国した。日本滞在中は、西洋医学の紹介に努める一方、寄生虫病、脚気、公衆衛生、伝染病予防、温泉医学などについての種々の研究を行なった。以下、島田彰夫氏の『食と健康を地理からみるとー地域・食性・食文化ー』(農文協・人間選書1988)の2節を引用する。( )内筆者。 ベルツが1901年のベルリンの医学会において発表した内容が、同じ年の『中外医事新報』に紹介されている(ベルツ「植物食ノ多衆營養ト其堪能平均トニ就キテ」中外醫事新報第五百十六號1247-1249、明治三十四年九月二十日發行)。それによると、22歳と25歳の人力車夫を雇い、その飲食物を調べながら、80キロの男子を人力車に乗せて、3週間の間、1日40キロずつ走らせたのである。食物は彼らが日常食べていた、米、大麦、ジャガイモ、栗、百合根などで脂肪含量はフォイトの説の半分以下、蛋白質は60から80パーセントで、炭水化物は非常に多いものであった。2週間後の体重測定の結果、一人は不変、他の一人は半ポンド増加していた。そこでフォイトの説に合わせて肉類を加え、蛋白質で炭水化物の一部を補おうと試みたが、疲労が激しく走れなかったので、3日でやめて元の食事に戻したところ、また前のように走れるようになったというものである。 これに続けて、東京から日光までの110キロの道を、馬車で走ったときは、馬を6回取り替えて14時間かかったが、同じ道を54キロの男子を乗せた人力車は、車夫一人で14時間半で走ったというエピソードを紹介し、日本の植物性の食物が素晴らしい能力を発揮させることを述べている。 なお、この中外医事新報にはベルツの言として次のような文章もある。 終ニ付言シテ日本支那ノ主食ハ米ナリトハ誤解ナルヲ擧ゲ日本ニテハ米ハ數年前迄ハ富人社會ノ食物ニシテ農夫ノ如キハ米作スルモ日用ニハ大麦二乃至三分ヲ混和シ若クハ大麦或イハ小麦ヲ食シ又殊ニ味噌ノ原料タル大豆ヲ食スルト云ヒ次ニ大豆ノ効能ヲ述ベ大豆ハ蛋白質ヲ含ムコト良牛肉ニ倍シ其價ハ約四分ノ一ノミ、且ツ脂肪ハ二十%ヲ含メリト。
最近のスポーツ選手の体力はいかほどか。お相撲さんに怪我が多い。最近のお相撲さんが1日に食べるコメのメシはどんぶりに2杯位らしい。かつて10杯のどんぶりメシを食べていたというのに。毎日2リットルものミルクを水替わりに飲んで育ったお相撲さんもいるようだ。親御さんが「喉が渇いたらミルクを飲め」と叱咤したという。ビフテキも食う、豚カツも食う、あげくはハンバーガーなどというものも食うお相撲さんもいるようだ。怪我をして当たり前だし、土俵ではすぐ息が上がってしまうのも当然だ。 穀物食の威力その3 アメリカ版1990年にカリフォルニア大学のオーニシュ(Ornish)らがアメリカの狭心症患者で「食生活を改めることによって冠動脈疾患が治る」という仮説を実証した(23)。狭心症を訴える患者でかつ血管造影で軽度な冠動脈疾患を確認できた患者をランダムに2群に分けた。半分の患者(対照群)には標準的な治療(アメリカ心臓協会が推奨する食事と禁煙を勧め、必要な場合には薬剤治療も行う)を受けてもらったが、日常生活に対しては特別な介入を行わなかった。他の半分の患者には食生活を変えるように強力に指導した(実験群)。実験群に処方された食事は、脂肪10%以下、タンパク質15-25%、糖質70-75%の構成であった。卵の白身とコップ1杯の無脂肪乳あるいはヨーグルト以外の動物性食品の摂取をを完全に禁じた(完全ではないがほぼベジタリアンの食事)。当然なことながら、喫煙も禁じられた(喫煙したかどうかは血清コチニンの測定でわかる)。また、軽度な運動が処方された(1日30分あるいは1回1時間・週3回のウオーキング)。さらに、呼吸法、瞑想、ヨガなどのストレス軽減の指導を受けた。家族を同伴して週2回グループとして集まり生活を変えるための問題点などを話し合った。ベジタリアンの食事を美味しく調理する講習会も開催した。このような生活改変を1年間続けたときの効果は劇的であった。実験群の狭心症の発作は91%減少し、発作時間も42%短くなった(これに対して対照群での発作は165%増え、発作時間も95%長くなった)。実験群では体重が減り、血清コレステロールも低下した。さらに、アンジオグラフィーによって実験群の動脈硬化の改善が認められた。このオーニシュ博士の研究は、脂身の少ない肉にする、ビーフをトリ肉にするというように食生活を少し変えるだけでは動脈硬化は変わらない(ときには悪化する)が、食生活をがらりと変える(ベジタリアンの食事)と動脈硬化が改善することを示している。当然の結果である。アメリカ人とて、もとをただせば、植物食を起原とする人類の一員なのだから。しかし、残念なことに、アメリカ人には糖質70-75%という食事は食べられない。一般のアメリカ人の食生活では糖質60%が限度である。 サプリメントに頼ってはならない地球上のほとんどの植物は毎日強烈な太陽光線を浴びている。しかも素っ裸で。植物も酸素を呼吸に用いている。したがって、植物は、衣服を身に纏っている人間よりも多量の活性酸素などのフリーラジカルに曝されている。長い進化の過程で、植物はフリーラジカルから身を守る術(すべ)を身につけた。b-カロテンである。b-カロチンは、自ら、発生するフリーラジカルの攻撃を受け、フリーラジカルが細胞を傷つける前に取り除いてしまう。b-カロテンのこのような作用を抗酸化作用と呼んでいる。b-カロテンはどの植物の葉っぱにも含まれている。b-カロテンは二つのビタミンAからなる物質で、一部は体内でビタミンAになる。したがってビタミンAにも多少の抗酸化作用がある。果物や野菜を多く食べているものにはがんが少ない。この事実とb-カロテンの抗酸化作用からして、b-カロテンやビタミンAのがん予防効果について介入実験を行うべきだという声が上がった(24)。この辺が欧米人のおかしなところである。果物や野菜を食えば足りるのに、わざわざくすりとして飲ませようというのだ。 b-カロテンはどんな植物にも含まれている。黄緑野菜や果物ならなんでもよい。にんじん、サツマイモ、カボチャなどにはとくに多い。カボチャやミカンをたくさん食べて掌(てのひら)や踵(かかと)が黄色くなった(橙皮症)という人もおられうだろう。あれがb-カロテンの影響である。今ではb-カロテンの錠剤が手に入る。しかしあのようなものを飲んではならない。植物の中には純粋なb-カロテンが含まれているわけではない。同様なものがたくさんあってカロテノイドという形で含まれている。これが一緒になって身体をフリーラジカルから守っているのだ。b-カロテンは抗酸化作用があるからといって純粋なb-カロテンを毎日服んだら益になるどころか有害である。その例を三つ紹介しよう。 b-カロテンは肺がんを予防するかどうかを廻ってフィンランドで1つとアメリカで2つの大掛かりな人体実験が行われた。1群の人たちに毎日b-カロテン(あるいはビタミンA)を服んでもらい、他方には偽薬(プラセボという。簡単に言えば、うどん粉を丸めて色も形も同じ錠剤にしたものである)を服んでもらって、その後の肺がん発生率を調べるという研究である。もちろん、対象者は自分の服んでいるものがb-カロテンであるか、偽薬であるかは判らないようにしている。 フィンランドで行われた研究は、50-69歳の喫煙男性(肺がんになる可能性が高い)29,133人に対してb-カロテンあるいはa-トコフェロール(ビタミンE)が肺がんを予防するかどうかについて調べたものである(25)。対象者をランダムに4群に分け、それぞれにb-カロテチン20 mg(7,282人)、ビタミンE50 mg(7,286人)、b-カロテン20 mg+ビタミンE50 mg(7,278人)、偽薬(7,287人)を処方(毎日服用)した。したがって、14,560人が毎日b-カロテンを服み、14,564人がビタミンEを服んだことになる。研究は1985年から1988年にかけて開始し、1993年4月30日まで続けられた。観察期間は5年から8年である。この観察期間中に876例の肺がんが新規に発生した。ビタミンEを服んだものと服まなかったものでは肺がんの発生率に差はなかった。しかし、b-カロテンを服んだものでは、服まなかったものに比べて肺がんの発生率が18%も高かった。ビタミンEは、b-カロテンによる肺がん発生率の増加に影響を与えないことも判った。b-カロテンを服んだものでは全死亡も増えたが、その増加は肺がん死亡の増加によるものであった。ビタミンEによって全死亡率は変らなかったが、脳出血による死亡はビタミンEを服んだものに多かった。 このフィンランドでの大規模研究の結果は世界に衝撃を与えた。そこで、同じ頃に行われていたアメリカでの研究に期待が集まった。アメリカで行われた研究の一つはCARET(b-Carotene and Retinol Trial)と呼ばれるもので1985年に始まった(26)。対象者は、肺がんになる確率が大きいと言われている喫煙者とアスベスト(石綿)に曝露したことのある18,314人である。b-カロテン群は毎日30 mgのb-カロチンと25,000国際単位のレチノール(ビタミンA)を服用した。平均して4.0年間の観察で388例の肺がんが発見された。肺がんの発生率と肺がん死亡率だけでなく、すべての原因による死亡率もb-カロテンとレチノールを服んだ人たちに有意に高かった。b-カロテンやビタミンAをサプリメントとして服用することは肺がんの予防になるどころか、かえって肺がんの発生を促すということから、この研究は1997年末まで行われる予定であったが、21ヵ月も前に中止された。 アメリカで行われたもう一つの大規模研究は、1982年に始まり1995年12月31日に終了した(27)。研究の対象者は年齢40-84歳の男性医師22,071人である。そのうち、喫煙者は11%、かつての喫煙者は39%、非喫煙者は50%であった。11,036人が1日置きに50 mgのb-カロテンを服用し、11,035人には偽薬が処方された。対象になった医師たちは平均して12年間(11.6-14.2年)b-カロテンあるいは偽薬を服み続けた。b-カロテンを服んだ医師1,273例の悪性腫瘍が発生し、偽薬を服んだ医師からは1293例の悪性腫瘍が発生した。肺がんの発生はb-カロテン群で82例、偽薬群で88例であった。すべてのがんによる死亡は386例と380例、全死亡は979例と968例、心血管系疾患による死亡は338例と313例、心筋梗塞の発生は468例と489例、脳卒中の発生は367例と382例で、いずれの指標においてもb-カロテン群と偽薬群の間に有意の差は認められなかった。この研究によると、12年間にわたるb-カロテンの服用はがんと心血管系疾患に対してくすり(予防効果)にもならないが、毒(発生促進)にもならないことを示している。 b-カロテンが肺がんを予防するどころか、かえって肺がんの発生を増加させてしまったことは前に述べた。植物中に存在する物質はそれ一つである役割を果しているわけではない。あらゆる物質が協力して一定の役割を果しているのだ。それが、36億年の進化の歴史である。賢(さか)しらに、ある一つの物質を取り出して、それを毎日服めば効果があるというようなものではない。抗酸化作用を示す物質には、b-カロテン以外に、ビタミンC、ビタミンEなどがある。これらが存在するのも植物であって動物食品には含まれていない。b-カロテンの片割れであるビタミンAは動物にも含まれているが、その抗酸化作用は弱い。 同じようなことがゲニスタインと乳がんの間でも認められる。ゲニスタインは植物ホルモンの一種である。日本人は大豆(納豆、豆腐、味噌)をよく食べる。日本人の女性に乳がんが少なく(アメリカの1/3)、男性には前立腺がんが少ない(アメリカの1/10)。日本人にこれらのホルモン依存性のがんが少ないのはダイゼインやゲニスタインなどの植物ホルモンを含む大豆を食べているからだとする説がある。大豆は家畜のエサという認識しかないアメリカ人は純粋なダイゼインやゲニスタインの錠剤を造って売り出した。これらの錠剤は乳がんを予防するどころか、毎日せっせと服んでいると、予防どころか逆に乳がんになってしまう可能性がある。ダイゼインやゲニスタインを含む大豆が乳がんの予防効果を示すのであって、純粋なダイゼインやゲニスタインに効果があるわけではない。アメリカ人は、ことが乳がんとなると、かくも単純な思考回路に陥ってしまう。ゆめゆめこの単純思考の罠にはまらないようにすることが大切だ。 ある種のアミノ酸がうつ病に効果があるとか免疫力をアップするなどという話しをお聞きになったことがあるだろう。きのこの抽出エキスに抗がん作用があるなどという話は泡のように生まれては消え、消えては生まれた。もっともらしい解説とともに、ある物質を加えるとマクロファージ(貪食細胞)が細菌やがん細胞を活発に攻撃する顕微鏡映像を見るとついつい信じてしまうひともおられるであろう。だからといって、その物質を食べたら免疫力がアップし、がんが消失するなどということはない。私たちは、36億年という進化のプロセスを経た60兆もの細胞が協同して働いて、生きているのだ。 効果のないものでも効果があるように感じることがある。信頼する医師が「これを服めばぐっすりおやすみになれますよ」といって、偽薬(うどん粉をまるめてつくた色つきの錠剤のようなもの)を不眠を訴えるひとに渡せば、その晩はぐっすり眠れるひともいる。しかし、数日すれば化けの皮がはがれる。「藁にも縋りたい」患者や健康志向の現代人を騙すことは簡単である。詐欺の種は浜の真砂ほどもある。種の尽きることはない。一つの物質を強調するひとの言葉を信じてはならない。本人にその気はなくてもそのひとは詐欺師である。 くすりの本質についても触れておかなくてはならない。くすりは短期間服用するものである。たとえば、感冒ウイルスが巣くって熱発する。咽頭に炎症が起こったためである。頭が痛い、身体が熱でフワフワする。このとき、私たちは解熱鎮痛剤を服む。解熱鎮痛剤がウイルスをやっつけることを期待しているのではない。一時的に体調を整えて、身体に備わった力(自然治癒力)がウイルスとの戦いに勝利することを期待するのである。生物活性のあるくすりを長期間にわたって服み続ければ好ましくない影響が現われる。くすりがある機能にのみ作用して、他の機能に影響を及ぼさないなどということはない。だから、効くくすり(=生物活性のあるくすり)の服用は慎重でなければならない。もし、サプリメントが何らかの生物活性のある物質なら、毎日服むことによって好ましくない影響が現われる。幸いなことに、ほとんどすべてのサプリメントは毒にもくすりにもならない。したがって副作用もない。お金がかかるだけである。 日常茶飯食という行為は健康に生きるためだけのものではない。「乳製品が美味しい、肉が大好き」という向きはミルクを飲み、肉を食えばよい。そんなことは個人の勝手だ。ただ、「健康のために肉を食いミルクを飲む」というのは個人の愚かな行為に過ぎないが、それをことさら宣伝するのは罪深い。日本人の日常茶飯は「米+大豆+野菜+(魚)」がよい。肉を食べるのは冠婚祭などの特別の日だけでよい。外食でいただく肉料理の一品も結構だ。たまに食べる肉はまた格別である。 主食(メシ)と副食(おかず)からなる日本人の伝統的な食生活は日本人にとって最適である。コメは栄養価が高い。宮沢賢治の「玄米四合ニ味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」は理にかなっている。もともとインスリン分泌の少ない日本人はコメのメシを食べても肥らない。コメからの摂取エネルギーが総エネルギーの50%を下回るようになって久しい。過去40年間でコメの消費量は半分以下になってしまった。今では、減反を実施してなおかつ余剰米がでる。日本人がメシを少ししか食べなくなったからだ(糖質摂取量の減少が糖尿病を招く)。 日本人は若い女性でも決してコメのメシが嫌いではない。メシを丸めた「おにぎり」も、「おにぎり」の上に生魚の切り身を載せた「スシ」もよく口にする。しかし、その量があまりにも少ない。数個の「スシ」を食うと、あとは魚の切り身だけを口にして、「おにぎり」を食わないものもいる。値段の高いスシ屋の「おにぎり」の小さいこと! 戦後生まれのいわゆる団塊の世代は、母親から「ご飯はいいからおかずをお食べ」と言われて育った。戦後の学校給食もこの方向を助長した。メシの代わりにパンを食うことがなんとなく「文化的」な香りがしたのだろう。したがって、この世代は「コメのメシ=健康に悪い、格好がわるい」というイメージから抜け出せない。ましてや、その子供においておやである。この誤った観念を植えつけた「栄養素栄養学」あるいは「タンパク質・ビタミン栄養学」なるものから脱却しないことにはどうにもならない。 参考文献1. 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