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「なぜあなたは牛乳の悪口ばかり言うのか」としばしば難詰される。「何を食べようと勝手であるが、牛乳は単なる食物ではない。ミルクという白い液体は小さく生まれた哺乳類の子どもを速く大きくするために母親が分泌する成長促進剤である。しかも、最近の牛乳は妊娠しているウシから搾られている。たとえ愉しみのために口にするにしてもできるだけ少量にすべき代物である。それなのに日本政府は、法律で児童・生徒に牛乳という特定の食品を強要してきた」と答えることにしている。

文部省(現 文部科学省)は1954(昭和29)年の学校給食法の制定から現在にいたるまで、給食の献立に牛乳を加えることを強制してきた(最近では牛乳を使わないとカルシウムの摂取基準に達しないという搦め手を用いるようになった)。古今東西、一国の政府がこれほどまでに特定の食品に拘ったためしがあっただろうか。

他の思惑もあったかもしれないが、牛乳飲用の法による強要は日本の将来を担う子どものためという純粋な動機で始まったと推察される。アメリカに完膚なきまでに叩きのめされた日本。「彼らはなんであんなに大きいのか。アメリカにあって日本にないものは何か。牛乳である。子どもに牛乳を飲ませよう」と役人が考えても不思議はない。勝者たるアメリカ人に対する畏れと憧れから、一般の日本人が進んで「パンと牛乳」を受け入れた側面もあった。

学校給食で牛乳を強制するためにはそれなりの根拠を示さなければならない。強調されたのは「児童・生徒の体位の向上」であった。体位の意味するところは体格(とりわけ身長)である。「アメリカ人は牛乳を飲む。牛乳にはカルシウムが多い。アメリカ人のようになるにはカルシウムが必要だ。日本の子どもに牛乳を!」ということになった。

牛乳を飲めばアメリカ人のようになれるのか。答えはNOである。最終身長は遺伝で決まっている。詳しくは本文で述べるが、どんな食事でも充分に食べれば遺伝の許す範囲で身長は伸びる。児童が成長促進剤を飲めば早く背丈が伸びるだろうが、その分早く伸びが止まってしまう。どんなにカルシウムを摂っても背丈が伸びないのは、設計図が平屋の建物にいくらセメントを運んでも2階建てにならないのと同じ理屈である。

「骨粗鬆症にならない」も牛乳のセールスポイントであった。ほんとうに骨が丈夫になるのか。答えはNOである。牛乳消費量の少ない日本人の骨は欧米人の骨より脆いのか。答えはNOである。牛乳を飲むようになった現代日本人の骨は牛乳をほとんど口にしなかった戦前の日本人の骨に比べて丈夫なのか。答えはやはりNOである。

食育基本法(2005年)に沿って学校給食法が改訂されても(2009年4月施行)、牛乳の強要は続いている。文部科学省は牛乳強制の事実を隠したがっているようだ。「牛乳」という単語は学校給食法にも学校給食法施行令にもない。登場するのは下位法令の学校給食法施行規則である(ただしミルクという言葉になっている)。この規則の第一条は学校給食を完全給食、補食給食、ミルク給食の三つに分けて次のように述べる。
 ・完全給食とは、給食内容がパン又は米飯(これらに準ずる小麦粉食品、米加工食品その他の食品を含む。)、ミルク及びおかずである給食をいう。
 ・補食給食とは、完全給食以外の給食で、給食内容がミルク及びおかず等である給食をいう。
 ・ミルク給食とは、給食内容がミルクのみである給食をいう。
つまり、ミルク(牛乳)のつく給食だけが学校給食でミルクのない給食は学校給食ではない。

学校給食の目的が栄養から食育になった現在でも、文部科学省は依然として牛乳のない献立を学校給食として認めていない。文部科学省は2008年10月30日付けのスポーツ・青少年局長通達で、「学校給食においてカルシウムの供給源としての牛乳が毎日供給されていること」「学校給食がない日はカルシウム不足が顕著であり、カルシウム摂取に効果的である牛乳等についての使用に配慮すること」と念を入れている。

学校給食法制定からすでに半世紀以上も経過した。純粋な動機で始まったものでも50年も経てば錆びる。もうそろそろ強制ではなく、飲みたい子どもだけが牛乳を飲むということにしてもよいのではないか。

牛乳を飲むようになったから日本人の寿命が延びたという人がいる。たしかに、日本人の平均寿命(ゼロ歳平均余命)は1950(昭和25)年から2010年(平成22)の60年間に男で21.6年、女で24.8年も延びた。この平均余命の計算に最も大きな影響を与えるのは乳児死亡率(出生1000人当りの1歳未満の死亡数)である。乳児死亡率は1950年の60.1から2010年の2.3へと25分の1に低下した。日本の乳児死亡がかくも激減したのは、出産前後の周産期医療の進歩によるものであって、日本人が牛乳を飲むようになったからではない。

昔の日本には胃がんが圧倒的に多かった。その胃がんが近年目覚ましく減っている。たとえば男の年齢調整死亡率*(人口10万対)は、1960(昭和35)年の98.6から2010(平成22)年の28.2へと、この50年間で3分の1以下になった。こんなに胃がん死亡が減ったのは日本人が牛乳を飲むようになったからだと無邪気に語る人がいる。 
*年齢調整死亡率:がん死亡は年齢によって違うので、1960年と2010年のように年齢構成の異なる場合は単なる人口当たりの死亡率(粗死亡率)では両年度のがん死亡を比べることができない。標準人口を用いることによって年齢構成の影響を除いて計算される死亡率が年齢調整死亡率である。ここでの数値は「昭和60年モデル人口」を用いて計算されている。

そんなことはないだろう。かつての日本に胃がんが多かったのは、大部分の日本人が総菜を塩蔵の保存食品に頼らざるを得なかったからである。冬期には塩漬けの野菜(漬けもの)を食べた。魚は干し魚あるいは塩漬けで、内陸で新鮮な海産物を口にできたのは正月ぐらいのものだった。ところが今では、いつでもどこでも新鮮食品が入手可能となった。1960年代に始まる輸送網(鉄道と道路)の整備と冷凍・冷蔵庫の普及によって、だれでも新鮮な野菜や魚介が食べられるようになった。日本人が牛乳を飲むようになったから胃がんが減ったわけではない。さら付言すれば、胃がんの減少は必ずしも医療技術ではなく、むしろ工業技術や土木技術によってもたらされたということができる。

よく「日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人はがんで死ぬ」という話を聞く。が、必ずしも日本でがんが増えているわけではない。死亡診断書に「がん」と記載される死者が増えたのである。昔は年齢とともにだんだん食が細くなり、数週間床につき、やがて息絶える老人が多かった。臨終に呼ばれた医師は「老衰」と告げ、周囲はこの診断名に納得して死者を弔った。

古希を迎えれば、ほとんどの人ががんの一つや二つは抱えながら生きている。お年寄りが「早く発見できればがんで死ぬことはありません」という言葉に励まされて医療機関を訪れると、病院は最新の医療技術を駆使してがんを捜索する。2人に1人ぐらいの割合でがんが発見されて治療を受ける。がんの見つかった人が亡くなると、その死因は「がん」となることが多い。新聞の死亡欄に「がん」が多いのは隠れているがんを積極的に見つけるからである。実際、日本のがん死亡は男ではほぼ横ばい、女では明らかに減少している。「日本人の3人に1人ががんで死ぬ」は検診を業とする人たちの脅し文句である。

日本女性のがんの年齢調整死亡率は1960年の132.0から2010年には92.2に減った。その理由は胃がんと子宮がんによる死亡が大幅に減少したからである(胃がんについては前述の通りで、子宮がんの死亡が減ったのは風呂・シャワーの普及による)。その中にあって、死亡が著しく増えている女性のがんがある。乳がんである。1960年の乳がんの死亡率は5.1であったが、2010年には11.9と2倍以上に増えている。治療技術が格段に進歩したと言われているのに、乳がん死亡がこんなに増えているのはおかしいではないか。しかもその増加はあまりにも急峻である。なぜこんなことが起こるのか。

乳腺と前立腺はよく似ている。ともに性ホルモン依存性の外分泌腺で、思春期に急速に分裂・増殖する。日本で今、女の乳がんと男の前立腺がんが急増している。国立がん研究センターのがん対策情報センターによると、1975年から2010年の35年間に乳がんという診断で治療を受けた女性は約4倍に、男性の前立腺がんはほぼ8倍にふえた。    

乳がんと前立腺がんは欧米の風土病である。厚生労働省のがん対策推進基本計画(平成19年6月)には、両腫瘍の増加要因が「食生活の欧米化」という言葉で括られている。食の欧米化とは日本人が牛乳を飲み、バターやチーズを食べるようになったことをいう(コラム 和食と洋食)。食の欧米化が近年の乳がんと前立腺がんの急増の原因なら、予防の基本はバターの香りを遠ざけることにある。

本編は「牛乳のカルシウム」「学校給食と牛乳」「牛乳と乳がん・前立腺がん」を主題にして、「牛乳はそんなによいものではありません」という視点から書かれたものである。すべての乳製品に「この製品は妊娠している動物から搾ったミルクを使用していません」と表示されることを願っているが、少なくとも子どもには「妊娠していないウシから搾ったミルク」を飲ませたい。言葉は少々きついが、批判的にお読みいただければ幸いである。


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