表札の由来
縁起の由来はあくまでも表札に使われている木の由来であって、表札の由来ではない。
これをよく知らずして、高い表札を買わされるなんてことも有りますから、ご注意。
表札は比較的新しい(とはいっても正式な文章で登場するのは明治7年。けっこう昔です)ものです。これは江戸時代の町人に「苗字」が無かったということにもありましょうが、その代り「江戸地図」とかいう便利物もあったようです。今で言う道路マップみたいなもんでしょうか。
ただ、明治7年の戸籍編成法にも、表札ではなく「標札」で条文が書かれています。
標札という概念は当時、全く新しいものでもなく、ある程度認知されていたものでしょう。
漢字の意味から言って、「表」ではなく「標」を用いたのは日本人の言葉に対する感性でしょうね。江戸文化に登場してくる表札はウソですが、ただ看板として屋号などを掲げていたということらしいです。
完全に標札として、出していた古い記録では「新撰組」が八木邸に出していたという記録が残っています。
さて、いずれにしても、表札ではなく「標札」として登場してきます。
この意味はリニューアル前にも書いてあったのですが、再掲いたします。
標札の『標』には〔しるし〕等の他に〔気位を高く持ち、目に付くように振る舞う〕
という意味もあります。
自分の名前を玄関に掛け、自信を持って堂々と家族の長たるを表すのが【標札】なのです。『標』という字は本来〔木のこずえ〕を意味します。
ですから意味から言っても天然木をお勧めします。
ということだったのですが、今現在、表札を掲げることは実際問題常識化しております。
敢えてそれに逆らうこともないかと、私は思うのですが。
しかし、それでは「縁起とは何か」という疑問が起こってくると思います。
それはこの後説明しましょう。これこそが表札を買う「意義」でしょうから。
縁起表札
当然、縁起表札もその範疇にあります。
さて、もう少し考えてみると、、、
事物の起原・沿革。由来。などという意味もあります。
さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているという意味も。これらを合わせると、私(候山)は【向上心の現れ】と見ます。人間いつも何かについて向上心を持っています。
人はいつも、家族の幸せ・より良い生活・健康、などを考えます。表札を掛けるとき、何も考えず「実用」のみに徹するのならば、それこそカマボコの板とか紙に書いても構わないでしょう。
事足ります。でも普通、そうはしません。
なぜか?
縁起を考えるからです。つまり「縁起を担ぐ」とは向上心の現れに他なりません。
(スポーツ選手を想像してみてください。ジンクスを担いででも良い成績を出したいという向上心のある選手と、全く成績など省みることの無い向上心の無い選手。どちらが残っていくでしょうか、歴然としてますね)
表札にもこだわりを持ち、向上心を発露するならばいい加減な表札をかけることはできません。
少しでもこだわりを持ったものを掛けたいのが普通でしょう。
まして、玄関に掛ける自分の名前です。軽い気持ちで掛けるのはいけません。
もちろん、表札に摩訶不思議な力が宿ってるなどという非科学的なことは思っていません。
しかし、「こだわった」という思い入れが向上心の現れとしたら・・・その表札を掛けることによって、自分の中に前を向く力が湧いてくるのです。
それが縁起というものです。
表札が一般化してからたかだか130年です。長いと取るか短いと取るかは自由ですが、少なくとも表札に「縁起」が絡み、縁起表札として確立するのには短い年月ではないでしょうか。
それは日本人の特性なのかもしれません。つまり常に「向上心」を持ち続けている国民性だからだと私は解釈しています。